第3話 人生なにがあるかわからない
ドンッ!
という音と衝撃。同時に尾骶骨と腰にかけて、激痛が走る。
「いってー!」
「いったぁい。伊吹じゃない。ちょっとどこ見て歩いてんのよ! 今、スカートの中見たでしょ! あたしのパンツ見たでしょー!」
頬を真っ赤に染めながら、ふくれっ面でスカートの裾をぎゅっと押さえつける
あ、そっか。ここからか。
どっこらしょと立ち上がり、パンパンと服に着いた埃を払う。
「ごめんごめん。悪かったよ。ちょっと急いでて」
尻もちを付いたままの
「大丈夫か?」
「へ? ふ、ふんっ!」
糸は更にぷくぅと頬を膨らませて、フンっと顔を反らす。頬は夕焼けみたいに赤く、目はこちらの様子をチラチラと伺うように泳いでいる。
そして、差し伸べた手は握らないらしい。
糸はいつもこんな感じだ。懐かしい~。
「ん? 立てるか? 怪我は?」
「け、怪我なんか、するわけないでしょ。あんたみたいなガリヒョロにぶつかったぐらいで」
ガリヒョロね……。
確かに、あの頃の俺にはその表現がピッタリだ。
「ぷぷっ」
思わず笑ってしまった。
「何笑ってるのよ! 気持ち悪い!」
「ごめんごめん」
二の腕を触ってみる。
ガッチガッチのムッキムッキだ。
身なりは、元のパーカーとジーンズに変わってるが、体は元には戻らないみたいだな。
異世界で鍛え抜いた体のままか。
「あんたなんかに、助けてもらわなくたって……」
「そっか。じゃあな」
軽く手を上げて
「もう遅いから気を付けて帰れよ」
未だ尻もちをついた状態の糸の横を通り過ぎ、自宅へ向かう。
3年ぶりの我が家だ。
とにかく、早く湯船に浸かりたい。
「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ!」
「ふぇ? なに?」
「もう! そういう所よ、そういう所!! イテテテ……、相変わらず鈍いんだから!」
「よいしょ!」
俺は背後から、糸をひょいと持ち上げて立ち上がらせた。
子猫を拾い上げたぐらいの力で持ち上がった。
「へっ?」
服についた埃をパタパタと払ってやり、顔を覗き込む。
「大丈夫? 家まで送ろうか?」
と言っても、糸の家は俺んちの隣。
つまりここは、糸と俺の自宅前だ。
右手には広大な田んぼ。その向こうには、天高くそびえる富士山が間近に見える。
「お、お詫びに……おんぶして、家まで連れて行きなさいよ!」
「え? おんぶ? お詫び? わかったよ」
俺は糸の前にしゃがんだ。
「ん? どうした? 早く乗れよ」
「あ、あの、い、いや、その……」
「ん? なに?」
「お、おしり、触らないでよね!」
「ヘイヘイ」
じんわりと背中を覆う柔らかい感触。
久しぶりに感じる人の温もりにじーんと目頭が熱くなる。
決して小さくはない糸のおっぱいが、背中でむにゅむにゅんと揺れている。
その感触に、俺は感動していた。
しかし、ふと1ヶ月ほど風呂らしい風呂には入っていない事を思い出した。
大丈夫かな?
「俺、臭くない?」
「はぁ? バカ! 何言ってるのよ。に、匂いなんか、嗅ぐわけ……ないじゃない」
「そっか。じゃあ良かった」
それにしても糸は小柄な方だが、赤子ほどもないぐらいに軽い。
それだけ、俺の力が強くなってるって事だな。
「あれ? な、なんか、いつの間にか……大きくなってる気が……」
糸が俺の肩を撫でる。
「そっか? 気のせいだろ。ほれ、着いたぞ」
玄関前で糸を背中から降ろした。
「こ、これは、お詫びなんだから、お礼なんて言わないんだから」
糸は、手を口元に当てて、頬を赤く染め、またそっぽを向いた。
「ああ、お礼なんて別にいいよ。じゃあな」
「ちょっと待ちなさいよ!」
「え? まだなにかあんの……」
言いかけて、胸元がブルルと振動してるのに気づく。
――フラグ?
しかも、パトランプ並みに、赤く派手に点滅している。
これってもしかして何かのフラグなのか?
なんだろう?
「い、伊吹……胸が……光ってる……」
「あ、ああ」
それにしても、派手に光るな。
「な、なんだろうな? これ……ハハ」
どうやって胡麻化せばいい?
しかし、一体、何のフラグだろう?
試しに使ってみるか?
いや、やめとこう。呪符は3枚しかないからな。
「じゃあな。また明日!」
目を、まん丸くしている糸にそそくさと背を向けて、逃げるようにその場を去った。自宅の門をくぐると、呪符の点滅は終わった。
「あー! ついに帰ってきたぞー!」
俺は両手を天に突き上げて大きく伸びをした。
築40年、The日本の家屋みたいな我が家。まさに3年ぶりの帰還だ。
因みに、父は3年前に不慮の事故で死んだ。
この家は父の遺産というか、形見というか。
唯一、家族に残してくれた全財産だ。
父が亡くなってからというもの、貧しい暮らしを強いられながら、母と妹と3人で、この家を守るように細々と暮らしてきた。
「ただいま」
玄関を入ると、誰もいない。
時刻は、現在、夜の8時ごろのはずだ。
「こんな時間に誰もいないのか。珍しい」
一人ごちながらキッチンを通過して二階に上がる。
次々に映し出される現実世界は、いやでもあの光景を脳内に浮かび上がらせる。
安藤が北条と、仲良さげに肩を寄せ合いながら、下品なネオンの中に消えていく姿……
可愛い顔して笑ってたっけ。
「くそっ!」
自室に入り、胸に手を当て聖剣を手繰り寄せる。
「融合魔法は、そのまま使えるんだな」
体内に確かに感じる剣と盾、そして呪符の存在。
手に吸い寄せられた剣を、月あかりにかざしてみる。
この聖剣は迷宮の最深部でドラゴンを倒した時に、精霊から力を授けられた。
これで、俺は魔王を討ったのだ。時の呪いを粉砕しとどめを刺した。
それなのに、現世での俺はなんてザマだ。やっとできた彼女を守る事さえできなかった。
けど、情けないなんて思うのはもうよそう。誰にも知られなくても、俺は魔王を倒した。異世界で最強の勇者だったんだ。
その栄光だけで、これからの人生、生きて行けるさ。
あんなに、ギラギラと輝いていた剣身はもう鉛色になり、ただの鉄の塊のようだ。それは、もう俺が勇者ではないと教えている。
聖剣は、精霊の力を失っているようだった。
浮羽の事はもう忘れよう。俺にとったらもう3年という月日が流れていた。
異世界での暮らしの中で、失恋の痛みはだいぶ薄れている。
もう考えない事にしよう。
剣を胸に添え、体と融合させる。
風呂にでも入ろう。熱いシャワーでも浴びて、湯船に浸かって、シャンプーで髪を洗おう。まさに3年ぶりの贅沢だ。
階段を降りて再びキッチンへ。
ふと、テーブルの上の新聞が、視界に映り込んだ。
なんだか何もかもが懐かしく、思わず手に取った。
「へ? なっ!? はああっ????」
思わず素っ頓狂な声が出た。
何故なら、その一面にはこう書かれていたからだ。
『世界初!! S級冒険者誕生! 世界初の冒険者は日本の高校2年生(17歳)』
しかも、そこにはガッツポーズを決めている北条篤弘の精悍な笑顔がデカデカと!
「なになに?? 日本にダンジョンが出現してから3年……ちょっと待てー! 日本にダンジョンだと? しかも北条がS級だとぉぉぉおおーーー!!!」
フェイクニュースか?
いや、いつもの真面目な地方新聞だ。
衝撃過ぎて、その後の記事の内容はあまり入って来そうにないが、こう書かれている。
「数々の冒険者たちが命をかけて挑戦し、数多くの成功と失敗が繰り返されてきたが、ついにその中で頂点に立つ存在、初のS級冒険者が誕生した。その名は北条篤弘君、日本の高校生だ。
篤弘君は高校生活を送りながら、ダンジョン探索に挑んでいた一人。彼の類まれなる才能と努力が認められ、冒険者協会より最高ランクである「S級」の認定を――」
バサっと新聞が足元に落ちた。
俺は再び二階に駆けあがり、窓を開けた。
目に飛び込んで来るのは、隅から隅まで見慣れていた風景だ。
あの時と寸分違わない、日本の景色。
「ここは、地球だよな? 日本だよな? 俺んちだよな?」
俺はついに頭がおかしくなったのか?
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