救世主トドオカが不毛の大地を征く理由
武井稲介
いつか、私の最期をきっちりと見届けてね。
僕たちが住まう大地が不毛の荒野と化したのは、三百年前に起きた核戦争のせいなのだそうだ。
両親はよくそう言い聞かせてくれたが、実のところ僕は核というものがなんなのかわからなかったし、両親もきっと充分な理解はしていなかっただろう。
さらに言えば、三百年前というのが本当なのかもわからないし、その以前には豊潤な大地が広がっていたというのも真実かは疑わしい。少なくとも、僕が子供の頃から今に至るまで、村の連中はずっと三百年前と言い続けて、カウントは増えていない。
そんな村も、飢饉で滅びた。
両親は餓死の前に体力が衰えて病気で死んだし、わずかに残った村人も伝手を頼って各地に四散した。
寄る辺もなかった僕に、村人たちは哀れんだ視線を向けてきたが誰もどうすることもできない。他人を気遣う余裕は誰にもない。僕はどこかに新天地があると信じてあてもない旅に出るしかなかった
「よう、起きたか。少年」
いつの間にか気を失っていたらしい。僕が目を覚ますと、空には満天の星が広がっていた。
傍らには、旅装に身を包んだ女性がいて、何かを煮炊きしている。帽子からこぼれた長い髪が、風に揺られてゆらめいている。
「どこの誰だか知らないが、とにかく飯を食い給え。話はそれからだ」
鍋からよそいあげた汁の湾を、半身を起こして受け取る。
「あなたは……」
「わたしの名前はトドオカ」
その女性は、土埃にまみれた旅装に似つかわしくない、さっぱりとした笑みを浮かべた。
「しがない語り部だよ」
その言葉には疑問が残ったが、しかし食欲が先に立った。食料が枯渇してからというもの、何日も食事をとっていない。
匙で汁を口に運ぶと、今までに感じたことがないほどの滋味が身体に染み渡った。目をむいて一杯を勢いよく飲み込んで、それからトドオカさんに視線を向けた。
生まれてこの方、これほど美味い食事をとったことがない。
しかも、集落での食事ならまだしも、彼女は一人きりで荷物も充実しているようには見えないのに。
「これは……なんの汁なんだ? トドオカさん」
「ふふふ。知りたい?」
トドオカさんはいたずらっぽく笑って、僕の質問には答えない。
「なんだ、まさかとんでもない食材が入っているんじゃ……」
僕の疑念に、トドオカさんは笑い声を漏らした。
「わたし、何かと誤解されることが多いんだよねぇ……暴力団だと思われたりさ。安心して頂戴。食材は主にイシクラゲやスベリヒユ、それとセミの幼虫とミルワームあたりだよ。……それと塩蔵していたベニテングタケで出汁をとった」
僕にはよくわからない食材を挙げて、トドオカさんは微笑んだ。
「ベニテングタケはレアだからそんなには使わないんだけどね。はじめましての人には奮発してしまったよ」
さあ、もっと食べたまえよ少年、とトドオカさんはさらに汁を勧めてきた。
僕の腹がぐうと鳴る。
あまりの食事の美味さと空腹の前に、僕は食欲を我慢できなかった。
僕は進められるまま、モリモリと汁を食べ進めていった。
これが、僕とトドオカさんの出会いだった。
トドオカさんの話によると、トドオカさんは以前よりずっと旅をしているのだそうだ。それがいつの頃からなのか聞くと、トドオカさんは
「それ言ったらわたしの年齢が推測できちゃうじゃーん」
と笑って僕の額を弾いた。
最近のトドオカさんの動向はというと、近隣の村に一時的に滞在し、食料の収集を行っているのだそうだ。村はトドオカさんに寝床を提供する代わりに、収集した食料を分け与えるという関係らしい。僕を拾ったのは、その活動の最中というわけだ。
昨日の食事でもわかったことだが、トドオカさんは食材に関して恐ろしく詳しい。食べられる雑草、食べられる虫、食べられる小動物に関する知識は当然として、毒を持つ食材を解毒して食料にすることすらできた。
その知識量は、僕には魔法のようにすら見えた。
トドオカさんが滞在しているという集落に向かう途中、トドオカさんはまるで魔法使いのようだと感想を告げると、トドオカさんはおかしそうに笑って、『発達した科学は魔法と区別がつかない……か』と言った。もちろん、僕にはその言葉の意味はわからない。
しかし、知れば知るほどトドオカさんの知識量には驚くばかりだ。魔法使いでないというならば、まるで千年を生きた仙人のようだ。
あるいは、異世界から僕たちを救いにきた救世主のような。
集落に帰るまで数日かかるという話だったため、僕は採取を手伝いながら寝食を共にしていった。トドオカさんは僕の何倍も働いているというのに、寝る間を惜しみたき火の明かりで羊皮紙に何か書き物をしていた。
「なにしているの? トドオカさん」
ある時、先に横になっていた僕が問いかけた。
「わたし以外でも食べられる草がわかるように、情報をまとめて記録している」
トドオカさんは書類から顔をあげた。
「それ、人に教えたらトドオカさんの価値がなくならない?」
トドオカさんは豊富な知識によって村に滞在を許されているという話だから、価値がなくなれば村に彼女を置く理由はない。
そう考えて問いかけると、トドオカさんはきょとんとした表情を返してきた。
「わたしがいなくても村が順調に過ごせるなら、そっちのほうが良いに決まっているでしょ」
トドオカさんの考えは、僕とは全く違う価値観に基づいているらしい。僕は何も答えることもできず、そのまま眠りについた。
「あ、ついたついた」
集落が見えてくると、トドオカさんは疲れを感じさせない溌剌とした声をあげた。
「君、ホント助かったよ。おかげで予定よりもたくさん食材を持ち帰れたからね」
トドオカさんが採取した食材を僕も背負っていたのは事実だが、トドオカさんにしてみれば負担のほうが大きかっただろう。
「わー! トドオカお姉さんが帰ってきたぁ」
トドオカさんの話では、トドオカさんと村はビジネスライクな関係だと感じていた。だが、村に帰るとトドオカさんには村の子供たちが走り寄ってきた。土埃での汚れにもかまわず、何人もの子供たちがトドオカさんに飛びついてきている。
トドオカさんはニコニコと笑顔を浮かべながらしゃがみこんで子供たちと視線を合わせて、
「いっぱい食べ物とってきたぞう。お父さんお母さんのいうこと聞いて良い子で過ごしていたかな」
と語りかけている。
「トドオカお姉さん! スポーティングソルトの続き聞かせてよ!」
「サムライ8の先のほうが聞きたいよ!」
「はいはい。ゆっくり聞かせてあげるからねぇ。ちょっと待っていなさいね、村長に挨拶して来ないと」
そう告げて立ち上がったトドオカさんは、行くよ、と僕にあごでしゃくってみせた。
村長の下に向かったトドオカさんは、僕の身の上について説明をしてくれた。村長は僕の置かれた立場について同情はしてくれた。トドオカさんの仕事を手伝うことで、当座の期間村で過ごすことを許された。
トドオカさんは採取してきた食料を村に景気よく与え、剰え自身の知識を惜しみなく提供した。
その夜、村ではトドオカさんの食材で宴会となった。
宴会といっても食材は芋と汁くらいのものだったが、それでも素晴らしい食事だった。村人に優しく、異人である僕にも優しく接してくれた。村がほぼ全滅したことを聞いて涙を流す人すらいた。
そんな中、トドオカさんは子供たちに囲まれていた。最後の西遊記、という物語を話して聞かせている。
子供たちはトドオカさんの語りに大興奮の様子で、夢中になってトドオカさんに続きをせがんでいた。
「君」
宴が終わり、皆が片付けを終えて解散しつつある頃になって、トドオカさんが静かに僕に話しかけてきた。
「君、見つけた時は死にそうな顔をしていたものだが、案外なんとかなったな」
「そんなにひどい顔だった!?」
僕は苦笑しながら答える。
「それよりトドオカさん、子供に人気あるんだね」
「わたしじゃないよ。話に人気があるのさ」
トドオカさんは笑い捨てるが、僕は違うと思う。
「それで……君、村での滞在期間が終わったら行く当てはあるのかい」
そう、それは課題だった。トドオカさんは村にいくら滞在しても快く受け容れられるだろうが、僕はそうではない。
「どこか、腰を落ち着けられる場所が見つかるまでわたしと旅をしないか」
「トドオカさんは、旅に出るつもりなの?」
僕のほうから逆に問いかける。
「村でも人気みたいだけど。ずっと村にいてもいいでしょ」
「村に温かく受け容れて貰えるのはありがたい話だけど……わたしにも事情があってね。やらなければならないことがあるの」
どうする? とトドオカさんは改めて問いかけてきた。
トドオカさんの提案は、僕にとって願ってもないことだった。トドオカさんと一緒にいたら食うに困ることはない。村にいるより、トドオカさんと旅をしていたほうが安心なくらいだ。
だが、いかに魅力的な提案でも、その前に確認することがあった。
「トドオカさん」
「なに?」
「あなたは誰だ?」
僕の問いかけに、トドオカさんは面はゆそうに笑った。
「いい質問だなぁ」
「考えてみれば、あなたは異常だ。誰も知らない知識があって、誰も知らない物語を語る。まるで、異世界からこの世界を救いに来たみたいに……あなたは、いったい何者なんだ?」
「話せば長くなるんだよね……」
トドオカさんは困ったように言って、目線をそらした。
「わたしは、数百年生きている。そう言ったら、信じる?」
「……はい?」
「かつて、コーカサス地方での軍事衝突を発端に発生した世界大戦。もう何百年前になるのかな……。その戦争で、わたしたちの星は更地になった。文明は滅びて、叡智は失われた……。その世界大戦よりも前の知識を、わたしは持ち越している」
強くてニューゲームってやつ? とトドオカさんは呟いたが、その比喩も僕にもわからなった。
「……トドオカさん、その話が本当だとして、あなたは何故、そんなに長命なんだ?」
「わたしね。元々、一度はじめたことは最後までキッチリやらないと気が済まないタイプなんだ」
トドオカさんはくるりと振り向いて、夜空を見上げた。
「当時、わたしが読んでいた漫画少年誌……。その掲載作品の完結を見届けるまで、わたしは死ねない身体になった」
「……しかし」
トドオカさんの話は、にわかには信じがたい。だが、トドオカさんの言葉が嘘だとも思えなかった。
「まんがというのがなんなのか、僕にはわからないけど、その作品の作者ももう死んでいる……そうでしょう?」
「うん。そうだね」
トドオカさんは僕のほうを振り返って、寂しげに微笑んだ。
「だから、子供たちに物語を言い聞かせて、その中から誰かが続きを描いて、作品を完成させてくれる。わたしはそんな将来を信じている。もちろん、食事がなければ続きなんてあるわけがないから、食事に関する知識も与えている。村が、自力で食事を賄えるようにね」
「じゃあ、旅の目的も……」
「そうだね」
トドオカさんは頷いた。
「村を巡って、食事の知識、そして物語について言い聞かせて、いつか新しいジャンプを作る。そうしたら、わたしは、きっと人生をきっちり完遂して、死ぬことができると思うんだ」
一緒に来てくれる? とトドオカさんは白い手を差し出してきた。
「いつか、わたしの死をきっちりと見届けてね」
救世主トドオカと僕の、人生を終わらせるための旅は、こうして始まった。
救世主トドオカが不毛の大地を征く理由 武井稲介 @f6d8a9j1
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