溶けないかき氷の謎
「いやぁ、不思議なこともあるものだ」
それは唐突だった。独り言なのか、私に向けた言葉なのか、判断に迷う。昼間の疲れがまだ残っているのか、乗客の声がやけに耳に残る。もし独り言なら、そのうち話は途切れるだろう。そう思いつつも、車内の静寂が妙に重く感じられ、つい「何が不思議なのでしょうか」と、口を開いた。
「それがですね」
ミラー越しに見える乗客の表情は、どこか話したくて仕方がない様子だった。彼は興奮気味に身を乗り出そうとするが、シートベルトが彼の体をぐっと座席に引き戻す。私はその小さな動きに微かな笑みを浮かべる。
「さっきまで、かき氷イベントの審査員をしていたんですよ」
「なるほど」
私は頷きながら視線を前方に戻す。彼が何を言おうとしているのかは、すでに分かっていた。彼を乗せたのはイベント会場だったし、後部座席のカバンからは「審査基準」と書かれた資料がちらりと見えていたからだ。しかし、こういう会話を遮るのは無粋だろう。適当に相槌を打ちながら、彼が話したいことを聞き出すのが、タクシー運転手としての私のやり方だ。
「イベントと言っても、その辺のものとは規模が違うんです。なにせ、全国から腕に自信がある店が集まってきてますから」
彼の声が徐々に大きくなる。私はルームミラー越しに、彼の顔に浮かぶ誇らしげな笑みを確認した。
「そうですね。のぼりには『全国一はどの店だ!』と書かれていましたから、かなり盛り上がっていた様子でした」
「そうなんです! こんな大会の審査員を任されるなんて、夢にも思っていませんでしたよ」
彼は深く息を吐き、胸を張るように座り直した。その顔は誇らしげで、まるで子供が初めて表彰された時のようだ。私は彼の熱意に少しだけ共感しながら、道路の流れに気を戻す。
「すみません、本題から逸れました」
急に彼の声が落ち着き、申し訳なさそうに謝る。私は、彼の話に特に不快感を抱いていたわけではないが、こうして自ら気を遣ってくるところに少しばかりの好感を覚えた。
「いいえ、お気になさらず」
車内は再び静寂に包まれるが、私は次の言葉を待ちながら、少し先の交差点に目をやった。
「全国一を決めると言っても、我々審査員の評価だけではなく、お客さんの投票も加味されるんです。まあ、当たり前ですが」
私たち審査員の評価だけではない、と乗客は淡々と続けた。その言葉には少しの苛立ちが滲んでいるようにも感じたが、表面上は冷静だ。公平性の観点から考えれば、観客の意見を反映させるのは当然のことだろう。特に、顧客の味覚はイベントの成否を決める重要な要素だ。私はそう考えつつ、ちらりと後部座席の乗客の表情をミラー越しに確認する。
「優勝は絶品かき氷を出す有名店に違いなかった。コンテストが始まるまでは」
乗客の声が急に熱を帯びた。話の核心に近づいているらしい。彼の顔には少し緊張が走っているように見え、私はハンドルを握る手に自然と力が入った。
「ところが、お客さんの投票結果で違う店が優勝したんです。それが一風変わった店でして。一つの味だけで勝負するという、まるで回転効率を重視したような店でした」
その言葉に私は思わず眉をひそめた。一つの味だけで勝負? それは相当な自信がなければできないことだ。だが、それにしてもそんな戦略が勝ちに繋がるとは思えない。
「確かにそれは変わっていますね。一つの味で勝負とは、よほど自信があったんでしょうね。お客様はそのかき氷を食べられたんですか?」
「ええ、食べましたとも」
乗客は小さくうなずく。その動作から感じる微妙な違和感。何かが引っかかっているのだろう。彼の表情に浮かぶのは納得のいかない複雑な感情だ。
「しかし、特別うまいという訳ではなかった。イベントに参加した他の店と比べると、まあ中の上でしょうか」
彼の声には少しばかりの悔しさが滲んでいた。私はふと、彼が審査員として完璧な判断を下すことに誇りを持っていることを感じ取った。だが、その誇りがどこか揺らいでいる。それが原因か。
「なるほど、確かに不思議ですね。お聞きした話から考えれば、絶品かき氷店が優勝しない方がおかしく感じます」
私は率直な感想を口にした。乗客の言葉に含まれていた「不思議だ」というフレーズが、今ならようやく意味を成している気がした。どうやらこの謎が彼を悩ませているらしい。
「その変わった店が優勝したからには、何か観客の心を掴むものがあったのでしょうか」
私はさりげなく問いを投げかける。会話を誘導しつつ、何か引っかかるものがあるかを探るためだ。タクシーのエンジン音だけが静かに響く中、乗客は少し間をおいて話し始めた。
「ええ、もちろん。その店のかき氷なんですが、全然溶けないんです。他の店の倍くらいですかね。とにかく長持ちするんですよ。ああ、例えですよ」
その言葉に、私は思わず驚いた顔をしそうになるが、運転手としての落ち着きを保つ。車内の温度は適度に冷やされているが、そんな中でも溶けないかき氷とは妙な話だ。かき氷というものは、夏の風物詩であり、時間とともに溶けていくその儚さが魅力の一部でもある。それが、まるで溶けないとなれば、何か違和感を感じざるを得ない。
「それが面白いということで、評判が広がり観客の支持を得た。そういうことです」
乗客は、これまでの話を締めくくるように、どこか納得した様子で一息ついた。車内にまた静けさが戻る。彼が言うことは理解できる。確かに、そのユニークさが観客の心を掴んだのだろう。しかし、私はまだ何かが引っかかっていた。味ではなく、かき氷の「溶けにくさ」で勝負した店。それは一種の工夫であり戦略だが、どのようにして実現させたのか。探偵としての知的好奇心を刺激された。
私はしばらく無言で運転し、ふとある可能性に思い至る。そして、何気なく質問を投げかけた。
「もしかして……お客様、そのかき氷、いちご味だったのでは?」
ミラー越しに、乗客の目が見開かれるのがはっきりとわかった。彼の表情には明らかな驚きが浮かんでいる。
「そ、そうです! いちご味でしたが……なぜそれがわかったんです?」
私は微笑みながら、トリックの核心に触れる。
「お客様、いちごにはポリフェノールが豊富に含まれているんです。このポリフェノールには、液体が凍結している状態を長く保つ作用があると言われています。つまり、いちごポリフェノールが、かき氷を溶けにくくしていたんです」
乗客は、しばらく言葉を失っていたが、やがて納得したようにうなずく。
「そんなことが……全然知らなかった。そうだったんですね、だからあの店のかき氷は……」
「はい。見た目はシンプルでも、科学の力を使って他の店とは違う特徴を持たせていたんです。それが観客の心を掴んだ理由かもしれませんね」
タクシーは静かに目的地に近づいていた。私はルームミラー越しに再び乗客を見やる。彼はまだ何かを考え込んでいるようだったが、少し安心した表情を浮かべている。
「お客様、目的地に到着しましたよ。そして、小さな謎の答えにも」
「いやあ、ありがとうございました。まさかタクシーでこんな謎解きができるとは思いませんでした」
私は笑顔で答えた。「タクシーには、いろんな話が集まりますからね。次の目的地までには、また何か新しい話を聞けるかもしれません」
乗客がタクシーを降り、街の喧騒に消えていくのを見送りながら、私は静かにアクセルを踏み直した。
街にはまだ無数の謎が転がっている。さて、次はどんな話が聞けるだろうか? 私は、それらを一つ一つ拾い上げながら走り続ける。副業の探偵として。
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