第2話 さよなら異世界

 咄嗟の出来事に、俺はぎゅっと目を瞑って踵を返した。

 その場に突撃してヤツをぶっ飛ばすなんて気概は俺にはなかった。

 相手はバスケ部のキャプテンを務める陽キャだし。

 痛々しく悲鳴を上げる胸をぐっと抑えて踵を返した。


 家まで全力で走っている最中に、幼馴染の斉藤いととぶつかって――。

 目の前にはスカートの裾を直しながら、俺をディスる糸の姿があった。


『いったぁい。伊吹じゃない。ちょっとどこ見てんのよ! スケベ! バカ! 能無し! 今、スカートの中見たでしょ! 彼女持ちのくせに!! あたしのパンツ見たでしょー! 』


 ――見えなかった。

 ラッキースケベなんて幸運は、俺には訪れない。


 あのタイミングで寄りに寄って、糸と遭遇して吹っ飛ばしてしまうなんて、俺はつくづくどこまでも付いてない。

 糸はいつも俺を見ればなぜかイライラした様子で突っかかってくる。

 クズだとかのろまだとか鈍いだとか。

 ありとあらゆる罵詈雑言を投げつけてくる。

 俺の都合など、お構いなしだ。

 いくら幼馴染だからって、酷いだろ?


『いつも言ってるでしょー、ちゃんと前見て歩いて、あたしの存在には半径100メートル以内で気付けって!!』


 そのセリフを聞いたところで、ここへ召喚されたんだ。

 失恋からの罵詈雑言……。


 あの時の痛々しい感情が沸々と思い出され、ぶんぶんと頭を振った。

 

 こっちに来てからは、毎日が過酷過ぎて、半ばどうでもよくなっていたけれど。

 元の世界に戻ったら、あれも込みで続きからの暮らしが始まるのかと思ったら、急に憂鬱が押し寄せ、胸が苦しくなる。

 糸の事はともかく、問題は浮羽と北条だ。


「なんか、人の人生を狂わせるようなスキルってありますか?」


「ふむ、なかなか性格終わってますね」


「うるせー」

 北条と浮羽の幸せなんて見たくないんだ。


「まぁ、謝礼なのでいいでしょう。使用する際は十分気を付けてください」


 女神はそう言って、何やらぶつぶつと詠唱を唱えた。


 ずんと体の奥に熱い鉛が落ちたような感覚。


「フラグクラッシュを与えました」


「フラグクラッシュ?」


「はい、これがあれば物語はもうあなたの意のまま。しかし、壊す事しかできないので注意してください」


 胸元に手を置くと、呪符が吸い寄せられた。これは、融合魔法。勇者の称号を与えられた者だけが持つ、特別な魔法だ。


「え? 三枚だけ?」


「はい、曲がりなりにも人の人生を変えてしまう魔法なので、地球上では妥当かと」


「はぁ」

 よくわからないが、フラグクラッシュって事はつまり、フラグを壊す事ができるって事か。

「恋愛や死なんかを回避できるって事?」

「その通りです!」


 使えるか? それ。

 安藤と北条はもう、フラグ回収済みだしな。ラブホに二人で入った時点で今さらだよな。


「恋愛や死に限らず、ありとあらゆるフラグを壊す事ができるという悪魔のスキルです。但し、目の前の事に限りますけども」


「よくわかんないけど、まぁ、とりあえず、もらっておきます」


「フラグが立った時、呪符が振動して発光します」


 スマホみたいだな。


「使うか使わないかはあなた次第です!」


「都市伝説みたいだなっ!」


「それでは、お別れの時間です」


 女神がさらっと俺の突っ込みを無視して、そう言った直後、強い光に包まれた。


「あの!」

 女神が何かを思い出したかのように、顔を上げた。


「え? なに?」


「わたくしの事、忘れないでくださいね。困った事があったらいつでも呼んでください」


「え? どうやって」


「北北西の空に向かって、魔法陣を描きながら私の名前を叫んでください」


「描けるか―!!! 運もなければ、絵心も皆無だ。ふざけんな! マジで」


「えへっ」

 女神はペロっと舌を出す。

「えへっ、じゃねぇよ。それに、名前なんてあったのかよ」


「はい。私の名前は……ア、アストリアです」


 なぜにはにかむ?


「アストリア……。魔法陣は描けないけど、君の名前は覚えておくよ」


「はい」

 アストリアは顔を真っ赤にして体を左右に揺らした。


「では、寂しいですがお別れの時間です」


 そう言って、金色に輝くまつ毛を伏せた。


「天と地の狭間に在るすべての力よ――――」


 アストリアの詠唱がいきり立った岩山に反響して響き渡る。


「2024年11月29日の地球へ。の者を元の世界へ。導きたまえ」


 突如、強い力に引っぱられるような感覚が襲う。

 直後。目の前がぐるんぐるんと廻旋し始めた。


「うううわぁぁぁぁぁぁぁあああああああ」


 目の前にはでっかい月が迫って来る。

 今にもぶつかりそうで思わず目を瞑った。


 引力で体がバラバラになりそうだ。


 ――懐かしい。確か、こんな感じでここへ召喚されたんだ。嗚呼、やっと帰れるーーーーー!!!


 しかし、にわかに心配になる。

 ちゃんと元の世界に還れるのだろうか?


 何しろ俺の運の悪さは、神に見放されたレベル。


 おみくじは『大凶』しか引いた事がない。

 誕生日は4年に1度しか訪れない、うるう年の2月29日!

 勇者として召喚された異世界は、美女で溢れる中世の西洋風でも、ほんわかモフモフ系でもなく、魑魅魍魎が跋扈する闇に包まれた辺境。

 おまけに担当の女神はポンコツ!!


 人は俺をこう呼ぶ。


『この世で一番、運の悪い男』


 うわぁぁぁぁぁぁぁあああああーーーーーー――――――。



 ドンッ!!!!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大凶勇者帰還~現世で魔王討伐~ 神楽耶 夏輝 @mashironatsume

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画