第1話 愛と勇気も友達じゃないらしい
水切りから三日、週明けの月曜日、私は教室で一人ポツンと縮こまっていた。
ぼっちである。陽キャと水切りをしたと言っても私を取り巻く環境が大きく変わるわけではないのだ。私は陰キャだし、教室で話す人間もいないわけだ。別に悲しくなんてない、慣れっこだ。
ただ、変わったことが一つあると言えば……私の視線の中心に高波宙音が映るようになったということであるだろうか。ふとした瞬間に私はつい彼女を見つめていた。
これには深い訳があって、端的に言えば陰キャとはちょっと話しかけられただけで相手のことを好きになってしまうということである。 ヒト科・ヒト属・陰キャ、特徴クソちょろい。自分から話しかけるという勇気はなく、機体混じりに周囲をチラチラと観察する。だが、集団が迫ってくると逃避する傾向があり、優しく少人数で接触を試みるべきである。図鑑にはこのように書かれてある。なので、例に漏れず、私もただこうして高波宙音を観察することしかできないのである。悲しき生態だ。
彼女は仲の良い友人二人と談笑していた。黒髪ロングの眼鏡をかけた真面目キャラっぽいのが隠元さや、金髪のギャルっぽい方が門部ランと言う。私はどちらとも話したことがない。というか、私は昨日高波宙音と話すまでこの教室の誰とも話したことはない。
……うるさい、同情のコメントはいらないんだよ。慰められると惨めになる。放っておいてください。
ぼっちとは世界で最も離れたところにいる人間、高波宙音は目を輝かせ飛び跳ねんばかりの様子である。
「ねぇ、さや、ラン。昨日の仮面ライダー見た? 仮面ライダーブンベツンの新しいフォームすごくカッコ良かったよねぇー。強敵だったポリブクロンを滅多打ちにしてたよ」
「流石にニチアサは見えねぇな。あたし日曜は昼まで寝ちゃうから」
「さやと同じ、だらしない理由ではありませんが、私も日曜朝の特撮は見ていませんね。……そのポリブクロンというのは強敵なのですか?」
「だらしないってなんだよ」
「うん! ポリブクロンすごい強いよ。町中のゴミ箱から生ゴミを吸収して力を増幅させるんだよ。ライダーもなんどもやられちゃって……」
「いい奴じゃん。生ゴミなんてないに越したことないんだから」
「ちょっと! ランは悪に与するの!」
「いやそうじゃないけど……でも生ゴミ吸収してくれるのはありがたいだろ」
「ダメだよ、ゴミ収集の人の仕事無くなっちゃうでしょ!」
「全く、ランは何も分かっていませんね。顔が怪人寄りですし仕方ないでしょうか。……それで、ポリブクロンはどうやって倒したんですか?」
「あ? お前さっきからうるせぇな」
「えっと……最終的にはライダーの九〇〇度焼却パンチで倒されたんだよ。まさか、焼却炉フォーム超カッコいいよ!」
「……焼却炉フォームですか」
「うん、焼却炉フォーム!」
「なるほど、それは良かったですね」
「何が良かったんだよ。適当にコメントすんな」
……なるほど、高波宙音は仮面ライダーが好きなのか。
私は見かけ通りめちゃくちゃオタクなので、当然ニチアサも早起きしてリアルタイムで見ている。テレビの前で「ぷいきゅあがんばれー」しているのだ。
まさか陽キャが私と同じことをしているなんて。……いや、高波宙音も私のように全力応援をしているかは分からないが、少なくとも仮面ライダーに関しては結構強めのファンのようだ。……なんか嬉しいな。
──嬉しい?
頭をよぎったその言葉が引っかかる。私と同じように高波宙音もニチアサを見ていることを、どうして嬉しいと思うのだろう。
分からない。どうせ、同じ趣味があったところで、その話ができるわけでもない。私は話しかけられないし。高波宙音だって昨日は気まぐれで話しかけてきただけで別に私と仲良くしたいわけでもないだろうし。
彼女にこだわってもしょうがない。そう思ってため息を吐いたところで、高波宙音は視線に気がついたのかこちらを振り返ってきた。……目が合った。彼女のクリクリとした瞳は私を一瞥する。
──ヤバい、見ていたことがバレた。絶対キモいと思われる。側の二人にヒソヒソ話をして、陽キャ界隈でキモいと広まり、いじめられるんだ。いやだぁ! 誰か助けて!
でも振り向いた高波空音の反応は想像とは違った。彼女は私に見せつけるように手で小さくピースを作ると、そのままウインクをした。
あ、かわいい。
「ん? 宙音どうかしたか?」
「んーなんでもなーい」
高波空音のコンマ一秒間が私のために注がれたのだ。理由は分からないけれど……なんだかそれがすごく嬉しい気がした。
──火曜日。昨日と同じく、私は教室で高波宙音と二人の友人の会話に耳を傾けていた。対して高波宙音は落ち込んでいるようで机に項垂れているらしかった。どうしたんだろう……気になる。
「うぅ……どうしよぉ」
「おい、どうしたんだよ。いつもはちょっとうるさいってくらいに元気じゃねぇか。何かあったのか?」
「何かあったなら教えてくださいね。ランでは頼りにならないでしょうが、私は力になれますよ」
そっと高波宙音の肩を叩く門部ランと、その隣で優しい表情を向ける隠元さや──なるほど、あれが友達というやつらしい。いないから分からなかった。
「うーん、それがね、昨日仮面ライダーの新フォームの話したでしょ?」
「ああ、ポリブクロンな」
「それは敵の方ですよ。宙音がしているのは焼却炉の話でしょう。ランの記憶力はヒトデと同等ですから覚えられないのも無理ありませんが」
「あんだと! ヒトデの記憶力ってちょっとピンとこねぇし。どれくらいだよ! 絶対あたしの方が賢いぞ」
「知りませんよ。今は宙音の話でしょう」
「あ、ああそうか」
ひどい。あしらうだけあしらったな。
「その焼却炉フォームなんだけどさぁ、昨日変身用のアイテムが発売されて……ショウキャックンって言うんだけど」
「……ショウキャックン」
「なるほど……でも良かったじゃないですか。宙音、いい歳して玩具を集めるのも好きだったでしょう?」
「好きなんだけどー、今ちょっと金欠で。買えそうにないんだよー」
「最近の特撮ヒーローはキャラやフォームが多いですが、それはどんどん新しい玩具を購入させるためですからね。熱心なファンが金欠になるのも無理ないです」
「……宙音の前でそんな夢ないこと言うなよ」
うーん、それは事実なのでコメントしづらいな。今調べたところショウキャックンのメーカー小売価格は五三八〇円とのことだ。まぁ標準的と言った塩梅だな。世のお子様はゴールデンウイークに祖父母に買ってもらうのだろう。とはいえ高校生だと厳しいかもしれないな。
……待てよ。これを私が高波宙音にプレゼントすれば、仲良くなれるのではないか?
『これ、やるよ』
『あ、私の欲しかったショウキャックン! でも……どうしてこれを私に?』
『どうしてって、お前が喜ぶ顔が見たいからに決まってる……だろ?』
『……横山さん!』
的な感じになるかも……。
「でもさ、宙音はコツコツ貯金するタイプだろ? 金ないなんて珍しいな」
「そうですね。十年後は日当をパチンコでするような生活をしているであろう、計画性のかけらもないランと違いますかね」
おい、お前らが話し出したせいで私の妄想がかき消されたじゃねぇか。くそが。
「それがさぁ……CSMのオーズドライバー買っちゃったんだよねぇ」
「なに、CSMって」
「えっと、大きな子供のための玩具です。大人の方が金を出せますからね。……ほら宙音が買ったやつは三七八〇〇円だそうです」
「たかっ! ……いやでも、好きな人からしたらそれくらいの価値あるんだろうけど」
オタクって金銭感覚狂ってるからなぁ。興味ないものには四百円ですら渋るくせに、好きな物には途端に数字を数える能力を失うんだよな。分かる。
私もこの間、夜中についつい衝動が抑えられなくなり、新作ゲームを買い漁ってしまった。時間は限られているから積みまくることになったし、結局お金を使っただけなんだよなー。あ、積むで思い出したけど、先週買った漫画全然読んでないなぁ。ゲームも漫画もちゃんと計画的に買わなきゃいけないのに、ついついそれを忘れちゃうのどうにかしないとな。とはいえオタク趣味をこなせない陰キャはただの陰キャだし、オタク要素でなんとかキャラ付けしていかないと…………。
──水曜日。昨日は自分の話に没入してしまって高波宙音のことをすっかり忘れていた。こういうところが陰キャなんだと思う。
ちゃんと高波宙音を観察しなければ。観察をして仲良くなるための足がかりのきっかけを掴み取れる可能性を向上させていきたい。
当の高波宙音は真剣な顔をして何か作業をしているようである。
「宙音何やってんの?」
「んー内職!」
「今授業中じゃないから内職じゃなくてただの勉強なんじゃねぇの?」
「違うよ、そっちの内職じゃなくて仕事の方の内職!」
「本当ですね、造花作ってますよ」
「学校でその内職することあんのかよ。なんだ、あの焼却炉のやつ買いたいのか?」
「ショウキャックン! ……でも、造花一つで五円だから、千本は作らなきゃダメなんだよ」
「うわっ、結構大変だな。どれくらいできたんだ?」
「うーん……寝る間を惜しんでやってるから、昨日からで四本はできたよ!」
「…………それ何分で?」
『えっと……十時間くらい!」
普通にバイトしろよ。バカかよ、お前時給換算したら二円だぞ。四国ですら最低賃金八九六円なんだから。いつの時代の物価で生きてるんだこの子。
というか普通に作るの遅すぎる。
「宙音、一つ聞きたいのですが、そのペースで行くとあとどれくらいでショウキャックンを購入できるようになるか計算できますか?」
「んー……頑張ったら一週間くらい?」
「オッケーです。宙音は私たちの好きな可愛い宙音のままですね」
「オッケーじゃねぇよ。なぁ宙音、そのまま造花を作り続けたら、ショウキャックンを買えるようになるまで三千時間はかかるぞ。それだけ時間あったら公認会計士になれる」
「……? 造花を作ってたらこうにんかいけいしになれるってこと?」
「えっと……」
余りの状況に固まる門部ラン。その脳内はいかに友人を傷つけずに済むかとフル回転していることであろう。窓から注がれる朝日に照らされ、輝く金髪をくるくると回して、長考することタイトル戦の名人の如く、彼女の出した結論は──。
「うん、そういうこと!」
門部ランは目に涙を浮かべ全てを肯定した。彼女は覚悟を決めたのか高波宙音の隣に腰掛ける。
「て、手伝うよ。一緒に造花作ろうな。最後まで付き合ってやるから」
「ホント!? ラン、ありがとう」
「ああ、いいんだ。あたしにはこんなことしか……」
「私もやりましょう」
「えー、ホントに? さやは他人のために何かをするのが生理的に耐えられないっていつも言ってるのに」
そんなこと絶対言うな。
「構いません。宙音のためですから」
「さや……ありがとう」
「どうしてランがお礼を言うんですか。私たちは友達です。苦難も共にするんです」
「ああ、そうだよな。みんなで造花作って、ショウキャックン絶対買おうな!」
「二人ともありがとう。二人は最高の親友だよ!」
教室の中心、三人は固く結ばれた友情を確かめ合っていた。それは確かに美しい友情劇ではあったが……。
──普通に他のバイトしろよ。全員バカかよ。
そんな感想が出てしまうのは、私がひねくれ陰キャだからなのだろうか? いや、絶対あいつらがおかしい。てか、今日も話しかけるタイミングを逃してしまった! どどどどうしたら……。
こうしてまた、何の収穫も得られない一日が終わったのだった。
*
「おかしいだろ、なんで三日も進展がないんだよ!」
あ、天野です。忘れている方、こんにちは。
俺は公園のベンチに腰掛け、ここ数日の反省会を行なっていた。内容といえばもちろん高波宙音と横山清のことである。水切りを仕掛けて以降二人を見守っていたわけであるが、知っての通り全く進展がない。
まぁ引っ込み思案の横山のことだからすぐには無理だろうと俺はゆっくりと待っていたわけであるが、気がついた時にはWednesdayだ。ここ三日、高波を見つめる横山を見つめる俺というトライアングルが教室を支配していたのだ。
いやそもそもただでさえ話しかけるという行為は横山には荷が重いのに、高波の側にはいつも隠元さやと門部ランがいるのがいけないのだ。ふざけた名前しやがって。……いや覚えやすい名前ではあるけども。
「焦ってはいけない。何事も我慢だ。耐え抜き、ここだと思う機を待つのだ」
そう眼鏡をクイっとするのは、隣に座る渡辺さんだ。パッと見、四十代半ばくらいのおっさんで、少し太っている。
「確かに分かりますが……。しかし、このままだとなぁなぁになってそのまま二人の関係は終わってしまうように思うのですが」
「ならば、促してやるが良いだろう。もちろん急かすのではない、自然と機運がそちらへ傾くよう、手を掛けてやるのだ。だが先程も言ったように焦ってはいけない。あくまで当事者たちの選択に委ねるのだ」
「なるほど……難しいですね」
「案ずるな、お前ならできる」
渡辺さんはゆっくりと頷いた。
ちなみに、この人は知り合いとかではない。ベンチで凹んでいたら缶コーヒー片手に話しかけてきた。変な人だ。怖いし、ブラックは飲めないしで丁重に断ったのだが普通に隣に座ってきた。変な人だ。
「渡辺さんは何をされている方なんですか?」
ちょっと気になって思わず尋ねてしまう。言葉だけ見れば師匠キャラ感あるし、もしかしたら大物かもしれない。
「……ふふっ」
なんか笑い出した。なんだこの人。
「どうしたんですか?」
「いやぁ、お前が私の若い頃にそっくりだと思ってね。私もお世話になった先生にその質問をしたよ」
え、俺こんなおっさんになるの? そしていつからお前は俺の先生だったの?
「はぁ」
「私はね、この世界の全ての子供達に幸せに暮らしてほしいんだよ。だから、毎日若者がいそうなところに立ち寄って、悩んでいる子たちに声を掛けているんだ」
ヤバいやつだった。しかしも結構ド級の。
「大丈夫。いつか、お前も私のようになれるから」
渡辺さんは俺の頭をそっと撫でた。普通に、触ってくるのは勘弁してほしかった。
まぁ渡辺さんはともかくとして、横山の背中を押してやる必要はあるらしい。
*
コミュ症の人は共感してくれると思うけれど、夜ベッドに入ると、いつもその日の反省会をしてしまう。
はぁ……今日も話しかけられなかった。
高波宙音。水切りをして以来一言も話してない。それにあれも彼女が水切りがしたかったから声を掛けてくれただけで、私に魅力があるわけじゃない。友人二人は高波宙音のことが好きなようだった。私のために造花を作るなんて、母でもそんなことはしないだろう。
私は生きているところが違うのだ。素直に手を引いて……。
『──待て、諦めるでない』
声がした。男の人の声だ。
ここは自室、当然私の他には誰もいない。父の声とも違う。正真正銘不審者であるが、姿が見えない。部屋には誰もいないのに、明らかに声は部屋の中から聞こえてくる。
『探しても我はそこにはおらぬ』
「だ、だれ、ですか。ど、どこに……」
『我は神だ。横山清よ、我は天界からお前に語りかけている』
「ななな、なんで! か、かみってあの、あれですか……すごい偉い人的な……」
『お前の神の認知、解像度低くないか』
「ほ、ホントにか、神様なんですか。しょ証拠とかある……んでふか?」
『証拠か? そうだな。我はお前が高波宙音という女に執着していることを知っている』
「──っななな、なんで! だ、誰にも話してない、のに」
『それは話す相手がいないからだろう』
うるさい。分かっとるわ。
……しかしまさか神様が私に声を掛けてくるなんて。で、でもなんて……陰キャすぎていないも同然だからもう世界から消すみたいな、そんなんだったりしないよね!?
「わ、私、けけ消されるんですか? ぼっちで……暗いから。い、生きてる価値……ないです、もんね」
『え、いやなんでそうなるの……いやちが、我はお前に助言を授けようとしているのだ』
「じょ、助言……です、か?」
『ああ、高波宙音についてだ。お前は卑屈陰キャだから愚かな思い込みで自分の行動を制限しているだろうが……』
「結構、言いますね」
『実は、あの女はお前を好いている。お前に話しかけてきてほしい、仲良くなりたいと思っているのだ』
「え、ま、まさか」
『冷静になって考えてみろ。もしお前が彼女の立場なら、水切りしようと興味のないクラスメイトに声を掛けたりするか? 目が合ったからといってウインクなんてしようと思うか?』
「し、しません!」
『つまり、そういうことだ。お前は高波宙音にとって興味のないクラスメイトなどではないのだ』
「な、なるほど!」
そ、そうだったんだ。高波宙音は私のことが好きで、完全に私にゾッコンなのだ。そう考えれば全ての辻褄が合う。私は陰キャだから素直に彼女の気持ちを受け止めきれないでいたが、普通に考えれば話しかけるなんて高いハードルの行為をするということは、それ相応の理由があるということなのだから。
普段なら自分が好かれているなど考えもしないことだが、神様がこう言っているのだ。まず間違いないだろう。嘘をつく理由など神様にはないはずだ。仮に神様が、私と高波宙音の仲を取り持つことに過剰に執心しているとすれば話は別だが、そんなわけないだろう。
『この機会を逃してはいけない。もし高波宙音の気持ちを無視すれば、お前は生涯永遠にぼっちのまま、今日のことを後悔することになる。具体的には、大学に進学するも馴染めず中退し、仕方なくアルバイトを始めるが仕事が覚えられずに二日目で飛び、最終的に実家に寄生するニートの出来上がりだ。四二の時に太り過ぎによって死ぬ』
うぅ、それは絶対嫌だ。私ならあり得そうなのが本当に嫌だ。
『神である我がお前に告げる。絶対に高波宙音との仲を深めるが良い。さすれば、お前は永遠の幸福を手に入れることになるであろう!』
神様の声が部屋に轟き、僅かにノイズ音が耳に伝わった。
「か、神様、一つ質問……いい、ですか?」
『なんだ』
「神様の声……部屋の中から流れている、気がします。な、なんか、明らかに音声機器みたいな……異音するし」
『…………』
あれ、神様黙っちゃった。いけないこと言っちゃったかな。
『……我は神だ』
「は、はいぃ!」
『その我が、人間の家に忍び込み、せっせとスピーカーを取り付けたりしているとでも言いたいのか? 実は我はただの高校生で、百合を咲かせるために奔走していると言いたいのか?』
「い、いえそんなことは……」
ちょっと後半何が言いたいのか分からないけれど、別に私の家に忍び込みこっそりとスピーカーを取り付けているわけでもないし、実はただの高校生ということもないらしい。良かった。もしそうだったら流石に普通に気持ち悪い。
『とにかく、お前はなんとかして高波宙音との距離を縮めるのだ。以上!』
「は、はいぃぃぃ!」
そのまま、神様の声は聞こえなくなった。
しかし、距離を縮めろと言われても、その方法が分からないから私は友達がいないのであるが、全く困ったものである。
*
次の日!
私は今日も今日とて高波宙音を観察している。
「ねぇ、ヤバいよ! 私課題全然終わってない! さやー見してー」
「無理です」
「えー、なんでー」
「私もやっていないからです」
「やらなきゃダメじゃん」
「授業後五分ですよ。間に合わないのに頑張ってもしょうがないですから」
意外だ。黒髪ロングに眼鏡はみんなバカ真面目キャラなんだと思ってた。
「賢いのかそうじゃないか分からないね……。じゃあラン見して!」
「見せないよ」
「なんでー、ランもやってないの?」
「あたしはやってるけど見せない。自分でやりな」
「けちぃ」
「ケチじゃない! 自分でやんないと身につかないよ!」
意外だ。金髪ギャルは全員勉強なんてしないんだと思ってた。
「はぁ……まぁそうだよねー。よし、自分で頑張る!」
「はい頑張れー。もうすぐ授業始まるからな」
そのまま高波宙音は英語のテキストに向かう。まぁ数分で終わる量ではなかったので、もう絶対間に合わないのだが、門部ランは知らぬ顔で必死な友人の様子を眺めている。
こうして眺めていると高波宙音は勉強ができないタイプらしい。シャーペンを動かしている時間よりも消しゴムを動かしている時間のほうが長い。つぶやく声を聞く感じ、現在完了と過去完了の区別がついてない。
でも……悩んでいる顔も可愛いな。なんかまつ毛長いし。多分私の倍くらいある。性格の明るさはまつ毛の長さで決まるのか……? これは考察の余地があるな。
──おいその子の君、今、昨日まで何も変わっていないじゃないかと言おうとしたな? チッチッチ、私だって成長するのだ。よく見なさい、私の机の上の筆箱を。昨日と違うでしょ? 今までは黒色の物を使っていたが、今日から黄色の物を使うことにしたのだ。
これには重要な意味があって、ネットで見たのだが黄色は人に親しみやすさを感じさせる色であるらしい。黄色の服を聞いていると話しかけやすいだとかそういう話も目にした。流石に制服を黄色にすることはできないから筆箱で手を打つことにした。これで、私もクラスの中心間違いなしなのだ!
…………うるさい、言いたいことは分かるから許してくれ。
だってしょうがないじゃん! 私が自分から話しかけるなんて出来るわけないでしょ! だったら話しかけてもらえるように頑張るしかないけど、奇抜なことはできないし……乙女の精一杯の努力をバカにするなよ!
大体あの神様がろくな助言をしなかったからそのせいで……。
その瞬間、私の視界に小さな物体が転がってくるのが映った。それはコロコロとフローリングを伝って私の側で止まる。
「──あっ、消しゴム落ちた!」
高波宙音がそう声を上げる。
ああ、これは彼女の消しゴムか。……なるほど。
あ、カバーがアンパンマンだ。アンパンマン好きなのか? 高二で? いや高校生がアンパンマン好きでもいいか。みんな一度は通ってきた道だもんな。というかさ、この歳になって初めて気がついたけど、ロールパンナってめちゃくちゃオタク心を燻る設定してるよね。まず善と悪の二重人格……もうカッコいいじゃん。味方であって味方でない、その絶妙な立ち位置。子供が厨二病になっちゃうよ。……それにさメロンパンナとの姉妹百合もエグいよね。ブラックロールパンナになってもさ、メロンパンナが来ると元に戻るんだよ。ヤバいヤバい。日本人総アニオタにするためのキャラクターじゃん!
…………落ち着け。本当にヤバいのは、消しゴムを前に現実逃避している私だな。
いや、でもどうしたらいいか分からない。陰キャじゃない人からしたら普通に消しゴム拾って渡すだけだと思うことだろう。でも私たちは違うんだ。勝手に消しゴムに触って、もしキモいと思われたらどうしよう。冷たい表情で『それ、もう要らないからあげるね』って言われて、裏で『あいつマジキモいんだけど、買ったばかりだったのに最悪ー』ってなってたらどうしよう。そんなことばかり考えてしまう。
でも拾おうとしないのはそれはそれで良くない気がする。『あの陰キャ私が消しゴム落としたのに拾う素振りすら見せなかったんだよひどくなーい? てかあいつの顔マジキモいよね。ナメクジ』みたいになる。
つまり私が言いたいのは、拾おうが拾わないが私にクラスでの居場所はないということである。……誰だ今も同じだろって言ったやつ。普通に許さないからね。
──分かってる。……拾わなきゃいけない。
自分の勇気が出ないからといって適当な言い訳を用意してはいけない。高波宙音はきっとそんな典型的な性格悪い系の陽キャじゃない。──分かっている。分かっていないのは、いつだって勇気を持てない自分自身なのだ。
数十センチ先に消しゴムが落ちている。高波宙音が立ち上がろうとしている。消しゴムを拾いたいのだろう。カバーのアンパンマンと目が合う。
──なんのために生まれて、なにをして生きるのか。こたえられないのは……私だっていやだ。
立ち上がる。イスが鈍い音を立てた。そのせいで変にクラスメイトの視線が集まってしまう
。見られているせいで何事もなかったかのように座り直すのも恥ずかしい。消しゴムを拾うしかない。
手を伸ばして、ゆっくりとそれを掴む。がむしゃらに高波宙音の胸元へ差し出す。
「こ、こ、こ、これ。え……えっと消しゴム……お、落としてたので。どど、どうぞ」
ヤバい、噛んだ。すごい吃っちゃうし、みんなに見られてる、恥ずかしい。
「……あの子どうしたの?」
「さぁ、どうなんでしょうか」
ほら、門部ランと隠元さやがなんか言ってる。バカにされてるんだ! やっぱりこんなことするんじゃなかった。あのエセ神様に唆されたせいだ、普段の私は絶対にこんなことしない。ただの陰キャなんだから、ダンゴムシみたいに岩の下に隠れていたかったんだ。いつまでも太陽から逃げていられたらそれで良かったなのに。
全部、全部……高波宙音に絆されてしまったから。
だって私……。
「──あ、拾ってくれたんだ。横山さん……ありがとう!」
高波宙音は笑う。誰よりも明るく、誰よりも可愛い。
彼女はいつも世界の中心で、この星で暮らす誰もが決して逃げることのできない太陽のような存在で。
きっと。
──私は、この子のことをもっと知りたいんだ。
「はは、は……はい。い、いや、全然だだ、大丈夫なんで……」
「んー?」
「あ……あ、いや……えっと。あのその……べ、べつに、ひ、拾っただけ……なので、そのあの、けけ消しゴムが……転がってきた、から。だから、その……その、あのあのあの、あああああ」
あ、ヤバい緊張しすぎて意識が……。
「よ、横山さん!?」
「おい、横山倒れたぞ。さや、先生呼んできてくれ」
「はい、保健室の先生呼んできますね」
「横山さん、大丈夫!?」
*
「デカい、やっと軌道に乗った。マジで、こっからだわ!」
廊下からA組の教室を覗き込みながら、俺は叫んでいた。
やっとあの二人が会話をしてくれた。これも、昨夜あまりにも無理がある神様の助言を行なったおかげだ。横山が黄色の筆箱を取り出して満足げに頷いていた時は本当に人生終わったかと思ったが、とりあえずなんとかなったな。
まぁ消しゴムを渡してそのまま気絶するなんてことを成果と言っていいのかは微妙なところだろうが……いやでも! 今後の百合的展開を思えば、今この瞬間も初々しい物語のスタートなのだ!
もちろん、横山清という一人の人間を思えば、今しがたの出来事はただ消しゴムを拾っただけに過ぎない。大したことではない。でも、あの横山が自分から高波に話しかけられたことに意味がある。彼女にとっても、それは大事な一歩目のはずだ。
俺だってたった一日でことが上手く進展するとは思っていない。まずは少しずつ、一朝一夕で花が咲くわけではない。じっくり、俺も外から愛でるとする。
「まずは一歩目だな」
そう声を掛けてきたのは、渡辺さんだ。何故ここにいるかは知らない。気づいたら隣にいた。
「今はまだ大した出来事ではない。だがな、これからのあの子にとって、今日の出来事には確かな意味がある」
「俺とほぼ同じこと言うのやめてください」
自分の思考がこのおっさんと同じなのかと思うとしょげちゃうだろうが。
「素晴らしいな、若人は。一挙手一投足に、未来への活力がある。息遣い一つに、生命の躍動を感じさせてくれるんだ」
「はぁ……」
普通に、キモいなこの人。
「──今この瞬間を大切に。夢見ることを忘れずに生きていけ。そうすれば、きっとお前も私のようになれるだろう」
「はぁ……」
頷いているけど、知らねぇおっさんに言われても響かないって。なんで俺がお前にならなきゃいけないんだよ。
「ふっ、憧れられるのも辛いものだ」
エグいってこいつ。誰やねん。
俺が渡辺さんに呆れていると、ドサドサと大きな足音と共に十数名の警察官が廊下を駆けてこちらへと向かってきているのが目に入った。
「あ、あそこに脂ぎったおっさんがいます! 明らかに通報にあった不審者です」
「不審者が男子生徒に接触しているようです!」
「よし、確保だー!」
うわ、警官めっちゃこっちに流れ込んできた。全員、警棒持ってるじゃん。あ、あそこの人拳銃構えた。テロリストみたいな扱いじゃん。
「高校に潜入し、生徒をいかがわしい視線で舐めるように見る不審者め、逮捕してやる!」
「や、やめろ。私は子供たちを見守り、明るい未来へと導いていただけで……あ、痛い! 誰か叩いたな! や、やめろー私に触れるなぁ!」
渡辺さんは不法侵入で逮捕された。
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