第3話 当たり棒をあなたに
今までの私にとって人生の絶頂期とは二連続でガリガリ君の当たりを引いた小三の夏であった。
あの日の感情は今でも鮮明に思い出すことができる。ウキウキで当たり棒を新しいアイスと引き換えに行ったら、そのアイスも当たりだったのだから、その時の万能感と比較できるものなんておそらくこの世にない。あの日の私より幸せな人間はアイスを三連続で当てたものだけだろう。
そして、それから実に十年ほどの月日が流れ、私の絶頂期はようやく新たに更新を施されることになった。ようやくである。
──つまるところ、私は調子に乗っているのだ!
それも当然、私はあの高波宙音と秘密を共有しているのだから。彼女はスペシャルソラネちゃんを、私は七列聖という過去を互いに伝え合う。これは非常に重要なことだ。
もう高波宙音とはマブダチと言ってもいいんじゃないだろうか。つまりはさ、私も陽キャの仲間入りというわけだ。あの高波宙音のマブダチが陰キャなわけないだろう。
よっしゃあああ! これからは私も高波宙音と共にクラスの中心として輝き続けるのだ!
「……てかさ、宙音遅くない? もうすぐ朝礼始まるけど」
「おおかた寝坊でしょう。あの子、こち亀の日暮くらい寝起き悪いですから」
……まぁ、その高波宙音が今いないわけであるが。
なんでだよ! あんな展開があったばかりで遅刻するな。私たちマブダチじゃないのかよ。私は高波宙音の輝きのおこぼれをもらって生きていこうとしているのに。なんだよ日暮くらい寝起きが悪いって。次の夏五輪までに私卒業しちゃうぞ。
「ねぇ、一限なんだっけ」
「家庭科Bです」
「適当なこと言うな。家庭科にそんな世界史とかみたいな区分ない」
「冗談です。それより聞きましたが、今日の授業は調理実習ですよ」
「マジ? あたし、エプロン持ってきてないんだけど」
「マジです。今日はフライドチキンを作るらしいです。ケンタッキーの味により近づけないといけないらしいです」
「……なんだその授業。本物は真似できないんだぞ」
絶対嘘じゃん。ユーチューバーの企画みたいなこと言いやがって。朝一でフライドチキンなんて重すぎでしょ。
……だめだ。高波宙音がいないのに、友達いなくてやることないからついつい隠元さやと門部ランの話を盗み聞きしてしまう。さやランペアもまさかこんな隅っこ陰キャが心の中でツッコミを入れているとは思うまい。
「にしても、宙音来ねえな。これは遅刻だな」
「はぁ今年は遅刻が少ないと思っていたのに。……でも、宙音がいないならちょうどいいかもしれません」
「ああ、あの話は二人の時じゃないとできないからな」
──あの話? なんだそれ。
私が疑問符を浮かべている間に、二人は互いに体を寄せ合いひそひそ話をし始めてしまい、それ以上は話を聞くことができなかった。
まぁおそらくだが、口ぶりから察するにさやランペアにも高波宙音に秘密にしていることがあるのだろう。女子同士の友情とは恐ろしいものである。私は友達がいないので心配はないが、自分がいないところで一体何を話されているか分かったものではないのだ。
まぁ私は高波宙音というマブダチができたので友達はいるのだが。……とはいえ、高波宙音ものけ者にされることがあると思うとなんだか悲しいのは、一体なぜだろうか。
結局ところ、高波宙音が登校してきたのは朝礼を終えてからだった。
「セーフ!」
「セーフじゃねぇよ。余裕でアウトだろ」
「はい、全然遅刻です」
「一時間目には間に合ったからオッケーだよ!」
「なんですかその、ワンナウト三塁一塁で三塁走者がホームに帰れないくらいのゴロ打って、結局ツーアウト三塁二塁なったけど一塁走者が進んだから最低限だよね、みたいな全然オッケーじゃないオッケーは」
「長えよ! そして野球知らないと一ミリも意味分かんねぇしなその例え」
「でも、ゲッツーにならなかっただけマシだよ!」
「まぁ、それはそうですけど」
当然のことながら、登校したての高波宙音が行くのは、本物の友人であるさやランのところであった。当然だ、私は自称マブダチなのだ。……はぁ。
高波宙音は小さく微笑むと、スクールバックから教科書を取り出しながら軽く首を傾ける。白百合色の髪がふわりと揺れた。
「そういえば、私が来た時二人でなんの話してたの?」
「え……何が?」
「いや、何がじゃないよ。私が来た時、二人でひそひそ話してたじゃん!」
「いや、別に話してねぇけど? なぁさや」
「そうですね。何も話していませんよ」
……いや感じだ。
高波宙音は納得できないというようで眉を顰めて続ける。
「絶対おかしい! なんか隠してるでしょ!」
「何も隠していませんよ。ああ、強いていえば贔屓の四番が最低限すらできず、チャンスでクソボールに空振りしまくることを愚痴っていました。でもその程度です」
「ああ……そうだよ! ホント、嫌になっちゃよな」
「嘘だ。ラン野球見ないじゃん。じゃあロッテのスタメン九人言ってみてよ」
「……そんなのロッテファンでも分からんだろ」
そんなこと絶対言うな。二度と千葉県に入れなくなるぞ。ネズミの遊園地行けなくなっても知らないよ。
「やっぱり何か隠してるんだ!」
「隠してないって。なぁそれより聞いたか、今日の一限調理実習らしいぞ。フライドチキン作るらしい」
「それ嘘ですよ」
「え、嘘なんかい!」
「当たり前でしょ。朝一フライドチキンはキツイですから」
「はは……さやは相変わらずだなぁ」
「じゃあ本当は何作るんだよ」
「さぁ、私は先生の話聞かないので」
「聞けよ」
「……聞かなきゃダメだよ」
「二人とも何作るか知らないんですから、言えたことじゃないでしょう。ほら、早く家庭科室行きましょう。何作るか分かりますよ」
「そうだな」
「うん、そう……だね」
三人はそのまま教室を後にした。
さやランとて、高波宙音が不満を押し殺していたことに気づかなかったわけではないだろう。私ですら分かったのだから、普段仲の良いであろうあの二人なら簡単に読み取れたはずだ。
なるほど……女同士の友情はこっわいな。こんなに怖いのなんて、夜に弁当箱を学校に忘れたことに気がついた時くらいだ。
てかさ……あんな内緒話名前食べ物コンビさやランより、私の方が良い友人になれるに決まっているのではないだろうか。明らかなメリットとして内緒話をする相手がいないから不安にさせることがないということである。デメリットはぼっちすぎて友達というシステムが分からないので、友達になれても何をしていいのか分からないという点だろうか。うーん……プラマイマイナスか?
いや、まぁ高波宙音としてもこのままさやランに愛想を尽かし、私に流れてくるという可能性もないわけでもないか……。うん他力本願で生きていこう。
あれだ、傷心の高波宙音が私の元へやってくるのだ。
『……私、友達いなくなっちゃった』
『何言ってんだよ、私がいるだろ?』
『え、でも私なんかが横山さんの友達だなんて』
『バカだな、黙って私の胸に飛び込んできたらいいんだよ!」
『……横山さん!』
なるほど、これだ。完璧な想像。これで私と高波宙音は正真正銘のマブダチになれること間違いなしである。
うほほーい、うほほーい、うほほーい。歓喜だ、あっぱれだ。私は勝ったのだ、この苦しい現実に、救いのない毎日に。
「私こそ勝者なんだ!」
「──横山さん」
「…………」
「横山さん」
「は……はい」
え、見られた? 私がノリノリで手を高く突き上げたところ。バカな、誰も私のことなんて見ていないと思っていたのに。
呼びかけてきたのは、クラスメイトの鹿間どみのである。話したことは当然ない。確か、天なんとかという男子と仲が良かったはずだ。私に一体何の用だろう。
じっと私を見つめている。こうして見ると、とても綺麗な子だなと思う。特に笑顔はない、けれど人形のように精巧な顔立ちだから、首のラインまで伸びた桃色のミディアムヘアが外巻きにカールしていて、愛らしさが強調されている。
「……な、なんですか?」
ど、どうしたんだろう、急に声を掛けてくるなんて。もしかして、高波宙音との関係値が上がったことによって私の陽度も向上し、人を惹きつけるようになってる? やはり魅力ってのは自然と溢れちゃうもんなんだな。
あ、すごいじっと見てくる。この子可愛らしいけど、でも視線が鋭くて怖いなぁ。え、私なんか怒られるようなことしたかな。
「次の授業、家庭科室だよ。早く行こう」
あ、そういえばそうだ。忘れてた。今気づいたけど、教室に残ってるの私たちだけじゃん。
「そ、それを……伝えに、わざわざ?」
「そうだよ? 急がないと送れるし」
うわ、超いい子じゃん。一瞬でも怖いと思った私を許してほしい。いや……でも、わざわざ声を掛けてくれるってことは私のこと好きなのかな? だって話したこともない人に声を掛けるのって難易度高くない? それをしてまで話しかけるってことは私のこと好きじゃないと辻褄が合わないっていうか……っぱり魅力ってのは自分でも気づかぬうちに溢れ出ているんだなって。
「なにボーッとしてるの?」
「あ、いや……えっと、物事を……都合よく、考えて、ました」
「ほどほどにしなよ」
すごい正論だ。本当にほどほどにしないと。
「そういえば、今日の調理実習フライドチキン作るらしいよ。ケンタッキーに一番寄せられた人が優勝だって」
……それ本当なの? 優勝ってなんだよ、家庭科だぞ。
そのまま二人で家庭科室に向かったわけだけれど、オチを言えば本物は真似できないということだった。
*
放課後だ。授業はもう変わり映えしないのでスキップだ。昼休みも普通に人の来ない校舎の隅っこの階段踊り場でご飯食べたし、非常に横山清的な一日だった。……はぁ、クソが。
いや、憐れまないでよ。私は慣れてるから。流石にトイレはやだなって思ってちゃんと誰も来ない踊り場見つけて充実してるから。一人でソシャゲのガチャ引いて一喜一憂、最高だから。たまに理科のおじいちゃん先生が通ってきて気まずくなるけど全然辛くないから。一回おじいちゃん先生が煎餅くれた。おいしかった。
……あれだけ高波宙音のことをマブダチと呼んでいたのだから一緒に昼を食えば良かったのではなんてしょうもないこと言うやついたら許さないからな。知っての通り、私は話しかけてくれなきゃ動けない、自分から誘うなんてできないんだ。
そして、そのマブダチはちゃんとした友達と駄弁っているのである。
「ねぇ、今日さどっか寄って帰ろうよ。私カラオケしたい!」
相変わらず、この世の光を全て凝縮させたような天性の明るさで、高波宙音は無邪気に笑う。その相手はもちろん私ではない、当然にさやランだ。
高波宙音に笑顔を向けられれば断るなんて良心がチクチクするのでまぁ無理だろう。何だかんだいえどこいつら仲が良さそうだし、二つ返事でオーケーして、私の知らないところでデュエットとかするのだ。許せねぇよ。
しかし予想に反してさやランの反応は良いとは言えないものだった。
「あー……カラオケかぁ。あたしも行きたいっちゃ行きたいけどなぁ……」
「そう……ですね。私も行きたいといえば行きたい気持ちはありますが」
……めっちゃ嫌そうじゃん。本当に行きたいやつは行きたいといえば行きたいなんて言わない。
「……もしかして、行きたくないの?」
そりゃ流石の高波宙音もそうなるよ。ここ最近の絡みで分かるが、この子はただのいい子なのだ。
露骨に頬に汗を浮かべて、門部ランはブンブンと首を振る。
「い、いやそういうわけじゃねえよ。あれだよ……あれ。なんか今日カラオケの方角が鬼門でさ! ちょっと行けない的な?」
こいつ平安貴族なの? 平安貴族みたいに目的地への方向が凶方位だから別の方角で迂回していこうみたいなこと? なら遠回りしてカラオケ行けや。
「……そう、なんだ。じゃあさやは?」
「ああ、私は歌ったら死ぬ病気に罹ったので」
雑! もっといい断り文句あるだろ。ネットで「誘い 断り方 当たり障りない」って調べてから話せよ。
「え、大丈夫? 音楽の授業欠席しないと」
「大丈夫です。医者曰く薬飲んだら一日で治るらしいので。なので今日は薬局行って帰ります」
なんだその病気。高波宙音も神妙な顔して頷くな、嘘だぞ、信じちゃダメだよ。
「そっか、二人とも行けないんだ。……うん、分かった。じゃあまた今度みんなでいこーね」
「お、おう、じゃああたしちょっと急いで帰らないと行けないから。また明日な」
「私も、早く帰らないと薬局が閉まってしまうかもしれないので。では、また明日」
「あ……うん。ばいばーい」
さやランは急足で教室を去っていった。一人取り残された高波宙音は手のひらを振るけれど、なんだか弱々しい。
……なるほど、これはあれだな、高波宙音はハブられているんだ。朝もそんな感じだったし。先程のさやランの表情は、まさに去年遠足の班が作れなくて困っていた私に向けられたものにそっくりだった。
まさか高波宙音ほどの子がのけ者扱いされる日が来るとは。まぁこの子は私とは違い、すぐに他のグループを見つけて入り込めるだろうが、本人の気持ちは複雑だろう。
「なんだよ、ほんと……なんだよ」
そう呟く高波宙音はなんだかいつもより小さく見えた。可愛い顔も、どこからともなく差す後光もいつもと変わらないのだけど、いつもより小さく見えた。それは雨に濡れた野良犬のようで、つまり誰かの助けが必要なようであった。
「──今だよ」
「う、うわっ! び、びっくりした。と、突然……耳元に、は、話しかけないで……ください」
声を掛けてきたのは再び、鹿間どみのである。なんなんだ、本当に私のことが好きなのか?
鹿間どみのは、一五度くらい首を傾けて囁く。
「ごめんね。でも今だよ」
「今とは?」
私の問いに答えるように、鹿間どみのは指を刺した、高波宙音の方へ。
「今が大事」
全然具体性のない言葉だったか、鹿間どみのの類稀なる美貌のせいか、なんだか意味のある台詞に思えてくる。
あれか、高波宙音に話しかけろということか。……私が? 人に話しかけることにおいては左に出る者がいない私が?
「今がチャンス」
……こいつ、今しか言わねぇ。なんかよく分からないけど、説得したいならバリエーション用意しろよ。
「今がターニングポイント」
「わ、わ、分かり、ました。行って、来ます」
何だこの子。ちょっとめんどくさいからもういうこと聞くけど。
でも、きっと鹿間どみのの意図も分かる。多分だけど、鹿間どみのは友達がいない私に気を遣って声を掛けてくれたのだろう。そういうクラスメイトはたまにいる。内申点稼ぎのパターンが大半だけど、自販機のスロットみたいなやつが当たる頻度くらいでたまにいる。
まぁとにかく、高波宙音と仲良くしろと言ってくれているのだろう。
私は高波宙音がヒーローに憧れてその真似事をしていることを知っている。普段は底抜けに明るいけれど、落ち込むことがあることも知っている。だから、そういう時に励ましてあげたいと思わなくはない。そして、普段はさやランが近くにいるからそれでいいのだろうが、今は彼女たちがその問題だ。なら、そんなことはないのかもしれないけど……私が助けてあげたいなって、ちょっと思うんだ。
高波宙音はため息をついて、そのまま鞄を手にした。一人で帰るのだろう。気持ち猫背だ、落ち込んでいるのが丸わかりだ。
クソ陽キャが、凹んでいるのなんてなんかムカつく。それは私たちの特権なんだ、お前らははしゃいどけばいいんだよ。
そう自分に言い聞かせて、私は叫んだ。
「──あ、あいつら尾行しよう!」
長い髪が垂れた肩が僅かに跳ねて、そして振り向いた彼女の瞳は大きく見開かれていた。そんな表情も可愛いのがちょっと憎らしくて、それでも笑っている時が一番いいなと思った。
「横山さん……なんで?」
なんで?
いや、確かになんで案件だ。普通に私が一緒に尾行するの意味分かんないし、てか友達同士の問題に知らねぇ陰キャ入ってくるのキモイだろうし。やっば、絶対ミスった。他、助けて鹿間どみの! うわ、全然こっち見てない、スマホ見んな、私の勇気を見届けろよ。
「い、いや、高波さんが落ち込んでるかって……あ、でも迷惑だったら、む、無視してもらっても……」
「私が落ち込んでたから、尾行しようって言ってくれたの?」
「あ……は、はい」
「ふふ……やっぱり横山さんは面白いね」
あ、笑った。可愛い。
流石に、彼女が私をバカにして笑っているわけではないともう分かる。
「よし! 尾行しよっか! 絶対私になんか隠してるもんねーあの二人」
「は、はい」
ああ、なんか……むねがおどる。
「てかさ、ランなんて鬼門がどうとかって言ってたもんね。あれ、絶対嘘だよ。私そういうのに敏感だからすぐ気づいちゃうんだよ」
「あ、そうですね」
嘘はそいつだけじゃないぞ。敏感の範囲モンゴル帝国くらい広いな。
チラリと振り向くと、鹿間どみのがこちらに向かってさりげなくピースサインをしていた。こんな展開になったのもあの子のお陰だ。感謝しないと。
しかし……なぜ鹿間どみのは男子制服を着ているのか。ボーイッシュ系キャラなんだろうか。まぁ、今の時代好きなものを着れば良いのかもしれないが。
ということで、私と高波宙音は尾行を始めたのだった。
*
私は今まで人生で一度しか尾行というものをしたことがない。そう、一度はしたことがあるのだ。あれは確か小四の時である。
下校中、めちゃくちゃ大量に焼き芋を手にしたお姉さんがいて、理由を知りたくてその跡をつけた。何かそこにとても大きな秘密が眠っているような気がして、ただワクワクしたものである。結論から言えばお姉さんはただの焼き芋好きだっただけだと尾行がバレた後に教えてもらった。私は焼き芋を一つ分けてもらえて満足げにウチに帰ったのだ。可愛かった頃の私だ。
この話は別に面白いオチがあるとか今後の展開の伏線になっているとかではなくて、私にはそこそこの尾行への成功体験があるという話である。
つまりは、私は今回の尾行をそれなりに楽しんでいたということだ。
私と高波宙音は電柱の陰に隠れながらさやランを尾行していた。
「やっぱり、何か隠してたんだよ。じゃなきゃ急いで帰ったはずなのに、二人で並んで歩いてるなんておかしいもん!」
「そ、そうですね。あ、右に、曲がりましたよ」
さやランコンビは当然ながら鬼門を避けながら家に帰ったわけでも、よく分からない病気に治すために薬局に行ったわけでもなかった。二人は駅周辺の中心街へと向かっていた。
「ふ、二人は電車通学……なんですか?」
「ううん。ランは自転車で、さやは日によって変わるけど電車使うのは木曜日だけだったと思う」
隠元さやは何がしたいんだ。曜日ごとになにで学校に行くか変えるの? 涼宮ハルヒの髪型みたいなことだろうか。あと、ギャルも自転車通学するんだ。ギャルは自転車には乗らない契約してるんだと思ってた。
さやランは私たちの尾行にも気づかず呑気に歩いているらしいかった。うーん、ここからだと距離があって会話が聞こえないなぁ。
「た、高波さん、声が聞こえない、からちょっと近づいてみます」
「え、でも気づかれちゃうよ?」
「だ、大丈夫です。気づかれないことに、関して、は自信があ、あります」
むしろそれこそ私の数少ないアイデンティティなのだ。中途半端に見つかるようになってしまったら陰キャキャラとしても終わりである。
「高波さんは後ろ、から付いてきて、ください」
私はそろりそろりとさやランとの距離を縮める。見つかる気がしない。なんだろう、私の天職は探偵とかなのかもしれない。
二人はちょうどたこ焼き屋の前で立ち止まっていた。道端で電話しているサラリーマンの後ろに隠れ聞き耳を立てる。
「なぁ、腹減った。たこ焼き食おうぜ」
「ランは買い食い好きですね。太りますよ」
「……いえ、その件は……はい、はい今週中にはなんとか……」
「おい、二度とそれ言うなよ。いいじゃん食べたいときに食べたいもの食えば」
「はぁ……定期的に思い返したかのようにダイエットしているのは自分じゃないですか」
「そのなんと言いますか……ええ、ええ、はいもちろん存じております」
「とにかく、食べるったら食べるからな。すみません、そのたこ焼き一二個入りをお願いします」
「そんなに食べるんですか? 普通に六個入りのでいいでしょう」
「はい……大変申し訳こざいません。私どもとしましては……」
「え、だって二人でわけたら一人三個だぞ。流石に少ないだろ」
「私も食べるんですか?」
「は、はい……その通りでございます。……ええ、はい」
「当たり前だろ。二人でいるのに私だけ食べるなんておかしいだろ。……じゃあいいよ、間をとってこの一〇個入りのやつしよう」
「はぁ、まぁそれでいいですよ。ランの体型がどうなろうが私は気にしませんし」
「はい……はい、左様でございますか……ええ」
ちょっとサラリーマンがうるせぇ! 二人の会話全然入ってこないし。めっちゃ謝ってるけど何したんだよ。
「はい……はい、そうですね、切腹を辞さない構えで……はい」
いや辞せよ! 本当に何したんだこの人。
ダメだ、この人が近くにいたら会話がすごい気になるからちょっと離れよう。切腹はしちゃダメだぞ。
さやランはちょうどたこ焼きを買い終えたらしい。近くのベンチに並んで座る。……ん?
この二人距離近いな。いくら友達と言ったってピッタリくっついて座ることもないだろう。普通ちょっとスペース開けるよな。
門部ランはウキウキでたこ焼きを手に取る。
「よし、食おうぜ。……うっ、あつ! あふい、あふい!」
「バカですか。たこ焼き一口で食う人がありますか。爪楊枝でちょっと穴を開けてからふーふーするんですよ。たこ焼きってそのまま食べると死にますよ」
死にはしないだろ。確かに死ぬかと思うくらいには熱いけど。
「あー、死ぬかと思った。三途の川はこちらですみたいな看板が見えてたわ」
前言撤回、たこ焼きで人は死ぬらしい。よかった。クラスメイトが考えうる限り最低な死因で亡くなるところだった。
隠元さやはため息を吐くと、爪楊枝に刺したたこ焼きを門部ランに差し出す。
「ふーふーしたので、どうぞ。あーんです」
「……どうも」
「美味しいですか?」
「ん、美味しい」
「……良かったです。あ、ランもあーんしてください」
「え、私も?」
「はい、早くしてください」
「あ、あーん」
「うふっ美味しいです」
「……そうかよ」
門部ランは少し照れくさそうに視線をそっぱに向けて、それでも隠元さやは嬉しそうに小さく頷いた。
……ん? 何かさ、雰囲気違くない?
いや分かるかな。あの教室で高波宙音も交えて三人で話してた時と様子が違う気がする。なんかさ、思ったより仲良くないか、この二人。いや、仲良いっていうか……とにかくもうちょい見てみないとな。
「はむはむ……美味しいな。横山さんも食べるー?」
私の知らない間に高波宙音はたこ焼きを買っていた。目立つことするなよ。この人バレたらいけないって把握してないのか?
「あ、はい、た、食べたいです」
……でもやっぱ食べたい。
「はい、どーぞ」
「ど、どうも」
差し出された爪楊枝を受け取って、ふーふーしてからたこ焼きを頬張る。なるほど、めっちゃ熱い。
「美味しいね」
「はい、美味しい、です」
とはいえ、ほんの少しだけあーんを期待した自分もいたのであった。
*
はい、最高。君ら一生あーんしといてくれ。
こんにちは、天野だよ。俺は今たこ焼き屋のでアルバイトをしている。狙いはさやランの監視である。みんなは勘違いしているかもしらないけど、世の中にある百合は一つじゃないんだ。百合とはふとしたとき、すぐそばに咲いているものなのだ。……うん、なんと美しいんだろう!
ちょうど、そろそろさやランが放課後デートを決め込む頃だと思っていた。最近していなかったし、頻度的には今日か明日ってところだろう。門部はたこ焼きが好物だから、事前にたこ焼き屋に潜り込んでいたのだ。美味しいたこ焼きを食べてもらって、デートにいい記憶を残してほしいからな。……そう、デートだ。
高波宙音と一緒にいる時のイメージからは想像できないかもしらないが……あの二人は付き合っている。分かる? 素晴らしいだろ。普段は教室でしょうもないこと言い合って、隠元が門部をいじったり、門部がそれに突っ込んだりしているわけだが、二人きりの時はイチャイチャしているわけだ。もう一度言う、素晴らしいだろ。
付き合い始めたのは去年の冬。あれは本当に大変だった。素直になれない二人をくっつけるため、奔走したものだ。懐かしい。最終的に仲間が何人か逮捕される結果にはなったが無事二人は互いの想いに気がつき、付き合ってくれた。あの時の二人の姿を今でも鮮明に覚えている。最高だった。二人とも顔を真っ赤にして、ああやばい、興奮してきた……。
とにかく、今はただ二人が今後も幸せに過ごしてくれるよう見守るのみである。
後方ニヤつき男になっていた俺の方に、たこ焼きをひっくり返していた店長が振り向く。
「天野君、たこが無くなりそうだ! 切り分けといてくれ!」
「はい! あれ、店長ーたこないですよ」
「なら、冷蔵庫にイカがあるだろ。それを代わりに使ってくれ!」
いや、ダメでしょ。てかなんでイカがあるんだ。たこ買っておけよ。
「……あれ、店長イカもないですよ!」
「そうか、ならマテ貝がまだあっただろ。用意しといてくれ!」
マテ貝?
軟体動物だったらなんでもいいと思ってる?
「マテ貝もないですよ!」
「何ならあるんだよ!」
知らないよ、俺が訊きたい。
「よし、俺はお客さんに謝ってくるから、お前は休憩行っとけ!」
「はい!」
やばいな、この店。まぁいいやとりあえず休憩行こ。
事務室で休憩しながら街中に仕掛けた監視カメラの映像を眺める。もちろんさやランの様子を盗み見るためだ。ぼんやりと眺めていると、よく知った奴から電話が掛かってきた。
「はい、俺だ」
「どうも、私」
「ああ、鹿間か。どしたー?」
鹿間どみのだ。俺の唯一と言っていいまともな友人である。他は百合狂いの半分犯罪者みたいな奴しかいないから。なんでだろう。
「いや、ちょっと伝えたいことあって。……今何してた?」
「ん、監視カメラでさやラン眺めてた」
「きしょいね」
「これも世界のためだから」
「うん、きしょいね」
…………。
「で、何の用だよ」
「今さやラン監視してるんでしょ?」
「うん」
「その後ろの方に誰か見えない?」
「ん? ああ、なんかクソ陰キャがいるな。あと全身から陽オーラが溢れてる子もいるな…………うわ! 横山と高波じゃん!」
え、なんで。なんでなんで。やばいよ、高波宙音は二人が付き合ってること知らないんだよ。バレちゃうじゃん! やばいじゃん。
「さやランは隠してるんでしょ?」
「そうだよ! そうしないと三人の関係が変わっちゃうからって! ……やばいやばい、このままだと高波に全部バレちゃう。もしそれで二人が別れることになったら……」
「網走の原田と竹山も浮かばれないね」
「そうだよ! 捕まった二人のためにも、なんとかしなければ! 教えてくれてありがとう、俺行ってくるわ!」
「はーい」
そうと決まれば急がなければ。こんな終わっている発注の店で働いていてもしょうがない。
「店長!」
「おっどうした天野。いや、ちょうどいい助けてくれ。お客さんがたこの入ってないたこ焼きを渡しただけでめちゃくちゃキレてきてな。大変なんだ」
そりゃそうだろ。
「あ、店長。俺辞めます!」
「え、なんで!」
店長は目も丸くするけれど、なんでと言われたら言えることは一つ。
「──俺、やらなきゃいけないことがあるんで」
「そうか、行ってこい」
ありがとう店長。俺、あなたのこと絶対に忘れないよ。行ってくる。絶対に夢を叶えてくる。
「おい、早くたこの入ったやつ出せよ!」
背後では、客がそう叫んでいた。
*
なんかさ、私はとんでもない思い違いをしていたのかもしれない。
「ラン、どうですか? 似合いますか?」
「あっうん、似合ってる」
今二人は洋服選びをしているところだ。隠元さやが気になった服を試着して、その感想を門部ランが述べているというよくある場面だ。
隠元さやはちょっとガーリーなチャコールグレーのワンピースに目を付けたようである。その場でくるりと回ってみせ、その姿を門部ランに見せつける。
「似合ってるだけじゃ分かりません。もっと具体的に教えてください」
「それは……なぁ、分かるだろ?」
「言ってくれなきゃ分かりません」
「あ……えっと……可愛いよ」
「聞こえません。もっと大きな声で」
「おい……もう、可愛いって言ってるだろが!」
「ふふっ、ありがとうございます」
あ、これ絶対ただの友達じゃないわ。
いやさ私も一応女だから、世の中女の子たちが、
『この服どう?』
『えーすごい似合ってるー』
『えー嬉しいー、これ買っちゃおーかなー』
みたいな思ってもいないやり取りをしていることは知っている。でも、さやランのはそういうアレじゃない気がする。
いやおかしいなとは思ったんだよ。たこ焼きの件もそうだけどさ、なんか冷静になってよく見たら二人恋人繋ぎしている気がするし。あと、隠元さやが「ラン」って呼ぶ時の声、ちょっと溶けてる感じなのよ。分かる? 「ラン」じゃなくて「らぁん」みたいな? それにそれに、門部ランの瞳が超優しいの。なんかさ、いるじゃん、好きな人に異常に甘い視線を向ける人。門部ランはまさにそれ。
「ふふ、可愛いか。……やった」
え、隠元さやってあんな可愛い子だったっけ。嘘だ。褒められて気づかれないようにガッツポーズとかしちゃう子だったっけ? 私の知る限り、無表情で発言の八割くらい適当な子じゃなかったっけ。
「……あ、やばい、ホント可愛い」
おいおいエグいって。門部ランもそんなキャラじゃないだろ。お前はギャルな見た目して三人組の中だと実は一番まともなツッコミ枠じゃないのか? 何、好きな女の前で照れ臭さを隠せない実はウブなキャラみたいな顔すんなよ!
──待て、このままではまずいのではないか。
あれだ、別にさやランは高波宙音をハブっているわけではいんだ。ただ付き合っていることを秘密にしているから、それでなんか遠ざけてるみたいになってしまっただけなのだ。きっと二人だって頃合いを見て打ち明けたいだろうし、ここはその気持ちを汲んで戦略的撤退を……。
「──ねぇ、二人何話してた?」
「うわわわぁ! 出た!」
「人をそんなお化けみたいに」
「お、大きな声、だ出さないでください。気づかれ、ちゃいます」
「大きな声出してたのは横山さんだよ?」
不思議そうな顔するのも可愛いけれど、ダメだ事態の緊急性を理解していないし、そして緊急性を伝えることもできない。
「私洋服見たいなぁ。一緒に入っちゃう?」
「だ、ダメです! ちゃんと、隠れてて!」
「うぅ、横山さん意外に厳しいね」
幸いにも能天気というべきか高波宙音は二人の関係には気が付いていないらしい。ならば、どうにかしてこの人をこの場から遠ざけなければ。
「……うーん、やっぱり二人と話して正直に訊いてみようかな」
はい?
「だって、私も二人と遊びたいよ。私だけ仲間外れは嫌だし、どうしてそんなことするのか訊かないと納得できない!」
高波宙音は小さな怒りを胸に、両手でグーを作る。まぁ彼女の性格から予想できる展開だがそれはまずい。今突っ込んでいけば二人の甘い雰囲気にいくら高波宙音といえど気が付きかねない。それにどちらにせよデートを邪魔することになる。
私がアクアターロウを使い高波宙音を気絶させようかと試みた、まさにその時であった。ピコンっと、スマホが通知音を立てた。ドラマで聞いたことがある、これはメッセージが送られてきた音だ。多分、LINEとかそういうのだ。
「高波さん……スマホ、鳴り、ましたよ」
「ん? 私じゃないよ。横山さんのじゃない?」
「え、わ、私ですか?」
私のスマホから通知音が?
いや、そんなわけない。私のスマホは初めて起動されてから一度たりとも家族以外からメッセージを受け取ったことはない。そして、その家族からもメッセージを送られてくることだって、ほぼない。学校以外で家から出ない私に送る理由などないからな。
では……誰が?
LINEを開くと、「神」というアカウントからメッセージが送られてきていた。
『なんとかして!』
いや、なんとかしてちゃうわ。というか神の連絡手段なんでSNSになってるの? あのテレパシーみたいなやつは何処へ。
『今、状況的に使えない』
うわ、心読んできた、神じゃん。
『なんとかってどうすればいいんですか』
『とりあえず高波宙音をこの場から離してくれればなんでもいいんだ! 明日になれば全部解決する』
『それほんとですか?』
『神を信じろ。なんとか今日だけ耐えたい』
神というか、ただ後先考えてない人にしか見えないけど。
『神からのお告げだ。無理やりいけ、人生それくらいがちょうどいい』
ダメだ……この神、具体的な話全然しねぇ。もっとちゃんと助けてくれよ。私のことちゃんと知ってるのか? あの横山清だぞ、期待すんなよ。
私が頼りない神に呆れていると、高波宙音がゆっくりと動きだす。
ダメだ、どうにかしないと。でも、良い言い訳なんて思いつかないし、でもこのまま放っておくわけにも……。
だから、私は高波宙音の腕を強引に掴んだ。
「え、横山さんどうし……」
「私の側を離れないで」
「あ……」
「二人のところへ行かないでください。このまま一緒にいてほしいです」
「え、それってどういう」
「行きますよ」
「あ……はい」
高波宙音はこくんと頷いた。
抵抗するかと思ったけどなんか素直だな。私はそのまま彼女の腕を掴んだままその場を後にする。強引にでもここを離れないと。
路地を曲がったところで、高波宙音がポツリと呟く。
「……横山さん、今日は積極的だね」
「え?」
あ、やばい。高波宙音とさやランを接触させないことだけを考えていたが、冷静になると私はなんてことをしているんだ。強引に腕を掴んだ挙句、そのまま有無も言わさず引っ張ってくるなんて。暴力的だし、最低だ。終わった、あれだこのまま警察に通報されるんだ。
私は手を離しその場でダイビング土下座をした。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「え!? なんで!」
「いえ、私みたいな……汚れた人間が、高波さんに……触れる、なんて。許して、ください。どうか警察には、言わないで」
「言わないよ!?」
「あ、ありがとう」
いい子だぁ。こういう子がこのままで大人になれる世界であってほしい。でも、神があんな頼りないからな、世界の未来は暗いかもしれない。
ん? あれ。私が世界情勢について思考を巡らせていると、高波宙音はじーっとこちらを見つめていた。まるで何かを待っているかのようで、指先を弄んでいる。
「……そ、それでさ、これからどうする?」
「え、これから、ですか?」
「うん、一緒にどっか行くんじゃないの?」
「え、そうなんですか!?」
いつからそんな話になったんだ。私が世界について考えているうちに異世界にでも来てしまったのだろうか。
高波宙音は不満げな様子でぶっきらぼうに言う。
「なんだ……どこかに誘ってくれるのかと思った。一緒に行こうって言われて連れてこられたから」
うわやっべ。
そうじゃん。私なんか思わせぶりに引っ張ってきたじゃん。え、何この子期待してたってこと。天使かな。地獄のような人生だった私の元に舞い降りた天使かな。
「……あ、はい、どっか行きましょう」
「やっぱそうだよね! えーどこ行こっか。横山さんから誘ってくれるなんて……嬉しいよ」
あ、超可愛い。もう死んでもいいかも。
く、くそ、私にもさやランのように手を繋ぐ勇気があれば……。
「え、えっとカ、カラオケとかどうですか?」
「カラオケ?」
「は、はい、なんか高波さん、行きたそうに、してたから。い、嫌なら言ってください! わ、私なんかと行きたくない、ですよね! お、お金だけあげるので、行ってきて──」
「──一緒に行こっ」
風が吹いた。視界が揺れた。その言葉が私に囁かれたものだと、一拍置いてようやく気が付いた。不意に繋がれた手から彼女の体温が伝わってきて、自分が生きているのだと実感できた。
「え、あ、た、高波さん、私の手なんて、汚いですよ」
「私は繋ぎたいんだけど、イヤ?」
「い、嫌じゃないです」
「じゃあいいでしょ。ね?」
あ、しゅきぃ。
さっき死んでなくて良かった。可愛い、可愛い、可愛い。
手を繋いだ、高波宙音が呟く。
「ありがとう」
それが何に向けられた感謝なのか分からなかったけれど、ただ私はこの人の隣にいたいと思った。
カラオケに到着。
ちなみに、私は生まれてこの方カラオケなんてやったことがない。それもそう、行く相手がいない。
「た、高波さん、わ、私カラオケとか初めてで」
「え、そうなの? いいよ、私が全部教えてあげる!」
あ、幸せぇ。
私は勝手が分からないし、初対面の人とは会話できないので、店員とのやり取りは全て高波宙音にやってもらった。助かる。
「横山さーん、部屋取れたよー。えっと、番号がー2.71828182846……」
ネイピア数? それ番号言ってもキリないよ。無理数なんだから。
「ああ、ごめん、eの部屋だって。ああ、ここだね」
やっぱネイピア数だった。どういう部屋割り?
「ああ、あとさ、DAMもJOYSOUNDもなかったからSNAIL LAWにしたからねー」
SNAIL LAW?
なんだそれ。直訳したらカタツムリの法だぞ。大丈夫なのかここのカラオケ。
「それより、高波さん、何持ってるんですか?」
気が付けば、高波宙音は青い小袋を二つ手にしている。
「ん、ああ、これガリガリ君。なんか、キャンペーンしてるんだって。一緒に食べよ!」
そんなことある? カラオケよく知らないけど、こういうの普通なの?
「一緒に食べよ!」
「あ、はい」
部屋のソファに腰掛け、二人でガリガリ君を頬張る。冷房が効きすぎているせいもあって部屋は少し寒くって、私たちはピッタリくっついていた。
「あ……当たりだ」
「私もだよ! えー、めちゃくちゃすごいよ!」
二人して当たり棒を掲げる。二人ともが当たりを引くなんてとてつもない確率だな。まったく、今回のオチはなんだか無理矢理だ。でも……。
それでも、なぜだか、心は満たされている気がした。
*
次の日の朝学校にて。
「じゃーん、あたしたちからのプレゼントだぞ!」
「どうぞ、受け取ってください」
「え、これって……」
「いやぁ結局内職してもお金足りなくて買えなかっただろ? だからあたしらで買ってあげようって」
「ちょうど、トイザらスの割引クーポンを手に入れたので」
「二人ともありがとう! さやもランも大好きだよ!」
「おい、やめろひっつくなって」
「宙音が喜んでくれて良かったです」
なるほど……何やら隠し事をしている様子だったのはそういうわけだったのか。
満面の笑みで、ショウキャックンを掲げる高波宙音は、なんだかお子様のように見えた。あのカップルからしてみれば、彼女は子供みたいなものなんだろう。
『九〇〇度焼却パンチ!』
「っわ! おい、教室でボイス鳴らすなって!」
「えへへ、ごめーん」
高波宙音はいたずらっ子みたいに笑う。
──うん、当たり棒よりこっちの方がいいオチだ。
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