第47話 とある会社にて
米国、ニューヨークのオフィス街のとあるビルの最上階。
美しい景色を背にして、その男は革張りの椅子に腰掛けていた。
その隣に立っている髪を後ろでまとめた女性が、手帳を開いて男性へと説明する。
「社長、本日のご予定ですが、この後会議が二つと会食が一つ。そして今サインしていただきたい十枚ほどございます」
「分かった」
男は手元の契約書に万年筆でサインをしながら、女性の方には目もくれずに頷いた。
最後の紙にサインをし終えた男は、深く息を吐いて背もたれに体を預ける。
「ふぅ……こうも仕事漬けでは、身体が鈍ってしまうな」
「パーソナルトレーニングの予約を入れておきましょうか?」
「いや、いい。それよりも今度一緒に食事でもどうかな。ゆっくりと二人で話し合おうじゃないか」
「遠慮させていただきます」
その時コンコン、と扉がノックされた。
秘書を口説くのを邪魔された男は一瞬目を細めたが、直ぐに気を取り直して扉の方へと声をかけた。
「入れ」
「し、失礼します」
入ってきたのは新入社員と思われるまだ経験の浅そうな男性職員だった。
その男性職員は手にファイルを持っていた。
「頼まれた物を持ってきたのですが……」
「ご苦労、それは彼女に渡してくれ」
社長は短く返事をして机の書類に目を落としたが、そこで男性職員が何かを言いたそうにしていることに気がついた。
「どうかしたのかね?」
「あの、その……この本にサインを頂けないでしょうか?」
男性職員は社長に対して一冊の本を差し出した。
その本は社長の自著だった。
「ふむ?」
「実は俺、ずっと貴方のファンで……! この会社に入ってからずっと貴方にサインをするタイミングが来ないかなって思ってたんです!」
「……」
瞳を輝かせる男性職員に秘書が注意を促した。
「あの、ここは職場ですよ。そういったことは控えてください」
「ああ、すみません……! 憧れの人に会えてつい興奮してしまって……!」
平謝りする男性職員に対して社長は微笑を浮かべる。
「すまないがそういうことだ。勤務時間外なら喜んで本にサインさせてもらうから」
「すみません! それではこれで失礼します!」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
「え?」
部屋から出ていこうとする男性職員を呼び止めた。
「そうだ、一つ言い忘れていたが……君はクビだ」
「……え?」
「だからクビだよ、クビ。君のような使えない社員がいるというだけで、お気に入りのランチにネズミの糞を塗りたくらていたような気分になる」
男性は一瞬呆けた顔になると、すぐ引きつった笑みを浮かべる。
「ハハハ……面白いジョークですね?」
男は社長に冗談であることを確かめるために問いかける。
しかしその社長が表情一つ変えずに自分のことを見つめているという事実に……ようやく社長が冗談の類を言っていないということに気がついた。
「そ、そんな……どうして俺がクビになるんですか!?」
「会社とは国だ。その国の創造主であり、王である私がクビだっと言ったらクビなんだ」
「お、俺は貴方の本を読んで、ここに……」
「それならサイン本をくれてやろう。良かったな、ここをクビになっても売れは少しは生活費の足しになるんじゃないか?」
社長は机の引き出しから自著を取り出し、手慣れた様子でサインを入れる。
そしてサイン本をぽん、と男性の足元に放り投げた。
「ほら、それを持って今すぐにここから去り給え」
「……」
圧倒的な理不尽に対して、男性職員はもう言い残す気力すら残っていなかった。
本を拾うと無言で部屋から出ていった。
「うん、ゴミ箱に投げたゴミがうまく入った気分だな」
社長はスッキリした表情で秘書に問いかける。
「ふむ、それで例の件はどうなっている?」
「失敗した、と」
「まあ、そうだろうな」
社長の表情には特に驚きはなかった。
「こちらが報告書です」
秘書が書類を社長の前へと差し出す。
マニラフォルダに挟まれた書類をパラパラとめくると、社長は机の上に乱雑に放り投げる。
「腕利きの特殊部隊が全滅か」
「まさか、あちらも強力な護衛を雇っていたのでしょうか」
「いや、それはありえない。こちらでも入念に調べたが、護衛はいなかった。側にいるのは戦闘能力の無い高校生二人とメイド一人。素人にプロである彼らが手こずるとは思えない」
「ということはつまり……」
「ああ、やはりアイリス・ロスウッドやその取り巻きが常識では考えられないような力を有している。という説が濃厚になってきたな」
社長は机の上にフォルダごと投げると、背もたれに体を預ける。
「……それを確かめるために傭兵を送ったのですか?」
「あのときはまだ私も半信半疑だったさ。それに調べてもそんなものは一切出てこなかった。ま、あっちも理解してくれているだろうさ」
「なぜこの少女にそれほど入れ込むんです?」
「なに、少し前におもしろい話を聞いてね。彼女が無限の万能エネルギーを操れる、と」
「そんなの、ただの与太話の可能性だって……」
「それは私も分かっている。だから調べたんだ。すると面白いものがあってね……」
社長が肩を竦める。
「彼女の経歴が嘘みたいに消えているんだ。ああ、もちろんイギリスで貴族として生きてきた経歴はあるよ? でも、ちょっと綺麗すぎる。まるで誰かが手を加えたみたいな経歴だ」
「それで、目をつけたと?」
社長は頷く。
秘書は言葉が出てこなかった。
それだけでマークするなんて、それこそただの勘の域を出ていないというのに。
それだけで真実に近づけるという天性の勘がこの社長の強みでもあった。子供っぽいところはあるが、この強みがこの会社をこのニューヨークの中でもかなり大きな会社へと引っ張ってこれた理由でもある。
秘書は不安げな表情になると社長へと問いかける。
「社長、本当にこんなことをして大丈夫なんですか? 一般人を誘拐する、なんて」
「大丈夫だ。信頼できる筋から完全匿名で依頼したんだ。あちら側の人間は金さえ渡せば死んでも契約は守る」
本来ならば社会的な立場がある社長が裏社会の人間とつながっている、なんてスクープされればとんでもない額の損失になるのだが、本人もそんなことは重々承知のはずだ。
つまり、社長はそのリスクを考慮してでもお釣りがくると判断したのだ。
「私が言っているのは倫理的な問題です……」
「それこそ問題ない。隠蔽すれば倫理がどうのこうの言ってくる連中までは情報は届かない。人類の発展のためには多少の犠牲はつきものだ。少々の倫理的な問題など、多数の人類の利益のためならば受け入れられるのが人間という生き物なのさ」
秘書はため息をつく。
人類のための利益とは言いながらも、自分もその利益のほとんどを享受するつもりであることを理解していたからだ。
その時、社長がおもむろに立ち上がった。
「さてと」
「どこへ行かれるのですか?」
「日本だ」
社長の言葉に秘書は目を丸くする。
「社長自ら出向かれるのですか?」
「ああ、その通りだ。私が直接出向いて交渉する」
「交渉でしたらウチの社員に任せては?」
「駄目だ。自慢じゃないが、こういう将来を左右する交渉を誰かに任せたことは一度もない。だが、だからこそこの会社をここまで成長させることができたという自負がある」
「では本日のご予定は」
「すべてキャンセルしてくれ。それと、日本行きの飛行機の用意を」
「専用機をチャーターしておきます」
社長はオールバックの髪をなでつけると、窓の外の絶景を眺めて呟いた。
「さぁ、人類の発展に貢献しようか」
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