第十七話 指の一本だけでも動かせれば、人間なんて簡単に殺せる


 天上音羽の心は、ぐるぐる回っていた。


 目を瞑って、耳を塞いで。だけど完全には遮断しきれない、戦闘の音。

 怒号、打撃音、悲鳴…………何かが倒れる音、落ちる音。

 黒服の人数は、十人を超えていた。更にもう一人、見上げるような体格の外国人もいる。

 それらが全て、如月凪也を殺すために殺到しているかと思うと、天上音羽は今すぐこの世から消えてしまいたいほどの自己嫌悪に襲われる。


 だって、自分のせいだ。

 自分なんかと関わったから、誘拐されて、危うく拷問されかけて、それ以上に痛い思いをして、目を覆いたくなるような怪我を抱えたまま戦っている。

 自分がいなければ、こんなことにはならなかった。

 いつかこうなるなんて、わかっていたことだったのに。


 もう少しだけ、と色づいた今を手放したくなくて。

 如月くんの優しさに甘えて。

 根拠もない『まだ大丈夫』にかまけたままで。


 ——結局、途方もなく危ない目に遭わせてしまっている。


(……わたし、最低だ)


『あいつらがあんな目に遭ったのも、如月凪也がこれから受ける苦しみも、全てはお前のせい。そんなこともわからないのか?』


 書類上の父——生憎と、父と思ったことは一度もないが——の言葉が思い起こされる。

 …………言い返す余地がないほどに正論だった。


 如月くんと一緒にいるべきではなかったんだ。

 あの時屋上で差し伸べられた手を振り払って、地面に汚い骸を投げ出すことこそが、本当にするべきことだったんだ。


 今からでもきっと、遅くはないだろう。

 だから言うのだ。


 もう関わらないで、と。


 言わなければならないのだ。

 そうしなければ、これからも如月くんは危険に晒される。

 今よりももっとずっと痛い思いもしてしまう。命を落としてしまうことだってある。

 そんなの、耐えられない。


 もう十分だ。十分なのだ。

 自分が納得すれば、済む話なのだ。

 まだ会って一ヶ月も経っていないけれど、とても、とても濃密な日々だった。

 毎日がきらきらと輝いていて、明日が楽しみになることなんて初めてだった。

 如月くんと話すと心が躍って、如月くんについて新しいことを知るとうれしくて、如月くんがたまに見せる真剣な顔には少しどきどきした。


 この思い出があれば、諦められる。

 夢のような日々にさよならを告げることだって。

 こんな人生だったけれど、最後の最後で、泣きたくなるほどに素敵なものをもらった。

 宝石よりも価値のある一日一日を心の中にそっと仕舞い込んで、明日にでも自分の命を終わらせよう。


 誰が何と言おうとも、『しあわせな人生だった』。

 胸を張って断言できる。


 だから、今は。

 ただ、如月くんの無事を。


 神様なんて、信じたことがなかったけれど。

 もしいるのならば、どうか。


 願う存在を思い描けずとも。

 願わずにはいられなかった。





 ——化け物だ。


 全てを一言で表すのであれば、そんな感想であった。


 また二人、仲間が殺される。

 男は、呆然とその様子を見ていた。


「息を合わせろ! 押し潰せ!」


 隊長の怒号が響く。

 敵——如月凪也の最も近くにいた二人が、各々の武器を突き出す。

 咄嗟の連携とは思えないタイミングの良さだ。

 少なくともダメージは入っただろう。後は嬲り殺しにすれば——


「な、ん……ッ!?」


 瞬き。

 その刹那の時間に、武器を突き出した二人は死んでいた。

 誰が見ても明らかだった。

 何故なら、片方は右目を深く穿たれ、もう片方は胸に大穴が空いているのだから。


 驚愕に身体が硬直し——その間も、死神は動く。

 いつの間にか奪っていたらしいサバイバルナイフが、蛍光灯の光を反射して白い軌跡を描く。

 死神の右腕がブレた。神速の突き。仲間のこめかみから血が噴き出る。また一人死んだ。


「かひゅっ」


 そんな、声にもならない音。

 隊長の喉に、ナイフが突き立っていた。

 死神との距離は離れていたはずなのに、どうして。


 いや、簡単なことだった。ナイフを投げた。それだけだ。

 そんな単純なことさえ理解に手間取るほど、混乱していた。

 ……いつ投げたのか、全くわからなかった。


 視線を戻せば、床に落ちていた警棒を足で跳ね上げて掴んだところだった。

 奴の目の前に、尻餅をついた仲間がいる。


「く、来るな! 化け物があああ!?」


 叫ぶ仲間を、如月凪也は眉一つ動かさず奪った警棒で殺した。

 どれだけの威力か、強化プラスチック製の警棒が途中で折れていた。人でも殺せそうな鋭い断面だが、如月凪也は一瞥しただけで放り捨てる。


「うあああああああ!!」


 精神の置き場所を見失ったかのような声を上げる仲間もいた。銃を取り出そうとして、それよりも早く如月凪也の蹴りが頭に直撃した。

 頭を叩き潰されて、狂乱した声の残響だけが残る。去年配属された、隊員の中では最年少の仲間だった。


 ……まるで、悪夢を見ている気分だ。


 自分たちは間違いなく、エリート中のエリートの集まりだ。

 血反吐を吐くほどの訓練を潜り抜け、『漏らさなければ上出来』とまで言われる異形との実戦訓練では飛び抜けた成績を収めた。


 それだけではない。

 自分たちは、誰よりも日本のことを想っている。

 それこそ、日本のためなら世間様に顔向けできないことを実行できるほどに。

 故に、必要悪として闇に身を浸かることを選んだ。

 能力だけでなく、個人を超えたもっと広く大きな未来のために。

 表の身分を捨ててでも身を捧げることを決めた、覚悟も実力も備わった真の精鋭たち。


 そんな一握りで構成された自分たちならば、多少の異能者程度なら簡単に制圧できるはずだ。

 これは驕りでも慢心でもなく、純然たる事実であった。

 男とて、その確信が胸にあった。


 だというのに。

 これは。


(強すぎる。…………………………あまりにも)


 咄嗟に警棒を顔の横に置いた。

 直後、凄まじい衝撃。すぐそばに如月凪也の振るった警棒がある。

 巨大なハンマーが直撃したのかと思った。

 指の骨が数本、イカれた感覚。


 こちらは両手、向こうは右手のみ。

 異能者としての身体能力を加味しても、怖気が走るほどの威力だった。


 しかし、と思う。

 如月凪也が最も恐ろしいのは、その怪物じみた身体能力ではない。

 もはや狂気の領域にある、目標達成能力だ。


 例えば、自分の左手を机の上に置いたとしよう。

 右手にはハンマーを持っているとする。


 さて。


 どれだけの人間が、そのハンマーを左手に向けて全力で振り下ろせるだろうか?


 子供を人質に取られている親であれば、もしかしたら可能かもしれない。

 頭に銃を突きつけられていて、そうしなければ脳天が吹っ飛ばされるのではれば、もしかしたら可能かもしれない。


 尋常ではない状況に晒されて、極限状態に脳味噌がイカれて、正誤の判断すらロクに下せなくなってから初めて、その議論の土台に上がれる類の話だろう。

 自傷行為というのは、人が思うより遥かにハードルが高いものだ。


 しかし。

 如月凪也は。


 仕事の一環のように。

 ただ必要だからと、冷徹なロジックの下に導かれた結論で、一切の躊躇いなくハンマーを左手に振り下ろせるのだろう。

 激痛に表情を一切変える事なく。精神の乱れなど欠片も感じさせずに。


 拘束具を無理矢理外した影響で、奴の両手は比喩ではなくボロボロになっている。

 指一つ動かすことさえ普通はままならない。

 ましてや戦闘行動など、常に剥き出しの神経にヤスリをかけ続けるようなものだ。

 ともすれば、こちらが実行しようとしていた拷問よりも苦痛が伴うはず。

 顔を歪める。呻き声を上げる。そういった動きは生理的なものだ。理屈でどうにかなるものでは決してないはず。

 なのに奴の表情は動かない。痛みを感じている様子さえ見せない。


 ——そんなの、化け物と言わずして何と言うのだ?


 抑えていた恐怖が競り上がってくる。

 隊長は既に死んでいる。

 所長の指示はもう聞こえない。

 如月凪也が真っ先にスピーカーとカメラを破壊したからだ。

 本当に、ぞっとするほどに冷静な判断である。

 

 頼みの綱であったはずのディミトリとかいう軍人は、未だ動く様子がない。

 歯を剥き出しにして笑いながら、如月凪也を見つめている。


「おい、何をしている! いい加減手伝え!」


 声を上げても無視された。

 いや、よそ見している場合ではない。咄嗟に身を投げ出すと、先ほどまでいた場所をサバイバルナイフが通った。

 膝立ちになって姿勢を整え、気づく。


「——!!」


 自分以外の仲間が全て死んでいた。

 誰もが的確に急所を潰されている。呆れるくらいの正確さだ。

 十二人いたはずなのに、気がつけば自分ひとり。


「……、」


「っ!」


 化け物と、目が合った。

 藍色の虹彩をした瞳は、まるで道端に転がる石ころを見るように色がなかった。

 こちらを見ているはずなのに、欠片も意識されていないような。見下すとも違う、何も価値も意味も感じていない視線。

 この化け物にとっては、自分たちなどアリを踏み潰すのとそう変わらないのだろう。

 事実、こんなにもあっさりと、仲間は全て殺された。

 きっと、すぐに自分も死ぬ。

 巨大な靴底にぷちりと踏み潰され、その過程も末路も見向きすらされない虫のように。

 それが、無性に腹が立った。

 とにかく気に食わなくて仕方がなかった。


「クソがぁ!!」


 何とかして、死ぬ前にこの化け物に一矢報いてやる。

 嫌がらせだろうと、あの無表情を歪ませることができればなんでもいい。

 それこそ、どれだけ外道な手段だろうが……!


 化け物と自分の間には、仲間の死体。

 右側奥の壁で、ディミトリがこちらを眺めている。

 十メートルほど離れた場所に、天上音羽が耳を塞ぎ、目を閉じて座っている。


 化け物が守ろうとしているあの女に何かあれば……!!

 天啓が導くままに、男は腰のホルスターから拳銃を抜いた。膝立ちの姿勢のまま構える。

 向ける先は、化け物ではなく天上音羽。


 何百回も重ねた訓練と同じように、指がハンマーを下ろし、照準を合わせ。

 ヤケになっていることを自覚しながらも、暗い笑みを浮かべた男は撃鉄を引く——


「させるわけないだろ」


 蛍光灯の光に影が差した。

 拳銃が己の意思に反して上向く。

 無理やり動かされた両手首が悲鳴を上げる。


「!?」


 銃口が掴まれている……!?


 照準の向こうへと定めていた視界の端で、横合いから腕が伸びていた。

 知覚したところで、あまりにも遅い。力の入った人差し指は止まらない。


 くぐもった銃声。天井に穿たれる小さな弾痕。

 飛び散った血飛沫が男の顔に張り付く。

 化け物の右の手のひらを貫通したらしい。


 それじゃあダメだ。全然効いていない。もう一発、いや何発でも撃たなければ。

 じゃないと殺せない。一発だけじゃ足りない。

 足りない。足りない足りない足りない。

 もう一度親指でハンマーを下ろして、照準を合わせ直して——


「……?」


 ハンマーが、指に引っかからない。

 おかしいな。そんなはずがないのに。

 あれ、そういえば。

 銃はどこにあるんだ?


 複数のものが落ちる音がした。

 すぐそばだ。銃らしき音も混じっている。いつの間にか落としたらしい。

 とにかく拾わなければ。

 ……あれ?

 俺の手はどこだ?

 どうして、手首から先がなくなってるんだ?


 男は顔を上げた。

 深淵のような瞳と目が合った。

 何も映していない表情でばけものがこちらを見ていた。

 哲学的ゾンビが擬態を解いたかのような、死者を魂のないまま生き返らせたかのような、そういうあまりにも人間らしさに欠けた顔がそこにあった。


「あ…………」


 男の呼吸が止まる。

 そして、腕が万力で潰されたと錯覚するほどの激痛が襲ってきた。

 いや、潰されたのではない。

 切断されたのだ。

 男が鈍る思考でそれに気づいてすぐに。

 許容量を超える痛みの電気信号が脳に送られて。

 強制的に脳は意識をシャットダウンし——二度と、目覚めることはなかった。





 まずはひと段落……か。

 片付けた黒服の男たちを眺めて、ようやく一息。


 強くはなかったが、状況が状況だ。異形を殴り飛ばせばいいだけの戦いとは違ったので、神経はそれなりに使う。

 何とかなったからいいものの、最初の時点で全員が一斉に銃で天上さんを狙っていたら危なかった。

 天上さんに銃を向けたのが最後に殺した奴だけで助かった。


 ああ、タバコが吸いたい。ニコチンを全身が欲している。

 今タバコを咥えたら三本ほどチェーンしそうなくらいにはヤニが足りてない。

 つっても、もう少し我慢か。

 まだ、本命が残っている。


 結局、俺が黒服を全滅させるまで動かなかった黒人の大男。

 完全に観戦に回っていた様子だったが、ようやく舞台に上がるらしい。


 ゆっくりと、こちらに歩み寄ってくる。

 大男が口を開いた。


「素晴らしい。流石は『東洋の死神』だ。日本に来てよかった」


 懐かしく感じる言語で、そいつは懐かしい名前を口にする。

 ……もう使うことはないと思っていたが。

 数年程度では忘れようもない。俺も黒人の大男に近づきつつ、言語を切り替えて言葉を返す。


「俺のファンか? アンタも『死者街』の出身かい?」


「ディミトリだ、ナギヤ。ちなみに答えはノーだ。ただ、マルコスには多少世話になった」


「そうか。悪いが、奴ならとっくに地面の染みだ」


 念入りに殺した。

 死んで当然の奴だった。

 記憶を浚うだけでも黒い感情に支配されそうなほどに。


 あと五メートル。


「それはいい! 豚の餌にするのも勿体無い男だったからな」


 全くその通りである。

 ガハハと大口を開けて笑う黒人に俺は顔をしかめた。


 あと四メートル。


「で、ディミトリ。アンタの目的はなんだ?」


「依頼を受けたんだ。何かあったらナギヤを殺せと」


 依頼、ね。あの天上さんの父親を名乗るクソ野郎からだろうか。

 とはいえ、それよりも気になるのは、


「アンタ一人でか?」


 あと三メートル。


「そうだ。前に所属していた部隊はワタシ以外全滅でね。縁あってこちらに呼ばれたのだが……日本の兵隊は少し、弱すぎる」


「ここは安全グリーンだからな。出払っているだけかもしれないぞ? ……まぁそれはいい」


 あと、二メートル。


 左手は動きそうにない。

 ついさっき穴の空いた右手は、動きこそするが少しずつ麻痺してきた。

 負傷部位は両手足の指と、両手。いわゆる末端の部分。


「あの拘束を外したのは最高にエキサイティングだったよ。すまないが、君にとって不利なのはそういうものだと諦めてくれ」


「どうでもいい」


 慣れてるから。

 それに、


「指の一本だけでも動かせれば、人間なんて簡単に殺せる」


 ディミトリは一瞬だけ目を丸くしてから、大きく笑った。

 嘲りとも失笑とも違う、してやられたと言いたげな痛快の笑い。


 あと……一メートル。


 ディミトリが両腕をボクサーのように構える。


「その通りだ! 君は最高にクレイジーな男だよ。あぁ、安心してくれ。君のガールフレンドを狙うことはしない」


「ガールフレンドではないが……お前が死んでもそうしなかったら、信じてやるよ」


「そうか」


 瞬間、彼我の距離がゼロになり。


「ッ!」


 上体を後ろに逃す。思考も何もない、反射的な行動。

 風圧が顔を叩いてから、遅れて躱したらしいと理解する。

 引き戻された右腕を見て、更にもう一歩遅れて今のは右のフックだったと把握した。


「やはり避けるか」


「止まって見えるね」


 嘘だわ超ギリギリだっつの。

 何だ今の。腕の動きを見てからじゃ絶対に間に合わなかった。

 気がついた時には腕が振るわれている、じゃない。

 


 この速度でボクシングみたいに連続でぶん殴ってくる? 無理だろ。

 筋肉の塊のような巨体だ。当然ヘッドギアもグローブもない。一発当たっただけで良くて大怪我だろう。頭に当たればそのまま弾け飛ぶことすらあり得る。


 クソ、武器が欲しい。体格差があまりにも不利すぎる。

 腕のリーチが足りねえから、武器で補うか超接近するかしないと一方的にボコられる。


「どんどん行くぞ、『東洋の死神』」


 勘弁しろ!

 奴の目線はどこだ? 頭か? 胸か?

 また右腕が——いやフェイント! 本命は左からこめかみ狙いのフック!


 顔を下げれば当たらない。見えた地面には奴の影。

 向こうからすれば、無防備な後頭部を晒しているように見えるだろうよ。

 そこを下がって——危ねえ掠った! だが大振り!


 腿くらいの高さにある頭を上からぶん殴るには、一瞬前の俺みたいに頭を下に向ける必要がある。

 だから上に跳んでやれば、そこには無防備な後頭部が見える。


 縦に回って、踵落としを奴の後頭部に——ぶちかます!!


 異能者の身体能力での一撃だ。お互いに強化しているとはいえ、急所への一撃なら……!


 ——しかし、踵に返ってきたのは硬質な感触。

 骨を砕いた感覚はない。それどころか、皮膚の一枚すら歪ませていない。衝撃はそのまま左足に痛みと共にそっくり返された。

 生身で鋼鉄を叩いたような、突破は不可能だと一発で察するほどの感触。

 いや、そんなことを考えている暇はない…………!


 もしものためにと備えていた右足の動きが現実に追いつく。

 ディミトリの肩を蹴って、少し距離を取る。掴もうとしてきた手はすんでの所で空を切る。


 再び三メートルほど距離が空く。

 油断なく再度構え直すディミトリを見て思わず舌打ち。


「誘いだったのかよ」


「上からとは思わなかった。君の動きは予想できそうにない」


 ディミトリは苦々しい表情をしていた。

 あそこで掴まれていたら終わっていた。奴もそれを狙っていたのだろう。


 左足が痺れている。今は動かせるが、捻挫でもしたような痛みだ。

 あの絶対に壊せない壁でも蹴ったような感触は、絶対に生身の人間ではあり得ない。


「身体を硬くする異能か……」


 俺たち異能者には、固有能力オリジンと呼ばれている力がある。

 異能の力は本人に劇的な身体能力の向上を齎すが、もう一つ恩恵が存在する。

 それが固有能力オリジンと呼ばれる、特殊な異能力だ。

 例えばスズネさんだと、数キロ離れた場所でも異能の流れが見える圧倒的な感知能力。

 他にも火を操る奴や、相手の心が読める奴、少し先の未来を見る奴もいた。


 おそらくこいつは『身体を硬質化させる』異能。

 異能者の攻撃すら完全に無効にし、衝撃も通していないとなると、かなり厄介だ。


「さて、どうしたものか……」


 呟いて、渇いた唇を舐めた。

 直後、ディミトリが軽快なステップを踏んでこちらに肉薄。


「ッ!」


 黒服から奪っていたサバイバルナイフを咄嗟に顔の横へ。

 右手に凄まじい衝撃。途中で折れた刃が俺の頬をざっくり切りながらあさっての方向へ。

 だが一瞬は稼げた。一歩踏み出して、心臓の真上へ掌底。やはり止められる。

 当てるというより、衝撃を通すように放ったのだが……同じ大きさの鉛の方が手応えあるんじゃねえか?

 敢えてもう一歩踏み出し、密着間近の体制から曲げた右手を伸ばす。奴の身体はピクリとも動かない。

 だがひとまず、その反動でもう一度距離を——


「させんよ」


 ——取れない! 俺の後退に合わせて踏み込みやがった!

 全身を脱力。眼前スレスレを拳が通る。指の先が当たっただけなのに瞼の上が切れた。

 そのまま大きく後ろに倒れ込むように仰け反って、奴の巨体の股下を通る。

 追撃は————来ない。むしろディミトリは距離を取って、仕切り直しと言いたげに拳を構え直した。


「いつまでそのヒット&アウェイが続くか、見させてもらおう」


「そろそろ終わりにしてやろうか?」


「君の死という形であれば、歓迎するがね」

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