第十二話 アタシの弟だよ。知らなかったのか?


 その後は特に変わったことは起こらずに授業が終わり、放課後。

 俺は事務所に向かっていた。


 瑠美さんに二つお願いがあるのだ。

 いつものようにICカードを通して中に入る。

 談話室に入ると、先客がいた。


 袴を着た白髪の老人。

 パイプ椅子に座って、静かに目を瞑っていた。

 ぴんと伸びた背筋。目を閉じたまま微動だにしない様子は、根を深く張った大樹を思わせる。


 俺の気配に気づいたか、老人はゆっくりと目を開く。

 深い海のような瞳と目が合った。


「源流さん。お久しぶりです」


 会うのは久しぶりで、俺の尊敬している人だったから、声が弾んだ。

 その人は俺を見て、しわくちゃの顔を綻ばせる。


「おお、ナギ坊か。息災かの?」


「そこそこっすね。今日はどうしたんです?」


「ちと、瑠美に用事があっての。もう済んだのだが、ナギ坊が来ると聞いて待っておったわい」


「それはどうもです。瑠美さんは所長室ですか?」


「今は涼音と話しておるよ」


 ありゃ、そうだったか。


「待ってる間、どうじゃ?」


 主語のない問いに、俺は一も二もなく頷く。

 立ち合いの誘いだ。


「ぜひ、お願いします」


「それは重畳。では、地下に行こうか」


 ——月斬つきぎり源流げんりゅう

 刀剣術でもかなり異色とされるほどに超実戦的な流派である月斬流。

 その宗主であり、歴代最強と名高い剣士。日本の英雄の一人。

 それが源流さんだ。


 異能者ではないものの、うちの事務所に所属している。

 きっかけは、異形を源流さんが討滅した現場に瑠美さんが出くわし、勧誘したからだそう。

 生身の身体で、しかも齢七十を超えているにも関わらず、異形を真っ向から倒せるスーパー爺さんである。

 見た目は完全に縁側で茶でも啜ってそうな人なんだけどなぁ、刀を持つと鬼神になるんだ。

 ただ、源流さんは道場の運営がメインのため、あまり会う機会はない。

 俺は運のいいことに目をかけてもらっており、こうして時折会った時には稽古をつけてくれるのだ。


 地下には広い運動場がある。

 天井も高く、立ち合いに不便することはない。

 大河さんと美春さんがよくスパーリングに利用していたが、二人は今は出張中。

 だからか、少し埃臭い。電気を付けるついでに、換気を強めに回しておく。


「鍛錬は欠かしてないかの?」


「もちろんです」


 十メートルの距離を空けて、向かい合う。

 源流さんは俺の身長より長い大太刀を顔の横に立てて構えている。八相と呼ばれるらしい構えだ。


 俺は一メートルほどの刀を両手に一本ずつ。

 左腕をだらりと下げ、右は肩に刀を置く。その上で若干重心を前に傾けるのが俺のスタイル。


「いい気迫じゃの、やはり」


「源流さんには負けますよ」


 いや、本当に。

 大木のような安定感と、極限まで研がれた刀が首に押し当てられているような圧迫感。

 相対するだけで、額に汗が滲んでくる。

 十メートルの距離が、あまりにも短く感じる。

 一足で接近され、首をぽーんと刎ねられてしまいそうなビジョンが消えてはくれない。

 お互いに刃を潰した模造刀ではあるが、源流さんならそのくらい片手間にできそうだ。


「では、行くかのう」


 まるで散歩に出かけるような軽い声と共に。

 大太刀が振るわれていた。

 自分でも自覚できない意識の隙間。刹那もないその空白の間に、源流さんは踏み込む。

 気づけば接近されていて、気づけば大太刀が間近に迫っていた。


「ッ!?」


 咄嗟に全身を脱力。地を這うほどに姿勢を下げた俺の真上を暴風が薙いだ。

 鞘で床を全力で叩く。その反動で大きく下がると、直前まで頭があった位置に膝蹴りが来ていた。


「よく躱したのう」


「異能者の身体能力含めてギリギリでしたが?」


 本当に怪物すぎるだろ。異能の力を活性化させていないとはいえ、大人と赤子レベルの差がある身体能力を技術のみで埋めてくるとか、どんな悪夢だよ。


「ほれ、攻めてこんかい」


「そう言われましてもねえ……」


 隙がなさすぎるんだよ。

 いや……これは正確じゃないな。

 隙はあるのだけど、誘い込まれている気しかしねえんだよ。実際にそれで何度もやられてる。

 この人と何度も立ち合っていると、それが隙なのかそうじゃないのかが段々わからなくなってくるんだ。

 どこを攻めても完璧に対応されてしまう気しかしねえ。


「ナギ坊は基本的に後手から相手の先手を潰すタイプじゃからのう。攻めて隙を作る、という方法も必要ぞ」


「源流さん相手に? 冗談でしょう」


「かっか。それも練習じゃろうて」


 そうなんだよなあ。

 確かに俺はカウンターがメインだし、先手を取り続けて圧殺することも選択肢としては欲しい。

 『できないからやらない』と、『できるけどやらない』はマジで天と地ほどの差があるし。


「まあ、胸を借りさせていただきますよ……!」


 地面を蹴る。

 大太刀の殺傷圏に自分から突っ込んでいく。


 大太刀はその長さから、小回りが利きづらい。

 だから振っている最中に刀を止めるとか、軌道を変えるとかは基本的にはできない。

 一太刀、凌ぐことさえできれば、源流さんに刀を届かせることができる。

 ただ、問題は。

 早すぎて刀が全く見えないことだろうか。


「!」


 肌が粟立つ感覚に、大きく後ろに跳ぶ。

 風圧が腹を撫でた。


「大きく避けすぎじゃな。また距離が離れたぞ?」


「避けただけよくやってる方だと思いますけどねぇ!」


 いやほんと。

 源流さんの斬撃はあまりにも早すぎる。

 八相の構えから、両腕がブレたかと思えばもう振り切られている。そんな速度なのだ。

 速度を緩めないまま接近する上で、最低一太刀凌がなければならない。


 ははッ、無理だろ。


「……、」


 …………でも、やってみるかぁ。

 これ、あんま好きじゃないんだけど。


 息を細く、長く吐いた。

 雑念を消す。会話に割いていたリソースも集中へ回す。

 自分の意識を深いところまで潜り込ませる。

 身体の所有権を、無意識に渡す。意識というコントローラーを完全に手放す。


 必要な結論はただ一つ。相手に一撃入れる。

 それを成すための情報以外は、全て無駄。記憶に留めることも、記憶を参照することも脳のリソースの無駄として切り捨てる。


 やがて視界に、色が消えた。

 色彩は失せ、白と黒の濃淡で表現された世界にいた。


「……ほう? ようやく来たか」


 声が聞こえたが、理解はできなかった。単なる音の強弱の集まりなど、理解する必要はなかったからだ。


 前へ。

 とん、と床を蹴った音は後ろから聞こえた。

 全ての筋肉の動きが脳内にフィードバックされる。身体の使い方に無駄が見つかる。即座に修正。


 目の前の人物が顔の横に掲げている両手が、残像を描く。

 本能が警鐘を鳴らす。

 太刀筋は見えない。

 けれど、予想することはできる。想定される軌道から身体を逃すことはできる。


 俺は上半身の力を抜いた。

 足の動きが上半身より先に出る。身体が弓の字に近づく。

 バランスを崩す前に、自分の左足を右足で蹴った。

 結果として俺の身体は寝そべりながら床を滑る動きとなり、その鼻先を風圧が通る。


 凌いだ。そう感じた直後に両膝を折り曲げて、相手の膝に向けて跳んだ。

 組み付きで体制を崩す——そんな俺の意図を嘲笑うように。

 ちょうど俺の顔の正面に来る位置に膝蹴りが置かれていた。


 織り込み済みだ。


 右拳を床に付け、思いっ切り伸ばした。

 俺の身体は、相手の目の前で逆立ちしたように伸び上がる。

 右腕一本の力だけだが、異能者の素の身体能力ならこのまま二メートルは跳べる。


「なんと!?」


 そのまま縦に回転して、回転の勢いで左の刀を相手の股間から顔にかけて入れようとして————


 ぎぃん、と。

 大太刀に止められた。


 咄嗟に逆手持ちに切り替えたのだろう。

 俺の一刀を受け流すように大太刀が正中線に対して斜めに置かれている。

 それを知覚した直後、ぐん、と視界が強く回った。

 上に飛ばすように流されたのだ。体重を乗せられない一撃だったから、防がれればこうなるのは自明だった。

 

 激しく回転する視界の中で、咄嗟に右の刀の平を身体の前に置いた。


 直後、凄まじい衝撃。


「……ッ!」


 大太刀を叩きつけられたのだろう。

 運動場の端まで吹っ飛ばされて、壁に頭を打ちつけてからようやく止まってくれた。


 意識が浮上する。

 視界に色が戻る。

 ついでに、全身を中々な痛みが訴えてきた。


「いってえ……!」


 目の奥がチカチカする。綺麗に頭をぶつけたわ。クッソ痛い。

 あれで勝てねえとか無理だろ。

 強すぎだわマジで。俺なんかよりよっぽどバケモンだろ。

 タバコ吸いてえ。めっちゃ疲れた。一年分くらい集中したわ。


「…………これは一本取られたのう」


 静かに呟きながら、源流さんは禿げ上がった頭をさすっていた。

 そのすぐそばには、俺の持っていた刀が落ちている。

 吹っ飛ばされる直前に、偶然を装って左の刀を上に投げたのだ。

 ちゃんと角度を調整したから、切先が頭の上に落ちてきたはずだ。


「それでも相打ち未満ですわ。強すぎません?」


 実戦だったら俺は刀ごと確実に真っ二つになってただろうよ。

 一方で源流さんは、多分死んだけど、運次第で生きるかもしれないくらい。

 いや、俺を吹っ飛ばした時の大太刀の風圧で軌道がずれて、致命傷になっていない可能性の方が高いか。

 さっきの攻撃を防がれた時点で内容としては完全に負けだし、不意打ちに近い最後っ屁がうまく決まったとしても相打ちと誇れる気分ではない。


「伊達に六十年刀を振ってないからのう。……それにしても、一撃入れられたのはいつ以来か」


 ぽつり、と。悔しさと喜びが混ざったような独白を耳が拾った。

 いや、マジで、ほんと、どんだけ強いねん。イカれてんだろ。


 ぱちぱち、と拍手の音が聞こえた。

 そちらを見ると、瑠美さんとスズネさんがいた。


 瑠美さんはどこか誇らしげな表情をしている。

 それとは対照的に、スズネさんはそこはかとなく睨むような、厳し目の視線を俺に向けていた。

 いつものほほんとしているのに珍しい。

 どうしたんだろう?





 ————なんなの、あれは。


 琴原涼音は、目の前の光景に圧倒されていた。

 ドン引きしていた、とも言い換えていい。


 運動場の中央では、孫と祖父のようにも見える年齢差の二人が戦っていた。

 如月凪也と月斬源流。共に同じ事務所に所属する同僚だ。


 特に月斬源流に関しては、この事務所に所属する前から琴原涼音は——というか、この国の人ならほとんどが知っている。

 鬼神、異形斬り、歴代最強の剣豪。数多くの異名を持ち、もはや生ける伝説とも呼ばれる男だ。

 異能を持たない生身ながら、千を超える異形を第一線で斃し続けたとも言われるほど。

 過去に起きた大氾濫で、たった一人で押し寄せる異形を食い止めた、習志野クラスタの英雄。


 琴原涼音とて、その伝説に憧れる一人だ。

 初めて戦っている場面を目撃した日は、興奮で眠れなかった。

 ただひたすらに、余りにも、強かったのだ。


 だから、如月瑠美との話し合いが終わって。

 談話室での二人の会話が微かに耳に入って。


『涼音。折角だから二人の立ち合いを見に行かないか?』


 そう誘われた時は、内心で鼻で笑ったのだ。


 ——あの月斬源流と、まともに戦えるはずがない。


 対人戦では負けなしどころか一合で決着が付き、異形を前にしたら一太刀で切り捨てる。

 そんな生ける伝説を前に、高校生程度が相手になるなんてありえない、と。


 そう思っていた。

 確信すら抱いていた。


「避けただけよくやってる方だと思いますけどねぇ!」


 やけくそ気味な如月凪也の声が耳に入る。

 それを、呆然と琴原涼音は聞いていた。


「戦いに、なってる……?」


「最初はボコボコだったらしいぞ?」


 どこか得意げな声は隣から。


 ボコボコなんて、そんなの当たり前だ。

 人生の最初から最後まで、一合保たなかった人間だっているだろう。


 それを、あれは。


 異能者の目ですら追えない神速の斬撃を二度、避けている。

 二度とも、偶然には見えない。一度目なんて、月斬源流の追撃すら回避していた。

 わけが分からなかった。


 その時、如月凪也が息を長く吐き出したのが見える。

 元々表情に乏しい顔から、更に抜け落ちるように色が失われていく。


 お、と如月瑠美が小さく声を出してから、続ける。


「やっと本気を出すか。アイツのあれは久しぶりに見るな」


「は……?」


 本気を出す? まだ本気じゃなかったというのか? あの生ける伝説が相手で?


 ぞっとするほどの無表情になった如月凪也が、構える。

 左腕をだらりと下げ、右の刀を肩に置いて、若干の前傾姿勢になった。


 ——それは。


 まるで、血の海から生まれてきたかのような。

 殺戮が日常と化し、それ以外の目的が失せ、感情さえ擦り切れた。目の前の存在をただ殺すことしか考えていない、虚無で純粋な修羅。

 そんな恐ろしい存在にさえ、見えた。


 ——そこからはもう、琴原涼音には理解できなかった。


 如月凪也の身体がブレたかと思えば月斬源流にスライディングで接近していて、かと思えば曲芸師のように目の前で逆立ちを始めて、かと思えば上で回転していて、月斬源流が如月凪也を吹っ飛ばしたかと思えば、その頭に如月凪也が持っていたはずの刀が落ちていた。


 三秒にも満たない、あまりにも短い攻防。

 この世で最も獰猛な獣のように、奇天烈な動きをしながらもその全てを攻撃に繋げて一矢報いた如月凪也。

 全てを待ち受け、その上で跳ね返す何よりも高く硬い壁のように、不規則で予想すらできないであろう動きに対処し、最後には痛烈な一撃を叩き込んだ月斬源流。


 琴原涼音には、もうどちらが強いかすら分からなかった。

 二人の戦いが首を直角に曲げても見えないほどに、高い領域にいたから。


『左腕がない今なら、確実に勝てると踏んでいたんですか?』


 深夜に向かい合って、戦闘になることすら覚悟した時の如月凪也の言葉を思い出す。

 あの時の自分は明言を避けた。ズルいとは思うけど、と言って誤魔化した。

 それでも思っていたのは、『両腕があっても勝てるだろうけど、右腕だけだったらより確実に勝てる』だった。

 明言を避けたのは、如月凪也のプライドを刺激しないようにとの、琴原涼音の気遣いのつもり…………だった。


(——馬鹿みたいだわぁ。こんなの、勝てる訳ないじゃない)


 両腕がなくても、もしかしたら自分は負けるかもしれない。

 それほどの強さだと、ようやく琴原涼音は悟った。

 戦いにならなくて良かったと、心の底から思う。


(怪物級の強さの人が多くないかしらぁ? うちの事務所は)


 小さくため息を吐く。

 一々くだらないプライドに固執するほど子供ではないが、それでも思うところはあったので。


「如月君の強さ、はっきり言って異常よ。あの子は何者なのよぉ?」


 投げやりな調子で如月瑠美に聞いてみると、どこか誇らしげな声が返ってきた。


「アタシの弟だよ。知らなかったのか?」


「…………そうね。本当、そっくりだわぁ」


 特大のため息を吐いて、琴原涼音は踵を返した。

 今日はもう家に帰ろう。


 帰ってから…………日課のトレーニングの負荷を見直してみよう。

 琴原涼音はそう思ったのだった。





「……やはり、変化は無しか」


 自分のパソコンに送られてきたデータの羅列を眺めて、男は呟く。

 長い間、ほとんど変わらない報告だった。

 精々が身長や体重といった違いがある程度で、男にとって重要な部分に何一つ変化はない。


 落胆を通り越した虚無が男の表情に張り付いていた。

 過去のデータや、実験記録をざっと見直してみる。

 ……新たなデータが上がってくるたびに、半ば機械的にしている作業だった。

 砂漠の中に混じる一粒の砂金を探すように、ほんの僅かな期待と、どうせ今回も同じだろうという諦観。


「チッ」


 案の定後者だったようで、男は舌打ちを一つしてから手元のコーヒーを飲み干した。


「四ヶ月あれば、新たな実験は始められるが……いや、いっそもう手元に置いてしまうか……? 無能への慈悲とはいえ、最後まで聞いてやる余地はないか」


 ぼやきながら、男は新たなファイルを開く。

 そこに書いてあるのは、対象の観察データをまとめた報告書だ。

 いつも通り無味乾燥な日常を送っているのだろう——そう思っていた男の目が、見開かれる。


「ほう……? 男との交友関係か。あんな人形となど、物好きなものだ」


 せせら笑うように言った男の目が、ある一文に止まった。


「如月、凪也……? あの如月瑠美の弟か」


 異能者として有名な女傑の弟。彼女に兄弟はいないはずだった。あの家のことだから、隠し子でも見つかったのだろうか。

 活動している異能者が登録されているデータベースにアクセスしても、表面的なプロフィールしか出てこなかった。

 唯一役に立ちそうな情報としては、三年前まで外国にいた、ということくらい。


 報告書を見るに、随分と仲良くしているらしい。

 人形と変わらない無表情が、この男の前では緩んでいるようであった。

 最後に見たのは何年前だったか、まるで普通の少女のような色艶のある顔。


 ——これは使える、と男は口元を歪めた。


「……面白そうだ。この男を使えば、新たな実験が」


「やめておいた方が良いっすよ」


「……ッ」


 男は画面から素早く顔を上げた。

 いつの間にか、目の前に高校生くらいの少年が座っている。


 いつからそこにいたのか。男の視界を遮るのは大きめのデスクトップ画面くらいのもので、その向こうにヘラヘラと笑う少年が座っていることに声をかけられるまで気がつかなかった。

 男はこの少年を嫌っているが、その有能さは認めざるを得ない。


「……お前か」


「や、どうもっす」


 ジロリと睨め付ける男を意に介した様子もなく、軽薄そうに少年は片手を上げる。


「気になることが聞こえたんで、ちょっと立ち寄っただけっす。すぐ帰りますんで」


「今すぐ帰れ。そもそもが立ち入り禁止だ」


 少年は鼻で笑って返した。聞き入れる気がないのは明白だった。

 男にとっては腹立たしいが、初めてのことでもない。適当に相手して、早々に帰ってもらうのが賢明だと学んだのは割の最近のことである。


「で、やめておけとはどういうことだ」


「言葉の通りっすよ。如月凪也に手を出すのはやめておいた方が良いってだけです」


「……庇いでもしているのか?」


「そういうわけじゃないっすよ。ま、忠告はしたんで。また今度、


 ひらひらと手を振って、少年は部屋を出ていった。

 いつもよりずっと短い滞在時間。本当に忠告が目的だったのだろう。

 問題は、その意図だった。


「…………、」


 本当に止めているのか、煽っているのか。

 どちらに転ぶにせよ、少年の思惑通りになるのは癪だった。

 男は——公安第五課第八係所長、最先端の異能研究機関の長である天上開理は——しばし考え込んで。


「それでも、機会を逃すのは惜しい……か」


 新たな実験という黄金の果実に、手を伸ばすことに決めた。

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