第5話 あなたを崩したい

 それは、私が自室でYouTubeを垂れ流して暇を潰していた時である。


 人間とはとても愚かな生き物だ。もっと他にやるべきことがあると分かっているはずなのに、日々の大半をくだらない動画か何かを見て浪費してしまう。私もその例に漏れず、その日の大部分をスクランブル交差点のライブカメラを眺めることに費やしていた。陽キャばかりでムカつく日もあるが、何故か見てしまう。場所は同じなのに少しずつ通る人たちが変わっていくから飽きるタイミングを見失ってしまうのかもしれない。

 そうやって無駄な時間を過ごしているうちに、私はあるライブ配信を見つけた。タイトルは「ジェンガワールドチャンピオンシップ準々決勝 日本代表対アルゼンチン代表」だ。


 すごい引き込まれるものがあるでしょ? もちろん、配信を開いた。


『さぁ、激闘は一四七手目に差し掛かっております! アルゼンチン代表クズサーナイ選手、この絶望的な状況をどう切り抜けるのでしょうか。引き抜ける箇所は一つもないように思われます』


 すっごい白熱してる。ジェンガで百手越えって可能なのかよ。多分だけど理論上無理でしょ。

 配信を見る限り、これはどうやらジェンガの世界大会なるものらしい。視聴者が私を含め三七人しかいないところは気になるが、会場はそれなりに豪華な所が用意されているようで、体育館ほどの広さの場所で二人の人間がジェンガを中心に向き合っている。流石に緊迫した雰囲気である。


『クズサーナイ選手、この場面どうするべきでしょうか』


『そうですね、やはりブレイドスピンでしょう。ジェンガのプラスレンジを意識していけば、まだまだチャンスがありますよ』


 すごい、実況解説が何言っているのか全然分からん。ちょっとコメント欄で訊いてみるか。えっと……「ブレイドスピンって何ですか?」、よしこれでいいな。おっ、早速返信来たな。


『ブレイドスピンとはジェンガのプラスレンジをパサードすることによって、アウトコージンをジェネラルポリシーすることですね』


 ダメだ、一気に知らない単語が増えた。ジェンガをする上でそんな用語何に使うんだよ。あんなもん、抜いて積むだけのゲームだろ。

 ……いやでもどんな競技も極めるというのはすごいことだ。きっとここに立ってる人たちも想像も付かない研鑽を積んできたんだろう。それはすごいブレイドスピンを見せてくれるはずだ。アルゼンチン代表の人、ジェンガやるためだけに生まれてきたみたいな名前してるし。


『さぁ、クズサーナイ選手どうするのでしょうか! おっと、クズサーナイ選手が手を伸ばす!』


『……パスで』


『パ、パスだぁぁぁ!』


 パスかい! いやジェンガパスとかないだろ。超ズルいじゃん。


『解説の時円ヶ原さん……パスはありなんでしょうか』


『そうですねえ……ルールで規定されていないので分からないですね』


 されてないのかよ、絶対しといた方がいいよ。


『おっと……審判団協議しております。……情報が入ってまいりました。えー……協議の結果、考えるの面倒なので今回だけはパスありとのことです』


 すごい、チャンピオンシップという大掛かりそうな肩書きからは想像できないほどの適当さだ。対戦相手可哀想だな……日本代表の人みたいだけど。


『しかし……これで日本代表のスペシャルソラネちゃんとしてはかなり厳しい展開になりましたね』


 ん? なんか知ってる名前が聞こえてきた気がする。聞き間違いかな。最近まだ若いのに耳が遠くなってきてほんと……。


『トレードマークの青のマントが揺れています。オレンジの道着が輝いています』


 ……うっわ、知ってる人だ。

 え、高波宙音、ジェンガの世界大会出てんの? しかもあのクソダサい格好で? ブレイドスピンしてんの? アウトコージンをジェネラルポリシーしてんの?


『おおっとスペシャルソラネちゃん、ジェンガを崩してしまいました! スペシャルソラネちゃん、今大会をベスト八という形で終えることになりました』


 ああ、崩した。あの謎パスがなければ勝っていただろうに、可哀想だな。

 それからスペシャルソラネちゃんのインタビューがあるようだったが、流石に何だか見るのが小っ恥ずかしくて、私は黙って配信を閉じた。ネットニュースによれば、シンガポール代表のゼッタイカチマスが優勝したらしい。


 *


「え、横山さん見てたんだ。うん、あれ私だよ。いやーまさかあの場面でパスができるなんて思わなくて、油断してたよー」


 昼休みの教室、そう決まりが悪そうに苦笑するのはもちろん高波宙音である。私と彼女以外は何故か先生に用を頼まれて席を外しているので二人きりである。彼女が一方的に世間話をしてきたところで、私が昨日の話を繰り出したという流れである。

 私の前の席で反対向き、つまりこちら側へ向かって腰掛ける高波宙音はジェスチャーでジェンガを引き抜く動作をする。ダメだ、ちょっとした仕草から可愛いなこの人。


「うーん、途中までは良かったんだけどねぇ。一三八手目が微妙だったのも痛かったなぁ。やっぱりブレイドスピンだったかなぁ」


 そんな将棋の感想戦みたいなやつやるんだな。……あと、ブレイドスピンって何なんだよ結局。


「やっぱりまだまだだなぁ」


 高波宙音は窓の外へと視線を向ける。眩しそうな太陽に目を細めながらただじっと遠くを見つめている。僅かに開いた窓からそよ風が流れ込み、彼女の長い髪を揺らす。可愛らしい顔が顕になって、私はつい見惚れてしまう。

 ……自分が負けた試合の話をされるのは嫌だったかもしれないな。高波宙音はそうは思わないだろうが人によっては馬鹿にされたと取るかもしれない。取り繕おうと私はバンッと机を叩いた。


「で、でも……大きな大会で戦ってるの……カッコよかった、です」


「そっか……えへへ、ありがとう」


「……はい」


 高波宙音は絶対にありがとうを言ってくれるタイプだからなんだかこっちが恥ずかしくなってしまう。私みたいな人間は他人に喜ばれることにあんまり慣れていないのである。基本喜びも悲しみも与えないタイプだから。

 高波宙音は私の方へと僅かに顔を近づけてつぶやく。


「私だって気づいてくれて嬉しかった」


「あ……」


 いや、そりゃ気づくでしょ。あんな目立つ格好だし、名前も同じだし。スペシャルソラネちゃんのこと知ってたら誰だって気がつくよ。それがたまたま私だっただけ。あーもう、そんな嬉しそうな顔するなよ。否定しづらいじゃん。言い訳できないじゃん。


「横山さんは、私のこと何でも気づいてくれるね」


 高波宙音は少し微笑んで──そう呟いた。

 え、何この人。あり得なくない? そんなこと普通にただのクラスメイトに言う? 私、ハッキリ言って友達ですらないよ。そんなの勘違いしちゃうじゃん。私たちクソ陰キャは「え、高波宙音ってもしかして僕のこと好きなのかなぁ……」ってなっちゃうじゃん。それで思い切って告白したら「え……そんな、◯◯君とはそういうのじゃなくて……」って言われちゃうよ。いつもいつも私たちの純情を弄びやがって!

 もう嫌だ……超可愛い。

 と、私は誰にでも優しいタイプの陽キャ女子に翻弄されていたわけだが、そんな私を尻目に高波宙音はいつのまにか腕の中に収まるくらいの紙箱を抱えていた。パッケージにはキャッチーなロゴでJengaの文字が描かれている。


「やろっ!」


 高波宙音の笑顔は弾けるようで、全く陰キャ特化もいいところである。はぁ、答えることなんて決まっているだろう。


「……やります」


 だってさ、誰かとパーティーゲームをやるなんていつぶりだろう。最近は相手がいないから一人で大富豪とかやってたくらいだし。一人だと8切りとか7渡しとかみたいな地域差あるルールで揉めないから楽しめる……うん、楽しめるから。

 でもやっぱり、本音では誰かとやるゲームの方が楽しいに決まっている。


「横山さん、ジェンガのルール分かる?」


「あ、はい大丈夫です」


「ジェンガを抜く時使っていいのは片手だけだからね。あと、一番上の二番目に上の段は抜いちゃダメね」


「は、はい」


 流石に日本代表だけあってルールには厳しいな。


「えーっと持ち時間は五時間でいい?」


「うえっ!」


「短かった? 九時間とかにしとく?」


「い、いやそんな要りませんよ!」


 将棋のタイトル戦じゃないんだぞ。夜までやる気か?


「じゃあ一〇分にしよっか。持ち時間使い切ったら一手三〇秒ね!」


 よし、NHK杯テレビ将棋トーナメントと同じルールになった。


「よし、私からでいい?」


「あ、どうぞ」


 ……というか、日本代表相手なんて私に勝ち目なくないか。私、素人オブ素人だけど……。

 そんな私の不安をよそに、高波宙音は意気揚々と目を輝かせながらジェンガを引き抜いた。


 ──七時間一六分後。

 互いに持ち時間や考慮時間を使い切り、三〇秒ジェンガが続いていた。すでに一七八手に差し掛かっている。おでこから汗が滴り落ちる。暑い、でも思考を止めることはできない。一秒でも脳をジェンガから離してしまえば、確実に負ける。

 高波宙音は無事に一七八手を終え、ニヤリと歯を光らせた。


「横山さん、ホントに初心者? すごいよ、こわな白熱した戦い初めて」


「わ、私も、まさかこんな長時間になるなんて思わなかったです」


「ははっ、最高だね」


 目を光らせ、前髪を掻き上げる高波宙音はいつもと違う野生を感じさせる。ハッキリ言えばカッコいい。でも、そんなカッコ良さに見惚れていられるほどジェンガは甘くない。私には三〇秒しかない。

 もう日は落ちていた。昼時ほど、視界がハッキリしない。でも問題ない、目で見えなくとも頭で見える。耳で、鼻で、指先で、体の全部がジェンガに注がれている。

 私は五段目の左側のジェンガに触れた。──これなら、抜ける。

 試合は終盤、これを引き抜ければおそらく勝てる。三〇秒では、次の一手を見つけ、そして引き抜くなんてできない。これを抜けば、私の勝ち。

 ああ、ジェンガがこんなに面白いなんて。昨日呑気にライブ配信を見ていた自分を叱ってやりたい。これは命を懸けた戦いだ、魂を燃やした対話なのだ。ジェンガとより心を通じ合わせた方が勝つのだ。


 ──私は、勝ちたい!


 なのに、そのはずなのに指が震えた。


「ダメだよ、横山さん。勝ちたいって欲を見せたら、その瞬間にガタが来る」


 その言葉が告げられると同時にジェンガは音を立てて崩れる。一本一本が弾けて、机から溢れ落ちていった。床に落ちたジェンガがカランと音を立てる。

 流石に先程まで集中しすぎていたのか視界がぼやける。緊張の糸がプツリと切れ、私はその場でふらついて椅子から倒れるように姿勢を崩した。

 ……あ、ヤバい意識が。

 疲労からか体をうまく動かせなくて体勢を戻せない。これは気絶するやつだ。せめて頭は打たないようにしないと……。でもそんな思考も虚しく体は言うことを聞いてくれない。

 力なく倒れ込む体はそのまま床に強く打ち付けられ──なかった。バランスを崩した私の体を高波宙音が支えてくれたからだ。彼女の腕に全身が包み込まれた。なんか、やわらかかった。


「……大丈夫?」


 私を覗き込む高波宙音の瞳は心配というより、なんだか慈愛みたいな、子供のためにカレーにはちみつを入れて辛さをマイルドにするみたいなそんな想いを感じた。


「あ、はい。ありがとうございます」


「初めてでこんな長い時間試合したらそりゃ疲れるよね。ふふっ、私も最初はそうだった」


 彼女の長い髪が私の頬をくすぐる。少しくすぐったいけれど、それすらも特別に感じられて私は彼女を腕の中に体を預け続ける。

 高波宙音は私を覗き込んだままで、どこからともなく吹奏楽部の演奏が教室に響く。


「私と一緒に世界を目指そう。横山さんとなら、きっと世界を取れる」


 床に散らばったジェンガが月明かりに照らされる。きっと、私の瞳も月を反射している。まるでプールの中に沈み込んだようにプカプカと浮遊するような気持ちで私は呟いた。


「……はい、必ず」


 そうして、私たちのジェンガ生活が始まった。


 *


「こんな山奥で修行するんですね」


「うん、高いところだと酸素が薄いでしょ? そういう極限状態で練習しないと本番で通用しないから」


「そ、そんな陸上みたいな練習なんですね」


 私たちは今コウコウ山の山頂付近の山小屋にいた。持ち物はジェンガだけ。高波宙音にジェンガを教わり、私のジェンガ力を鍛えようというのが今回の目的である。

 高波宙音一息付くと、窓から見える巨大な岩を指差す。


「うーん、とりあえずあそこに大岩があるでしょ?」


「あ、はい。あの象ぐらい……でかいやつですか?」


「そうそう! とりあえず、あれ動かせるようになれば初心者脱却かな」


「え、あのなんなら象より一回りデカそうな岩をですか?」


「うん、そうだよ!」


 高波宙音は別に冗談を言っているわけではないようで、溢れんばかりの笑みである。

 うぇ……まじ? そんな亀仙人に悟空とクリリンがさせられてたみたいな修行すんの? ジェンガする上で力とかいるの? 繊細さの塊みたいなゲームじゃん。


「え……っと、私はもっと技術的なものを教えてもらえるのかと……ブレイドスピンとか」


「ん? ああ、そんなのいらないよ。ジェンガはパワーさえあればどうにでもなるから。今日から大会までは毎日筋トレだよ!」


 マジかよ……ジェンガなんて筋肉ない方がむしろ強そうなのに。あれか、対戦相手をボコボコにして不戦勝みたいなことか?


「じゃあ、横山さんは頑張って岩動かしてて、私はスクワットやってるから!」


 高波宙音はキラキラと効果音が漂っていそうな笑顔でサムズアップして山小屋の奥へと向かっていった。いや、可愛さでどうにかできる違和感じゃないぞ。


 そこから私と高波宙音の修行が始まった。私は一日中岩を動かそうともがき、高波宙音は筋トレをする。夜になったら二人でカレーを作って食べる。そして朝になったら昨日の残りのカレーを食べる。食べ終えればまた修行が始まる。私たちはそんな生活を繰り返し続けていた。

 ……エグい。マジできつい。私みたいなインドア人間が一日中外で体を動かしているのは普通に辛いし。でも一番しんどいのは毎日三食カレーなことである。高波宙音は「山といえばカレーだよ!」とかいう意味不明な理屈でカレーしか作ってくれないから本当にヤバい。最近はもう舌がカレーを浴びすぎてカレーの味を認識できなくなってきている。しかも買い出しに行くために山を降りるのは高波宙音だから手に入るのはカレーの材料だけ……ジェンガがまさかこんなにも辛いなんて。

 私がカレーに絶望して大岩の前で倒れ込んでいると、心配してくれたのか高波宙音が駆け寄ってきた。


「横山さん! どうしたの、どこか痛い?」


「い、いや……大丈夫です。ちょっと疲れただけなので」


「良かったぁ。水飲む? あ、カレーもあるよ!」


「カレーの話は二度としないでください。……み、水ください」


 はぁ……水美味しい。楽しいのは水飲んでる時と、夜に高波宙音の寝顔眺めてる時だけだよ。


「ありがとうございます」


「ううん、こまめに水分補給しなくちゃだから」


 そう言うと、高波宙音は私が口をつけたペットボトルをそのまま飲み干した。……なるほど、彼女もよほど喉が渇いていたらしい。うん、水分補給は大事だ。


「あのう、大会って……つ、次はいつなんですか?」


 大会が始まればこの日々も終わる。正直、私としては早くカレー生活から抜け出したい。


「えっとねー、直近だと明後日かな」


「え、ヤ、ヤバいです! ……私まだ全然岩を動かせてないのに」


「あー大丈夫、ワールドチャンピオンシップは週三でやってるから」


 彼女はあっけらかんと言う。


「え、週三ですか?」


「そうだよ。それに合わせて日本予選も週三でやってるから。一週間のうち六日は大会に出てるって感じかな」


 当たり前のように言ってるけど、この子高校生しながらどうやってそのスケジュールこなしてんだよ。


「た、大変じゃないですか? 学校と両立したり……」


「まぁね。……でも絶対勝たなきゃいけないから」


 ──高波宙音には理由があった。


 うわ、なんかナレーションみたいなのが出てきた。


 ──それは賞金である。


 ああ、お金か。確かにお金は大事だ。でもそんな頻繁に開かれている大会の賞金なんてたかが知れてるだろ。


 ──優勝賞金は三億円である。


 やっば。絶対優勝したい。いや……でも高波宙音が金のために努力するなんて違和感あるな。


 ──高波宙音は師匠と誓ったのだ。賞金全てを恵まれない子供達に寄付すると。


 流石高波宙音。私なら普通に二億くらいはくすねる。というか、当たり前のように出てきたけれど師匠って誰だよ。


 ──師匠はかつて高波宙音にカレーの作り方を教えた。


 ……諸悪の根源じゃん。そいつのせいかよこのカレー生活は。というかジェンガ関係ないのかよ師匠。


 ──高波宙音は師匠との約束を守るため、そして世界中の子供達を救うため、日夜クソダサ衣装を身に纏い、ジェンガの大会に出続けている。だが、未だ優勝できたことない。


 ああ、だから高波宙音としてではなく、スペシャルソラネちゃん名義で大会に出ているのか。ただの女子高生ではなく、子供のためのヒーローとして優勝したいのか。


 ──お前という才能と出会い。高波宙音の心は燃えている。互いに切磋琢磨し、今度こそ優勝トロフィーを手にしたいのだ。


 なるほど……そんな理由があったなんて、私も立ち止まってはいられないな。覚悟を決めたような高波宙音の凛々しい瞳を見つめ、私はそう決意を固めた。

 ……そして、このナレーションは一体何だったのだろう。


 *


 次の日。私たちはジェンガワールドチャンピオンシップの日本予選の会場にいた。結局岩を動かせなかったけれど、そろそろ上達しただろうという高波宙音のお達しによって出場することになったわけだ。

 私如きが大会に出るほどの実力なのかと思うと甚だ疑問ではあるが、合間合間に練習していた感じ、そこそこ上手くはあると思う。さぁ……どこまで通用するかだけど。


「トーナメント、反対の山だね」


「あ、はい。そうですね」


「決勝で会おうね」


「は、はい。頑張ります」


 高波宙音が差し出した拳に、私も拳を合わせる。はっきり言って、スペシャルソラネちゃんのモードのクソダサコーデなので笑いを堪えるのに精一杯なのだが、スポーツ漫画のアツいシーンを演じておこう。


「──おいおい、何だよ。俺の初戦はこんな小娘かよ。ったく、噛みごたえがねぇなぁ」


 あ、この人が私の初戦の相手の噛真瀬犬さんか。……ザ小物っぽい台詞だな。アニメとかで見たことある。絶対負けるじゃん。

 ただ、流石にこの大会に出ているだけあって体格はすごくデカいな。多分三メートルくらいある。やっぱりジェンガは力がものをいう競技なのか、素人目には絶対バスケをやった方がいいと思うけど。

 男は自らの顎を撫でてニヤつく。


「おいおい、俺に惨敗する前にさっさとお家に帰った方がいいんじゃねぇのか」

 

「──バ、バカな、この俺がこんな小娘に負けるなんて……」


 案の定とはこの時のために生まれた言葉だな。初戦は普通に私の勝ちだった。なんか私が思いの外強くで驚いたせいなのか、誤って巨大をジェンガにぶつけて倒してしまった。普通に何のための筋力だったのか分からない。


 *


「データによれば、この勝負で僕が勝つ確率はまさに九八・三パーセント」


「──そ、そんな、こんな状況データにないぞ!」


 *

 

「私の能力はコピー。対戦相手のジェンガスキルを盗むことができる」


「──どうして、同じスキルのはずなのにこんなに押されるの! これがコピーと本物の差っ!」


 *


 ……なんか案外勝ち上がれたな。何故か知らないけど、私の相手、ありきたりなかませキャラしかいなかったし。ジェンガスキルって何だよ、ただ抜けそうなところ抜くだけだろ。

 とにかく、もう早くも決勝だ。相手はもちろん高波宙音──否、スペシャルソラネちゃんであある。


「絶対に上がってくると思ったよ。泣いても笑っても、これが最後だね」


「は、はい、頑張ります」


 両腕を広げたくらいの大きさのテーブルに二人で向かい合う。その中心にはただジェンガのみ。買った方が世界大会だ。負ければ、そこで終わり。正真正銘これが最後。

 出番はジャンケンで決める。私が先行だ。まずは、真ん中の方のジェンガを抜く。続いて高波宙音は一番下の端のジェンガを抜いた。一気に土台が不安定になる。高波宙音はこういった好戦的な戦い方を好む。

 ジェンガの序盤は淡々としている。最初は抜くのにそれほど苦労しないから、お互い暗記している最適解をただこなしていく。くだらないミスなんてしない。言葉を交わすこともなく、ただその代わりにジェンガで想いを繋げる。

 一手一手が緩やかに流れていく。まるで書道で字をしたためるように、ただ心と心を通わせる。次第に勝負は中盤へと差し掛かっていく。流石にお互い緊張を隠せない。震えそうになる指先を抑えながらそれでも込める想いをジェンガに示す。いつだって……その繰り返しだ。

 決勝の持ち時間は五時間。互いの時間は次第にすり減っていく。高波宙音は直前の一手に一時間掛けた。私は二時間。刻一刻と終わりが近づく。上に置いたジェンガがカラっと音を立てた。眉から垂れ落ちた汗が視界を滲ませる。揺れる思考が何本もの糸のようにピンッと張って、手繰り寄せることのできた一本をただ小さな穴の中へと通す。


 ──ああ、この勝負が終われば敗者が決まってしまうんだ。


 どっちが世界大会へ行くとか、どっちの方が強いとか、はっきり言ってどうでもいい。私の目の前に高波宙音がいて、二人でただジェンガに興じている、それだけで友達のいない私は十二分に満たされる。勝ち負けなんて、決まらなくていい、この時間が永遠に続けばいいのに……。

 向かいの高波宙音がただ真剣に、ジェンガを見つめている。可愛いなぁ。私と同じ人間だと思えない。この人の顔を眺めているだけで本当に幸せだ。


 ──ちょっと待て。まつ毛の長い高波宙音の目を眺めて冷静になった。なんだ今の状況。普通にジェンガの世界大会のための日本予選って何だよ。そんなのないだろ。あったとて、どうかしたのかという話だ。

 完全に洗脳が解けた。ジェンガで山籠りとか意味分からんかったな。家でやれよ。絶対ジェンガに筋トレいらないから。

 私は今、高波宙音とジェンガをしている。ああダメだ、冷静になったら高波宙音と二人で何日も過ごしていたなんて興奮が抑えられない。熱が体を巡って、流れる血液に支配されるように私はジェンガに手をかける。ドキリと、心臓が高鳴る。

 そうだ……私は別にジェンガに何か特別な興味があるわけじゃない。私はいつだって、高波宙音を見ているんだ。ジェンガ自体が好きなんじゃなくて、私はただ高波宙音と時間を共有していたんだ。彼女の時間が、笑顔が、息遣いが、全て私のために注がれていることがどうしようもなく幸せなんだ。


 だから……。


 高波宙音を見つめていた。視線に気がついて、彼女の方も顔を上げて私を見る。目が合うだけでどうして高揚感に包まれるのだろう。分からない。だけれど、高波宙音の見せるはにかんだ笑顔がどうしようもなく、私の胸を高鳴らせた。

 あ……。


 惚けたまま動かした指がジェンガを弾く。そのまま、ガラガラとジェンガが崩れていった。終わって、しまった。


「私の負けですね」


「うん、私の勝ちだね」


 窓から日が差す。高波宙音は眩しそうに目を細めた。


「横山さんとジェンガできて良かった。二人だったから、いつもの何倍も楽しかったよ!」

「わ、私も楽しかった、です」


 ああ、高波宙音はやっぱり私とは違う。私は高波宙音と何かをするのが楽しいのだけれど、きっと高波宙音は別に私でなくたって、誰であっても楽しめるのだと思う。相手が誰であっても、彼女はただ純粋な笑顔を向けているはずだ。

 それでも、今日という日に彼女のそばに居るのが私であることがやっぱり嬉しい。それだけで、私がカレー漬けになった意味もあったのだ。

 そうして、日本代表は──スペシャルソラネちゃんに決まった。


 *


 今回のオチというわけではないが、ここで後日談を語ろうと思う。結局私はジェンガへの洗脳が解けたため、ジェンガは機会があればやるくらいの遊戯に舞い戻った。そして、相手がいない私にはその機会など当分は訪れることはないだろう。

 そして、ワールドチャンピオンシップに出場した高波宙音は見事に優勝し、賞金を恵まれない子供達に寄付したようだ。やっぱり、ヒーローが似合う女の子だ。

 そして、この大会の運営資金は一体どこから出ているのか、そればっかりは完全に残された謎である。

 

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