世界があなたを拒むなら

アルマジロ

世界があなたを拒むなら

 暗闇の中、男が一人彷徨っていた。等間隔に並ぶほのかな灯りを頼りに、少しずつ、少しずつ前へ進んで行く。


 否、そもそもそれが前なのか後ろなのかもわからず、ただ先へと進む。目の前にはただひたすらに続く闇、闇、闇。


 あぁ、何でこんなことになったのだ。奴らが恨めしい。腐りきったこの世界も。全てが憎い。全てが許せない。


 しかしそんなことを思っても、傷だらけの体では前へ進むので精一杯だ。とてもじゃないが口に出す気力もない。


 ふと気がつくと、目的のものが少し先にあった。もはや思う通りには動かぬ体に鞭を打ち、一歩、また一歩近づいていく。


 そこにあったのは小さな箱だった。その箱は安っぽさを感じさせないほど見事な模様が刻まれており、全てが木でできているとは思えないほど見事な造りである。——それが、状態の良いものであったなら。


 箱を構成する木材は腐り、蓋は埃をかぶってしまっている。昔はさぞ美しかったのだろう。今ではただの古びた箱である。


 男は震える手で箱を開けると、中身を確認する。そこに入っていたのは……一つの紙だった。



 少年に家族はいなかった。物心がつく頃には奴隷として売られており、血の繋がった家族はもちろん、そう呼べる存在も一人としていなかった。


 もしスラムで生まれたならば、もし孤児院で育ったならば、彼にも家族や仲間がいたかもしれない。しかし彼は一人だった。信頼できる人も、心を許せる人も誰一人としていなかった。


 少年が生まれてしばらくした頃、入荷後しばらく売れなかった奴隷達は隣町へと移動することになり、その中に少年もいた。


 彼らは馬車に揺られ進んでいく。奴隷は皆荷台に押し込まれ、ただでさえ快適とは言えない乗り心地が更に悪くなっている。


 奴隷達は皆足枷をつけており、鎖は荷台に固定されているため逃げ出すことなどできない。彼らは死人のような顔をして、ただただ次の地獄へ向かうのみである。


 彼らが馬車で移動していると、丁度森の近くに差し掛かったところで魔物の群れが現れた。腰に毛皮を巻いた人型のソレらは、錆びた剣を振り回しながら襲いかかってくる。


 一体一体の質はそれほど良くない。しかし、いかんせん数が多かった。必死の抵抗も虚しく次々と護衛や奴隷商が殺されていき、残るは荷台の奴隷達のみとなった。


 魔物達はその存在に気づくや否や、奴隷達を殺し始めた。あるものは首を斬られ、またあるものは胴体を繰り返し突き刺されている。


 そんな中、少年の元に一体の魔物が近づいてきた。先程まで小さな子供を痛めつけ、愉悦を顔に浮かべながら嬲り殺しにしていたその魔物は、新たな獲物を見つけた悦びに頬を歪めながら剣を振り下ろした。


 じわじわと楽しむつもりだったのだろう。それが幸いして、必死に交わそうと暴れる少年の足首を狙った剣は鎖を断ち切り、少年を自由の身とした。


 すかさず少年は荷台から飛び降り、隣の森へ森へと駆けていく。外は無惨にもバラバラにされた死体達。

 しかし、自分を虐げていた奴隷商や関わりのない護衛には目もくれず、ただひたすらにこの場を後にする。


 命からがら逃げ出すことに成功した少年は、森の奥のさらに奥、奴らが追って来れないほど深くまで逃げ込む。


 植物の葉は皮膚を切り裂き、地面に転がる石が素足に突き刺さった。途中大きな根に足を取られてしまったり、ぬかるみで滑ったりもした。


 それでも少年は生きるために走る。追ってきているかどうかはわからない。しかし、ただひたすらに走り続ける。


 やがて日も暮れ出血と疲労で身体が動かなくなった頃、どこからか足音が聞こえた。


「おや、こんなところに人の子とは珍しい。」


 木々の隙間から現れたのは、一人の女だった。肌は青白く、腰まである漆黒の髪に大きな赤い瞳。その頭から伸びる2本の角は、彼女が何者であるかを雄弁に語っていた。


 ……が、少年は奴隷だ。一体彼女がなんなのか、何故ここに居るのかなどそんなことは知りもしないし気にもしない。今はただ、この状況から逃れることのみが重要である。


「た、たすけ、て……」


 もはや満身創痍のこの身体では、立ち上がることすら叶わない。唯一できるのは、敵が味方かわからぬこの女に助けを求めることのみ。


 それを聞いた女は、少し悩んだ末にゆっくりと少年を抱き上げる。まるで繊細なものを取り扱うかの如く、丁寧で優しく背負い自分が来た道を戻っていく。


 少年の目が覚めると、今まで感じたことのない温もりに包まれていた。硬く冷たい石畳とは異なり、柔らかく暖かいベッドに横たわり、何があったかを次第に思い出していく。


 その時、部屋の扉が開き角の生えた女が入ってきた。


「目が覚めたようだね。無事そうでよかったよ」


 思わず警戒する少年だったが、状況を考えると彼女に助けられたのだろうと踏み、おずおずと尋ねる。


「あの……助けてくれてありがとう。けど、なんで助けた? オレは何をしたらいい?」


「ははっ、別に何かを求めて助けたわけじゃないさ。強いていうなら、傷ついた子供を放っておけなかったから、かな?」


 彼女はコロコロと笑いながらそう言うと、今度は少年に質問をしだした。

 どこから来たのか、何故あそこに居たのか。そして、帰る場所はあるのか。


 少年は自分が奴隷だということ、魔物から逃げてここへ来たこと、帰る場所などないことを伝えた。すると彼女は顔を伏せてしばらく唸った後、突然少年の方へ身を乗り出した。


「ならここで一緒に暮らそう。ここは私以外誰もいないけど、それでもいいなら」


 彼女の申し出に一瞬面食らうが、その意味を理解すると思わず頷いた。少年は今まで生きてきて、初めて人の優しさに触れたのだった。


「そうか、よかった。そういえば名前を言ってなかったね。私はアザレア。君は?」


「……名前、ない。オマエとかオイって呼ばれてた」


「……じゃあ、私がつけてあげる。君の名は——」


 そうして、少年とアザレアの生活が始まった。狭い檻の中でひたすらじっと生きてきた彼にとって、彼女との暮らしは新しいことの連続だった。


 二人で庭で育てた野菜を収穫し、森に仕掛けた罠で動物を狩る。アザレアが料理をする間、少年は他の家事をして働く。

 一息つけば、二人で椅子に座り、陽に当たりながらゆったりとまどろむ。


 時たま、アザレアは少年に色々な話をしてくれることがあった。


 ここは人間の国の中心に近い森であること。彼女は魔族と呼ばれる種族であること。魔族は人々から恐れられ、忌み嫌われているということ。


 なぜ恐れられているのか少年が聞くと、アザレアは悲しそうな顔で言った。


「自分たちと違うのが受け入れられないんだよ、きっと。魔族なんて言うけど私達が人間と違うのはこの角だけで、別になにかしたわけでもないし」


 それだけの理由で魔族は人間に滅ぼされかけ、今では数少ない生き残りが各地に隠れて暮らしいているらしい


 彼女はすぐに笑みを浮かべたが、少年は彼女にそんな顔をさせる人間に強い怒りを覚えた。そして自分も人間だと気づき、少し落ち込んだ。



 そんな当たり前のようで幸せな毎日を過ごして数年が経ち、少年が男になった頃のことだ。ある日男が一人で散歩していると、突然森の入り口あたりから悲鳴が聞こえた。


 気になって向かった先には、一人の人間と頭から血を流す——アザレアがいた。


 天をつくようにうねった角は片方が根本から折られており、まさに今もう片方も折られる寸前であった。


 男は頭が真っ白になり、手にしていた長剣でアザレアを掴む手に斬りかかる。突然のことに反応できなかった人間は、腕から大量に血を流して狼狽える。


「いでえぇぇぇ!!! な、何しやがんだテメェ!!」


「うるさい!! アザレアに何してんだお前っ!!」


「ア、アザレア? この魔族のことか? この魔族が欲しけりゃくれてやるよ! もう用済みだぜ!」


 そう言うと、人間はアザレアの角を持ったまま森の外へ逃げていった。


 すぐさま男はアザレアに駆け寄り、傷口を確認する。幸い血は止まっており角以外の外傷も見当たらないが、いつまで経っても彼女は目を覚さない。


 急いで家に連れ帰りベッドに寝かせ、彼女を看病する。呼吸はしているようだが、まるで死んでいるかのように微動だにせず眠ったままである。


 数時間が経ち、ようやく彼女は目を覚ました。しかしその様子はひどく弱々しく、今にも意識を失いそうなほどだ。


「よ、よかった! 目が覚めたんだな!?」


「……あ、ああ。……ただ、しばらくは動けそうにないや。ごめんねぇ」


 男が無理をさせないようゆっくり話を聞くと、どうも彼女達魔族にとって角はとても大事であり、無くなるとそれだけで酷く体力が低下するらしい。


 それでも時間が経てば角自体は生えてくるらしく、心配はいらないとのこと。しかし、それまでは以前のようには動くことができないそうだ。


 男はその後もつきっきりで動けない彼女の世話をし、危なっかしいがようやく一人で歩ける程度までは回復した。


 結局何故あの人間がこの森に来たのか、何故アザレアの角を奪ったのかは不明だが、探すこともできない。男は激しい怒りを抱きつつも、彼女が助かったことに安堵していた。



 しかし、それから数週間が過ぎた頃である。突如として森に人間の軍隊が押し寄せてきた。


 彼らは奥へ奥へと森を突き進んでいき、とうとう男達の住む家の近くまで来てしまった。


 男とアザレアは今すぐ家を捨てて更に奥へ逃げようとするが、気づいた時にはもう遅かった。家の周りは包囲され、逃げ場などどこにも無かった。


 あまりの急さについていけず唖然としていると、軍隊の中から豪華な鎧を着た隊長らしき人間が前へ出て言った。


「なるほど、貴様がこの森に住む悪き魔族か。して、その隣の男が使い魔の魔物か? にしてはえらく人間に似ているが……まぁよい。吾輩が直々に打ち取ってくれよう!!」


 そう言うや否や、その人間はアザレアの胸に剣を突き刺した。あまりの速さに二人は反応することができず、彼女の胸から血が吹き出す。


「……は? アザレア……? アザレアっっ!!」


 近づこうとする男を周囲の兵士達が取り押さえ、あまりの暴れように何度も切り刻まれる。しかし、抵抗虚しく彼はアザレアがその手足を切り落とされるのを見ることしかできなかった。


 隊長は最後にアザレアの角を捻り取ると、男には目もくれず兵士を引き連れ去っていった。


 解放された男は急いで彼女の元へ駆け寄り止血を試みるが、傷口が大きすぎてもはやなにも意味をなさない。


「なぁ、しっかりしろアザレア! 頼む、死なないでくれ!!」


「…………ガフッ……きいて……」


「あぁ! ちゃんと聞いてるよ!」


「……いえのちかに、ある、は、こ…………」


「アザレア……? アザレアっ!! なんでっ……! なんでなんでなんでなんでなんだよぉ!!!」


 彼女はそれだけを言い遺し、息を引き取った。青白い肌には鮮やかな赤がべっとりとこびりつき、紅い眼は光を失い曇ってしまった。


 男はその場で叫び、慟哭する。なんで、どうしてこんな目に遭わなきゃいけない。彼女が何をした。俺達が何をした。そう呪っても腕の中の彼女は目を覚さない。時間は、戻らない。


 箱を、探そう。彼女が遺した箱を。


 男は自らのボロボロの体に鞭を打ち、彼女を背負いながら今まで入るのを禁じられていた家の地下へと進んで行く。彼女が伝えたかったことを知るために。


 そして、男は箱の中に入った紙を取り出し読む。



『 これを読んでいるということは、私はもうこの世にいないのかもしれない。


 私は、君と出会えて幸せだった。君を息子のように思っていたし、君も私を母のように思ってくれていたと思う。

 何気ない事も二人でいると特別なことに思えたし、とても久しぶりに誰かと時間を共有することができて嬉しかったよ。


 さて、私が何故死んでしまったのかは今の私にはわからない。

 もし間抜けな死に方をしたなら、笑い飛ばしてほしい。もし寿命だったなら、良く頑張ったと褒めて欲しい。


 ただ、考えたくもないが、もし万が一誰かに——特に人間に——殺されたとしたら、どうかその時は一旦落ち着いてほしい。

 君のことだから、私のために敵討ちや復讐だなんて考えるかもしれない。けど、私は君にそんな危険なことをしてほしくない。願わくば、私に囚われず幸せな人生を歩んでほしい。

 これは、母からの些細なおせっかいかもしれないけれど。


 我が親愛なる息子、ルビアへ。これからの君の人生が、希望に満ちたものでありますように。


 君の母、アザレアより。』



 ルビアは、もう呼ばれることのない名前を見て思わず涙する。

 唯一の家族が、初めてできた家族が奪われた。息子と呼んでくれた、唯一愛してくれた人が、いなくなってしまった。


 奴らはまるで、正しいことを成したかのように振る舞っていた。同じ種族である自分を人扱いしなかった挙句、何もしていない人を一方的に惨殺する。これが本当に人のすることか?


 かつて、ルビアはアザレアに『魔物はいるのか』と尋ねたことがあった。

 彼女は、本に出てくる魔物は架空の生き物であること、魔族に悪印象を与えるためだけに作られた空想上の生き物だと言っていた。


「アザレアはいないって言ってたけど、俺見たんだ。魔物は本当にいたよ」


 あぁ、あんな悍ましい醜悪な生物を魔物と呼ばずしてなんと呼ぼう! 他者を傷つけることに罪悪感を覚えず、平気で自分を正当化し弱者を虐げる。これこそまさに魔物!!


 アザレアが遺した事にはおおむね従おう。彼女が復讐をするなと言うならしない。危険な事もしない。


 ……ただ、最後の願いだけは叶えられそうにない。人間を肯定する世界で、あなたを否定する世界で希望を持って生きられなどしない! 

 世界が先にあなたを拒んだのだ。ならば自分は世界を拒もう!


「アザレア、今行くよ」


 そうしてルビアは胸に短剣を突き刺し、彼女の死体に寄りかかりながらこの世を去った。

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