第2話 助けて、伊吹!

 お目当てのシナモンロールを買い込み、帰宅した。

 パン屋でありったけのシナモンロールを買い占める父は、親ばかその物で、瑠香への只ならぬ愛情を垣間見せた。

 やっぱり、父さんは父さんだ。

 働きすぎな上に、ダンジョンなんて物ができて、ストレスでちょっと変になってただけなのかもしれない。


「ただいまー」

 玄関を入ると、パジャマ姿の瑠香がバタバタと走って出迎えた。

「ととー、おかえり」

 すぐさま父に抱き着いた。

「ただいまー、おはよー、瑠香」

 軽々と瑠香を抱きかかえ、高い高いしながらリビングに入った。

 その背中を追いかけるようにして、俺もリビングに入り、パン入りの袋をテーブルに置いた。

 その時だった。


 RRRRRRRR……


 スマホが着信を知らせた。

「ごめん、ちょっと電話」

 スクリーンには見慣れない、登録されていない番号が表示されている。


「誰だろう?」

 そう呟きながら通話をタップした。


「もしもし?」


『もしもし、伊吹!』


「ん? 凛?!」


『ピンポーン! アリアから連絡もらってたんだ。聖剣の調子が悪いらしいじゃん』


「ああ、そうなんだ」

 俺は、家族に会話を聞かれないように、自室へと上がった。


『見てやるから持っておいでよ。って言っても剣は体の中か』


「ああ」


『今日は暇だから一日中手が空いてるんだ。伊吹も学校休みだろ?』


「うん。そうだね。まぁ、剣はどうでもいいちゃいいんだけど、凛に会いに行くよ」


『ふふ、どうでもいいとか言っちゃって。そのうち使わざるを得なくなるんだから。メンテしておこうよ』


「でもなんで暇なの? 富士山麓ダンジョンに行かなくていいの?」


『ああ、うん。僕は北条のチームだからね、北条が断ったみたいでさ。北条、あのパレードの一件以来、全然仕事しないんだ。北条が動かないなら僕たちも動けないよ』


 そうそう、凛は女の子だけど、一人称呼びが『僕』なんだ。

 いわゆる僕っこ。

 俺の5つ上のお姉さんで、子供の頃の夢は魔法使いだったらしい。

 なので、この状況を唯一楽しんでいる人物といえるかもしれない。





 Side—凛


 古びた木造の建物は、鍛冶屋だった曾祖父から受け継いだ物。

 金属と潤滑油、そして木材の香りが入り混じる。昔から変わらないこの工房の匂いを、凛は気に入っている。

 壁にはハンマーやペンチ、ヤスリなどの工具が並ぶ。こちらも曾祖父から譲りうけた物で、凛のお気に入りの道具たちだ。


 部屋の中央にはどっしりとした作業台。

 作りかけの ペンダントや指輪が無造作に置かれている。


 作業台によりかかるようにしてスマホを耳に当てているのは、ポニーテールの小柄な女の子、凛だ。


 スリムなスキニーパンツにオーバーサイズのニットワンピース。大小さまざまなポケットが付いたエプロンという出で立ちで、かつて異世界で一緒に闘った仲間との会話に花を咲かせる。


「じゃあ、待ってるね。現在地送っとくよ」


『ああ、サンキュー』


 伊吹との通話を終え、作業台に乗せたカップを持ち上げた。

 伊吹と話すとなぜか胸が弾む。

 友情を超えた感情がそうさせるのだという事に、凛はまだ気づいていない。

 そっと目を閉じればいつでも、辺境で巨大なモンスター相手にひるむ事なく剣を振るっていた彼の雄姿が蘇る。

 その癖、食糧のイモムシにはいつもひるんでいたっけ。

 そんなかっこ悪い姿も、凛は大好きだった。

 強く優しく温かく。いつでも思いやりに満ちていた勇者。

 これから伊吹に会えるという喜びを落ち着かせようと、すっかり冷めたココアをすすった。

 その時――。

 バンっと工房の扉が開いた。


 伊吹にしては早すぎる。

 アポなしでこの工房を訪れる客などいない。


「誰?」

 そう声を上げながら玄関に目をやると、険しい顔つきの見慣れた男が立っていた。


「北条! どうしたの、突然?」

 北条は勢いに任せて扉を閉めると、ジリジリと凛に歩み寄る。

 只ならぬ雰囲気を纏ったその行為に、凛は滲み出す悪意を読み取った。


 しかし、北条に詰め寄られる覚えなどない。

 北条だって、現世でパーティを組んでいる仲間なのだ

 そういう認識が凛を油断させた。


 北条は凛の手首を掴み、あっという間に作業台にねじ伏せた。

「な、なにするんだよ!」

 ジタバタと暴れてみても、やはり男の力に敵うわけなどない。

「ちょっと聞きたい事があるんだよ」

 絞り出すように、そう言った北条の顔はもはや正義のヒーローからは程遠い。

 呼吸は荒く、目は輝きをなくし、唇はかさついている。

 額には脂汗が滲んでいた。

 この先、自分にヒーローとしての道はないという事を、北条はまだ知らないのだ。

 異世界帰りの勇者を名乗る矢羽への恐怖と、仲間への不信感が、北条を凶行に駆り立てた。


「な、なんだよ。聞きたい事があるなら、ちゃんと話せばいいだろ」


「矢羽伊吹。あいつは何者だ?」


「し、知らないよ、放せ!」


「そう言うと思ったよ。知らないわけないだろ。あの日、俺は見てたんだ。お前たちが親し気に話すところをな」


 そういって、北条は更に凛を掴んでいる手に力を込めた。

 後ろに回されている凛の細い腕には軋むような痛みが走る。


「うっっ……」

 唸り声が静まり返った工房に霧散した。

 その時だ。

 作業台の上に、紫色の透明の液体が零れた。


「はっ、これは……」

 テイムポーションだ。


 北条の指が液体をなぞる。

 指にねっとりと絡んだ液体からは、甘い匂いが漂う。


「やめろー、や、んぐっ」

 無理やり、指先を口にねじ込まれ、凛は次第に脱力していった。


 視界が歪む。

 体がじんわりと熱を持ち始める。

 作業台の上にだらりと体を預けた凛の目は虚ろになり、もはや抵抗する力も気力もなくなっていた。


 北条は、片方の口角を上げると、作業台に凛を仰向けに寝かせた。


「さぁ、しゃべってもらおうか。お前らと矢羽はどんな関係だ?」


 言いながら、ニットの裾をゆっくりと持ち上げる。

 露わになるペールイエローの柔肌に、北条の鼻先が近付いた。


「どうして欲しいか言ってごらん。子猫ちゃん」


「た、たす……けて……い、いぶき……た、たす、けて……」


 徐々に真っ白く染め上げられていく意識の中で、凛は伊吹の名を呼び続けた。

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