20.水と器
皆が寝静まった頃、アスはこっそりとストの家を抜け出し、長の屋敷へと向かった。水晶に手をかざすと、すぐにミレは現れた。
「来たか」
ミレに付いて、アスも奥の部屋に入る。ドアを閉めると、ミレは立ち止まり、こちらを振り向いた。
「お主、どこまで知っておる」
「封印の力を使うと、俺が死ぬ事」
「いつからじゃ」
「神子の力を与えられた時から」
そう言うと、ミレは小さくため息をついた。
「ちなみに、何を封印するかも知っておるのか?」
「クリスタルの中にある悪意でしょ。あれ、キツイね。頭おかしくなりそう。だから絶対に他の人にやらせるなんて代替案出さないでよ」
「……覚悟は決まっておるのか?」
「とうの昔に」
死ぬ覚悟だけは決まっていた。覚悟を決めなければやっていけなかった。だからこの世界に未練を作らないようにしていたのだ。
けれども少しだけ未来に期待してしまったら、思ったよりも未来が無いことに落ち込む自分がいた。それでも、自分のためではなく国や村のために頑張る皆を見て、自分勝手な自分にも優しくしてくれる皆を見て、やっぱり死ぬのは自分がいいと思うようになっていた。
「ねえ、教えてよ。どうしたら、俺の器は足りるわけ?」
「実際のところ、過去に同様の事例は無いから正確な事はわからぬ。ただ、実際に触れてわかったじゃろ。悪意は、人を殺す。けれども、どれだけ受け止められるかは、人による」
「俺の気持ちの問題?」
「気持ちだけでどうにかなるなら、歴代の神子も死なぬわ。けれど、そうじゃな。半分そうかもしれん」
ミレは、コップを取り出し、水を入れた。そのコップをアスに差し出す。
「元々中に入っておれば、それ以上は入らぬ。元々入っていたものを抜かぬ限りな」
「それは、どうやって……」
ミレの言わんとすることはなんとなくわかった。けれども、もし仮に元々入っていたとして、抜き方なんてわからなかった。
「もっと甘えてみるのはどうじゃ? 歴代の神子は、もっと好き放題やっておったぞ?」
「そんな、もうすでに沢山甘えてる」
旅に出てから、沢山の優しさに触れた。いや、旅に出る前からも、ダンやルーゼに沢山甘えていた。
アスは孤児で、だからそもそもダンやルーゼに迷惑かけて生きてきたのだ。これ以上だなんて、とてもじゃないけどできなかった。
アスは水の入ったコップを見る。ふと、別の仮説が頭の中に浮かんだ。
「もし、俺の持つ器がそもそも小さかったら? そしたらちょっと入っただけで、いっぱいになっちゃう」
「そんなことは……」
「無いなんていえないでしょ? だって皆、俺よりずっと辛い思いして、けれども俺よりも強く生きてる」
実際過去に誰かに悪く言われたこともなければ、誰かを失ったこともなかった。ダンとルーゼに拾われ育ててもらって、何不自由なく生きてきた。なのに器が足りてないなんて、元々自分が駄目だからな気がしてならなかった。
「多少差はあるじゃろうが、そんなもんわからん。そもそも、何年も前から死を宣告されて、何も入ってないわけないじゃろ? ……本来は、神子の精神が不安定になるから、ギリギリまで伝えてはならん事だったんじゃ」
「精神が安定すればいいってこと?」
「口で言う程簡単ではない」
「でも、なんとかしないと」
アスは自分の心臓あたりの服をぎゅっと握りしめた。自分が弱いから、だから器が小さいのだとしか思えなかった。
「元々入っている感情を無視して無理やり器を広げようとしても、脆い器ができるだけじゃ。そこに無理やり詰め込んで壊れたら、人は死ぬんじゃぞ?」
「別にいいじゃん。だって、どうせ死ぬんだから」
「そう……、だったの」
ミレは悲しげに笑う。
「すまんの。あんなクリスタルなんてなかったら、神子の犠牲も無かったんじゃが」
「そのためにミレさんは頑張ってるんじゃないの? 次の神子が必要になるまでに、クリスタルが無くても生きていける世界を成功させてよ」
「そうじゃな。間に合わなくて悪かった」
「気にしないでよ! まあ、その前に、強くならないと」
正直、強くなる方法なんてわからなかった。けれども強くならなければいけないのは確かだった。
「あんまり役に立てずすまんの」
「ううん。色々とヒントは貰えたから、なんとかするよ!」
「我も何か良い案がないか考えてみる」
「ありがと。そうそう、後一つ」
アスは、あの男のことを思い出す。
「俺のとこにも来た、伝説の担当の人。神子の事恨んでそうだったし、俺達のいた国が滅びようとどうでも良さそうだった。多分伝説が変わってるのが放置されてたのはわざとだと思う。俺に伝えちゃいけない事を伝えたのも」
「……っ。そうか……」
「生贄の環境もどうにかしてあげてよ。ずっと死ぬ時を思いながら生きてくのは、やっぱしんどいからさ」
「お主は、優しいの」
優しくなんてない。優しかったら、きっとこんな事にはなってない。
「まっ、色々と頑張ってみるよ」
アスはそう言って、外に出た。
思ったよりも収穫はなかった。せめて、改めてミレと話すことで生まれた覚悟が、少しは器を大きくしてくれていたらいいのにと思った。
「おい」
と、突然呼ばれた聞き慣れた声に、アスはビクリとして声の方を見た。ロイが、屋敷の外に立っていた。
「えっ、どうしてここに……」
「それはこっちのセリフだ。ミレ様と何を話していた」
どうやら会話の内容までは聞かれていなかったようだとアスは安堵した。
「俺の力が足りてない事。やっぱ気になるじゃん? 改めて、色々と聞いてみたくてさ」
「そう、か……」
アスがそう言えば、何故かロイは悲しげな顔をした。
「ロイ……?」
「私に相談しても、おまえの力にはなれないか?」
「なんで……」
「ずっと、無理してるように見えてな」
ロイの言葉に、アスはずっとロイに心配をかけていたことに気付いた。ロイは、神子とバレた時からやたら気にかけてくれていた。いつも通りに振る舞っているつもりだったけど、不安な気持ちを隠せていなかったのかもしれない。
「無理してないよ。まあ、今の現状をどうにかしたいけどさ」
「……何か良い方法は見つかったか?」
「全然。でも、俺に問題があるのは間違いなさそう。……ねえ」
アスはロイを見た。ロイは、強い。過去に色んなことがあったのに、自分と違ってずっと精神が安定しているように見えた。
「なんだ」
「ロイは、どうやって強くなったの?」
ロイは、驚いたようにアスを見た。
「私が、強いと思うか?」
「うん。あっ、剣とかそういう意味じゃなくて、いや、それも強いけど……。ロイって昔……」
そう言おうとして、アスはハッとして口を止めた。過去の話は、リアから聞いただけで、ロイから直接聞いたわけではなかった。恐らく起きていただろうが、お互い知らないふりをしていた。
「大丈夫だ。あの日の会話は私も起きて聞いていた」
「ご、ごめん……」
改めて聞いていたと言われると、なんだか恥ずかしくなる。
「しかし、そうか。おまえからは、私は強く見えるのか」
「うん。凄いなって。色んなことがあったのに、逃げずにまっすぐ生きてるから」
そう言えば、ロイは困ったように笑った。
「未だに、乗り越えられていないのにか?」
「それは……」
「私を見ててわかるだろう? 未だに誰かが死ぬ事に怯えている。常に、誰かが急に死んでしまうことに怯えて、せめて皆がいつ死ぬか分かればいいのに、なんて思う。リア様と一緒にいるのだって……」
ロイの声は震えていた。
「ソテラ様……、リア様の母君に言われたからだけじゃない。リア様がいつ死ぬかわかっていたから、不謹慎にも安心してしまった。今はリア様が生き続けられると知り、嬉しくも怖い、そんな醜い思いを抱いて生きている。こんな私を、それでも強いと思うか?」
知らなかった。いや、知っていたはずなのに、ロイの心を理解しきれていなかった。始めてロイの心に触れた気がして、なんだか泣きそうになる。
「おまえは、他人の事になればそんな顔をするのだな」
アスは自分の顔に触れる。自分はどんな顔をしているのだろうか。
「だが、感謝する。最低な思いを外に出して、それをおまえが受け入れてくれた気がして、少し安心した。ははっ、相談に乗るつもりが、乗られてしまったな」
「そんな、俺、何もしてないし」
自分は馬鹿だとアスは思った。勝手に皆前に進んでいると思いこんで、周りの辛さに目を向けていなかった。
なのに、勝手に皆強いなんて、何様だろうか。皆辛いのに、ぐだぐだ悩んでる俺を支えようとしてくれているのだ。
俺に足りていないのは、そこなのかもしれない。自分しか見えてないような器で、どうして悪意を受け止められるだろうか。もっと他人に目を向けたら、何か変われるだろうか。
アスはぎゅっと自分の拳を握りしめた。
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