第十三話 …………ぜつぼうしてる


「お前は気にしなくていい。涼音にはいい薬だったよ」


 瑠美さんはそう言って笑った。

 あの後源流さんと何度か立ち合いを続けてからの談話室にて。


 ちなみに源流さんにはボコボコにされた。最初のはまぐれみたいなものだったし、なぜか急に生き生きとし出した源流さんには手も足も出なかった。

 マジであの人強すぎる。意味わかんねえ。


 まあそんなわけで身体中痛えしすげえ疲れたしで、近くのコンビニにある喫煙所に瑠美さんと行ってから。

 源流さんも涼音さんも既に帰ったらしく、二人だけなら別にいいだろうとそのまま談話室で緩い感じで話していた。


「で、しばらくは夕方に依頼をしないでほしい、か……」


 瑠美さんは、俺の一つ目のお願いを口の中で転がした。

 まだそれしか伝えていないので、理由の説明として俺は口を開く。


「いや、その……テストが近くてですね。割とまともに補習やら進級の危機やらで、ちょっと本腰入れて勉強したくて」


「あー……お前はしょうがねえな確かに。でも、夜の勉強じゃあまずいのか?」


 まぁ、そう来るよなぁ。

 言うしかねえか。

 なんか恥ずかしいな。


「天上さん……俺がこの前、女の子と二人で出かけるって話がありましたよね? その人が勉強教えてくれることになりまして」


「ほう? ほーうほう、なるほどねぇ……?」


 面白いことを聞いた風に、瑠美さんが細い眉を上げた。

 薄くルージュが塗られた唇が笑みを作る。


「この短い間に、随分と仲良くなったじゃないか」


「そんなんじゃねえし」


 なんか素直に認めるのは癪だった。

 口を尖らせた俺を、滅多に見ないくらいすっごいニコニコした顔で眺めている。


「まぁまぁ。アタシは嬉しいよ。ようやくお前が普通の学校生活を送れているみたいでさ」


「それは……感謝してますよ。本当に」


「気にすんなって。…………で、好きなのか?」


 この人もかよ。

 すぐに恋愛の話に結びつけたがる。

 とはいえ瑠美さんは他人じゃないしな……少し、真面目に答えるか。


「正直に言うと…………よくわかんねえですわ。人としては間違いなく好きですけど、これが恋だの愛だのそういった特別な何かまではわかりません。そもそも経験ないですし」


「そりゃ、そうなるか。……つまんねえの」


「おいつまんねえとか言ったか」


「半分は冗談だ」


「もう半分は本気ってことじゃねえですか」


「ほう、ちゃんと計算できるのか。やるじゃないか」


「バカにしすぎじゃねえかなぁ?」


 流石に分かるわ。舐めんなし。

 けらけらと笑う瑠美さんを軽く睨むと、「おお怖い」と欠片もそう思っていない様子で肩を竦めた。


「ま、それはそれとして、だ」


「なんすか?」


 ポケットから電子タバコを取り出して、肺一杯まで水蒸気を吸い込んだ瑠美さんは、口の端から煙を上らせながら言う。


「さっきの結論としては、いいぞ。夕方……いや、そうだな……二十時までに来る依頼はなんとかしてやる。もちろん緊急要請とかは除くけどな」


 緊急要請——こちらの世界に出現してしまった異形の討滅だったり、救援の要請などだ。

 月に数件という頻度だ。緊急というくらいだし、それは仕方ないだろう。

 俺は頷いた。


「それでいいです。助かります」


「おう。その代わり、深夜とか早朝とかは優先的に回すからな」


 交換条件とばかりに出されたそれに、ちょっと顔を顰めた。


「ま、しゃーねえか……」


 諦めるしかない。その時間にクソ異形が出てこないことを祈るばかりである。

 ひとまず一つ目のお願いはひと段落ついたか。無意識に入っていたらしい肩の力が抜ける。内容としては二つ目の方が重要ではあるのだけど。


「さて」


 だが、まだ話が終わってなかったようで。

 瑠美さんの前置きに、緩みかけていた気を締め直す。


「ここからは老婆心だが……」


 どこか暖かさの宿る瞳で瑠美さんは俺を見て。

 両肘をテーブルに置き、組んだ両手の上に顎を置いた。


 俺は首を傾げた。


「すんません、ロウバシンってなんです?」


 瑠美さんが組んでいた両手が崩れた。

 がくんと顎が落ちる。


「お前なぁ……」


「ごめんて」


 調子を外したのは分かっていたけど、聞かずにはいられなかったのだ。

 瑠美さんは咳払い。


「簡単に言えば、お節介かもしれないけどって意味だ。年下の相手に言う時に使ったりする。…………お節介の意味がわからないとか言わないよな? 本当に言わないよな?」


「それは言いませんよ……気を遣いすぎるって意味っすよね?」


 瑠美さんは奥歯に魚の小骨が挟まったような顔をした。

 あれ? 違うっけ?


「まぁ、間違っては……ないか」


 なんだ、脅かすなよ。


「ったく……話を戻すぞ」


 仕切り直すように、瑠美さんは再度両手を組んだ。


「人との関係ってのは、ずっと同じに続いていくように見えても、そうじゃねえ。何かをきっかけに急に関係が切れちまったり、変わったりするモンだ。今はまだピンと来ねえかもしれないけどな」


「…………いや、そうでもないですよ。心葉ここはは少なくとも、そうだった」


 妹の名前だ。

 もう会えない。ふにゃりとした笑顔を俺に向けてくれることはない。

 あの地獄のような場所で、唯一残されていた陽だまりのような居場所は、もう俺の記憶の中にしか存在しない。

 ……ずっと二人で生きていくもんだと、思っていたんだけどなぁ。


 心の奥で疼く傷口のようなものだ。心葉と二人で笑っている瞬間でさえも。

 俺の表情がどこかしら変わったのだろう。瑠美さんは眉尻を下げる。


「……すまん、思い出させたか」


「構いません。続けてください」


 過去は過去さ。取り戻せることはない。

 であれば、他人が深く気にするだけ無駄というものだ。


「なら、そうする。……話は、お前と天上についてだ」


「……?」


「お前らにも、いつか必ず、関係が変わるきっかけとやらは訪れるだろうってことさ」


 アタシにとっては、それがいいものであることを祈るがね。

 口の端から電子タバコの煙を燻らせ、瑠美さんはそう続けてから。


「もしそうなった時は、一つだけ、覚えておけばいい」


「……一つだけ?」


「簡単さ」


 言って、瑠美さんはニヤリと笑った。


。周りのことなんか気にすんな。その時は、お前の本当にやりたいことをやればいい」


「……俺の心が叫ぶ声に、従う」


 その言葉は不思議と、俺の内側に深く入ってくる。


 後になって思えば、瑠美さんは俺の変化に気づいていたのだろう。

 抜け殻のように生きていた俺が、ずっと忘れていた感情を少しずつ思い出していたことを。


「ああ。迷惑なんか考えんな。面倒くせえ事情なんかゴミ箱に捨てろ。そんで、お前のことを邪魔する奴は、全員ぶっ飛ばしちまえ。アタシらのことも、気にしなくていい」


 その言葉を聞いて、俺は悟る。


「……スズネさん、瑠美さんに話したのか」


「その通り。アタシに何も言わずに勝手に行動しやがって。ぶん殴ってやろうかと思ったね」


 鼻を鳴らしながら、瑠美さんは腕を戻して電子タバコから煙を吸い込んだ。

 言葉とは逆に、怒っている気配はなかった。むしろ、その口元は優しく緩んでいる。

 仲良いんだな。ぼんやりとそんなことを思った。


 それにしても……そうか。

 スズネさんは、瑠美さんに話したのか。


 どこまで、と一瞬頭の中で考えるも、きっと知る限り全部話したんだろうな、と直感する。

 とはいえ。


 天上さんが狙われている。それを、瑠美さんも知った。

 その上で瑠美さんは、俺の好きに振る舞うことを許容してくれた。

 たぶん、それだけ知っていれば充分だった。


「で、凪也。お願いは二つあるって言ってたよな?」


「ですね」


「言ってみろ」


 鷹揚とした調子で促す瑠美さんに、俺は小さく息を吸い込む。

 無茶なお願いをする自覚があったからだ。


「二つ目はですね————」


 俺が告げたお願いの内容に、瑠美さんの顔が驚愕に染まった。





「……まずは、如月くんの知識を確認する」


 放課後。天上さんの教室。

 記念すべき第一回の勉強会にて、向かい合って座る天上さんは最初にそう言った。

 天上さんと過ごしている時間の多くは隣に並んでいたから、向かい合うのは少しだけ新鮮に思う。


 そういうことを言ったら勉強会の趣旨からズレた会話が始まりそうだったので、俺は無言で頷いた。

 進級のためだ。内心は結構残念だった。


 他の席にまだ人はいて、ちらちらと視線は感じるものの。

 彼らも受験やらテストやらが優先事項なのか、メインの意識はそちらに割かれているようだ。


 そのためか、邪魔してくる人もおらず。何事もなく勉強会は始まる。


 まず、俺の知識の確認として。

 天上さんのいくつかの質問に答える、ということをしばらく繰り返した。

 五分ほど経って。


「……だいたい、わかった」


 天上さんは持っていたシャーペンをことり、と机の上に置いた。

 前の席を借りてひっつき合わせた机の上には、ルーズリーフ一枚と何冊かの教科書がどん、と重ねられている。

 シャーペンはただ持っていただけか、何かをメモする予定だったのか。

 天上さんの考えまではわからなかったが、結局このやりとりの上ではメモの必要も感じなかったらしい。

 何も書かないままにシャーペンを置いた天上さんは。


「…………如月くん」


 変わらない無表情で俺の名前を呼ぶ。

 そして、死後の沙汰を待つ者に天国行きか地獄行きかを告げようとするような重々しさで。


「…………正直に言うと」


 ごくり、と俺は唾を飲み込んだ。

 天上さんは、言う。


「…………ぜつぼうしてる」


「絶望!?」


 ……どうやら、沙汰は地獄行きだったらしい。

 その上で、言葉が続けられる。


「……小学生からやり直した方がいい」


「小学生からっ!?」


 慈悲はなかった。


 心なしか、天上さんの頬が引き攣っている……気がする。

 こんなところで新しい表情なんて見たくなかったわ。


「……まさか、分数の計算すらあやしかったなんて」


「あー…………その、すまん?」


「…………むしろ、今まで、どう乗り切ってきたの?」


「サービス問題を何とかして。後は勘」


 サービス問題を丸暗記して、選択肢問題を勘で乗り切れば、赤点との境界線までは何とかなる。

 後は、まぁ…………異能者の力で、誰も視認できない速度でカンニングだ。

 リスクがあるし、覗き見た解答が合っているか間違っているかさえわからないので、基本使わないけど。


 天上さんはじとりとこちらを見て、小さく息を吐いた。

 何かを言おうとして、それを飲み込んだような仕草だった。


「…………如月くんの事情はしってるから、しかたない。でも、これはよくない。ほんとうによくない」


「……まぁ、そうだな」


 頷く。

 反論さえ浮かばなかった。


 いざ勉強しようとなっても、どこから手をつけていいのかさえわからないのだ。

 手を付けるべき場所が無数にあって、だけどそれらを網羅する時間も気力もない。

 結局全て後回しにしてしまって、今までが何とかなっているからとその場凌ぎのやり方を続けてきた。

 良くないと知っていながら、いつか破綻すると知っていながら、見ないフリをしていた。

 天上さんに頼ったのは、そんな現状を何とかしたいからだ。


「…………いまは時間がないから、テスト範囲だけをなんとかする」


 無言で頷くと、天上さんは更に続けた。


「……そのあとで。夏休みとかに、少なくとも高校入学までの範囲はおわらせる」


「……、」


 俺はぽかんとしてしまった。

 脳のフィルターを一切通さずに、思ったままの言葉が口に出る。


「……そんなに、面倒見てくれるんだな」


「……っ」


 だって、普通、投げ出すレベルだろう。こんなの。

 自分のことだからこそ、どれだけひどいかは理解している。

 夏休みで何とかするって言ったって、ほとんど毎日つきっきりで教えてくれなきゃどうにもならないほどだろう。

 数年かけて勉強することを、たかが一ヶ月とか二ヶ月で終わらせるなんて、かなりの無茶だ。

 それを分かった上で、俺のために、そんなことを天上さんが言ってくれるなんて。


 そんなの、嬉しいに決まっている。

 先に驚きが出てしまったけれど。

 じんわりと広がる喜びと、こんなことに天上さんの時間を使わせてしまう罪悪感が、胸を苛んだ。


 できる限り真面目にやろう。それで、少しでも早く終わらせよう。

 そう思った。

 そこそこだったやる気に、燃え上がるような火がついた。


 俺の内心を知ってか知らずか。

 本音ダダ漏れの言葉に一瞬詰まった様子の天上さんは、こちらを真っ直ぐに見つめながら言う。


「…………きのうも言ったけど、わたしは如月くんからいっぱいもらってるの。だから、勉強の面倒くらい、見させてほしい」


「……わかった。ありがとうな」


 天上さんは首をふるふると横に振った。


「…………別に、いい。どうせ夏休みは、ひまだし」


 あーっと…………。

 これは、遊びに誘ってほしいという意図だろうか?

 俺もまぁ、異能関連の仕事以外は暇だし。

 天上さんと遊べるなら、大歓迎だ。


「夏休み、どっか遊びに行くか?」


 聞くだけ聞いてみると、天上さんは耳を赤くした。

 照れている時のサイン。

 ……どうして急に?


「…………そんなつもりはなかった。……でも、行く。行きたい」


「特に意図はなかったのか」 


 頭いいのに、そういうところが抜けているのがかわいいと思った。


「行こう。どこに行くかは、また今度相談しよう」


「……うん、そうしよ」


 天上さんは頷いた。

 口元が緩んでいる。

 きっと、無意識なのだろう。


 ……だからこそ、破壊力が高いのだけど。


 いつかは、口元だけでなく、目でも笑ってくれるだろうか。とびっきりの笑顔が見られるのだろうか。

 それが楽しみで、待ち遠しい。


 テストが終わったら、俺が異能者だってこと、言うか。

 さも以前から決まっていたかのように、そんな決定が頭に浮かぶ。


 隠し続けながら夏休みを過ごすことは、したくないと思った。

 たったそれだけの、理屈も何もない自分の感情に従うだけの決定。

 だけどなぜか、そうするべきであると感じたのだ。 


「じゃ、まぁ。よろしくお願いします。天上先生?」


 おどけるように言うと、天上さんは生真面目に頷いた。


「……びしばし行くから、かくごして」


 言って、天上さんは教科書を開いた。





「……あー、疲れた」


 ぼやきながら紫煙を吐き出す。

 天上さんは本当にスパルタだった。

 まだ頭が熱を持っている感覚がある。


 新月なのか、月明かりも何もない夜空の下で。

 暗闇の中、輪郭だけが見える巨大な腕が、眼下でもぞりと動いた。


「おら、死ね」


 右足に力を込める。

 ぐちゅり、と大きなトマトを踏み潰す感触。

 巨大な腕は一度何かを掴むように宙を彷徨い、落ちた。


 討滅、完了だ。


 早速とばかりに瑠美さんから回された依頼が終わる。

 スマホを見ると、時刻は夜の一時過ぎ。ゲートの先だから当たり前だけど圏外だった。


 自分の手のひらさえまともに見えない暗闇に、赤く燃えるタバコの先が浮いている。

 何となく見上げてみた夜空は、いっそ残酷なまでに綺麗だった。


 異形は、死んだ。

 また一つ、人類の脅威が去った。


 それでもまだ。

 人工物も自然も何も見当たらないこの終末の世界に、この無尽の荒野の先に、夥しい数の異形がいるのだ。


 ……たぶん。

 人類は異形に、勝てない。


 とうに限界を超えて傾いている天秤を、今は何とか保たせているだけ。

 ちょん、と天秤に触れる程度の変化で、どうしようもなく人類は蹂躙される。


 きっと誰もが気づいていて、見ないふりをしている。考えないようにしている。


「アホらし」


 そう吐き捨てた。

 規模こそ違えど、やっていることは俺のテスト対策のようなものだったからだ。


 人間みんな、考えることなんて同じということなのだろう。

 臭いものには蓋、だったっけ?


 俺にはまだ、天上さんがいた。どうしようもなくなる前に、何とかしてくれそうだ。

 ちょっとだせえし申し訳ないと思うが、そこはこれからの努力でカバーしよう。


 ただ、人類はどうだ?

 天秤が完全に傾いてしまった時、何とかなる手立てはあるのか。

 助けを求められる存在はいるのか。それを解決できる策があるのか。


「…………、」


 煙を空に吐き出した。

 星の光が、煙を白く染め上げる。


 あるわけがなかった。

 異能者を国営にするとかどうのとか、利権やら国民感情やらそんなことをごちゃごちゃ喋っているような奴らに、それを期待することが無理筋だった。


「……どうしたもんかねえ」


 絶望しかない未来。

 それを知りつつも、俺はいつも通り使いっ走りのようにちまちまと依頼を受けて異形を倒す。


 …………何もしていない時点で、その他大勢と同じと知りつつも。

 俺もまた、どうにか天秤を保つので精一杯と言い訳をして、やがて考えることをやめるのだ。

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