第4話 家族

「おにぃ! あさよ。おきてるのかしら?」

 5歳の妹、瑠香るかの甲高い声が、ドアの向こうで響いた。

 

「起きてる」

 って言うか、一睡もできなかった。母と瑠香が帰って来たのにも気づかずにいた。


「ご、は、んっ!」

 バン! という音と共にドアが開いた。


「まいにちまいにちー、ルカにおこされなきゃ、おきれないのかしら? もうこうこう2ねんせいでしょ! ルカのみにもなってほしいのかしら!」

 舌っ足らずで生意気で、おかしな口調。

 ツインテールに結わいた長いふわふわの髪を揺らしながら、足を踏み鳴らしている。


 く~~~~~~っ、愛しき妹よー。可愛い!

 今すぐ抱きしめて頬をスリスリしたいが、この頃は確か……『キモ~い』とか言って嫌がるのだ。

 5歳といえど、女子なのである。


「はいはい、顔洗ったら行くよ」


 現状は、ネットで調べて、大方把握した。

 どうやら、日本国内およそ50カ所にダンジョンが出現したらしい。

 しかも、3年も前に。

 俺が、あちらの世界に召喚される前は、もちろんそんなのは創作の世界だけの話だった。

 ダンジョンと言う物が何を意味するのかは、もちろん知っている。

 俺が知っているここ数年の日本は、壊滅的な経済危機に陥っていた。

 原材料の高騰に伴い、物価は上昇。

 深刻なエネルギー危機に直面していたはず。

 

 だが、この日本は違う。

 3年前にダンジョンが現れてから、状況は一変している。

 ダンジョンエネルギー。俗に言う『マナ』と呼ばれる未知の力が、ダンジョンの深部で発見された。

 それは、これまでの科学の常識を覆す強大なエネルギー源だったのだ。


 ダンジョン内部には、特殊な鉱石が存在し、それを抽出して加工することで、従来のエネルギー源を遥かに凌ぐ効率で、電力や熱を生み出すことが可能だという。

 これは間違いなく魔石燃料の事だ。

 日本国内に出現した50箇所のダンジョンは、エネルギーの供給源として世界から注目されるようになったというわけ。

 

 ダンジョンが日本にもたらすエネルギーの恩恵は確かに大きかったが、その裏側には大きな危険が潜んでいた。

 ダンジョンには、恐るべきモンスターが生息している。

 俺に言わせれば、至極当然の事実。

 ダンジョン深層部にいるボスを倒せば、ダンジョンは宝の山を放出して消滅するのだという。

 日本政府は、急いで有志の冒険者や探索者を好待遇で募り、躍起になってダンジョン攻略に乗り出している最中というわけだ。

 報酬ももちろん高額で、国家公務員をも凌ぐほど。


 しかし、これまでに攻略されたダンジョンはわずか3カ所。多くはエネルギーどころかモンスターを生み続けている。

 深層部に生息しているモンスター、いわゆるラスボスは、人間の武器では歯が立たないほど強靭で、並の冒険者では太刀打ちできない。

 そんな中、3年経って、ようやく一人目のSランク登場ってわけか。


 しかし、北条は俺と同級生。つまり高校2年生だ。

 たかだか16、7でSランクの冒険者?


 本当に?


「怪しいな。何かある」


 ちなみに、机の中に押し込まれていた俺の能力適性テストの結果は『適正なし』。

 無能って事だ。

 適正のない人間は、ダンジョンに入る事さえ許されない。

 白線の内側へ下がって、成りあがって行くやつらの勇姿を指くわえて見とけって事らしい。


「伊吹ー! 何やってるの? 早くしなさい。学校遅れるわよ」


 母親の声にどうにか突き動かされて、俺はベッドから這い出して階段を降りた。

 

 既に漂う、温かな家庭の温もりと匂い。

 卵焼きに、芳醇なかつおだし。炊飯器から盛大に上がる湯気がもたらす炊き立てごはん。

 正に、3年ぶりのThe朝ごはんに、感動を覚える。


「うわぁぁぁ、美味そう。お母さん、ありがとう、ううっ」

 俺は涙を流していた。


 昨日食べたのは、生のラッフルワーム。

 と言ってもこちらの人間にはわからないか。

 全長が30センチほどもある巨大イモムシだ。現地では貴重なたんぱく源である。

 食感はムニムニしていて、本当に気持ち悪い。味は鶏肉と甲殻類の中間ぐらいで、まぁ悪くはない。

 しかし、何度お目にかかってもその見た目には慣れなかったな。仕方なく食べていたが。

 

「何言ってるの。大げさねいつもの朝ごはんじゃない」


「ううっ……」


「おなかでもいたいのかしら?」

 瑠香が卵焼きを頬張りながら、心配そうな視線を向ける。

「ううん、そんなんじゃないよ」

「ふぅん、かのじょにふられたのか」


 ズドンと胸に弾丸を食らう。

 不意の砲撃に、膝から崩れ落ちそうになるのをようやく耐え、椅子に座った。

 正確には、まだふられてはいないのだが――。


「あ、でんわ! もしもし、ハナちゃんかしら?」

 テーブルの脇に置いてあった、おもちゃのスマホで瑠香が遊び始めた。

 もちろんどこにも繋がっていない。ただのおもちゃなので、かかって来る事もなければ、かけられもしないので、ただの子芝居だ


「うん、うん、きょうのパレード? うんうん、せんしゅうゾゾでかったドレスきていこうかしらぁ。うんわかった。あとで、しゃしんきょうゆうするね」

 かけ算九九を全部覚えたご褒美って事で、母親に強請り倒して買ってもらった、瑠香の宝物だ。


「ふふ、なんだよ、パレードって」


「あら、昨日の朝言ったじゃない。今日、午後から夜にかけてパレードがあるのよ」


「は?」


「北条君だっけ? あのダンジョン党の党首の息子さん」

 確かに北条の父親は政治家だったが……


「ダンジョン党?」


「そう、伊吹同じクラスだったわね。その党首の息子さん。冒険者になったでしょ? 北条篤弘君だっけ? Sランクに昇格したんだって。なんでもすごいモンスターを倒したんだって。なんとかドラゴン、だったかしら? そうそう、昨日の新聞にも載ってたわね」


「ふぅん」

 ドラゴンって事は、一応Sランクか。


「で?」


「それで、街を上げてパレードするって」


「パレード?」


「そう、ここ青梅三原地区の学校も、どこも早く切り上げて、子供たちもパレードに参加するそうよ」


「マジか」

 ふん、北条が主役ってわけか。たかだかドラゴン1匹狩ったぐらいで大げさだな。


「商店街に特設ステージを作るのに、昨日お母さんも手伝いに行って来たわよ」


「はぁん」

 それで、夜いなかったのか。


「くだらねぇ」


「あんた! なんか雰囲気が変わったわね」


「え?」


「気のせいかしら? なんだか一回り体が大きくなったような気がするわ。それにやたら生意気になったような……」


 3年も異世界で過酷な生活を強いられていたんだ。腕周りも肩幅も、態度だって一回りも二回りも大きくなっているさ。


「気のせいだろ」


 湯気を上げる味噌汁をズズズと啜ったその時だ。


「おはよう」


 リビングの入り口から、懐かしい声が聞こえた。


「え???」


「ととー、おはよう、かしら!」


 瑠香がおもちゃの携帯をほっぽってそちらに駆け出した。


「は? はぁ? ちょ。ちょっと待て!」


「あら、お父さん。昨夜も遅かったでしょ。まだゆっくり寝てらしたらよかったのに」


「は、あ、あわ、あわわわわわ……」

 俺は顎が崩れ落ちそうに驚いた。

 部屋着姿で、瑠香を抱っこしながら、こちらにやって来るその人物は――。


 3年前に死んだはずの父だ。

 メガネの奥で優しそうに細めた目。白髪交じりの頭髪。なにもかもあの頃の俺の父さんだ!

 驚きを隠しきれない俺の顔を見て、父はこう言った。


「おかえり。伊吹」

 俺は凍り付いた。

 その時だ。

 胸元にブルブルと強いバイブレーションを感じた。

 俺の上半身が眩い光を放っている。


「おにぃ、光ってる」

 つぶらな瞳を更に大きく輝かせて、瑠香が俺を指さした。


「あわ、あわ、あわわわわ……」

 何のフラグだ?

 しかも、父はおはようではなく、おかえりと言った。

 これは一体、どういう……?

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