第4話 ヒーローショーは甘く

 鹿間どみのとして、私は実に十数年の人生を送ってきたわけであるが、やはり未だに世界は未知で満ち満ちている。そして、その一つが友人である。

 友人というのは非常に難しい概念だ。例えば、高波さんは友人がとても多い。多分、四国の総人口よりも彼女の友人の方が多いんじゃないだろうか。それもそのはずで、彼女は友人へのハードルが非常に低い。私だって、彼女の広い視野で言えば友人にあたるのかもしれない。

 反対に横山さんは友人がいない。少ないではない、いないのだ。とはいえ、私はそれでもいいのではないかと思っている。人間性とは友人の数だけで決まるわけではないし、そりゃいるに越したことはないだろうけれど、いないからと言ってゲームオーバーになるわけではない。

 たくさんあれば嬉しいけれどなければないなりになんとかなるという、友人とはさながら、ほぐし水のようなものである。

 そうやって友人という概念を相対化した時、私の友人関係とはどうであろう。友人が少なくはないと思う、というか多分多い。偏差値六二くらい。でも、今まで言ってきた通り多ければいいというものではない。実際、高校を卒業した後も熱心に連絡を取り合う人間は恐らく一人であろう。


 ──彼の名前を天野という。


 天野をよく知らない方にも分かるように説明するなら、彼はキモいという特徴を持っている。そして、それ以外にさして語るべきこともない。

 本当なら、そんなキモ男と私が親しくなるはずもない。親しくなった理由があるとすれば、それは運命の強制力である。またの名を……ご都合主義だ。天野が円滑に百合育成を続けていくためにはある程度条件を満たした友人が必要で、選ばれたのが悲しいことに私だったということだ。綾鷹だ。

 そして、ここで前提知識を伝えておきたいのだが──私は男の娘である。


 創作作品においての男の娘の重要性の最たるところは可愛いという点であるだろうけれど、その次を挙げるとするならば、主人公の隣に話の本筋とは関係しなくても良い可愛いだけのキャラをおけるということであろう。

 つまりは、男の娘は可愛いということである。さらにつまれば、百合の構図を崩すことなく天野の隣に可愛い私を配置できるということである。

 ああ、もっと言えば横山さんや高波さんと天野は接触しづらいから、見た目は可愛い私を接触させるというのが一番無難な落とし所だというのも理由になるかもしれない。特に、横山さんの方は友達がいなさすぎて私が男の娘であるというかなり有名な情報を知らないようだったし。

 とにかく要約すると私は男の娘で、天野というキモいやつが友人であるということだ。よろしく。


「おはよう!」


「おはよ」


 と、私が友人論を述べていると、件の天野が声をかけてきた。爽やかな日差しが一瞬にして苦々しいものへと変貌する。

 天野は珍しく、今日は遅刻して学校にやってきた。それも六限が終わったところだ。もう休めよ。何しに来たんだよ。


「遅かったね、何してたの」


「色々準備してたんだよ。今日は忙しくなるぞぉ!」


「もうキモいね」


「よく言われる」


「言われないように生きなよ」


 天野の顔にはネチャネチャした笑みが張り付いていて見れたものではない。なんなんだろうこの人。

 ん、なんか天野めっちゃ私のこと見てくる。何、私なんか変?


「なに」


「いや、可愛いなと思って」


「……言われないように生きなよ」


「会話を省略するな」


 ダメだ、天野との会話なんて、誰にも需要ないだろうから一旦無視しよう。

 私はそっとため息をついて、高波さんと横山さんを眺める。相変わらず高波さんはさやランと賑やかであるし、横山さんは部屋の隅の埃のようである。

 高波さんが机の中の何かを取り出して、うわわっと声を上げた。


「ねぇ、見てこれ! なんかチラシが入ってた。今日、コウコウモールでヒーローショーあるんだって! ブンベツンが来るんだよ!」


 コウコウモールとはこの町のイオン的存在のショッピングモールである。寂れた町なので、遊びに行くといってもここくらいしか選択肢がない。

 というか、あのチラシ入れたの天野だね。何企んでるのか知らないけど、そんな得意げに頷かないで。キモい、いつの前に入れたんだよ。


「なんでそんなのが机の中入ってるんだ?」


「さぁ、でもまぁそんなのいいじゃん。これ、今から行けば間に合うよ」


「そうですね。三人で行きますか?」


「え、いいの? 行こう行こう! ……あ、横山さんも誘いたいな」


「え、なんで、横山?」


「ん? 横山さんもブンベツン好きなんだよ!」


「いや……そうなのか」


「仲良かったんですね。知りませんでした」


「うん、まーね」


「…………」


 うわ、急に自分の名前が出てきて横山さん固まってる。おい、顔真っ青だけど大丈夫か。あ、口元抑え出した。吐くなよ、ここで吐いたら今まで友好度がパァだよ。


「ねぇ横山さん、みんなでヒーローショー行かなーい」


「……あ、あ、あ、あ、あ」


 うわ、誘われた喜びと緊張が許容量を超えて日本語忘れちゃった。凄い勢いで笑顔と真顔を反復横跳びしてる。

 ダメだ……見てられない。


「ねぇ天野、ちょっとヤバそう……」


「よし、上手くいってるぞ! よし、よし、よし、よし、よし」


 お前も日本語忘れ始めた?

 くそ、うるさいから一回思い切り殴って元に戻そう。


「えい」


「──うわっ! え、殴られた? え、なんで」


「ちょっと壊れてたみたいだから」


「昭和のテレビ?」


「違うでしょ。天野は人間だよ」


「ん? いや、俺が間違ってるの?」


 間違いだらけの人生でしょ。


「……あ、あ、あ、あ、あ」


「横山さん? 大丈夫? 聞こえる?」


「なぁ、宙音っていつから横山と仲良かったんだ?」


「分かりません。というか、仲良いんですかね。横山さん死にそうになってますけど」


 ……あの、この状況どうするの? なんか混沌としてるけど。

 その時である、まさに救済を告げるかのようにピンポンパンポンと校内放送が音を上げた。


『──二年A組、隠元さやさん、門部ランさん、至急チャドへ向かってください』


 チャド……? どこだ、それ。


「ニジェールの隣」


「ごめん、分からない」


「中央アフリカの上」


「じゃあアフリカじゃん」


「そうだよ?」


 当たり前みたいな顔するなよ。何したら校内放送でアフリカに呼び出されることになるんだ。というか、こいつの仕込みでしょこれ。


「チャドだってよ」


「遠いですね」


「あたしパスポート持ってないぞ」


「とりあえず、役所行きましょうか」


「じゃあ宙音、よく分かんねぇけどあたしらチャド行かないといけないみたいだから」


「お土産買ってきますね」


「あ、うん。いってらっしゃい!」


「あ、あ、あ、あ、あ」


 さやランは何故か放送を信じたようで、頭にハテナを浮かべている高波さんと、未だ混乱状態から抜け出せない横山さんを置いたまま、二人は教室を後にしていった。


「じゃあ、二人で行こっか」


「あ、あ、あ、あ、あ」


「へへ、楽しみだね」


「あ、あ、あ……たの、しみ?」


「よ、横山さんが日本語を話した!」


 話すよ?

 私が呆れていると、充実したようににっこりと優しい笑みを浮かべている。すごいムカつく。


「よし、全部順調だな。鹿間、先回りできるよう急いでコウコウモールに向かうぞ!」

 

「……」


「なんだよ」


「なんでも」


 こうして、高波さんと横山さんの放課後デートが幕を開けた。


 *


 ふと意識を取り戻した時、私はコウコウモールのすぐ側の道沿いを歩いていた。


「あ、あれ私はどうしてこんなところに」


「おぉ、横山さんだいぶ日本語上手になったね」


 先程まで学校にいたはずなのに、急な場面展開に驚いている私に感心したような表情を向けるのは、相も変わらず世界の中心みたいに私たちの視線を吸い寄せる少女──高波宙音だ。

 ……? なんか私、日本語すら話せないと思われてない?


「わ、私は話すの得意じゃないですけど、に、日本語くらい話せ、ます」


「え、あ、違うよ! 横山さんさっきまで日本語忘れて、電池が切れたロボットみたいだったんだから!」


 大体普段通りじゃないか。高波宙音は取り繕うようにぶんぶん首を振るけれど、いつだって私は欠陥品みたいなものだろう。


「えっと……それで、私たちはどうしてコウコウモールに来たんでしょうか?」


「それも覚えてないの? みんなでヒーローショー見に行こうって話になったじゃん! まぁさやとランはチャドに行っちゃったけど」


 チャド……何故二人はアフリカに。

 私が悪いのかそれとも高波宙音の言っていることがめちゃくちゃなのか……。おそらく前者だとは思うけれど、やはり状況が飲み込めない。

 放課後、高波宙音と二人でショッピングモールを訪れている。あれ? これってもしかして陽キャ的行いなのでは? ついに私にも春がやってきたのだ。あれだ、もっと陽キャぽくしないと。なんか話しかけよう。やばい、陽キャってどんな話するんだ? おい、現実にもギャルゲーみたいな選択肢出してくれよ。


 ──相手が話しかけてくるのを待つ。

 ──思い切って天気の話を始める。


 ……ダメだ、選択肢が使えねえ。上のやつにするか。


「ねぇ、横山さん」


「あ、はい」


 おお、本当に話しかけてくれた。神ゲーだよマジで。

 高波宙音は頬に垂れる横髪を耳の裏に掛けながらそっと水に砂糖を溶かすように呟いた。

「──なんか、デートみたいだね」


 それは、まさしく電流であった。私の脳内を衝撃の二文字が巡ってゆき、一瞬にして視界がブラックアウトしてしまう。

 で……デート?

 あ、アレか、あの創作の世界にだけ存在するというアレか? 付き合ってる人とか、この人なら付き合うのもいいかなって人とかが二人でやるやつか?

 あれ、私って高波宙音と付き合ってたんだっけ。いや、違う。そんな話なかった。少なくとも私は聞いてない。じゃあ、これから私たちは付き合いそうってこと?

 ん? 分からん。一話見逃したアニメみたいになってる。なんなら二クールくらい飛ばさないとこうはならない。


「た、高波さん……えっと」


 私が不安混じりに呟くと、高波宙音はプハーと息を漏らして笑う。

「冗談だよ。そんな真面目な顔しないでー」


「あ、はい」


 揶揄われただけだった。いやまぁそんなもんだよね。クソが。

 私たちはそのままコウコウモールの敷地内へと足を踏み入れる。建物の入口前は広場のようになっていて、ベンチでカップルがいちゃついていた。私たちはそのまま入口の方へと足を向ける。カップルは店で買ったであろうスムージーを飲ませあっていた。自分のだけ飲めよ。クソが。

 僻みではない、人が口を付けたものなんて衛生上良くないし、そんな人の分に手を出すなんて卑しいっていうか……。

 そうやって嫉妬を垂れ流していると、ふと高波宙音がこちらを見つめているのに気がついた。入口の自動ドアが開く。注がれる冷房の効いた風が心地良い。子供が走りながらドアをすり抜けてきて、危うくぶつかりそうになる。耳に届く店内のBGMに紛れて、高波宙音の声が聞こえた。


「──デートは今度ね」


 心臓が跳ねる。

 今のも冗談なのだろうが、それとも本気なのだろうか。人との会話の経験が乏しい私には分からなくて、隣の少女の表情を盗み見ようとした、まさにその時であった。

 カランカランとベルがなって、素性のくす玉が割れた。

 

「おめでとうございます! 当施設八七万三千二〇人目のお客様になります!」


 ヒラヒラと紙吹雪が舞う。降り注ぐテープが照明に反射して、なんだかダイヤモンドダストでも見ているかのように幻想的であった。

 しかし……。


「おめでとうございます! 八七万三千二〇人のお客様ですよ!」


 声の高い女性の店員さんが私たちに向かって拍手してくれる。すっごい笑顔である。

 うーん、どうやら私たちとの間には深い隔たりがあるらしい。高波宙音ですら喜ぶというより疑問に首を捻っている。

 しかし、さすが接客業というべきか、店員さんはぐいぐいと迫ってくる。うっわ、マイク持ってんじゃこの人。


「どうですか? 八三万二千七〇人めのお客様になった気分は?」


 数字変わってんじゃん。せめて覚えなよ。


「あー、嬉しいです!」


 陽キャすげえな、明らかに困惑してるのに笑顔で返してる。


「では、そちらのお嬢さんはどうですか?」

「……」


 わ、私? 

 そんな期待の眼差しを向けられても、私初対面の人と話せないのに。……あ、他の客にめっちゃ見られてる。いやそうだよね、一〇〇万人とかでも珍しいのに、くそ中途半端な数でお祝いしてたら気になるよね。


「なんで、こんな微妙な数で祝ってんの?」


「さぁ、てか女子高生インタビューされてるぞ」


 なんだよこっちみんなよ。くそ……恥ずかしい。


「どうですかー?」


「あ……」


 この人もそんな感想求めてくんなよ。分かるでしょ、注目受けるの無理なタイプなんだよ! いるでしょ周りにもそういう人、察してよ!


「どうですかー?」


 なんだ、この人。それしか喋れなくなったの? 怖いよ、なんでそんな感情のない瞳で見つめてくるんだよ。


「あ、え……」


 ダメだ、言葉出てこない。やっぱ無理だよ。あー、周りの奴らもヒソヒソ話始めてるし。やめてよ、そういうことされると余計言葉が出てこないんだよ。

 あ、やっばい。頭真っ白だ。こんなに頭が真っ白なのは、中三の時体育祭のクラスリレーでバトン落としてしまった時以来だ。あれ本当に苦手だったんだよなぁ。足遅いのにみんなに見られるし。なんか抜かれたら私が悪いみたいな雰囲気になるし。

 ダメだ、嫌なこと思い出したら余計に言葉が……。

 肩に触れられた。高波宙音は優しげな表情で私を見ていた。


「大丈夫。ゆっくりでいいから。ね、深呼吸して」


「あっ、はい」


「うん、それからね。嬉しいですって。……せーの」


「……嬉しいです」


「よくできました」


 あ、褒められた。なんか、こそばゆいけれど、ちょっとだけ嬉しい。楽しそうにしている高波宙音は確かに可愛い。

 おい、通行客。感心したみたいに「おおっ」って言うのやめろ。そういうのが一番恥ずかしいんだよ。「横山さんも喋るんだぁ」みたいなやつな。あれ凄い羞恥心来るんだから。

 店員さんは満足そうに頷くと、周りの通行客へ向けて高らかに言い放った。


「七六万五八四〇人目のお客様に大きな拍手を!」


 一〇万人くらい減ったけど大丈夫?

 パチパチと惜しげもなく拍手が注がれる。見せ物になったようでやはり恥ずかしくて、私たちは記念に商品券を貰った。


 *


 はぁ、今のは一体なんだったのだろうか。

 全然記念でもなさそうな数で祝われて凄い作為的なものを感じたな。貰った商品券も

一五〇〇円分とかいうガチでしょぼい額だったし。図書カードじゃないんだぞ。


「まだヒーローショーまで三〇分くらいあるからねぇ。せっかくこれ貰ったしどっかで買い物してこっか」


「そう、ですね」


 ヒーローショーは一七時から始まるらしい。こういうのって大体お昼くらいにやっているイメージだけど、なんで夕方から始まるんだろう。まるで、学校が終わった高校生に来てくださいと言わんばかりのスケジュールである。もちろん、たまたまなんだろうが。


「でもさぁ、たくさんお店があって迷っちゃうね」


 高波宙音は頬に指先を翳して、ぐるりと周囲を見渡す。ちょうど、側のテナントではプラカードを持ったお姉さんが客引きをしているようだった。


「当店全品三〇パーセントオフとなっておりまーす!」


 ああアパレルショップか。ショッピングモールなんて八割は何かしらの服飾を販売しているし、そして往々にして三割引となっている。あらはどういう理屈なんだろう、もはや引かれた後の方が定価だろ。


「三〇パーオフだって、なんか見ていこっか」


 定番の台詞に釣られたのか高波宙音はお姉さんの方へと足を向ける。まぁ、確かに洋服であれば彼女の選ぶものに適当に頷いていればいいだろうし楽かもしれない。どうせ高波宙音はなんでも似合うのだ。


「ダンベル二点以上お買い求めの方、一〇パーセントオフとなっておりまーす!」


 ……ダンベル屋だった。

 そんなことある? そんなアパレルみたいな宣伝するなよ。うわ、よく見たらお姉さんの上腕二頭筋すごいことになってる、ちょっとボロめの電柱よりは硬そう。

 高波宙音は一瞬目を丸くして、そしてすぐにいつものように完璧な笑顔に戻って言った。


「……他のお店にしよっか」


「そうですね」


 筋トレしてムキムキになる高波宙音は解釈違いだ。


「当店お会計の際百円引きのクーポンをお渡ししておりまーす!」


 そんな、かつやみたいなシステムでやってるんだ。ダンベルなんてそんな定期的に買いに来るものじゃないだろうに。

 私たちは電柱お姉さんの店を通り過ぎ、そのまま先へ進んでいく。別に、ここではなくても店などいくらでもあるのだ。ああ、ちょうど右の方でも客引きをしている店がある。


「当店のダンベルは二〇パーセント増量中となっておりまーす!」


 コンビニのキャンペーンか。ダメだ、次に行こう。


「当店のダンベル購入いただいたお客様にはプロテインをプレゼントしておりまーす!」

 それはちょっと良さそう。でも次だ。


「当店のダンベルをご家族やご友人に紹介していただきましたら、その数に応じたマージンを受け取れるようになっておりまーす!」


 なんでこんなダンベル屋ばっかなんだ。最後の絶対違法だし。……ダメだ、さっさとこのダンベルエリアを離れよう。ムキムキにされてしまう。


「な、なんか、ダンベル多いですね」


「うーん、なんか前にアパレルショップが多すぎるってことになって、改修して筋トレ用品のお店を増やしたらしいよ。なんでも、アパレルは全部ダンベルになったみたい」


 そんなバカな。ダンベルなんて一ショッピングモール一店舗までだろ。条例かなんかで決めた方がいいよ。

 私がコウコウモールの行く末を案じていると、高波宙音が何か思いついたかのようにポンっと手を叩いた。


「あ、そうだ! スムージー飲もうよ。ここのスムージー美味しいんだって」


 なるほど、ダンベル眺めるよりも建設的なアイデアだ。ダンベル通りを抜けて見えてきたのは、オシャレな書体のアルファベットで描かれた店名が頭上に掲げられた、陽な若者が好みそうなスムージー屋であった。

 あれだ、入口でいちゃついていたしょうもないカップルが飲んでいたやつか。なんかムカついてきたな。

 店の側のパネルには果物のイラストと、それぞれカラフルなスムージーの写真が掲載されていた。一つ七五〇円か、ぼちぼちするな。二人で一五〇〇円……まるで見計らったかのような商品券である。

 でも、ただの飲み物に七五〇円も使うの勿体無いな。陽キャって当たり前のように飲み物に千円近く使うけどどうなっているんだろう。多分コーラの方が美味いぞ。

 高波宙音は熱心にメニューを眺めていた。そしてちらりと私を一瞥して、そしてもう一度メニューに目を向ける。そうやって、また私に優しい瞳を見せた。


「何にしよっかなぁ、ねぇ横山さんはどんな果物が好きなの?」


 おっと、全然考えてなかった。私は値段を気にしていると気が付かれないように適当な目についたメニューを選ぶ。


「わ、私はバナナが好きなので、このバナナスムージーってやつにします」


「おっいいねぇ……じゃあ私はうーんそうだな、イチゴとブルベリーのミックスにしようかな。……店員さーん、注文いいですかー」


 あ、自然に頼んでくれるの優しい。人生助け合いだよね。果たして私が高波宙音の何を助けられるかという疑問はあるが一旦無視しておこう。

 店員からスムージーを受け取った高波宙音に言われるままに、私たちは近くのベンチに腰掛けた。二人で並んでスムージーに口をつける。

 ふむ……確かに悪くない。一口含むだけで、バナナの甘みが口いっぱいに広がる。とはいえ、ヨーグルトか何かが入っているようでわずかな酸味が全体をさっぱりとした仕上がりにしているようだ。甘すぎるものはあまり得意ではないがこれは飲みやすい。


「……美味しい」


 つい、そう感嘆の声が出た。もう一度スムージーに口をつける。うん、美味しい。

 隣の高波宙音がふふっと笑う。


「気に入った?」


「は、はい」


「ねえ、私にも一口ちょーだい」


 高波宙音は私の方に顔を寄せ、手の中のバナナスムージー、ではなく私の唇辺りを見つめながらそう言った。彼女の白百合の髪が私の方にそっと触れていた。買い物を終えた主婦らしき女性が、私たちの側を抜けていった。


 ……なるほど?


 高波宙音は「一口ちょーだい」と言ったらしい。それはあれか、私が飲んだこれを自分も飲みたいということか。……なるほど。

 言い換えるなら、私が口にしたものに、彼女もまた口をするということである。

 私がスムージーのストローを見つめていると、不安そうに眉を顰めて高波宙音が私の表情を覗き込んできた。


「……いや?」


「い、いやじゃないです」


「じゃあ、ちょーだい?」


 ずるい。高波宙音にいやかと尋ねられてそうだと言える人間なんて世界に存在しないだろう。どうやったって良心が痛む。


「は、はい……どうぞ」


「ありがとう」


 私が差し出したスムージーを高波宙音は手に取った。そのままぷくりと膨れた唇にそれを近づける。ストローの先の水滴が照明を反射して、そして、高波宙音はそれを口にした。

 ……私は別に飲食物のシェアに敏感なタイプではない。衛生的に気にする人もいるだろうが、私は意外にもそうではない。相手がいないだけで、私は誰と一緒だとしても普通に鍋を食べられる。

 でも、今はどうしてか、胸がドキリとした。

 何故だろう。スムージーを飲む彼女の横顔、じっと添えられた瞳、きめ細やかな肌、そしてその唇。どこか妖艶に思えて、目が離せなかった。


「あ……美味しい」


 やばい。私めっちゃキモい。高波宙音に他意なんてないのに、ただバナナスムージーを飲みたかっただけなのに、私だけ不埒な目で彼女を見ている。最低だ。全然ゴミ人間である。 


「横山さん、ありがとう」


 高波宙音は私にスムージーを返すと、その指先を私の指先に触れさせたままで言った。


「間接キスだね」 


「──っへえ!」


「ちょっとそんな動揺しないでよ! ちょっと冗談で言っただけじゃん」


 流石に直前まで邪なことを考えたばかりだったから高波宙音のちょっとした冗談にひどく動揺してしまう。仕方ない、私みたいな人間関係経験値ゼロ人間はこんな皆が義務教育までで経験するようなことにいちいち反応してしまうのだ。く、悔しい。


「ねぇ……」


 高波宙音が呟く。私を流し見る。その頬が僅かに紅潮しているような気がした。でもどうなのだろう。本当に頬が染まっているのは私の方で、自分の緊張をただ高波宙音に押し付けているだけなのかもしれない。でも……高波宙音は言った。


「私のも飲んでみる?」


「──飲みます」


 間髪入れず、私はそう答えていた。スムージーのカップから水滴がポツリと垂れた。私は高波宙音のスムージーを手に取ってそれに口を付ける。高波宙音は私を見つめて、そしてそっと瞬きをした。


 ──味が分からない。


 甘いのか酸っぱいのか、その区別さえも上手くできない。感じるのはほのかに漂うフルーティーな香りだけ。そして、目の前の少女の体温だけ。


「美味しい?」


「美味しいと思います」


「思いますってなにー?」


「え、あ、すみません」


「違うって怒ってるんじゃないよー」


 高波宙音は首を傾げてふふっと声を漏らす。それで、スムージーは甘かったのだとようやく気がついた。


「──美味しかったなら良かった」


 耳元で囁かれる。

 彼女の笑顔に、私は気がつかされた。どうしてあのカップルが互いにスムージーを飲ませあっていたのか。高波宙音から目が離せない自分がその答えなのだ。

 七五〇円か……なるほどね。

 スムージーを飲み干して、そしてヒーローショーが始まろうとしていた。


 *


 私はコウコウモールにいた。二階から吹き抜けを通して高波さんと横山さんを見下ろす。ふむ、なかなか尊い状況っぽい。側から見ると、高波さんは随分友好的なようだが、残念ながら相手が相手なだけあって一歩進みきれていないみたいだ。横山さんの自尊心が終わってるくらい低いせいである。

 しかし、もっと残念なこともある。私の隣には世界一キモい男がいるということである。天野の名のついたそれは高らかに叫ぶ。


「あー、いい! き、効くぅ! 体に染み渡るぜ。ああ、コウコウグループ買収してテナントみんなダンベルに変えといて良かったぁ」


 彼は、全身を震わせて悶えていた。絵が浮かんでこなければ、みんなが世界で一番醜いと思うものを想像してくれればいいと思う。概ね、それは天野と大差ない。


「原動力すごいね」


「ありがとう」


「皮肉だよ」


 一体何をどうやればただの高校生がショッピングモールを買収できるのだろう。


「ねぇほら見ろよ、間接キスしてるぜ! チューだぜチュー!」


 小学生かよこいつ。

 私は天野の話を無視して、ヒーローショーを見にいくのかベンチから離れる二人を眺める。


「で、これからどうするの。ヒーローショーやって終わり?」


「ん、ああまぁ大体そんなこと。じゃあ俺らは一旦外に出るか。このままだと巻き込まれるし」


「──え、なんで」


 理由を問おうとしたその時であった。階下から女性の叫び声が響いてきた。そして、まるでその声を合図にしたかのように一斉に人々が声を荒げながら駆け出す。不穏に揺れる空気に乗せられて、その声が私の耳にも届いた。


「動くな! 一歩でも動いたら、全員ぶち殺すぞ!」


 それは一〇から二〇人ほどの集団であった。一人一人が迷彩服を身に付け、頭にはストールを纏っていた。そして、おまけと言ってはなんだが、全員がアサルトライフルのようなものを手にしている。

 なるほど。厨二病の男の子は一度くらい想像したことがあるだろう。日常生活を送っていたらふいに、彼らと遭遇する。

 そう、テロリストである。


「よしよし、ヒーローショーの始まりだ」


 隣では天野が満足げに頷いていた。

 ……よくコウコウモール買収できたね、ほんとに。


 *


 それはまさに突然だった。高波宙音に連れられヒーローショーへと赴こうとしていた。私は正体の分からない高揚感に包まれていたし、高波宙音もご機嫌で、鼻歌を歌っていた。可愛い子である。

 そして──テロリストがやって来た。

 いや、そんなことある? まじで、ちょっと現実を受け止められない。あんなのリアルでいたらダメでしょ。確か、犯罪とかいうやつだと思う! 

 まぁなんと喚こうが目の前の光景は変わらない。私たち一般客はモール内にしゃがまされ並べられている。周りにはアサルトライフルを持った覆面男たちがうろついているから当然動くことはできない。


「ああ、そうだ。金と逃走手段を用意しろ」


 テロリストはどうやら警察らしい相手と電話でやり取りをしているらしい。これはドラマとかでみたことあるやつだな。リアルでもこんな感じなのか。


「……さもないと、ここにいる一三人の一般人の命はないぞ」


 人質少な。確かに周りの人あんまいないなとは思ってたよ。

 ショッピングモールにいる人間の数そんな少ないことある? 普通店員だけでゆうにその何倍もいるでしょ。


「え、ああそうだ、車を持ってこい。いや……ちょっと待て、三台は少ないだろ。俺ら一六人だぞ。どう配分しても六人乗らなきゃいけない車が出てくる。流石に狭くて無理だ」


 言うてる場合か。警察もそんな乗用車をたくさん用意するとかじゃなくてバスみたいなデカいやつ用意してあげればいいのに。


「あー、大型か。ダメだ、ウチはみんな普通免許しか持ってない。普通の車にしてくれ」


 言うてる場合か。お前らもテロ起こしていて免許の有無なんて気にするなよ。道交法違反なんて可愛いもんでしょ。


「あ、待て。ウチの若いやつが大型免許持ってたかも。……吉田ーお前大型運転できたっけー。あ、二輪の方か、オッケー。……二輪の方だったわ」


 変な期待させるなよ吉田だぁ!


「あーおっけ。じゃあ四台ってことで。うん、うん。いいよ金の方は俺らでトランクに積んどくから。おう、じゃあそういうことで」


 ……友達と旅行の予定組むみたいなノリで話すなよ。警察ももっと危機感ある取引しろ。

 私が腑抜けた空気に絶句していると、右隣の少女がそっと私の耳元で囁いた。


「横山さん、大丈夫。私がいるから」


 ああ、高波宙音優しい。本当は自分は不安なはずなのに、私は全然怯えているとかないのに、高波宙音は心強い。このまま彼女が側にいればなんとかこの苦境も乗り越えていけるはずだ!

 テロリストは電話を終えたようで周囲をグルリとと見渡している。そして、淡々と呟いた。


「おい、誰か逃走用の人質になれ」


「じゃあ、私がやります」


 ──高波宙音はテロリストに連れて行かれた。

 え、そんな急展開なことある?

 高波宙音、真っ直ぐな目をして答えてたけど。あ、待って、いやダメだ。相手銃持ってるし。ああ、高波宙音、ヒーロー願望ある子だもんな。そりゃ率先して人質にもなるよな……。

 高波宙音に伸ばそうとした手が空を切る。無理だ、私には止められる力がない。何も……できない。


「……あなたはそれでいいの?」


 混乱に混乱を重ねる私に、そんな声が投げかけられた。それは左隣のお姉さんだった。身長は結構高いと思う、多分一七〇くらいある。だけど顔は少し童顔で丸っこい目をしているから愛らしい雰囲気も持ち合わせている。そして何より、なぜかピンクのランドセルを背負っているから遠目からは大きめの小学生に思われるだろう。


「な、なんでラン、ドセル……」


「趣味よ」


 趣味か。そういう人もいる。

 お姉さんはランドセルの話をしたいわけではないようでパッチリとした瞳で私を力強く見つめて首を振った。


「私は、あなたが本当はあの女の子を助けたいんじゃないかって言っているのよ」


「は、はぁ……それは、で、できることなら」


 私だって、あんな奴らに高波宙音を奪われたくない。


「なら、戦うしかないでしょう」


 お姉さんの言葉には形容できない説得力があった。声色、表情、そして醸し出す空気感。まるでこんな経験を何度もしてきたかのような、頼もしさを感じさせられる。


「お姉さんは、何者……なんですか」


「私は、ショッピングモールでやってるヒーローショーの中の人よ」


「……はぁ」


「ああ、でもヒーロー役じゃなくて、怪人役ね。適当な子供見繕って人質にしてる方」


 どっちかというとテロリスト側じゃねぇか。あと、中の人とか絶対言うな。


「で、でも私、なに、も……できない」


「安心して、これがある」


 お姉さんはランドセルから水鉄砲を取り出した。ただの水鉄砲じゃない、トイザらスとかで売ってるめっちゃデカい二、三千円くらいするやつだ。


「これは、『テロリスト絶対倒すライフル』よ」


 ……テロリスト絶対倒すライフル。


「これを撃つだけで世の中のテロリストというテロリストをなぎ倒すことができる」


 すごいな、テロリスト絶対倒すライフル。絶対嘘。もし本当だったとしたらライフルはお姉さんが使ってくれればいいじゃないかという話になる。


「でもこのライフルは友達がいない一六歳の女の子じゃないと使えないから」


 なんだそのエヴァの搭乗者みたいな条件の狭さは。


「あなたがやるのよ」


「え……で、でも」


「あなたがやるのよ!」


「……ひぃ! は、はい」


 なんか無理矢理水鉄砲を押し付けられた。


「早く行ってきなさいよ!」


「う、うわぁ! 痛い」


 蹴り飛ばされた。野蛮すぎる、なるほど悪役になるわけだ。でも蹴ることないだろう。

 衝撃で床に転がり倒れる、痛い。膝をついてゆっくりと起き上がると、流石に私といえどもムカつく感情が抑えられないので、お姉さんに向けて声を上げた。


「──ちょ、ちょっと……な、なにするん、ですか、ひどい、です!」


 私の声がその場に響き渡った。あ、しまった。

 モールがシーンと静まり返る。周囲は皆私を見つめていた。当然である。この状況で前髪の長い陰鬱そうな女子高生が急に大声を出し始めたら、誰だって見るだろう。テロリストだって驚いている。あ、大型二輪の吉田がクスクス笑ってる。……恥ずかしい。


「……よ、横山さん」


 あまりの出来事に、テロリストに捕まえられている高波宙音ですら目を見開いている。そりゃそうだよね。せっかく自分が人質になったのに、私がこんなバカなことをしたら。

 私は抗議の意味を込めてお姉さんの方へと振り返る。


「……」


 知らん顔してんじゃねぇ! あんたのせいだろうが。

 さっき警察と電話していた、テロリストのリーダーみたいな男がこちらへ近づいてくる。


「おい、お前なんだ? ふざけてんのか?」


 ひいいぃ……怖い。こ、殺される。よく見たら顔とかも超怖い。てか普通に銃持ってるのヤバいよ。け、警察呼んだ方がいいのでは?

 焦ったように目を開いて、高波宙音が叫ぶ。


「ま、待って、その子は関係ないです! わ、私が人質ですよね!」


 あ、庇おうとしてくれてる。好きだ……。ごめん、高波宙音、私殺されます。

 私が死を覚悟したその時である。男は私から三メートルほどの位置で立ち止まった。そして、何故かプルプルと腕を震わせる。


「そ、それはまさか、テロリスト絶対倒すライフル、か?」


「は、はい、そ、そう、らしい……です」


 これ、そんな認知度高い代物なのか? ……撃ってみるか?


「えい」


 水鉄砲の引き金を引くと、まぁやはりといったところで水が出た。なんかすごいビーム的なのが出るのかと思ったが普通に水が出た。


「ぐ、ぐはぁやられたー」


 私が水鉄砲を放った瞬間、男は情けない声を出してその場に倒れた。そしてそれはこの男だけではない。他のテロリストたちも連鎖するかのように一斉に倒れていった。

 ……わお。


「わぁ……よ、横山さんすごいね」


 高波宙音さんがポカンと口を開けていた。


 かくして、コウコウモールテロリスト占領事件は幕を閉じたのであった。


 *


 突入してきた警察によって私たちは保護され、そしてまもなく解放された。後処理の都合上、今日のことは内密にという話だった。まぁ私に限れば話す相手がいないので全く問題はないのだが。

 高波宙音は私の隣を歩いていた。怖い思いをしたからと手を繋がれている。まぁ、しょうがない。あんなことがあったのだから、人の温もりが欲しくなるのは当たり前のことだ。相手が私なのが、むしろ申し訳ないところである。


「すごい一日だったね」


「は、はい、びっくりしました」


 無口な私はともかく、高波宙音も流石に疲れているのか、特に会話が続くことがなかった。日が沈みかけ空はオレンジに染まっていて、河川敷では夕日が水面に反射していた。眩しくって、思わず目を細めてしまう。

 うん、疲れたな。結局ヒーローショーは見られなかったし。そういえば、もしヒーローショーやってたらあのお姉さんが悪役やってたんだろうな。てかあのお姉さんなんだったんだ。無垢な女子高生をテロリストに立ち向かわせるなんて普通にイカれてる。ありえないよ。

 それに比べて、自分で人質に志願する高波宙音の人徳の高さ……。


「た、高波さんは凄いですね。」


「ん? どうしたの?」


「えっと、みんなを守るために、人質になろうとするなんて……カッコいいなって、思って」


「ううん、当たり前のことだよ」


 握られる手に込められた力が、ほんの少し強くなる。それに応えるように私も力を込めた。

 高波宙音は少し俯きがちに、それでも私を横目で見ながらポツリと呟く。


「横山さんも凄いよ。私のこと助けてようとしてくれた。……嬉しかったよ」


 別に私は渡された水鉄砲を撃っただけなのだが……まぁ高波宙音が嬉しいと言ってくるならそれでいいか。


「高波さんがあいつらに、連れていかれるのは……ぜ、絶対嫌だったので」


「あ……」


 当然、高波宙音は立ち止まった。心ここにあらずといった感じで、ぼんやりとした様子で私を見つめている。


「ど、どうしたんですか」


「ううん、なんでもない!」


 高波宙音は軽く首を振って、再び私の隣に並び立つ。でも今度は私の手を掴むのではなく、私の腕をギューっと抱きしめて、そして肩へともたれる。


「ね、帰ろ?」


「あ……はい」


 オレンジ色の空が、だんだんと紫色に染まっていく。私たちは河川敷をくっついて歩いた。日が沈んでしまわないうちに、でも時間が早く過ぎないようゆっくりと。ただ、河川敷を歩いた。

 ……ああ、私はもしかしたら高波宙音と結構上手くやれているのかもしれない。高波宙音はとても優しい。私とだって親しくしてくれそうな、そんな慈悲深い感じが溢れている。なんて優しいのだろう。

 今までマブダチマブダチと冗談で言ってきたが、マブダチになるのは難しくてもただ教室とかでちょっと世間話をするくらいならいけるかもしれない。それは万年ぼっちの私からすれば十分な好転である。

 高波宙音。あの夕日よりも輝いていて、太陽よりも美しい少女。手の届かないところにいると思っていた彼女が今、こんな私の隣にいる。

 そしていつか、誰かと本当にマブダチになれる日が来てくれたなら私はきっと幸せだ。


 *


 全ての始末を終えて、私たちはコウコウモールの屋上駐車場にいた。天野は先程店員さんにもらったココア味のプロテインを手にしていた。運動もしないくせに、ウキウキで貰っていたやつだ。


「いやぁ、コウコウモール貸切にしてもらってホントに良かったぁ」


「何も良くないよ。やりすぎだよ」


「大丈夫、あの二人以外は全員仕込みだから。大変だったんだぞ、テロリスト役やってくれる人かき集めるの」


 知らないよ。

 隣のバカは相変わらず満足そうに笑っていた。私からすれば無茶苦茶な展開だったと言わざるを得ないけれど、こいつにとっては今日は充実した一日だったらしい。


「で、何がしたかったの?」


 私がそう尋ねると、天野は良くぞ聞いてくれましたとばかりに深く頷いて、私の肩をガッと掴んだ。キモいのでやめてほしい。


「高波のピンチを、横山が華麗に救う。普段はただのすみっコぐらしのくせして、自分が関わることには必死になってくれる。これで高波もイチコロだよ」


「はぁ……なるほど。ヒーローショーってのは横山さんがヒーローで高波さんが敵役の人質だってわけね」


「よく分かってるじゃないか。高波さえ落ちれば、押しに弱い横山はドミノ倒しのように崩せる。晴れてハッピーエンドってわけだ」


「はぁ、すごいね」


「だろ? 今のところ逮捕者も出てないし、全部上手くいってるよ」


 上手くいくの基準がガバガバすぎる。

 天野は自分の策に随分好意的ではあるらしい。確かに、とても意外なことにあの二人の相性はいいようで、私が思っていたより仲良くはなっているのだろう。ただ、やはり天野は楽観的であるように思う。無理矢理にことを進めればどう考えたってボロが出る。横山さんという人間の根底から沸々と湧き上がる卑屈さを思えば、二人の関係を進展させるのがどう考えたって容易ではないと言うほかない。

 だって……彼女はまだ、自身を高波さんの友達とすら思えていないのだから。

 黄昏はどうすれば夜へと転じるのだろう。地平線に見える陽の光が緩やかに空へと溶け出してゆく。カラスの鳴き声が消え入るように響いて、私たちはフェンスに体を傾けた。 

「……ねぇ、そういえばさ、なんで私までコウコウモールに連れてこられたの?」


「俺一人だと絵面が持たないから」


「全然殴るよ?」


 *


 次の日、教室にて。

 いつものように私は教室の隅で高波宙音を眺めている。いつもと違うのは、さやランが何故か大きな袋を抱えていることであるだろうか。


「土産買ってきたぞー」


「え、どっか行ってたっけ?」


「あたしらチャド行ってただろうが」


「大変だったんですよ。着くまでに丸一日飛行機に乗せられましたからね」


 そういえばそんなこともあったな。ん……? チャドに着くまで丸一日掛かるのならどう考えても次の日に日本には帰ってこられないのでは? フィクションの世界でもない限り、時間を無視するなんてあり得ないし……。


「まぁ時間の話はどうでもいいだろ。ほら土産やるからよ」


「おーありがとう!」


 あ、どうでもいいって言われた。細かいこと気にするのが陰キャっぽいのかもしれない。


「まず……チャドサブレーな」


「わぁー美味しそう!」


 チャドサブレー。なんか日本の定番お土産みたいな雰囲気の名前だな。


「次に、チャド橋だな」


「わぁー美味しそう!」


 や、八ツ橋のことかな。いや無理あるだろ。絶対チャドにそんなパチモンみたいなやつ売ってない。


「最後は……チャドい恋人ですね」


 チャドい恋人。


「わぁー美味しそう!」


 高波宙音それしか言わねぇな。なんかもっと疑問持てよ。可愛いなぁ!

 さやランがクラスメイトみんなに配ってくれたチャドい恋人は、意外なことにかなり美味かった。

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