6.素直な気持ちと旅立ち

「ただいま、ダン」


 その日の夜、アスは一人、ダンのいるよろずやに帰って来ていた。リアとロイは、支度が完了したら明日にでも出るらしい。そこに付いていくのであれば、ダンにも言わなければいけない。


「おう、アス。遅かったじゃねえか。バートさんのお喋りは止まんなかったか?」

「いや、それからちょっと出かけてて……。その……」


 アスとダンは、血の繋がりなどない赤の他人だった。だから、旅に出ると言えば良いだけのはずだった。

 もうすくで死ぬ運命だった。だから、ダンとも後ぐされなく接しているつもりだった。なのに、死に別れでもないのに、いざ家を出るとなるとこんなにも言葉が出ないものなのかと、アスは自分に驚いた。


「なんだ」

「ちょっと行きたいとこがあって……。暫く、ここを空けたくて……。その……」

「そうか」


 ダンは、勢い良く立ち上がると、アスの背中をドンと叩いた。


「気にせず行って来い!」


 いつもは森に出るだけで小言を言ってくるダンだった。だから、何も聞かずに了承した事に、アスは驚いた。


「いいの?」

「勿論だ! まあ、おふくろから少し聞いてたのもあるが、内容によってはとっちめてやろうかと思ってた。けどよ」


 ダンは、アスの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。その手は大きくて、そして暖かかった。


「おまえが始めて言った、おまえ自身のやりたい事だろ? 誰かに言われたわけじゃねえって、顔見てわかった。そんなの、止められるわけねえだろ」


 そう言われて、アスは少し泣きそうになって、必死に堪えた。ダンとの別れに涙を流すのは、なんとなく癪だった。


「俺がいなくて大丈夫? 最近じゃ、ここの稼ぎのメインは俺だったでしょ?」

「調子乗るんじゃねえ。何年ここでやって来たと思ってんだ。おまえがいなくても、生きてはいけんだよ」


 そう言ったダンは、アスを撫でる手を止め、くるりと背を向けた。


「まっ、寂しくはなるがな」


 ボソッと言ったダンの言葉に、アスの心はなんだか熱くなった。


「また戻ってくるよ。その時まで元気でいてよ!」

「言われなくてもそのつもりだ!」


 実際のところ、クロが本当に伝説に出てくる悪しきドラゴンなのかも、本当に人間から離したら何も起こらないのかもわからない。けれども、もし、本当に生き続けられるのだとしたら。

 その時は、もう少し真面目に仕事をして、何か目標を決めて、ダンとも腹を割って話したい。そんな事を思いながら、アスは暫くお別れになる自室へと向かった。




 次の日ルーゼの家に向かうと、リアとロイはすっかり支度を済ませて待っていた。リアのリュックはモゾモゾと動いていて、アスが近付くとガバッとクロが顔を出した。


「きゅー! きゅー!」

「ん? クロ、どうしたの?」

「きゅー!!」


 アスが手を近付けると、クロは待っていたかのようにアスの手に擦り寄った。この手で封印されるかもしれないのに、お気楽なものだとアスは笑う。


「ほんとにクロはアスのこと好きだよね!」

「いや、人懐っこいじゃん。このドラゴン」

「……そんなことはない。私が触ろうとしても食べられるだけだ」


 そう言いながらロイが手を近付けると、クロはロイの手をパクリと加えた。歯を立てているようではなく、ロイも痛がってはいないが、確かにアスとは態度が違った。


「わかんないよ? 俺達がドラゴンの生態を知らないだけで、実はロイに対する行動ら求愛活動かもね」

「きゅ、求愛……!?」


 ロイはクロの口からパっと手を離し、動揺したようにそっぽを向いた。冗談を言っただけなのに、想像以上にロイは純粋なようだ。


「知らなかった……。クロはロイの事を愛してるなんて……」

「わ、私は獣は専門外だ!!」


 リアも本気にしてるのかふざけているのか、真面目なトーンで言うものだから、ロイは顔を真っ赤にしながら叫んだ。なかなかにロイは純粋らしい。


「あはは。冗談だって! まっ、最初に斬りかかったから、多少は警戒されてるのかもね」

「それは、言わないでくれ……」


 そんなこんなでふざけていると、ルーゼがこちらにやって来た。


「アスも来たか。ダンは泣いてなかったかの?」

「俺の事でダンが泣くわけないじゃん! でも、頑張れって応援してくれたよ」

「そうかい。それは良かった。まあ、あいつも素直じゃないからのう。今頃泣いてるかもしれんの」


 そう言いながら、さも可笑しいと言わんばかりに笑うルーゼは、ダンが泣いていたら全力でからかいに行きそうな勢いだった。実際、実の子でもないアスとの別れで泣く事はあり得ないだろうが、それでも少し寂しがってくれている様子はあって、アスは少し嬉しかった。


「そうじゃ。おまえさんら、次はどこに向かう予定かね。まさか闇雲に森を進もうと思っているわけでもなかろう」

「はい。この街の近くに流れる川を、上流に向かって辿りながら歩いていこうと思っています。私達としても迷わず水の確保ができますし、クロが生活するにしても水は必須でしょうから」


 そう言ったロイを、頷きながらルーゼは見た。


「ほう。しっかり考えているようじゃな。ならとても良い事を教えよう」


 ルーゼは、ニヤリと笑う。


「川を辿って10日程歩いたくらいかのう。魔物を殆ど見なくなるようになってくる。そこに人の集落がある。そこで、このドラゴンの事を聞いてみれば良い。悪いようにはならんはずじゃ」

「ま、待ってください! シールドの外に集落があるんですか!?」

「ほっほっほっ。信じるかどうかはおまえさん次第じゃ」


 アスも、シールドの外に人が住んでいる場所があるなんてことは聞いたことがなかった。シールドの外にわざわざ人なんて住まないと、勝手に思い込んでいた。

 しかし、それが本当だとして、何故ルーゼはその事を知っているのだろう。森に行ったことでもあるのだろうか。確かに、ルーゼならあり得そうだが。


「とにかく、行ってみるしかないね! ルーゼさん、ありがとう!」

「礼は帰って来たらたんまり頼むよ」

「もちろんだよ!」


 それを聞くと、ルーゼは満足そうに笑った。なんだかんだ、そのあたりはしっかり貰うつもりでいたのかと、アスは少し呆れる。けれども、そんなルーゼとも暫く会えないとなると、なんだか寂しくなった。


「じゃあ、皆準備はいい?」


 リアは、元気よくアスとロイに問いかけた。アスもロイも、笑顔で頷く。クロも、リュックから顔を出して、楽しそうに鳴いた。


「じゃあ、しゅっぱーつ!」


 それを合図に、三人は一斉にシールドの外に踏み出した。アスにとって、シールドの外に出るのは日常茶飯事の事で、いつもは振り返る事なんてしなかった。けれども、今日は、なんとなく振り返ってしまった。

 戻ろうと思えば戻れるけど、いつ戻れるかはわからない。そう思うと、ルーゼの小さな家が、街へと向う道が、何故だか全てが懐かしく見えた。

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