16.声と死

「自分の死に逃げ出したか。神子よ」


 そう言って男は、アスの元へと近付いて来た。咄嗟に逃げようとしたアスを、突然地面から生えてきた蔦が木に縛り付け、身動きを取れなくした。


 男はアスに顔を近付ける。月明かりに照らされた男の顔は、不気味に笑っていた。


「どうだ。未来の死に怯えながら、毎日を生きる気分は」

「それは、どういう……」

「おまえが、いや違うな、1000年前の神子が言ったのだ。死ぬとわかっていたならもっと早く教えて欲しかったと。そうすれば、生き方も変わったのだと。だから教えてやったのだ。生贄として生まれた私と同じように」


 そう言って男は、アスの顔を掴む。男は、ミレの言っていた過去の生贄だったのだと、アスは理解した。


「言ってみろ。毎日死に怯える生活がどうだったのか。どうせ逃げてきたのだろう? おまえが死ぬことで周りが死のうが気にせず。所詮神子とはそのような者だ」

「違っ、逃げたわけじゃなくて……!」

「逃げたわけじゃないなら何故ここにいる?」


 男は、まるで憎しんできた相手が不幸になって喜んでいるかのように笑っていて、アスはそこから動くことはできなかった。きっと神子の力を使えば、逃げるくらいはできただろう。けれども底から湧き上がる恐怖が、アスの思考すら麻痺させた。


「まあいい。今日はおまえの器を測りに来た」

「うつ、わ……?」

「ああそうだ。時が近付いてきているからな。お前の中に全てを封印が可能なのか、調べる必要がある」


 そう言って、男は手袋をした手で簡単に掴める程のクリスタルを取り出した。そのクリスタルは、黒く濁り、靄のようなものが溢れ出て来ていた。


「なに、それ」

「おまえは黙っていればいい」


 そう言って、男はそのクリスタルをアスの額につけた。瞬間、強制的に魔法を使わせられるような、そんな感覚に陥る。


『おまえなんか、産まれなきゃ良かったのに』


 と、頭の中に声が響いた。


『迷惑ばかりかけて』

『だから捨てられたんだ』

『おまえがいないほうが、もっと幸せになれる』

『いっそのこと、死んでしまえばいいのに』


 色んな声が、アスの頭に響き渡る。それがまるで自分に言われているようで、心に直接悪意が流れ込んでくるようで、息ができなかった。誰かの憎しみが、怒りが、何度も何度もアスの頭の中で反響した。

 と、突然その声が消えた。クリスタルは、少し濁りが取れ、けれども完全には透き通ってはいなかった。男は、さも可笑しいと言わんばかりに笑い出す。


「まさか、器が足りてないとはな!」


 そう言って、男はアスの顔を再び覗き込む。


「良かったではないか! おまえは生きられるぞ! ただし神子としての役割を果たせないまま、多くの犠牲を生んでな!」


 神子としての役割を果たせない。その意味を理解した瞬間、もう聞こえないはずなのに、頭の中の声がおまえはほんとに駄目なやつだとアスを罵った。


「いや、死ぬこともできる。器が足りていなくても、封印自体ははできるからな! けれども濁りを全て取れなくては、シールドの力を完全に取り戻す事はできない。良いことを教えてやろう。おまえの役目は、城にある巨大なクリスタルに吸収された大量の悪意を、おまえの中に取り込む事だ」


 瞬間、恐怖がアスの体を走り抜けた。誰に向けられたかもわからない悪意なんて、スルーすれば良いはずだった。けれどもクリスタルを額に当てられた瞬間、何故か流すことはできなくて、悪意がアスの首を絞め付けているように上手く息ができなくなった。巨大なクリスタルに吸収された大量の悪意を取り込めば、もう自分が壊れてしまう気がした。


「おまえの選択肢は2択だ。死ぬために頑張るか、頑張らずに周囲を犠牲にするかだ」


 こわい。


 そんな気持ちがアスの中で溢れ出す。そんなアスを、もう聞こえないはずのあの声たちが絶え間なくなじる。


「まあ私には関係ない。私は地上の奴らが滅びようと、どうでもいいからな」


 そう言って男は去っていった。アスを縛り付けていた蔓は、いつの間にか消えていた。けれどもアスの体は震え、立つことすらできなかった。





 男が去ってから、どれくらいの時が経っただろうか。アスはもう何時間もその場を動くことができなかった。

 器が足りてなくてこれからどうしようとか、戻らないと心配かけるかもしれないとか、何かを考えるたびにあの声たちがアスに罵声を浴びせた。耳を塞いでも、その声達は直接頭へと語りかけて消えなかった。


「アスー! いないのー?」


 と、頭の中の声とは違う聞き慣れた声に、アスはハッと顔を上げた。


「アスー! いたら返事してー!」


 声の種類は一つ。出会った頃から変わらない、まっすぐで一生懸命で優しいリアの声。その声が、アスの頭の声を幾分かかき消した。同時に、今の状態をリアに見られたくなくて、アスは見つからないように息を潜めた。


「うーん。外じゃないのかなあ。外にいる気がしたんだけどなあ」


 と、少し離れた場所で足音が止まる。顔を上げると、人影が一つ、キョロキョロと辺りを見渡していた。周りにロイやストの姿はなく、本当に一人で村の外に出たのかとアスは呆れて笑った。しかも、こんなに大きな声を出して……。

 そう思った瞬間、アスはハッとして辺りを警戒した。魔物の数はかなり少ないとはいえ、ゼロではない。夜は全ての魔物が眠っているわけではなく、森の中での見張りの最中に夜行性の魔物を何体かは倒していた。


「あれっ、アス? そこにいるの?」


 リアも、こちらの物音に気付き、近付いてくる。その瞬間だった。


「ホーッ!!」


 と、どこからか鳴き声がした。声を聞くに、フクロウ型の魔物だろうか。

 暗闇で明かりもないから、矢を射ようにも場所がわからない。流石に魔法を使ったって、場所がわからなければ当てられなかった。

 なんだか嫌な予感がして、アスはリアの元に走る。動揺して立ち止まってしまったリアを庇うように、押し倒し、覆いかぶさった。

 その瞬間、アスの背中に衝撃と、激痛が走った。恐らく、背中を爪で引き裂かれたのだろう。意識を保つのがやっとな中、けれども次が来ると頭の中で警鐘が鳴る。


『おまえのせいで彼女は死ぬの?』


 と、またあの声達が聞こえてきた。


『わざわざおまえなんかを探しに来てくれたのに?』

『おまえはここでも何もできずに彼女を殺すの?』


 違う、違うと叫びたくなった。リアが死ぬのは嫌だった。自分なんかのためにリアが死ぬのは、許せなかった。


 アスはリアを守るように、リアの体を抱え込んだ。痛みで弓を使う余裕はもう残っていない。そうなれば、やる事は1つだった。


 バリバリ、と、魔法で小さな雷を一つ落とす。眩しい光が一瞬辺りを照らし、フクロウ型の魔物は一瞬驚いた声で鳴いた。その声の方角を元に、またいくつかの雷を落とす。

 瞬間、魔物の叫び声が聞こえて、何かがボトリと落ちる音がした。


 その後の静寂。


 無事魔物を倒せたとわかった瞬間、アスは自分の体を支え切れずにリアの元に倒れ込んだ。息をするのも辛い。視界がぼんやりと霞んだ。


「う、そ……。アス……!?」


 その声と共に、暖かい温もりに包まれる。それがリアの治癒術だと気付くのに時間がかからなかった。それと同時に、泣きじゃくる声が聞こえた。

 あり得ないほどの勢いで、どんどん痛みが引いていく。心地よさもある温もりに、思わず意識を預けそうになった。けれどもアスは、必死に意識を保った。泣きじゃくる彼女を、放置するわけにはいかなかった。


 そうして痛みが全て無くなった頃、アスは体を起こした。そして、ごめんなさいと泣きながら治癒術を使うリアを、もう大丈夫だよと言って静かに撫でた。

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