百合は触れるな、水をやれ

七草夜月

プロローグ

 罪とは、数多の百合を踏み歩いてきたことである。


 ──ユリニ・ハサマルナ『真実と罰、そして人類に関する諸考察』


 *


 ──人生は不平等だ。

 それが十数年生きてきた私の人生への結論である。

 

 私、横山清は今をときめく女子高生である。コウコウ高校二年A組出席番号三七番、一七歳高校二年生。まさしく人生の絶頂期だ。

 皆さん女子高生へのイメージはどうだろう。世界の中心、流行の最先端、やはり華々しい姿を想像するのではなかろうか。

 その通りである。私も女子高生の一人として、眩しくって瑞々しい、大人たちの羨む青い春を満喫しまくっている。なんたって、女子高生なのだから。

 さぁ、見上げるがいい。クラスの中心で皆に慕われ、先生とも親しく話しちゃって、恋人だってできちゃう、完全無欠のハッピーライフ。毎日が楽しくて、永遠に続く夢のような生活を…………。


 否、断じてそんなことはない!

 みんながみんなそんな人生を送っていると思うなかれ。そりゃそういう人もいるんだろうけれど、私は違う。


 ──何故なら私はクソ陰キャだからである。


 友達はいない(高一で一番会話をしたのは窓際に飾られていた観葉植物だった)。一年過ごしたのに担任は最後まで私の名前をうろ覚えだった(ずっと横川だの横内だの言われていた、覚えろよそんな分かりづらい苗字じゃないだろう!?)。恋人なんて勿論いない(誰かが付き合っては別れていくのを得意げに冷笑していただけである)。

 残念なことにそれが私なのだ。そりゃあ、私だってキャッキャウフフの学生生活を送ってみたい! そういう気持ちがないでもない。しかしどうしたところでクラスの隅っこで本を凝視して存在を消す生活は覆ることがなく、一言も発しないまま一日を終えるのだ。

 現実は無常だ。私の現実はアスファルトのように灰色で、そして踏みつけられるのみである。

 ……はぁ、いつからこうなったのだろう。

 小学校の頃は普通に友達がいたと思う。子供特有のあの無尽蔵なエネルギーをもってして、精々一〇分二〇分の休み時間でドッジボールに興じていたのだ。今思うと考えられないことだ。陽々しいクラスメイトにボールをぶつけるなんて、私はどうかしていたのだろうか。

 だが、そんな日々が大きく転じることになる。それは中学に入って、それも二年生になった時だった。それまでは、特別に積極的なタイプではないにしろクラスの中でそれなりに友人を作り、それなりに上手くやっていたはずだった。

 そんな私をある病が変えてしまった。この国の少年少女たちに蔓延する恐ろしき病──そう、厨二病である。

 ある朝、天啓を得たのだ。私はアルド王国七列聖第三席、王国最強の魔法師ユーナ・ユリエンスの生まれ変わりであると。

 それから私は変わった。再び魔法を使うため鍛錬に勤しむようになった。

 まず、魔法には詠唱が不可欠である。前世の私は勿論最低限の無詠唱魔法を行使することができたが、今の私はブランクがある。初歩的な魔法でも詠唱が必要だった。とはいえ前世で覚えた詠唱は日本語ではなかったから、私は新たに日本語でのかっくいい詠唱を考えてはノートにメモしていた。……もうイタイだろ?


「──天よ、我に与えよ。地よ、我に傅け。万物の根源よ、降り注ぐ数多の声よ、我に答えよ! 瞬け、『アクアターロウ』」


 これを教室のど真ん中で叫んだ。私は華麗に水魔法を行使してみんなを驚かせたかっただけなのだ。恥ずかしい。……というか何だよアクアターロウって。それ水の里芋だろ。

 そして不幸なことに、奇行はこれに留まらず、眼帯を付けてみたり、血糊を垂らしてみたりと、ステレオタイプな厨二行動は治ることがなかった。友達はさながら天然ウナギの漁獲量の如く下落の一途を辿った。

 いや、そんな終わっている私にも優しくしてくれるクラスメイトもいるにはいたのだ。何故か席が近くになることが多かった茶道部の吉水さん、ぽっちゃりだけど持ってきたお菓子を分けてくれた原口さん、二人はよく話しかけてくれた。しかし……。


「私は魔法の適性のない凡愚と会話する気はないので」


 ……本当に、最低だと思う。ああ、二人の苦笑いが頭から離れない。枕に顔を埋めて、そのままベッドに吸い込まれて消えてしまいたい。

 そんなことをしているうちに話しかけてくれる人はいなくなり、殆ど会話することがないまま中学生活を終えたのである。真っ白な卒業アルバムはまさしく私の毎日そのものだった。

 高校に入り、流石に厨二病からは脱却し、私はアルド王国の七列聖という立場から退いた。しかし代償は大きく、あまりにデカすぎる黒歴史は私に他者との交流の仕方を忘れさせたのだ。もうクラスメイトとどう話したらいいかよく分からないし、敬語が全然取れないし、超吃る。私の高校生活お先真っ暗だ。


「はぁ……友達どうやって作るんだっけ」


 私は帰路の河川敷でしゃがみ込んで、深いため息を吐いた。相も変わらずコミュ障で、今日も終礼後逃げるように教室から離れてしまった。

 高校二年に上がり、早くも一週間経ったところであるが、流石のコミュ力でまだ友達〇人だ。というか、新学年になったというのに初日でもうすでにグループができているのはどういう理屈なのだろう。おかしい、私の知らないところで友達作ろう会みたいなのが開かれていたのだろうか。私も呼んでほしかった……。

 本当はすぐに家に帰って現実逃避をしたかったところなのだが、何故か知らないけれど帰り道が軒並み工事中で家まで辿り着けなかったのだ。大回りをする元気も湧いて来ず、とりあえずここで絶望に身を委ねているのだ。


「あ、あのお姉ちゃんしゃがんでるー」

「こ、こら! 見ちゃいけません。見続けてると、陰キャになっちゃうわよ」


 散歩をしていたのかテンプレみたいな会話をして親子がいそいそとその場を後にする。

 なんだ、なんだ、目を逸らすな。見たって陰キャにならねぇよ。あの親子……味噌汁のあさりにやけに砂が残っている呪いをかけてやる。


「私だって……好きでこんなんなわけじゃないんだぞ。くそぉぉ!」


 側にあった小石を握って、怒りに任せて流水へと投げ込んだ。パシャンと水面が弾けて、そのままゆっくりと石ころが川底へと沈んでゆく。


「ん……沈んじゃったな」


 私はもう一度、転がっている手頃な小石を手にした。今度は先程よりも力を軽くして投げてみる。しかし、一度目と同じように小石はただ沈むのみである。


「くそ……」


 今度は連続で、手早く五、六個を投げる。だが、どれも今までと似たような軌道で川に吸い込まれて、そしてポチャンと沈む。


「何だよ……もう」


 なんか、なにも上手くいかない。

 私の人生はいつもこんな感じだ。大抵上手くいかないし、楽しいことなんて何にもない。人に誇れることなんて、せいぜい納豆のフィルムを剥がすのが誰よりも上手いことくらいだ。将来職に困ったら、この技能で生きていこうと思っている。

 はぁ……早く帰って納豆を食べよう。あれを食べている間はフィルム捌きのお陰で自分に自信が持てるのだ。私のような人種にはそういった時間は貴重なので、部屋が納豆臭くなるという欠点は受け入れよう。


「フィルムを剥がそう。そして、かき混ぜよう。納豆なんて、かき混ぜればかき混ぜるだけ美味しいんだから」


「横山さん納豆好きなんだー。私も好きだよ! 横山さんはタレ入れる前に混ぜる派? それとも入れた後に混ぜる?」


「た、タレ入れる前に混ぜて、入れた後混ぜて、後からし入れたまた混ぜる」


「えー、からしも入れるんだ。私、辛いの苦手だから食べられないんだぁ。横山さん大人だねー」


「そ、そんなことない。人それぞれ納豆の食べ方は自由だ──ちょ、ちょっと待って、だ、誰!」


 いつの間にか会話していたが、私はぼっちだ。会話などするわけがない。今日も家族以外と会話していない。……悲しい。

 当たり前のように隣に立っていたのは、女子高生だった。それもただの女子高生ではない、私と同じ制服を着た、リボンの色同じだから私と同じ二年生の、そして私の同じクラスに所属する少女である。

 彼女は首を傾げると、長く伸びた白百合色の美しい髪を靡かせた。


 ──高波宙音。彼女を知らないなんて、普通に考えてあり得ない。クラスの中心、学年の、もしかしたら学校の中心とも呼べるかもしれない。

 誰よりも明るくて、優しくて、そしてその態度は誰に対しても変わらない。クラスの隅っこで寝たフリをしていれば、彼女が多くの友人に囲まれて話しているのが嫌でも聞こえてくる。容姿が整っていていつも笑顔の彼女と、前髪で顔は隠され納豆の匂いを漂わせている私とでは、どちらが陽キャでどちらが卑屈ぼっち陰キャかなんて一目でわかるだろう。

 私だって苦手であっても、嫌いではない。演技とは思えない天真さを見せつけられれば、私だってそう思うしかないのだ。 


 ──そして、その高波宙音が私を見つめ、ぱっちりとした瞳をうるうるとさせている。ど、どうして話しかけてきたんだろう。何が目的、カツアゲ? 私お金ないぞ。というか、なんで泣きそうな顔してるんだ?


「……もしかして私、忘れられてる?」


「わ、忘れてない……です。す、少し、びっくりした……だけ」


「そっかぁ! 良かった、横山さんに忘れられちゃってたらショックだったよ。えへへ、嬉しい!」


 そう言って高波宙音は満面の笑みで私の腕にしがみつく。……いい匂いがする。陰陽は匂いで決まってくるのか? 私も制服に香水かけまくったら陽キャになれるんだろうか。

 というか、


「ち、近い、です。は、離れて」


「おっ、ごめん。……えへへ」


 高波宙音は私から腕を離すと、柔らかに微笑む。

 ズルい。この数十秒、表情から仕草の全てに至るまで全てが可愛い。私が誰かにしがみついたり、えへへなんて笑い方をしたりすれば一発で捕まる。

 そして一番ズルいところは、この一瞬で私が彼女を好きになりかけているということだ。陰キャは単純だから、陽キャ、それも可愛い子がわざわざ話掛けてくれたら、それだけで好きになる厄介な生き物なのだ。

 しかし、高波宙音といえど私と長々と一緒にいたくはないだろう。私だって何を話したらいいか分からないし、正直一人になりたい。ここは適当に会釈をして帰ろう。私は世の中の一般陰キャと違って、空気が読める女だ。


「……じゃあ」


「え! 帰っちゃうの?」


 高波宙音は目を丸くすると、そのまま私の腕を掴んだ。気安く人に触れる子だ。


「え、えっと……か、帰ったら……ダ、ダメなんですか」


「そうじゃないけど……。でも水切りしてたんでしょ?」


「み、見てたん、ですか?」


「誰かが水切りやってるなぁと思ったら横山さんだったから。一緒にやろうと思って!」


「で、でも……私下手なので」


「大丈夫! 私が教えてあげるから。私家系的に水切り得意なんだよ」


 水切りに家系も何もないだろ。


「おじいちゃんは水切りの世界大会で優勝したことがあるし、おじいちゃんのおじいちゃんは自分の投げた石に乗って、川を渡ることもできたらしいよ」


 すご、それは家系だわ。おじいちゃんのおじいちゃん、やってること桃白白じゃん。それは果たして水切りなのだろうか。


「だから私に任せて! ほら、この石跳ねそうだよ。……あ、持ち方がダメだね。こう、石をか回転させる感じで……」


「こ、こうですか?」


「そうそう! 私の真似して投げてみて」


 高波宙音に触れられて、少しドキリとしながらも、投げた石は宙を舞って水面を撫でるように三度跳ねた。


「お、横山さんすごい! 三回もいったよ! どっちがたくさん跳ねるか勝負しようよ!」


 そう笑って子供のようにはしゃぐ姿は愛らしく、そしてそんな彼女の側に自分がいる今に現実とは思えない浮遊感を抱いた。

 ──この人、可愛いな。

 高波宙音は石を投げる。振りかぶった動作に髪が揺れて、小石が一〇、二〇と水面を跳ねた。なるほど……本当に水切りが得意らしい。そんなありきたりな感想と、覗き見る彼女の透き通った肌、そして陽キャへの緊張とこの瞬間への高揚感。

 全て、サラダボウルのように混ぜられて、名前も知らない感情が血流に乗って全身を巡る。私は、学校の陽キャ、その頂点高波宙音と水切りをしているのだ。


「ねぇ、水切り楽しいでしょ!」


「は、はい……そ、そう……ですね」


 高波宙音が私に笑いかける。思えば、高波宙音と話したのは今日が初めてのことだ。私の視線は魔法にかけられたように彼女に吸い込まれていく。

 ──楽しい。

 ふと頭によぎったその言葉が、何だか自分に似合わなくて……それに驚いてしまった。


 結局、水切り対決は私がボコボコにされて終わった。流石に桃白白の玄孫と言うべきだろう。


 *


 ここで、俺は皆に問いたい。この世で最も尊いものは何かと……。それは勿論、満場一致で百合である。百合以外の答えは存在せず、まさしく人類の生み出せる最大の価値こそ百合なのだ。

 俺は橋上から二人を見下ろし頬を紅潮させていた。

 なぁ見てくれよお前ら! 尊いだろ? ぼっち陰キャと友達たくさんクラスの陽キャのやり取り。まさに王道だ。やがて前者は大切だと思える他者の存在に自身の成長を感じ、後者は友達に優劣なんてないはずなのにたった一人を特別に想っていることを自覚していく。分かる? 最高なのよ。その過程を眺めているだけで俺たちは生命力を取り戻し、再び辛い現実の中を生きていけるってわけだ。

 身震いが止まらない。通行人の冷たい目が痛いけれど、どうしようもなく興奮で悶えてしまう。

 はぁ……百合は最高なのだ。


 俺の名前は天野と言う。コウコウ高校に通う、一応高波や横山のクラスメイトである。別に覚えなくていい。この世界において男の名前を覚える必要はない。そんなことに脳の容量を使うくらいであれば、是非とも百合作品を読み漁っていてほしい。

 とはいえ、その百合作品を見ていたつもりなのに、急に男が登場して驚いている人もいるだろう。せっかくのガールミーツガールであったのに不快だという意見もあるやもしれない。安心してほしい。タイトル詐欺ではない。この世界に百合の間に挟まる男は存在しないし、この作品の売りはまさしく百合に他ならない。

 だったら尚更俺が登場してくる理由が分からないって顔してるな? 大丈夫、この世界において俺はただの舞台装置に過ぎない。

 考えてみてほしい。高波と横山がどうして水切りをすることになったのか。まず、普段ならAボタン連打で学校から立ち去り、帰路を猛ダッシュする横山が、河川敷にいた理由からだ。それは、ひとえに帰路が軒並み工事中だったからに他ならない。

 そんなことあるだろうか? 君たち朝は工事の様子なんて全くなかったのに、帰りはどこもかしこも工事みたいな経験したことあるか? それに、通りすがりに赤の他人を陰キャ呼ばわりしてくる親子なんて本当に存在するのか? そのせいで気分を害した横山がちょうど石を投げ始めたタイミングで高波がやって来るなんてタイミングが良過ぎないか?

 ──そう、全ては作戦なのだ。

 工事も、親子も、俺が用意した。河川敷の石は昨夜俺が水切りに向いた形のものに丸ごと入れ替えておいた。高波が水切りをしたくなるようにと考えてのことだ。

 なぁみんな、時代は進んでいるんだぜ。百合はただ愛でるものだと思っているだろ? でも違うんだ。──百合は丁寧に水をやらないと育たないんだ。

 どうして俺が百合のためにそこまでするのか、ここから男の回想が入るので気に食わない人は読み飛ばしてくれ。


 俺は小学生の時大罪を犯した。同じクラスに、ある二人の女の子がいた。一人はツインテールの似合うはつらつとした子で、クラスでも目立つ女の子だった。もう一人は休み時間のたびに図書室に行くようなはっきり言ってあまり印象に残らない女の子だった。

 ある冬の放課後、彼女たちが二人で帰っているところを目撃した。偶然だった。先生に怒られて帰る時間が遅れたから、普段は目にすることのないその光景に出会ったのだ。教室で二人が話しているところなんて見たことがなかったから驚いたのを覚えている。何を話すでもなく、ただ並んで歩いていた。二人は……恋人繋ぎをしていた。

 今なら、分かる。それが如何に尊いことなのか! でも、当時はそれが分からなかった。あろうことか、次の日の教室、クラスメイトの前で俺は二人を揶揄ってしまった。そしてそれ以来、どれだけ経っても二人が一緒に帰ることはなかった。なんでか分からないけれど、胸がひどく痛んだ。……俺は罪人だ。

 そして俺は師匠と出会った。師匠は女子小学生が怪しい輩に襲われないようプライベート見守り活動を行なっているという今考えると普通にヤバい人だった。でも師匠は俺に教えてくれた。

 ──過去はただそこにあるだけで何も答えてはくれない。だからお前自身が答えを出せるように未来を紡いでいくしかない。

 その日から、俺は百合を守っていくことにした。

 

 なので、回想を飛ばした人にもわかりやすく結論だけ言うと……この物語は百合百合しい展開と、それをただ眺めサポートする俺がお送りするということだ。


 以上! プロローグ終了!

 

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