第3話 紅茶の魂を知る

夕暮れのオフィス。残業をしていた社員たちが少しずつ帰り始め、フロアに静けさが訪れた。由美はデスクに広げた資料の山に目を落としていた。紅茶の歴史、製造プロセス、開発者たちの証言…。全てを読み込んでも、まだ足りない気がしていた。自分の中で何かが引っかかる。まるで一杯の紅茶に何かが欠けているように。


「もっと、もっと深く知りたい…」由美の心は焦りに満ちていた。突然、彼女のスマホが震えた。画面に映し出されたのは、開発部の大塚からのメッセージだった。「今夜、あるものを見せたい。時間があれば、工場に来てくれ。」


心臓が跳ねる。何かを掴める予感がした。由美は急いで立ち上がり、コートを羽織るとオフィスを飛び出した。


工場は街の外れにあった。昼間とは違う無骨な姿を見せる巨大な建物。その中に足を踏み入れると、薄暗い照明の中、機械の轟音が静かに響いていた。大塚が待っていたのは、工場の奥、茶葉の選別が行われる場所だった。


「石川さん、来てくれてありがとう。」

大塚はいつもの柔らかい笑みを浮かべ、由美を迎えた。しかし、その眼差しはいつもよりも真剣だった。「今日は特別なものを見せようと思ってな。」


彼は由美を案内し、一つの小さな部屋に連れて行った。そこは機械音から離れた静かな空間で、棚には何十種類もの茶葉の瓶が並んでいた。大塚はその中から一つの瓶を手に取り、慎重に蓋を開けた。


「これは…?」由美が聞くと、大塚は瓶を彼女の鼻先に差し出した。「これはね、かつて『午後の紅茶』を生み出した初代開発者たちが特別にブレンドした茶葉だ。今はもう使われていないが、これこそが『午後の紅茶』の魂と言えるものだ。」


由美は瓶から漂う香りに息を呑んだ。甘さと渋さが絶妙に混ざり合い、どこか懐かしい、そして新しい感覚が彼女の心を満たしていく。その香りを嗅いだ瞬間、彼女は理解した。紅茶の背後にある、言葉では表せない「魂」を。


「これが…『午後の紅茶』の、本当の姿なんですね…」由美の声は震えていた。大塚は静かに頷き、「そうだ。紅茶には言葉にできない想いがある。それを伝えるのが我々の役目だ。」


由美の瞳から、涙が一筋流れた。ずっと探し求めていたものが、今、目の前にあった。言葉や数字だけではない、紅茶そのものが持つ力。それを伝えるために、自分はこの研究書籍を作りたかったのだ。


「大塚さん…」由美は震える声で続けた。「私は、この紅茶の魂を…多くの人に伝えます。絶対に…!」


大塚は満足そうに頷き、彼女に茶葉の瓶を差し出した。「石川さん、この茶葉を持っていきなさい。きっと君の手で、新しい『午後の紅茶』の物語を紡ぐことができるはずだ。」


由美はその瓶を受け取り、強く握りしめた。彼女の胸には、熱い情熱と決意が再び燃え上がっていた。「この一杯に込められた想いを、私は絶対に伝える。」


そして彼女の心に、新たな物語が始まる予感がした。

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