第十九話 友達、ねぇ?


「天上さん、もう大丈夫だぞ」


 転がっていた黒服の死体を、天上さんからは見えないよう後ろの壁に蹴り転がして。

 膝立ちになって、パイプ椅子に座る彼女と目線を合わせてから、できるだけそっと声をかけた。


「……如月、くん…………?」


 目を開けた天上さんが俺を見る。

 光が戻った瞳を大きく開いてから——すぐに、手のひらで顔を覆った。


「…………ごめん、なさい……!! ……本当に、ごめんなさい……!」


 手のひらの隙間から、涙が溢れている。


 なんで、泣いているんだ?

 わからない。

 俺は何か、ひどいことをしてしまったのだろうか。

 天上さんに謝ることなんて、あっただろうか。


 心葉が泣いていたら、いつも抱きしめながら頭を撫でてやったものだが……生憎と全身血塗れだ。

 しかも、そうしていたのは随分と昔で、妹相手の話である。天上さん相手の時はどうすれば良いのか、どうすべきなのか。さっぱりだった。


 ……思い返してみれば。

 外国にいた頃、こうやって泣く人がいたな。

 それは決まって俺が戦った後で、遠巻きに俺を眺めて泣いていたり、多くは震えていたりした。

 その後のことは、あまり思い出したくはない。

 もし、あの時の人々と、天上さんの涙の理由が同じならば。


 きっと…………化け物の俺が、怖かったのだろう。


「怖かったか?」


 聞くと、天上さんは頷いた。

 そうか。怖かったのか。


「…………そう、か」


 そりゃ、そうだよな。

 普通の友達だと思っていた奴が、実は何十人と殺しても顔色ひとつ変えない化け物だったもんな。


 覚悟していたことだ。

 だけど面と向かって認められると、少しだけ、キツかった。


 やっぱり化け物は、普通の人の近くにいるべきじゃないのだ。


 出て行けと。

 どこかへいなくなってくれと。

 そうして何度も、何度も、何度も……過去にいた場所を追われたあの時と同じ。


 もしかしたら天上さんだけは、なんて思っていたけれど。

 期待なんて…………するもんじゃなかったよなぁ。


 まぁ………………いいさ。

 一生日陰で生きる覚悟が、固まった。


 学校も辞めよう。

 後は死ぬまで異形をぶち殺し続けるだけだ。

 ただ、その前に公安だけはぶっ壊すが。


 天上さんを縛るしがらみ全てを、木っ端微塵にする。

 それが終われば、ひっそりと消えよう。

 俺の知らない場所で、自由になった天上さんが幸せになってくれれば、それでいい。


「……怖がらせて、悪かったな。すぐに、俺みたいな化け物は……消えるから」


 立ち上がって、背を向ける。

 もう二度と……姿を見せないようにしよう。


 さよならだ。

 口には出さずに呟いて、歩き去ろうとして。


「……ちがう」


 ワイシャツの裾が、握られた。後ろでパイプ椅子が倒れる音。

 無理なんてしなくていいのに。

 だけど、振り解けそうにもなかった。

 手はもう動かない。無理に身体を捩れば振り解けるだろうが、最後だとしても天上さんに強引な真似だけはしたくはなかったから。


「……如月くんは、化け物じゃ、ない……!!」


「……?」


 思わず、ゆっくりと振り向いた。

 裾から天上さんの手が外れる。涙の溜まった瞳が俺を見上げている。

 瞳の奥に、初めて見るほどの強い光。


「…………ぜったいに、ぜったいに、違う……! 自分を化け物だなんて、言わないで……!!」


「——え」


「……わたしが、怖かったのはっ……如月くんが、死んじゃうって思ったから、だよ……!!」


「……っ、」


 俺を見つめる瞳に、言葉に、心が震えるのがわかる。

 慰めでも、その場凌ぎの嘘でもないことなんて、向かい合ってみれば一目瞭然だった。

 天上さんは、偽りも飾りもない、あるがままの言葉を俺に伝えてくれる。

 この人はいつもそうだった。


 俺の勘違い。そうとわかった瞬間、身体からどっと力が抜ける。


「よかった…………」


 心のままに言葉が漏れた。

 傾いだ身体はそのまま前のめりに倒れそうになって————ふわりと、華奢な身体に受け止められる。

 天上さんの小さな手が、俺の肩を優しく掴む。


「……!」


 俺の顔のすぐ隣に、天上さんの顔があった。

 耳が触れ合うくらいに、近い。

 ラベンダーの香り。天上さんの匂い。なんだか、すごく落ち着く。


「血が……」


「……そんなもの、どうでもいい」


「そうは言っても……」


「……いいから」


 そっか、いいのか。

 じゃあ……もう少しだけ、このままで。


 耳元から、天上さんの細い息遣いが聞こえた。

 なぜだかそれが、今まで感じたことがないくらい、安心感を俺に与えてくれる。


「……ありがとう。助けてくれて」


 囁くような声が聞こえる。

 それすら心地よく感じた。


「気にすんな。怪我はなかったか?」


「……わたしは、大丈夫だよ。如月くんの方が心配」


「このくらいは慣れてるから平気さ」


「……異能者だったんだ」


「ああ。言わなくて悪かった」


「……いいよ」


 俺の肩に乗せられた天上さんの手が、きゅっと握られる。


「…………ねえ」


「どうした?」


「……如月くんが、わたしを——」


 続く言葉は聞き取れなかった。

 大きな破壊音が背後から聞こえたからだ。


「凪也!! 無事…………か?」


「私もいるわよぉ…………あらぁ?」


 この声は…………瑠美さんとスズネさんか。

 天上さんの助けを借りながら、後ろを向く。


 思った通りの二人がいた。

 金属製のはずの扉が彼女らの足元でスクラップになっている。


 こちらを見る二人は、街中でポルノを見たような顔をしていた。


「あー、その……なんだ。邪魔したな」


「とっても仲良しなのねぇ」


「何を言ってんだ……」


 あー、ひょっとしてこの構図か。

 確かに側から見れば抱き合ってるようにも見えるかもな。


「ありがとう、天上さん。もう大丈夫だ」


「……ぁ」


 全身に力を入れて、天上さんから離れる。

 彼女から漏れた小さな声は未練のように聞こえて、俺もこっそりと奥歯を食いしばる。

 …………割と、かなり、名残惜しかった。


 振り切るように頭を振って、瑠美さんを見る。


「天上さんの保護を頼む」


「わかった。一旦うちの事務所で預かろう」


 さすが我が義姉。話が早い。

 瑠美さんは俺を見て、次いで後ろの壁にまとめた死体の山を見て、大きく溜め息。


「にしても暴れたな。……後のことはやっておくから、お前はそろそろ休め」


「あ、まじ?」


 死にかけなのバレてーら。

 まあ一目見りゃわかるか。

 スズネさんの頬が若干引き攣ってるし。視線がタコの足みたいになった左手と死体の山を行ったり来たりしている。


「……何をどうしたらそんな怪我になるのかしらねぇ」


「あー、これですか? ほとんど自分でやりました」


「…………冗談かしらぁ?」


「異能を遮断する拘束具があったんすよ。それを破壊するために、ちょいちょいっと」


 スズネさんは頭痛を堪えるかのように頭に手を当てた。


「色々と言いたいことはあるけどぉ…………、とんでもないわねぇ」


「褒められたもんじゃないです。それより助かりました」


「いえいえ。無事でよかったわぁ」


 二人がこの場所に来られたのも、スズネさんの固有能力オリジンあってのことだろう。

 一キロ先の僅かなマナの動きすら感知できるとんでもない固有能力オリジンだ。名付けるならば【超感覚】と言ったところか。

 俺もディミトリも異能を使いまくってたからな。場所の特定は容易かっただろう。


 さて。

 天上さんに向き直る。


「あとは二人が何とかしてくれるから。任せていいよ」


「……あの二人は?」


 紹介しようとして、瑠美さんが割り込む。


「そこの義理の姉、如月瑠美だ。こいつも所属している対特災事務所の所長をしている」


「琴原涼音よぉ。事務所のメンバーの一人だわぁ」


「……あ、えっと………天上音羽、です。……如月くんの、友達…………です」


「友達、ねぇ?」


 スズネさんが怪しく笑った。擬音にすると、ニチャア……って感じに。


「それにしては、仲がいいのねぇ。……抱き合っちゃうくらいに、ねぇ?」


「……ぁ、その…………えっと」


 あ、一瞬で耳が真っ赤になった。かわいい。

 スズネさんが猫のような俊敏さで近づいて、天上さんの顔を覗き込む。


「汚れちゃったわねぇ。事務所にシャワーがあるから、そっちでスッキリしましょう。……その後で、お話たっぷりと聞かせて欲しいわぁ?」


 なんか、スズネさんの『あらあらうふふ感』が三割増しくらいに見える。


『天上さんと関わるのはもうやめなさい』


 スズネさんが俺にそう言い放ったのは記憶に新しい。

 だけどあの様子を見るに、天上さんへの悪感情とかは特にないようだ。

 後は二人に任せれば大丈夫か。


「スズネさん、天上さんをからかいすぎるなよー」


「わかってるわよぉ?」


 ほんとかなぁ。副音声で『こっちが満足するまではからかうわぁ』って聞こえる気がするんだけど。

 まぁ、やりすぎたら瑠美さんが止めてくれるだろう。

 俺の視線に気づいた瑠美さんは仕方なさそうに一つ頷いてから、親指で外を指す。


「車を止めてある」


「さんきゅー」


 助かるわ。

 状況報告諸々は後でいいと。明日改めて顔を出せとの暗黙のメッセージだろう。

 異能者の回復力で、明日になればこの傷も多少はマシになってるしな。


「あ、天上さん」


「……?」


「さっき言いかけたこと、何だったんだ?」


「…………ううん、何でもないよ」


 首を横に振る天上さんは、透明な表情。


「…………そっか。またな」


「……うん」


 頷いた天上さんは、無表情なまま手を振る。

 表情が変わらないだけで、機械的な仕草ではない。それが何となくわかる。

 俺も手を振り返して、背中を向けた。

 さて、帰るか。





 机を激しく叩く音がした。

 脇に置かれていたコップが激しく揺れる。中に入っていたブラックコーヒーがこぼれ、白い机に黒い液体が飛び散る。


「如月凪也……!! あの化け物がァ…………!」


 汚泥のような怒りを滲ませながら、天上開理は怨敵の名前を口にする。

 およそ最悪の結果だった。


 諜報員からの連絡で、如月凪也が実験場から出ていくのを確認した。

 すぐにその後、少し前に突入していた如月瑠美と琴原涼音が、天上音羽を伴ってどこか——恐らく、如月瑠美が所長を務める対特災事務所だろう——に向かったとの報が齎された。

 それが意味するところは、用意した戦力全てが如月凪也によって殺され、異能という才能以外は第八係の最高傑作であった天上音羽の存在が明るみに出るということ。

 端的に、大量の人的損失に加え、重大な機密情報漏洩が発生したということだ。


「いや、まだだ……! まだやりようはあるッ!!」


 如月凪也は、どうやら天上音羽を政治の道具に利用しようとはしていない。

 彼女の存在が明るみになれば、お涙頂戴な話が好きなマスコミが騒ぎ立て、国民感情は一気に異能者国営化反対に傾いてしまうおそれがある。

 そうなれば天上開理の首が物理的に飛ぶだけでは済まない。第八係の存続は進退窮まり、異能者国営化の推進勢力を巻き込んで盛大に共倒れしかねない。

 如月凪也の塩梅でそれが決まるかと思うと、天上開理は今にも憤死しそうなほどの怒りに駆られた。


 幸い、今はまだ時間はあった。

 如月凪也が心変わりする前に、天上音羽を確保すれば最悪の事態は免れる。

 いや、もう確保などと言っていられる状況ではない。

 可及的速やかに殺害。万が一にも可能であれば確保、といったレベルだ。


「厄介なのは如月瑠美……か」


 異能者界隈では有名な女傑だった。

 本人の強さもさることながら、彼女の立ち上げた事務所は異形討滅の依頼達成度が驚異の九割超。

 凄まじい運営手腕と実力。異能者国営化推進派としては、最大の敵の一人であると同時に、最も手元に確保したい戦力であった。

 そんな彼女の傘下に、実質的に天上音羽が加わった。


 詰みではない。が、最悪の状況ではあった。

 早急に手を打つ必要がある。


第四世代フォースエイジの実戦投入を急がせるか。鳳グループとの調整も必要だ。ディミトリが死んだ以上、こちらも大規模な補填が必要だが……如月凪也という共通の敵が作れることは僥倖。共同戦線の打診がいる)


 異能者開発プロジェクトの責任者であり、異能者国営化推進派筆頭の一人として、天上開理の思考は急速に回っていく。


「お疲れ様です、所長。随分と大変そうで」


「…………、」


 天上開理は凄まじい速度でタイピングを続けながら、じろりと声の主を睨みつける。

 いつの間にか応接用のソファーに座っており、つまらなそうにスマホをいじっている高校生ほどの少年。


「……ノックぐらいしろ」


「ドア開けてたじゃないですか。みんな驚いてましたよ」


 微妙にずれた回答に、天上開理は舌打ちで返した。


 デスクトップ画面の後ろに見えるドアは、いつの間にか閉まっていた。

 この部屋唯一の出入り口と向かい合って作業しているはずの天上開理に一切気づかれることなく入り、開いていたドアまで閉めたらしい。


「言ったじゃないですか。如月凪也に手を出すのはやめておけって」


「避けられなかった。状況が状況だった」


「都合よく状況を利用しようとしたからだと思いますけど。悪趣味な実験をね」


「ッ、わかっている!」


 声を荒げた。正論だったからだ。

 少年は怒鳴り声を気にした風もなく、更に天上開理の火に油を注ぐ発言を続ける。


「で、結果は結構な戦力と鳳さんのトコの切り札を失って、天上音羽は向こうの手中に、あいつの戦闘データはほぼ取れていないときた。あははっ、最悪ですね」


 天上開理は今すぐ手元のタブレット端末をヘラヘラと笑う少年の顔にぶん投げたかったが——それは非生産的だと、辛うじて理性が働いた。

 代わりにタイピングの手を止め、背もたれに身体を預けた。

 出て来るのは深い溜め息ばかり。


「……普通あり得るか? 足手纏いを抱えながら、武装した十三人と戦って勝利するなど。しかも、常人ならショック死するほどの怪我をした状態で、だ」


「いやあ、無理ですね。どこの戦神だって話ですよ。確か『東洋の死神』でしたっけ?」


 ディミトリという男が、如月凪也をそう呼んでいた。

 詳しいことはまだわかっていないが、どうやらアジア西部地方での彼の通り名らしい。

 そんな呼称ができるくらいには、有名だったということだ。


「認めよう。如月凪也が我々の想定を遥かに超えていたと。だが、我々の目的にあの男は邪魔だ。どこかで絶対に処分しなければならない」


 ギリ、と歯を食いしばる天上開理を、少年は見る。

 随分と重い覚悟を感じさせる言葉だが、その表情に宿るのはドロドロした情念でしかなかった。

 要するに、してやられたからやり返したい。それを都合のいい言葉で飾り立てているだけだ。


(あの冷血漢が、ここまでキレ散らかすなんてね)


 内心はいかほどのものか。少年は少し愉快ですらあった。

 脳裏に描くに、今度昼飯くらいは奢ってやってもいいと思うくらいには。


「……で、お前なら如月凪也を殺せるか?」


「絶対無理です。てかあいつ、多分俺が何者かに気づいてますよ」


「…………何だと?」


「天上音羽が誘拐された時に、何か知ってるか聞かれましたし。予想ですが、今のところ無害だから見逃されてる感じです」


 彼女が学校が休みの理由など、いくらでも調べようはあった。

 それでもわざわざ自分に聞いてきたのだ。

 もしかしたら、彼なりの答え合わせだったのかもしれないが。


『お前は何か知ってるか? 休んでる理由』


『いんや、詳しいことは何にも』


 第八係が天上音羽を連れ去ったことは本当に知らなかった。だが、第八係が虎の尾を踏みに行こうがその足を引っ込めようが、どちらに転んでも構わなかった。

 だから、詳しいことは知らないと答えた。

 彼なら、この回答で自分の立ち位置も、天上音羽の状況も察したことだろう。


「……つくづく、化け物だな」


「驚きますよねえ」


 少年は適当に相槌を打った。

 返事を期待していない呟きだったのか、すぐに天上開理はキーボードを叩く作業を再開する。

 時折表情を歪めることから、色々と難航しているのだろうと少年は思う。


(凪也と天上さんは抹殺対象に変更、あそこの事務所の脅威度も拡大……結構な博打だけど、得られるリターンも大きい。後は接触のタイミングだけど……説得に苦労しそうだなぁ)


 ——まぁ、考えるのは後でもいいか。


 声に出さず少年は呟いた。

 そして頃合いを見て立ち上がり、普通にドアを開けて出て行く。


「…………帰ったのか」


 天上開理がそれに気がついたのは、しばらく後のことであった。

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