第8話 燃え尽きた紅炎剣

 ヴェノムスライムがぴょんぴょんと跳ねながらこちらに向かってきた。丸っこいカラフルな外見とは裏腹に、攻撃的な表情でランダムに動く。

 しかし、読めるぞ、この動き。

 ぎゅっとグリップを握り直し、俺の背丈ほど跳躍したスライムの下方向からタイミングを合わせて剣を振り上げる。

 そう、飛んだら必ず着地する。

 飛ぶ方向の予想は困難だが着地は必ず垂直だ。

 それを狙って、剣から噴き出す炎で確実に焼く!

 剣身が毒々しい球体を捉える度にジュッ、ジュウ……

 と音を立て、異様な匂いを放ちながら、次々に消滅していく。

 そうしているうちにも何匹ものヴェノムスライムが襲い掛かる。

 それらを交わしながら、下から上と剣を振るう。

 毒もろとも焼き尽くす。

 楽勝だ。

「後、一匹!」

 そう叫んだ時だった。

 剣から伝わる熱がスッと消えた。

「え?」

 見ると剣の炎が消えている。

 ギラついた鉛が陽光を受けて、鈍い光を放っているだけだ。

「嘘だろう……」

 糸と瑠香を囲んだ炎の結界も消滅した。

 瑠香を両腕で庇うよう抱きしめている糸が視界に映った。


「紅炎を纏え! 全てを焼き尽くす炎よ、覚醒せよ! 覚醒せよ!!!」

 そう叫んでみても、炎は復活しない。なぜだ? 異世界ではこんな事はなかった。

「伊吹……」

 糸がそう俺を呼んだ時だった。

 残り一匹が糸に向かって飛び上がった。

「危ない!」

 その前に立ちはだかり、剣を構えたが、ヴェノムスライムは俺の胸に体当たりした。

「うっ」

 衝撃は大した事ない。

「こっちだ、毒虫」

 俺は挑発しながら水場の方に走った。

 糸と瑠香から、ヤツを遠ざけるためだ。

 すごい勢いで追いかけて来る。

 噴水の前で立ち止まりヤツの正面に向き直る。眼前に迫るヴェノムスライム。

 剣身を横に構えて、一閃。

 ぬぷりという感触と同時に、ズサっと音を立て、噴水の中に落下した。

「キューーーーーーーー」と声を上げ、水面に浮遊しながら動かなくなった。


 しかし、切った瞬間に飛散した毒を、もろに顔に受けてしまった。

 刺激的な薬品のような匂い。

 じりじりと皮膚を焼くような刺激。


 すぐ傍にあった手洗い場に行き、頭から水を被って毒を洗い流すがもう遅い。

 粘性の液体は顔に絡みつき、なかなか流れない。

 ひりつく皮膚に連動して、体中の節々が痺れて来る。


「伊吹! 大丈夫?」

 糸が駆け寄って来た。

 そちらに顔を上げる事ができない。

「触るな!」

「ヒィ……」

「毒に冒されてる。俺に触るな。まだ毒効が残ってる。移るかもしれない」

「大丈夫?」

「ああ。俺は大丈夫だ。悪いけど、瑠香を連れて帰っててくれ」

 言いながら、俺の膝はもう立っているのがやっとだった。毒が体中に回り始めている。

「ダメよ。救急車を呼ぶわ」

「ダメだ! 二次被害が起こる可能性がある。だから……たの、む。る……瑠香を……」

 呼吸が苦しい。喉の粘膜が腫れて軌道を圧迫してくるのがわかる。

「わかった……、ちゃんと、生きて帰って来ないと、許さないんだからっ!」

 糸は泣きそうな声でそう言った。

「おにぃ……」

「大丈夫よ。おにいは強いんだから、きっと大丈夫」

 瑠香の心細そうな声と、糸の今にも泣きそうな震える声がフェイドアウトしたのを確認して、地面に膝を沈めた。


 聖剣を胸に収め、スマホをポケットから手繰り寄せる。

 アリアの連絡先を呼出し、電話をかけた。

 数回のコールの後

『もしもし?』

 と、不思議そうなアリアの声が聞こえた。


「あ、わ、悪いな、ハァハァ、ちょっと……教えて、欲しいんだけど 」

 水道からの水で顔を洗いながら、アリアの応答を待つ。


『伊吹? どうしたのですか?』


「なんでも、ない。ヴェノムスライムの毒って、解毒までどれぐらいだっけ?」


『ヴェノムスライムですか? 個人差がありますが、伊吹の体力だと解毒までは1週間ほどではないでしょうか? ヴェノムスライムに、やられたのですね?』


「たまたまハァハァ」

 じりじりと痛みが強くなり、視界が歪み始める。


「子供広場で、ウクッ、遭遇、して、しまって」

 骨が軋みながら、砕けるような激痛に変わった。


「ンアーーーーーーーーー!!!!」

 激しい痛みに、俺は思わず声を上げた。

 スマホがするりと手から抜け落ち、同時に、俺の意識も、落ちた。



 気が付いたら、ふかふかのベッドの中にいて、ガタガタ震えていた。

 額や、首、脇、、鼠径部がやたら冷たい。

 見ると、各リンパに湿布のような物が貼ってある。

 視線の先には、キッチンに立つ水色の髪。

「アリア?」

「伊吹! 気が付いたのですね?」

 振り返ったと同時に、アリアがベッドの傍に膝を付いた。


「俺は、意識を失っていたのか?」

 白いカーテンから差し込む日差しはもう赤みを帯びていて、日没を知らせていた。


「ここは、私の部屋です」

 マンションの一室を思わせる1Kは、シンプルながら洗練されたインテリアで装飾されている。

 ひと際目を引くのは、壁際に並べられている色とりどりの石。まるで宝石の原石のように歪で不思議な光を放っていた。


「ヴェノムスライムの毒は、強いアルコールでふき取ると無毒化します。体内に入った毒は5時間から6時間がピーク。その後は徐々に回復へと向かいますが、完全に抜けるには数日かかると思います」


 アリアは熱を確認するかのように、俺の頬に手の甲を当てた。

 ひんやりと氷のように冷たく感じるのは、恐らく俺が高熱を出しているからだ。


「シェディングは?」


「安心してください。シェディングの心配はありません」


「よかった」

 シェディングというのは、体内に存在する毒が周囲の人に移る現象の事だ。

 俺は、ベッドから起き上がろうと上体を持ち上げた。

 途端、ズンと頭に鈍痛が走る。


「まだ、動けないと思います。せめて明日の朝までここで様子を見させてください」


「でも、迷惑じゃ……」


「どうして迷惑なのですか? 仲間ではないですか! どこにいても、伊吹は私の大切な仲間です。あなたは最強の勇者ですが無敵ではありません。生身の人間です。どうか、無茶しないでください」


 アリアはそう言って、唇を震わせた。


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