第2話 おばあちゃんとヒーローと卒業アルバム
消しゴムを拾うことはできたけれど、それから高波宙音と話せるようになったわけではなく、そのまま何事ともなく土曜日を迎えた。まぁ人生とはそんなものだ。一言伝えられたからといって、私がスーパー陽キャになれるわけではないのだ。
多くの陰キャやオタクがそうであると思うけれど、私は基本的に学校以外で家に出ることはない。流石のヴァンパイアでも私よりは日光を浴びるのではないかというくらいである。実は私はヴァンパイアなのではないかという学説があるくらいだ。
そんな私がたまの休日にわざわざ外出している理由は、好きな漫画の発売日だからである。というか、私が外に出るのなんて、そんなオタクオタクしている時しかないのだ。逆に陽キャはなんでわざわざ理由を作ってまで外に出ようとするのか、本当に不思議なものだ。
今日もいくつか漫画を購入してきた。やはり一番期待しているのはこの『俺のヒロインがまさかアイツだったなんて? 過去篇』である。どこを探しても過去篇しかないという中々の意欲作だ。今はまだ主人公の中学生時代をやっている段階なので、ヒロインが全く出てこないというタイトル詐欺も甚だしい作品である。果たしていつ過去篇が終わるのか気になるところである。
とにかく私は早く家に帰ってこの漫画たちを読みたいわけなのだが、人生というものは艱難辛苦の連続であるのでそう上手くはいかないということはまさに自明である。
「い、いつのまに……町がこんなことに」
私は交差点で信号待ちをしていた。そのまま真っ直ぐに行けば家に帰れるからだ。しかし、目の前には大きな試練が迫っていたのだ。
信号の向こうでは小学生くらいの男の子がすれ違ったおばあちゃんに声をかけられていた。
「あら、おかえり」
「あ……ただ……こんにちは」
皆さんお分かりだろうか。「おかえりと声を掛けてくる近所のおばあちゃん」である。
今、男の子が被害に遭っていたから分かるだろうが、これは非常に恐ろしい。「おかえり」と言われたのだからただいまと返すのが普通という意見もあるだろうが、家族でもない近所の人に「ただいま」と返すのはなんか恥ずかしい。とはいえそのまま「こんにちは」と言うのも何か違う気がする。そのため返事は確実に「ただ……こんにちは」なってしまうという……恐ろしい!
一部の市町村では家族以外の人間が「おかえり」言うことを禁止する条例を設けようとする動きもあるらしいが、コウコウ市では未だ合法である。怖いね。
ともかくこうなってしまえばルートを変えるしかない。私は困難に立ち向かわないタイプの人間なのだ。ちょっと遠回りになるが右に曲がろう。
ちょうど男の子がおばあちゃんに話しかけられていた。
「おかえり」
「あ……ただ……こんにちは」
「おかえりと言われたらただいまじゃろうが!」
「ひぃぃ」
超かわいそう。そんなことある?
近所の人に「おかえり」って言われて、悩んだ末「こんにちは」って返したら怒鳴られるの? いよいよ世も末だよ。
怖いので、私は結構遠回りになるが左の方から帰ることにする。
そちらでもちょうど男の子がおばあちゃんに話しかけられていた。
「おかえり」
「あ……ただ……こんにちは」
「『ただ……こんにちは』一つっと」
「おかえり」
「…………」
「無視が一つっと」
……うわあそこのおばあちゃん、カウンターで返事数えてんじゃん。
「やっぱり『ただ……こんにちは』が一番多いなぁ。もう二三五回じゃ。次に『あ……っす』というもはや挨拶なのか分からないやつが六七回で二番目に多いのぅ」
……めっちゃ数えてるし、一体この道に何人の子供が通ってるんだよ。
ダメだ、この交差点地獄すぎる。今日で世界は滅びるのだろうか……。しょうがない、これ以上ないくらい遠回りになるけれど一旦引き返そう。
いつからこの町は陰キャに厳しくなってしまったのだろう。いや、あのおかえりおばあちゃんの大量発生はもう陰キャとか関係ないような気もするな……。
私はとりあえず来た道を力無く歩いていた。ただでさえ日光には弱いのに、外にいる時間が無駄に長くなってしまった。これからはルートも変えたほうが良いかもしれない。
ふとアスファルトに向けていた視線を前へと移すと、右手からから大きなリュックを背負い、いっぱいのビニール袋を抱えたおばあちゃんが歩いてきていた。
背中を大きく曲げ、随分と辛そうである。買い出しでもしていたのだろうが、確かに老体には厳しい荷物量だろう。
こういう時「手伝いましょうか?」と声を掛けられればいいのだろうけれど、当然私にはそんなことできない。それが出来れば高波宙音に声を掛けるのにあれほど困っていない。私はこういう時、勇気が出せない人間なのだ。
おばあちゃんは額に汗を滲ませながらゆっくりと私の側を歩いていく。
「……あ」
ダメだ、やっぱりどうやって話しかけていいか分からない。いざ声を掛けられたとしても、実はこのおばあちゃんが類稀なムキムキ老女で、ただ筋トレをしているだけかもしれないし、さすれば私の勇気は無駄になってしまうのだ。そういうことばかり考えてしまって、結局私の思いは声にはならず、息のように漏れるばかりである。
──そんな時だった。
目の前に、オレンジの道着に青のマントを付けた、さながらグレートサイヤマンの色違いみたいな少女が降り立った。
彼女は高らかと言う。
「私は、悪は絶対許せない。正義の味方スペシャルソラネちゃんだ!」
うわ、口上グレートサイヤマンのパクリだ。
というか……今の声、どこかで聞いたことが。黒のサングラスを付けているからちょっと分かりづらいけど……。
「おばあちゃん! その荷物持ちましょうか?」
「え、いいのかい?」
「はい、もちろん──」
「──も、も、もしかして……た、高波さん……ですか!」
ヤバい……変なタイミングで声を掛けてしまった。
スペシャルソラネちゃんがこちらへ振り向いた。サングラス越しでも分かるくらいに目を丸くして、こちらをじっと見つめる。
「……え」
「え……あの、いや……違ったら、べべつにいいんです……けど」
「え……なんで。なんで、分かるのーーー!」
それはまさしく、世界に轟く絶叫であった。
*
「よし、順調だな」
俺はコウコウロイヤルタワーの屋上から彼女たちを見下ろしていた。仕込んだ通りにことが展開してくれて、俺も満足である。
流石にあの消しゴム以来なんの収穫もない日が続いたからな、流石にそろそろ進展が欲しいところだった。おばあちゃんを三人も雇うのには少々金が掛かったが、まぁ必要経費だろう。こうして二人が遭遇してくれたのだからそれでいいのだ。
元々休日という時間がある場面で二人を絡ませたいとは思っていたのだ。高波はともかく横山は外出する日が限られているから、仕掛けるなら失敗はできない、随分緊張したぜ。本当はスペシャルソラネちゃんと会わせると面倒かなとも思ったが、その対策も今日はちゃんとしてきている。
「天野さん、対象は見えますか?」
「ええ、ばっちりです。双眼鏡買っておいたので」
「このビル三〇階はあるんですが……すごいですね」
「俺、どれだけ離れたところからでも百合の匂いを嗅ぎつけられるので」
「なるほど、とてもキモいですね」
「……それは褒め言葉ですか?」
「聞いての通り罵倒です」
「なるほど」
罵倒だった。
このスーツ姿の男は鍋島さんと言って、とある分野の専門家の方で今回協力を依頼した。
「──鍋島さん、じゃあそろそろお願いします」
*
おばあちゃんの荷物を運び終え、私は高波宙音に公園まで連れてこられていた。何故か私までおばあちゃんの手伝いをさせられて釈然としないところではあったが、私に文句を言う勇気があるわけもなく、言われるがままであった。
ともかく、公園内のベンチに二人並んで腰掛ける。なんだろう、この状況。
「横山さん、これどうぞ」
「あ、あ、ありが、とう……ございます。あ、お金……」
「いいよ。勝手に買っただけだから。四月なのに暑くて、私も喉乾いてたし」
高波宙音から自販機で買ったであろうコーラを手渡される。家族以外から物を貰ったのはとんでもなく久しぶりかもしれない。……帰ったらペットボトルは飾ろう。
なるほど、体を動かした後のコーラは美味しいな。だが欲を言うのであれば、私は普通のコーラよりゼロコーラの方が好きだ。そのままのはちょっと甘すぎるような気がするのだ。……そういう細かいことを気にするから友達ができないって言ったやつ、絶対に許さないからな!
チラリと横目で高波宙音を覗き見れば、彼女はサングラスを外していた。吸い込まれるが如く蠱惑的な彼女の瞳が顕になる。だが、今この瞬間見つめてしまうのはその瞳ではなく、やはり彼女の突飛な服装であろう。
改めて……なんだこの服。
オレンジと青を組み合わせることある? ジャイアンじゃん。いや……陽キャの間ではこれがナウでヤングでトレンディなのか? でも流石にマントはないだろう。多分ドンキホーテとかでしか買えないぞこんな服。
「……驚いたでしょ」
高波宙音がポツリと呟く。ヤバい、私がこのクソダサコーデに引いてるのがバレてしまったかもしれない。私、表情を誤魔化すの苦手なんだ。
「い、いや……そんなこ、とは」
「いいよ、誤魔化さなくても。スペシャルソラネちゃんの正体が私で、驚かないわけないもんね」
「……え?」
「ん? スペシャルソラネちゃんが私だってことに驚いてたんじゃないの?」
高波宙音は長い髪を垂らしながら首を傾げる。
……なんだ、スペシャルソラネちゃんはそんな知名度がある存在なのか。スパイダーマン的な? そりゃスパイダーマンの正体がこの子だった、驚くけど……。私が知らないだけ?
……私はただ服装がダサいと思ってただけなのに。
「え、今ただ服装がダサいって思った?」
なんで分かるの!? こっわ、いつも笑顔なのになんで今だけそんな無機質な表情なんだよ。
「……ち、違います。お、お似合い……です」
「そっか! えへへ、ありがとう!」
良かった、笑顔になってくれた。かわいい。
そして、お似合いというのもあながち嘘はない。私がこんな格好をしていれば即捕まり即日懲役刑になるだろうが、高波宙音はそうではない。広義的に捉えれば似合っているとも言えるのだ。
「良かったぁ。最近実はダサいんじゃないかって悩んでたんだぁ。でも、横山さんが似合ってるって言ってくれて、自信がついたよ!」
「そ、そう、ですか」
「よし、これからも外出する時は絶対この服を着よう!」
……私が、クソ陰キャなばっかりに。
未来ある若者のセンスをめちゃくちゃにしてしまった。私が「お前それクソダサいじゃん! エグくね? 今から服買いに渋谷行くべ! ウェーイ、チョベリグ!」と言えたら……。
「……で、でも、高波さんは……どうして、そんな格好を、してるん……ですか?」
ちょっと気になってそう尋ねてみると、高波宙音は恥ずかしそうに苦笑した。
「え、気になる?」
「いや……それ、ほどは」
「私さ、ヒーローになりたいんだ」
あ、なんか語り出した。私はこの服装がトレンドなのかとかそういうのを聞きたかったのに……とりあえず頷いておこう。
「昔からヒーローものが好きだったってのもあるんだけど……でも、ある事件があってから、私も何かを守れるくらい強くなりたいって思うようになったの」
「じ、事件……」
なんだろう、殺人とかそういう重たいやつだろうか。確かにそれで家族や友人が被害に遭えば、ヒーローになりたいと思うかもしれない。
「忘れもしない、あれは七年前のこと。コウコウ第二小学校給食ゼリー強奪事件」
コウコウ第二小学校給食ゼリー強奪事件。
「同じクラスのガキ大将だったタケル君が、用意されていたゼリーを全部食べちゃったの。悔しかった。ゼリーを守りたかった。でも、私は弱くて何もできなかった。……傷つけられるのは辛かった。でも一番辛いのは、自分が何もできなかったことだった。だから、私は強くなろうと思った」
「な……なるほど」
それ以外になんと言えただろう。
なんだその話。タケルもゼリー全部食うな。教師が止めろよ。
「それでまずは形から入ろうと思って、グレートサイヤマンの格好を真似してみたの」
グレートサイヤマンはヒーローの入門書にするにはだいぶ欠陥あるぞ。あいつキレるとアスファルトボコボコにするんだぞ。
「はは、あのスペシャルソラネちゃんがグレートサイヤマンのパクリだと分かって失望した?」
「い、いやそんなこと、ないです」
さっきからすごく気になるけど、スペシャルソラネちゃんはそんな確固たる地位を確保している存在なの?
「でもさ……子供の時からヒーローが大好きだから。どうしてもその憧れが消えなくて、ドンキホーテで売ってたコスプレ服を改造してこんなの作っちゃったんだ」
ああ、やっぱりドンキで買ったんだこれ。
「……高波さん、特撮……好き、ですもんね」
すると、高波宙音は驚いたように目を丸くする。
「なんで、知ってるの!?」
ヤバい、冷静になると全然話したこともないクラスメイトの陰キャが自分の趣味知ってたらキモいよな。どうしよう、ただ盗み聞きしただけなんて言えない。
「……えっと、それ……は」
「もしかして、ランから聞いたの?」
はて?
門部ランのことか? 彼女との絡みなんて、先日私が緊張のあまり気絶してしまった時、介抱してくれたことしかないぞ。あの後私が「あ、あ、あ、ありが、とうござい……ました」と言ったら「別に。体調気をつけろよ」と澄ました顔をしていた。台詞一つでクール系ギャルの良さを感じさせるのだからすごい。水切りをする前の私だったら完全に堕ちていたな。
それはそうと、結局門部ランは特撮の話なんて一ミリもしていなかった。
「は、はい……門部さんが、言ってました……多分」
「へぇー珍しいね。ランは私とかさや以外にはあんま話さないのに、横山さんのことが気に入ったんだね!」
……ごめん、門部ラン。私のような盗み聞きキモオタのせいで、そんな汚名を。
「でもさぁ、ランってたまに私が変身ベルト付けて遊んでたりすると、呆れた顔してるんだよ? ひどいよねぇ」
「は、はぁ……」
君は可愛いからちょっと呆れられるだけで済むんだぞ。私も家で似たようなことする時あるけれど、母は無表情だからな。何も言わず、娘の存在なんて知らぬが如くのスルーだ。高波宙音はまだ幸せだ。
高波宙音は不満そうに頬を膨らませ、コーラを飲み干す。飲みきれなかった液が少し口元から漏れる。そのまま流し目で私を見た。
──ここで、私は一つ考える。
高波宙音でないにしろ、私は特撮は好きである。そして、おそらく女子高校生でニチアサを毎週見ている人は、それほどはいないだろう。もしかしたらウチの高校では私たちだけかもしれない。
もしここで、私も仮面ライダーを見ていると言えば、どうなるのだろうか。もしかしたら来週の月曜、「昨日のニチアサをみた?」と話しかけてくれたりするのだろうか。
「あ……あの」
出そうとした言葉は上手く紡がれず、宙に転がって空回る。
そう、ここでそれが言えるのなら、私はきっともうちょっとマシな人生を送っているのだろう。や、やっぱり、ただ話を聞いているだけならともかく、自分の話をするというのは私のような人種にとってかなりのハードルがある行為なのだ。
「……ん? どうした?」
「いや……なん、でもない、です」
「てかさ、私の話ばっかりしてたね。横山さんはさ、今日何してたの?」
「え……っと、本を……」
その時である。私がなんか漫画とかラノベとか答えるの恥ずかしいなと思って本でひとまとめにした、その時である。
「あのー、あれ取ってください」
幼女が、私たちの目の前に現れた。
幼女だ。多分小学校低学年だろう。ツインテールでライトグリーンのワンピースを着ている。彼女が伸ばす指の先にはイチョウの木、そして枝に引っかかった風船が見える。なるほど、遊んでいて飛んでいってしまったのか。
私は通報を恐れ子供と会話することができないので、当然高波宙音が相手をする。
「あー、風船かぁ。まかせて、お姉さん……いやスペシャルソラネちゃんが取ったげるから!」
すごいな、ノリノリだ。恥ずかしさを感じる機能死んでるのか?
高波宙音が楽しげに立ち上がったところで、幼女は言った。
「──ありがとう、変な格好のお姉さん」
青いマントが風に靡く。日の光は、彼女が纏う道着のように爛々と私たちを照らしていた。三人ともしばし沈黙し、そして目をこれでもかと丸くした高波宙音が混乱したように呟く。
「……へ、へ、へ、変?」
忘れていた! そうだった! 高波宙音の格好は今、終わっているのだ。会話に精一杯で、そんなこと考える余裕がなかった。
ダ、ダメだこの子に本当のことを言わせては……。
「──うん、変だよ!」
焦る私、硬直する高波宙音を尻目に、幼女はどこまでもただ純粋で残酷であった。
*
「はぁ……最悪だった」
結局、高波宙音が脅威の木登り力を見せつけて風船は無事回収することができたが、その後の空気は地獄を煮詰めて、タバスコをかけたが如くであった。
高波宙音は表面だけ笑顔で取り繕っていたが露骨に落ち込んでいたし、その場で急に服を脱ぎ出そうとしたから私ですら必死に止めた。なんか、その場を誰かに見られたら私が逮捕される気がしたからだ。
とにかく、落ち込んでいる高波宙音と、いつも通りの私との間で会話が続くはずもなく、そのままお開きとなった。高波宙音は似合っていると言った私のことは決して責めはしなかった。そういう子である。
本当は何か慰める一言を言えれば良かったのだろうけれど、コミュニケーションスキルがメダカより低い私では何もできなかった。苦しい……。
こんな私が高波宙音と仲良くなるなんてできるはずがない。私はあの高波宙音と会話したことがあるという事実を一生の宝物にして生きていくのだ。うん……それでいい。それで十分……。
その時だった。どこからともなく、私に声が投げかけられた。
「──本当ですか?」
それはスーツを着た男性だった。短めの髪が七三でぴっちりとまとめられていてなんだか仕事ができそうだ。道の真ん中に立って、しっかりと私を見つめる。
「な、急に……なん、ですか」
「あなたが自分に嘘をついていらっしゃったので。……申し遅れました、私、鍋島と申します」
「は、はぁ……でも、そんな……私嘘なんて、ついて、ないです」
「そうやって、自分を騙し続けてきたから、あなたはずっと変わらないのではありませんか? 変わりたいと望むのなら、まずは現状に不満を抱いているのだと、自分を見つめ直さなければいけません」
なんなんだろう、この人。突然現れて、私のこと知ったように……。
というか誰なんだよ。
「よく……分から、ないです。突然……なん、ですか。鍋島さんは、私のこと……知ってるん、ですか?」
「そうですね。たくさんは知りません。私が知っているのは──あなたの前世がアルド王国七列聖第三席、王国最強の魔法師ユーナ・ユリエンスだということくらいです」
それはまさしく稲妻のようであった。私の脳内をビリリと貫通し、思考がぐるりぐるりと全身を巡っていった。
「なんで知ってるんですか!?」
あまりの衝撃に見ず知らずの男に詰め寄ってしまう。当たり前だ、あれは私の人生最大の黒歴史なんだから。どうして、この人があの事を知っているんだ? なな、なんで!
「ああ、あなたの中学の卒業アルバムに書いてありました。ほら、個別メッセージの欄に」
なんてことしてくれたんだ過去の私! ふざけんじゃねぇぞ! ……というか、なんでこの人が私の卒アル持ってるんだ。なんか、関係者なのか?
「私は色々な学校の卒業アルバムを集める事を生業にしております。見ず知らずの人の卒業アルバムを見ると興奮するたちなので」
きっしょ。
この人なんてこと言ってんだ。警察に電話した方がいいかもしれない。あ、でも私コミュ障すぎて電話できないんだった。
「へ、へ、変態……なんですか?」
「私は、ただの変態ではありません」
「変態では……あるん、ですね」
「私は、あなたにこれを手渡すことができます」
そう差し出されたのは、私のよく知っているものだった。
「卒業アルバムです、あなたの代の」
「こ……これをどうしろ、と」
「高波さんだって、自分がバカな事をしていると本当は分かっているはずです」
どうして、この人が彼女の名前を知っているのだろう。そんな私の疑問を置き去りに彼は続ける。
「そして、だからこそ──」
鍋島さんの発した言葉が胸を打った。
気がつけば、差し出された卒アルを手に取っていた。私の厨二病時代の遺産。最悪な黒歴史。
でも、ここで家に帰ってしまったら、もっと黒歴史になる。だから、私は走った。
後ろから鍋島さんの声が聞こえる。
「それでいいのです。それが成長です。卒業アルバムにはあなたたち若人の成長過程が記録されています。なんと美しいのでしょう! なんて、滾るのでしょう!」
きっしょ。
私はそう思った。
*
幸いにも、高波宙音を見つけるのにそれほど苦労しなかった。なんてたって、バカみたいな服装しているから、コソコソ話をしている人を辿っていけば簡単に青のマントが目に入る。
「──た、高波さん!」
高波宙音が肩をびくんと震わせて、マントを揺らしながら振り向く。
「よ、横山さん? どうしたの、忘れ物?」
「ち、ちがい……ます!」
「そ、そっか。大丈夫? 凄く息荒いよ。走った後に急に止まったらダメだよ。ちょっと歩かないと」
「あ、ありがとう……ござ、います」
優しい、背中をさすってくれた。あ、なんかいい匂いする。好きかもしれない。
「落ち着いた?」
これ最近気づいたんだけど、可愛い子ってただの五音だけで愛らしさを表現できるからすごい。好きかもしれない。
「た、助かり……ました」
というか大量の本と卒アル持って走ったのは失敗だった。重いわ。
でも、私は走るしかなかったのだ。今日家に帰ってしまったら、いつものように適当な言い訳をして微かに芽生えた勇気を投げ出してしまうような気がするから。
「こ、これ……見て、ください」
「ん、卒アル? これ横山さんの?」
ああ、恥ずかしい。それは、私の黒歴史そのものだ。あの頃はバカだった。でも、本当に純粋なバカだった。
「あ、これ横山さん? 眼帯してるね、怪我してたの?」
まぁ怪我っちゃ怪我かもしれないな。でも、見せたいのはそこじゃない。
「え……えっとその、次のページ……です」
「ん? 次に何かあるの?」
そのページには、生徒一人一人の一言コメントみたいなのが書いてある。多くの生徒は「今までありがとう!」とか「三年間楽しかった!」とかそんなありきたりな言葉を残している。
だから、変なコメントがあれば一瞬で目につくのだ。ああ、くそ、こんなやり方しか分からない自分がムカつく。
高波宙音は自分がバカな事をしているときっと分かっている。でも、だからこそ。
──バカを受け入れてくれる誰かを探しているのだ。
「私は、アルド王国七列聖第三席、王国最強の魔法師ユーナ・ユリエンスの生まれ変わりだ! 魔法も使えない凡愚どものことなんてすぐに忘れてやる!」
その言葉を私は叫んだ。中三の時、なんか厨二病もだんだん治りつつあって、でもクラスに友達はいなくて、みんなではしゃいでいるクラスメイトにムカついてた、あの時の私の言葉をそのまま叫んだ。
私はあいつらとは違うんだって思いたくて。何か特別なんだと思っていたくて。でも現実のことだって、本当はちゃんと分かっていた。だから言い訳みたいにその言葉を残した。
「た、高波さんの、その服とか……あとスペシャルソラネちゃん、とか……私に、比べたら、全然……恥ずかしくない、です。私の、方が……ずっとバカ、だから」
「……」
「だ、だから……全然気にしなくて、いいと思い、ます。私は、口だけ……で、何もできなかったできなかった……けど。た、高波さんは……人助け、してて……すごい、です。カッコいい、です」
「…………え、それを言いにきてくれたの?」
「は、はい」
高波宙音はポカンとしていた。固まって、ただ目を丸くしていた。多分、情報が整理できていないのだろう。私も同じだ、自分が何をしているのか、何をしたかったのか、もうよく分からない。
「そっか。…………ふふっ、あは……あはははは」
……わ、笑われた。
嘘だろ? 私、人生で一番勇気を込めたのに。え、マジ? 何これ、辛い。あ、あれだ、今夜門部ランとか隠元さやとかとネタにされて、月曜にはクラスの笑い物か、もしくは腫れ物になってるんだ。ああ終わりだ。冷静に考えたら、あの卒アル変態に乗せられるんじゃなかった。絶対不審者だったし。
「あー、おかしい」
「お、おかしい、ですよね」
知ってる。私はおかしいやつなのだ。そして、このまま人に笑われる人生が待っているのだ。永遠ぼっち万歳である。
「うん、おかしい。でも──ありがと」
──だきしめられた。
高波宙音の腕が背中に回って、体の感触が伝わった。え……なんで。
「すごくおかしいけど、私を励まそうとしてくれたんでしょ? だから、ありがと」
耳元に彼女の優しい、そして愛らしい声が響く。頭がくらくらした。
「バカだね、横山さんも」
「あ……あの」
「でも、優しいね」
「あ、あの!」
「なに?」
「──近いです!」
「うおっ、ごめん」
思い切り後ろにずれて、彼女から離れる。びっくりした。このまま高波宙音の陽成分を食らっていたら間違いなく消滅していた。危ない。
顔を上げると、高波宙音が私を見ていた。笑顔だった。彼女はいつだって笑顔だ。でも、今のそれは、多分私のおかげの笑顔なのだと思う。それが、なんだかこそばゆい。
「今から家帰るの?」
「は、はい! そう、です」
「じゃあ、途中まで一緒に帰ろ」
「は、はい」
高波宙音と並んで歩く。水切りの時もそうだったけど、やっぱりいまいち現実感がない。彼女と二人でいるくらいなら、まだ私が前世の力を取り戻し魔法を使えるようになる方が可能性が高いように感じる。
「ねぇ、横山さんは魔法が使えるの?」
「え……つ、使えないです!」
「卒アルにはそう書いてたのに」
「あ、あれはち、違います」
「あはは、分かってるって。ちょっと揶揄っただけだよ!」
くそ、今日は私ばかりが損をしているような気がする。結局陰キャの努力なんてそんなものなのだ。
「……でもさ」
高波宙音は呟く。日が傾き始めていた。そのせいか、彼女の頬もほんの少し紅く染まっていた。その横顔をずっと眺めていたくなるほど、それは美しい光景だった。
「さっきまでちょっと落ち込んでたけど、今は元気になったから……魔法にかかっちゃったかもね、私」
「……あ」
そんなファンシーな一言も不思議と彼女には似合っている。だけど、気の利いた言葉を返すことができなくて、やっぱり私は彼女と仲良くなるには足りないものばかりだ。
今の私に出来るのは、ただほんの少し勇気を出すことだけ。
街路樹を一つ二つと抜けてゆく。会話が特別弾むわけでもない。でも、なんだかこの時間は心地良い。高波宙音を探して走っていた時よりも、なんだか荷物が軽く感じた。歩幅が少しだけ広くなったような気がした。
だから、ポツリと呟いた。
「……わ、私も、特撮……好きです」
「え、ホント?」
「は、はい……高波さん、ほどじゃないかも……しれないけど、毎週みて、ます」
「えー、やったぁ! すっごい嬉しい。だってさ、高校でさ仮面ライダーとか見てる人全然いなくない? 横山さんも好きならもっと早く知りたかったよー! えー、仮面ライダーシリーズの中だと何が一番好き?」
「わ、私は……龍騎が」
「えー分かる! やっぱりさ、ストーリーがすごくいいよね!」
今この瞬間だけは、高波宙音の笑顔を私のためだけに向けられているようで、普段は焦ったい信号待ちが、なんだかとても短く感じられた。
*
「鍋島さん、お疲れ様でした。いやぁ助かりましたよ」
「いえいえ、私の卒業アルバムコレクションが役に立つなら、それは本望」
「ちょっときしょいけど流石です! おかげで二人の関係はすごく進展しましたよ。特に高波の方、あれ、横山への好感度かなり上がってますよ。やっぱり、自分のためにバカになってくれてる姿を見せれたグッときだんでしょうね」
「お役に立てて何よりです。…………それで、報酬の方は……」
「ああ、すぐに振り込んでおきますね。……まだ何か?」
「ああ、いえ、お金はいいので、よろしければ天野さんの中学時代の卒業アルバムを頂けないかなぁと」
「あ、絶対いやですね」
……誰が、こんな変態に渡すものか。
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