第3話 ダンジョンブレイク

「はーい、いちごクレープお待たせしましたー」

 ようやく俺たちの番が回って来て、お目当てのクレープを手にした瑠香はご満悦の様子だ。

「よかったね、瑠香ちゃん。あっちで食べよう」

 糸が噴水の前のベンチを指さした。

 その時だ。


「グルルルルルゥ……」

 突如、不穏な音が耳に流れ込んだ。

 異世界で培った判断力と、不運ゆえに備わった警戒心で俺は異常事態を察した。モンスターだ。この喉を鳴らすような声は、蛇竜属。蛇型のモンスターがこの会場のどこかにいる。

「糸」

「ん? なに?」

「青梅三原ダンジョンの内部構造わかるか?」

 学校では、ダンジョン学やモンスター生態学なんていう授業が行われている。通学カバンに教科書が入っていた。高校の必修になっているはずだ。

「え? うん。1層が森林ゾーン、2層が洞窟ゾーン、えっと、それから……」

「オッケー、わかった」

 シャドウスネイク、Cランクだ。


「きゃああーーーーーーー」

 人の悲鳴はステージの方から聴こえた。

 そちらに目をやると、特設ステージの裏から、真っ黒い影のような巨体が姿を現す。

「やっぱり」

「きゃーー、なに、あれ!」

 糸が俺に抱き着いた。

「おにぃ、こわいーー」

「大丈夫だ。糸、瑠香を頼む。家に連れて帰ってくれ」

「わかった。伊吹は?」

「俺は後から帰る」

 そんな会話をしている間にも、会場は逃げ惑う人達で大混乱。両脇に子供抱えて血相を変えて走る母親。躓きながら手を取り合い逃げ惑う老夫婦。泣き叫ぶ子供。

 まるで世紀末だ。

「急げ、糸。二次災害に巻き込まれる」

「わかった」

「あ、ちょっと待て!」

「何?」

「今までに、モンスターが地上に出て来た事はあったか?」

「ううん。ないわ」


 ――これは、もしや……


「わかった。瑠香を連れて、急いでくれ」

「う、うん……」


 全長およそ5メートルほどのシャドウスネイクがてらてらとウロコをくねらせてその全容を現した。


 ファーーーーーーーンとサイレンが鳴り響き、異常事態を知らせる。


「全員急いで避難しろ! ダンジョンブレイクだ!」

 マイクからの叫び声は、パリピ社長だ。ステージの上でおろおろする司会者を押しのけてマイクで叫んでいる。 

「早く、非難しろー!」

 やはり、ダンジョンブレイク。

 森林ゾーンの小型モンスターを捕食しきったシャドウスネイクが、食べ物を探して地上に出てきたのだ。

 人の手が入ったことで、ダンジョン内部の生態系が壊れ始めている。


 シャドウスネイクはまるで瞬間移動しているかのようなスピードで会場を移動し、フロート車やステージ周辺を破壊していく。


 北条は剣を抜いて構えるものの、シャドウスネイクの素早い動きに翻弄されている様子。

 シャドウスネイクは、北条に狙いを定めたようで、間合いを取りながらじりじりと近づく。

 剣を持つ手はプルプルと震え、カチャカチャカチャという音がこちらまで聴こえて来る。

 仲間達は、後ずさりながらそれぞれの持ち場に付く。


 凛はおもむろに、首から下げていたネックレスを脱いだ。

 アリアが「目よ! 目を狙って」

 と叫んだ瞬間、シャドウスネイクはアリアに飛び掛かった。

「危ない!」

 大きな口を開けてアリアに迫るシャドウスネイク。

 凄い速さで襲い掛かった。

 刹那。

 凛が投げたネックレスが見事、ヤツの頭に引っかかり、「ギギギギーーーーィ」と悲鳴を上げながら巨体をくねらせる。すぐに態勢を整えると、ターゲットが凛に変わる。

 じりじりと後ずさりをしながらシャドウスネイクと対峙する凛。

 長い舌が今にも凛の鼻先を掠めそうだ。

 パリピ社長が慣れた所作で腰から短剣を抜いた。


「シャーーーーー!!!」

 危険を察知して威嚇するシャドウスネイク。

 短剣では無理だ。群衆の前で皆、魔法を使う事ができないのだ。

 かと言って、適正を持っていない俺が戦うわけにはいかない。

「うりゃーーーーーーー!!」

 俺は大声を上げながらステージに向かって疾駆した。

「シャーーーー!」

 計算通り、シャドウスネイクは俺に向かって威嚇を始めた。

「ほらほら、こっちだよ、蛇さん」

 挑発しながらヤツをおびき寄せる。

 すごいスピードで追いかけて来る。

 掴まったら瞬殺だ。木の陰に、フロート車の残骸に、障害物を見つけてはすばしっこく回り込みヤツを翻弄させる。

「シャーーッ!」

 目の前でヤツの牙がむき出しになり、俺は動きを封じ込められた。黒い舌がこちらに伸びる。

 バシっと音を立て、尾が俺の胴体に命中した。

「うぐっ」

 腰を中心に胴体を上下真っ二つに砕かれたような衝撃と共に、コンクリートに叩きつけられた。

「ううーーっ」

 しかし、シャドウスネイクの弱点なら知り尽くしている。

 俺は胸に手を当てて聖剣を吸い寄せる。

「ブレイブソード!」

 手にした剣を太陽に向かって掲げた。

「キュィーーーー」

 シャドウスネイクの悲鳴が聞こえた。


「パリピ社長ー! 今だ!!」

 俺は叫んだ。


 剣身に反射した陽光が、見事シャドウスネイクの目を眩ませたのだ。

「喉よ! 喉を狙って!」

 アリアの声が響いた。

「任せとけ!」

 パリピ社長は短剣を逆手に持ち、高くジャンプし、シャドウスネイクの喉元目がけて振り下ろした。

 剣先は見事にシャドウスネイクの喉元を捉え、深々と突き刺さる。

 モンスターは苦しそうに激しく体をよじらせた。


「ウギギギギギギーーー!!!」

 不気味な悲鳴が会場全体に響き渡る。

 巨体が暴れ回るたびに、地面が震え地響きが起こる。

 しかし、その動きは徐々に弱くなり「シャーーーーーーーーーーーーー」と、首をもたげ、喉からドロドロと赤黒い血を流し、最後に大きなうねりを残して沈黙した。

 俺は、聖剣を胸に収めた。


「伊吹く~ん! こんな所で会うなんて、奇遇じゃない」

 真っ白いスーツを返り血で赤黒く汚したパリピ社長は、嬉しそうに俺の肩に手を回した。

「お久しぶりです」

 モンスターの生臭い血の匂いが鼻先を擦った。

 北条は未だ震えながら、きょとんとしている。

「伊吹! 助かったよ、ありがとう」

 凛がネックレスを胸に戻しながら笑顔を見せた。

「ああ、たまたま通りかかって」

「アリアに聞いてたんだ。伊吹の事。たまたま同じ学校だったって」

「そっか」

 凛は賢そうな童顔に安堵の笑みを湛えた。

「伊吹。怪我をしてますね。手当しなくては」

 アリアが血のにじむ俺の肘を掴んだ。

「大丈夫だよ、これぐらい。転んだだけだ。すぐ直る」

「ついに、ダンジョンブレイクの始まりだな」

 パリピ社長は眉を潜めながらそう言った。

「みたいですね」

 そんな風に返した。

「伊吹がいなかったら、死人が出ていました」

 アリアはそう言って、北条を睨みつけた。


「お、お前ら……一体……」


 北条は俺たちに視線を行ったり来たりさせ、剣を構えたまま未だ青い顔をしている。

「や、矢羽! お前、一体なんなんだよ」


 聖剣とか、融合魔法見られちゃったかな? まぁいいや。

「ふふ、そのうち教えてやるよ。それより、もう大丈夫だから、そのお飾りの剣しまいなよ」

「う、うるさい」


「じゃあ、俺は、妹の子守り中なんで、これで」

 そう言って、みんなに手を挙げた。


「伊吹君! 早くこっちに来いよ。また一緒に闘おうよ」

 パリピ社長がそう言って俺を呼び留めた。


「正気ですか? 俺、適正なしっすよ、ハハ」

「Cランクのモンスターにビビりあがって何もできないヤツがSランクになるぐらいだ。問題ないだろ」

「ぶはっ!」

 やはりパリピ社長も、北条をよく思ってないんだな。他のメンバーもきっと同じだ。凛も社長の隣でうんうんと頷いている。

「戦いはもうダンジョン内だけでは収まらない。地上にモンスターが跋扈する時代が、もうそこまで来てる」

 俺はそのパリピ社長の言葉を背中で聴いた。

 振り返って、もう一度会釈してその場を去った。


 嬉しかったけれど、今の俺に、現世でモンスターを狩る意味はない。

 大切なものが守れれば、俺はそれでいい。


 それに、俺が狩りたいのは北条ただ一人。

 親の威を狩り、職権を乱用し、女の子の尊厳を踏みにじり、おもちゃにしたアイツだけは絶対に許さない。

 その化けの皮は、俺が必ず剥がしてやる。


 俺たち以外誰もいなくなった特設会場を、俺は1人去った。

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