第三章 勇者誕生
第1話 バカバカしくも崇高な時代
『こちらは富士山麓です。現在、問題となっている新たなダンジョンの入り口付近にいます。 見てください』
カメラは、緊迫した声の女性リポーターから、真っ赤な炎を上げるダンジョン入口へと視点を変えた。
『ご覧ください! ダンジョン周辺は強い熱波が発生しており、周囲の草木を焼き尽くしています。近隣住人は避難を余儀なくされ――』
その周辺には防護服を着た作業員たちが忙しそうに行き来している。
俺は、その様子を自宅のリビングのテレビで見ていた。
浮羽と別れ話をしたあの日から3日後の朝だ。
あの日から連日、テレビは新たに出現したダンジョンの話題で持ち切りだった。
『ひっきりなしに消防車がサイレンを鳴らしながら、消火に当たっていますが、火は消えてはまた燃えあがりを繰り返しています。防護服に身を包んだ冒険者たちも、この熱風でなかなか先に進めていない様子です』
画面はスタジオに切り替わる。緊迫した面持ちの司会者とアシスタントの女性が映る。
『川本さーん。聞こえますか?』
『はい。川本です。聞こえています』
『モンスターの様子はどうですか? モンスターの姿を見る事はできるでしょうか?』
『いえ、今の所、溶岩ゴーレムの姿は見えません。こちらからは確認できておりません』
震える声を張り上げる女性リポーターは、タイトなスーツにローヒール、頭にヘルメットという舐めた格好でマイクを握りしめている。
テレビはスタジオに切り替わり、いつものワイドショー番組の体を成した。
『本日は冒険者協会の黒崎慎一事務総長をお招きし、富士山麓ダンジョンについてお話を伺います。 黒崎さん、よろしくお願いします』
『よろしくお願いします』
スタジオで、真っ白い長机に横並びに腰掛けた3人が画面に映し出された。
『まず、現場で何が起きているのか簡単にご説明いただけますでしょうか?』
司会者がカンペを読みながら話を進める。
『はい。えー。これまでですね、ダンジョン内のモンスターと言うのは割と深層部に生息していたわけなんですね。ダンジョンから外に出て来るなんて事もなかったわけですが、今回の富士山麓ダンジョンは、これまでのダンジョンとは大きく異なり、極めて浅い階層に溶岩ゴーレムのようなAランクのモンスターが生息していて、外に出て来て悪さをしているといった状況なんですね』
『これまで、モンスターがダンジョンから出て来るという危機は、なかったわけですよね?』
『ええ。これまではなかったのですが、ここ数日……』
黒崎は滲み出る額の汗をハンカチで拭った。
『モンスターがダンジョンから出て来たという事故は2件ほどありましたが、大きな被害には及んでおりません……よね?』
司会者が誘導するように、黒崎にそう訊ねた。
『ええ、ええ。これまでは死傷者がでるような事故はなかったのですが、今回はですね、既に10人の死傷者がでており、国の方でもですね、早急に対策本部を設け、対処している所です』
『具体的にはどのような対策をされてるのでしょうか?』
『具体的な対策といたしましては、まず、冒険者協会と政府が連携し、現場での指揮を執る専門チームを設置しております。 また、現在はAランク以上の冒険者に優先的に依頼を出し、ダンジョン内部の調査とモンスターの討伐を進めておるのですが……』
黒崎は再び額を拭った。
『富士山麓ダンジョンはですね、これまでに類を見ない特殊な性質を持っています。Aランクのモンスターが浅い階層に存在しているだけでなく、内部環境が非常に高温でその上狭い。相当過酷な環境でして、防護服や専用装備なしでは探索すら困難な状況です。 そのため、討伐はもちろん、調査も難航しているというわけです』
『なるほど。ダンジョン内部から火が噴き出している状態ですから、内部の探索はかなり危険を伴っているというわけですね』
『その通りです。モンスターを一刻も早く駆除しなければ、事態は収束しません』
『という事はやはり、上級の冒険者が不可欠という事ですね?』
『そうです。現在、参加しているチームも非常に優秀ですが、ダンジョンの特殊性と溶岩ゴーレムの手ごわさを考えると、より経験豊富で強力な冒険者の力が必要という事になりま』
パチっとテレビが消えた。
「父さん……な、なんで消したの?」
「出かけるぞ」
父は立ち上がり、ジャンパーを羽織った。
「出かける? どこに?」
「駅前のパン屋さんだ。瑠香にシナモンロールを頼まれていた。お前も付いて来い。たまには一緒に出掛けよう」
瑠香はまだ起きて来ていない。
今日は保育園もお休みだ。
「いいけど、出かけて大丈夫なの? 不要不急の外出は避けるようにって注意喚起されてただろ」
「構うもんか。こんな事で休むのは公立の小中高ぐらいだ。どこの商店街も通常運転だよ」
確かに、テレビほど街は緊迫していない。
何かあっては大変だからと、責任を逃れたい学校だけが休校扱いだ。
「あら、お父さん、出かけるの?」
キッチンから母が声をかけた。
「ああ、パン屋さんに行ってくるよ」
「じゃあ、ついでに卵も買って来てくれない?」
「ああ、わかった」
今日は両親とも仕事が休みなのだ。
結婚してからずっと、この日だけは二人とも示して合わせて休みにしているらしい。
そんな両親は、本当に仲がいいのだと思う。
けんかをしている所を、未だかつて見た事がない。
スニーカーに雑に足を突っ込んで、父と二人玄関を出た。
「ねぇ、父さん。父さんはどう思う?」
「なにがだ?」
「日本にダンジョンなんて物が出来てさー、おかしな話だと思わない?」
俺は、冗談みたいに笑いながらそう父に訊ねた。
「ああ、思うさ。こんなバカバカしくも崇高な時代が来るなんて」
「崇高?」
俺は父の背中を見ながら立ち止まった。
気のせいだろうか?
崇高というワードが、なんだかチグハグで、背筋に冷たい物を感じた。
「どこが崇高なの?」
父は前を向いたまま立ち止まる。
おもむろに振り返って
「ふふ。崇高じゃないか。これこそ新たな神が誕生する時代だ」
「神? 神って何?」
「神とは、天秤を揺らす者だよ。神だけが、未来を選べるんだよ」
と、目を細め、再び前を向いて歩きだした。
「え?」
俺は父に対していつも抱いていた絶対的な信頼と安心感を、その背中に見出す事が出来ずにいた。
父は、哲学的な事をよく口にする人ではあった。
しかし、その哲学は、いつも不器用ながら、優しさと幸せに満ちていたはずだ。
この3年の間に、一体、父に何があったのだろうか?
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