第六話 未来のことなんかわかんねえよ


 それから。

 天上さんは昼休みになると屋上に顔を出すようになった。


「……やっほ」


「おう」


 ひょい、といつも通りの無表情で天上さんが屋上のドアを開ける。

 俺も慣れたもので、柵に背中を凭れながら右手と一緒に消えかけのタバコを持ち上げる。

 一応合鍵は渡しているが、基本的に人が来ることはないから鍵は開けっ放しにしていた。


 携帯灰皿にタバコを入れて、日陰に座る天上さんと、一人分の間を開けて座る。

 天上さんはコンビニで買ったらしいクリームパンをもしゃもしゃ齧っていた。


「クラスの奴らは大丈夫だったか?」


「…………まだ、うるさい」


 少し疲れたように、天上さんは言う。

 俺たちが初めて出かけた日から、天上さんの周りはだいぶ騒がしくなったそうだ。

 あれから数日。周囲が落ち着くまでもう少し時間が必要だということか。


「……紹介してほしいって言われたけど」


「遠慮しておく」


「……知ってた」


 そういうことらしい。

 俺もお断りである。何人かに話しかけられたが、適当にあしらっている。


「嫌な思いするようだったら言えよ。何とかするから」


「……だいじょーぶ」


 ぐ、と天上さんは親指を立てる。

 表情は変わらないが、こうして仕草に出してくれるようになった。

 これはこれで、無表情とのギャップがいいと思う。


「……如月くんの周りは?」


「話すやつは基本的に一人しかいないし、そんな変わらねえな」


 龍も意味ありげに『へぇ……凪也があの天上先輩と……』とか呟くだけだったし。


「あー、でも、ちょっと天上さんの噂は聞いたな」


 ふと思い出して口に出すと、クリームパンを咥えたまま天上さんがぴし、と固まった。

 ネガティブな噂ではなかったため、気づいてはいるが続けてみる。


「運動も勉強も無双している天才美少女とか、部活泣かせとか、氷属性美人とか、色々聞いたな」


「…………忘却を所望する」


「忘れろって? まぁいいけど」


「……よろしい」


 そう言う天上さんの耳はちょっと赤かった。

 心なしか、食べる速度が早くなる。


 しばらくぼうっと今日も晴れた空を見ていると、食べ終わったらしい天上さんがこちらを見ていた。


「……如月くんはそういうの、ないの?」


「何のことだ? すっかり忘れたな」


 ぺちり、と俺の肩を天上さんが叩いた。

 不意の小さなスキンシップ。少しは心を開いてくれたのかな、と思う。


 まぁ、冗談だ。

 天上さんが忘れてほしいと言ったんだけどな。

 さすがに無理なのはお互いわかっている。


「聞いたことねえ。たまに授業をサボる不真面目な奴が精々だろうよ」


 授業サボってタバコ吸ったり、異形をぶっ殺している。

 両方とも誰にも言ってないから、イメージとしてはそんなもんだろうさ。


「……それは聞いた。でもそのくらい」


「予想の範囲内だな」


「……体育は手を抜いてるし」


「目立ちたいわけじゃねえしな」


 見られてたのか。困るものでもないが。


「……勉強もできそう」


「いんや、全然?」


 自分で言うのもどうかと思うが、壊滅的だぞ。

 毎回赤点のボーダーラインをうろうろしている。


「……英語は?」


「話せるけど、あんま書けねえんだ。読み書きを教わったのも数年前ってレベル。ちなみに日本語も」


 だから、話せる言語は他にもあるが、読み書きがある程度できるとなると日本語と英語だけとなる。

 今でもdとbを間違えるし、雰囲気が『ふんいき』と読むのは本当に最近知った。


「…………如月くんがびっくり箱な件について」


「斬新な例えだな」


 たぶん、聞けば聞くだけ他の人と違う部分が出てくるからだ。

 だけどそれを言うなら、天上さんもだろうに。


「そうだ、土日は空いてるか? 空いてたら前話したスポーツ施設行こうぜ」


 ふと思いついたので聞いてみると、天上さんは首を横に振る。


「……土日は、空いてない。定期検査がある」


 天上さんの綺麗な声のトーンが下がる。


「おっけ。わかった」


 俺は気にしてないと、何でもない風に頷いた。


 …………国のクソどもの定期検査だろう。

 内心は苦虫を噛みつぶすような心地だ。

 早く、天上さんを縛る鎖を開放してあげたい。

 けれど、それにはまだ、時間も伝手も情報も足りなさすぎる。


 今できることはないか、土日に天上さんにできることはないか。

 せめて、天上さんの様子でも知ることができればいいのだが。


 …………あ。そういえば、


「今更だけど、連絡先交換しないか?」


「……そういえば」


 俺の内心と同じことを天上さんが言う。

 まさしく、そういえば、だった。


 ずっと忘れていたわけではない。

 思いついていたけれど、聞く度胸がなくて明日聞こうと先延ばしにしたり、忘れたりしていた。

 断られなくてよかった、と安堵しつつ、スマホを取り出す。


「ほら、これ」


 トークアプリを起動させ、QRコードを出す。

 すい、と天上さんの白いスマホが俺のスマホをかざす。

 華の高校生であるはずなのに、お互いにカバーも装飾もつけていない、買ったままの状態なのがおかしかった。

 通知音が鳴って、天上さんのプロフィール画面が出てくる。


「二人して、こっちも初期状態かよ」


 名前は自由に設定できるのにフルネームだし、プロフィール写真はアプリのデフォルトのままだし、自己紹介欄も空白。

 何から何まで同じだった。


「…………ね。へんなの」


 天上さんの口元が、緩んでいた。

 初めて会った日の屋上、別れ際に見えた、いつもと少しだけ違う表情。

 それだけでとても柔らかく見える表情で、俺の名前だけが表示された、簡素にも程があるプロフィール画面を眺めている。


 ——脳の奥が淡く痺れるようだった。


 感じたことのない心地に、何かを考えることさえも忘れて。

 ただ目の前の少女に見入った。


 こちらを見て、天上さんが首を傾げている。


「……如月、くん?」


 それからしばらくしての俺を呼ぶ声で、ようやく我に返った。

 ……なんだ、今の。

 自分のこととは思えないくらいに隙だらけだったぞ。体調でも悪い……のか?


「っ、すまん。と、とりあえず、なんか送るわ」


 早口でそう言ってから、デフォルトで用意されている、クマがバンザイしているスタンプを送る。

 すぐに天上さんから、応じるようにウサギが喜んでいるスタンプが返ってきた。


「……、」


 天上音羽と表示されているトーク画面に、二つのスタンプがあるだけ。

 それだけなのに、むず痒い。心臓の辺りを掴んで叫び出したくなるような、今まで感じたことのない気持ちで満たされる。


 通知音が鳴る。

 天上さんとのトーク画面に、新しいメッセージ。

 最新のメッセージ欄に『よろしくね』の五文字。


 スマホから顔を上げて隣を見ると、天上さんが無言でスマホを指さした。

 その仕草が、子供っぽく見えて可愛らしい。


 ふわふわ浮いたような心地のまま、俺も『こちらこそ』と送る。

 返信はすぐ。何だかワクワクする。


『天上音羽:わたしのわがままに付き合わせちゃってごめんね』


『如月凪也:そんなこと思ってねえよ。楽しいし』


『天上音羽:本当?』


『如月凪也:本当。いくらでもわがまま言っていいよ』


『天上音羽:じゃあ、次の次の土日は遊びに行きたい』


『天上音羽:さっき如月くんが言ってた、スポーツとか』


『如月凪也:わかった。行こうか』


『天上音羽:ボウリングやったことないんだよね?』


『如月凪也:ない』


『天上音羽:わたしも』


『天上音羽:一緒にやってみようよ』


『如月凪也:おっけ。場所は調べておく』


『天上音羽:ありがとう。すごく楽しみ』


 トーク画面に、次々と言葉が重なっていく。

 普段は言葉少なな天上さんは、文字の上だとおしゃべりみたいだった。

 そんなギャップも、彼女の魅力の一つなのだろう。

 単純な文字の並びのはずなのに、天上さんからのメッセージは、何だか特別なもののように感じる。

 返信が来るたびに、不思議な胸の高鳴りがあった。


 それからチャイムが鳴るまで、俺たちは無言で、だけどアプリ上では止まることなく話し続けていた。





「凪也ぁー、天上先輩とはどうだ?」


 昼休みと五限が始まるまでの間。

 教室に戻るなり、龍がそう言いながら近づいてきた。


「……?」


 心なしか、教室からの視線が集まった気がする。

 まぁ、気にするほどでもねえか。


「どう、と言われてもな……。まぁ、普通に友達だぞ」


「聞き忘れてたけど、どうやってあの天上先輩と友達になったんだ? 先輩たちがすっげえオレのところに聞いてくるんだよ」


「んー……」


 飛び降りそうになったところを、交渉して一旦は踏み止まらせたから。

 なんて言えねえよなぁ……。

 天上さんはどう説明したのだろう? あの人のことだから、何となく、とかで済ませそうな気もする。


「まぁ、流れで?」


「その流れが気になるんだけど……ま、いっか」


 悪いが諦めてくれ。


「ところで、龍は先輩たちと仲良いのか?」


「そりゃあ次期部長候補だからさ。色々教えて貰ったりしてるよ」


「じゃあ、天上さんのクラスでの様子もわかったりするか?」


「わかると思うぞ。A組の先輩も二人くらいいたし」


 言って、龍はニヤリと笑う。

 からかうような口調で、


「心配か?」


「そうだな、心配だ。あの人は大丈夫としか言わなそうだから」


「お、おう……」


 正直に告げると、龍は面食らった顔。


 実際心配なんだよな。スズネさん曰く、女子の嫉妬は恐ろしいものらしいから。

 天上さん経由で俺と知り合おうとした女子がいると聞いた時点で、誰かに普段の天上さんの様子を見てもらいたいと思っていたんだ。


「わかった。先輩に頼んでみるから、任せていいよ」


「助かる」


「ただし、貸し一つなっ!」


「…………はいよ」


 抜け目ないことで。

 ちょっと怖いが、これも天上さんのためだ。

 受け入れよう。


「ねぇねぇっ!」


「ん?」


 少し前の席で、グループで固まっていた女子の一人が話しかけてくる。

 おっとりした見た目の人だ。しかし見た目に反して、瞳孔が開いた黒い瞳には好奇心と興味が詰まっている。


 名前は……知らん。

 ほとんど話した記憶もない。


「如月君は天上先輩のことが好きなのっ?」


「人としては好きだぞ」


「ちがーう! 付き合うとかの好きかってこと!」


 そんなこと言われてもな。

 女子は恋愛に関わる話が大好きともスズネさんが言っていたけど、まさか知らん人から聞かれるまでとは。

 質問してきた女子の後ろを見ると、彼女のグループの二人もこちらの回答を楽しみにしている表情だ。


 龍を見ると、ニヤついた顔でこちらを見ている。

 なんか絶妙にイラっとするな。


「わからん。好きな人がいたこともねえから」


 仕方ないので正直に答えると、女子生徒は言う。


「じゃあ、これから好きになる可能性は!?」


「未来のことなんかわかんねえよ」


「凪也はピュアだからねえ」


「おい、適当なことを言うな」


 恋愛経験がないのは否定しないけどさ。


 と、教師が教室に入ってくる。

 同時にチャイムの音。


「また今度何かあったら聞かせてね!」


「気が向いたらな」


 その答えでも満足したのか、女子生徒はニコリと笑って席に戻っていった。


「加藤さんとも仲良くなるなんて……やるね、凪也」


「加藤さんって言うんだな、あの人」


「おまっ…………えぇ……?」


 龍は顎をかくんと下げる。

 マジかお前、と言いたげな顔。

 声は多少下げたが、隣の席の男子にも聞こえていたらしく、変人を見るような目をされた。


「おら、早よ戻れ」


「クラスメートの名前くらいは覚えといた方がいいと思うぞ……」


 隣の席の男子も頷いている。

 だがすまん。俺は君の名前も知らない。


 龍も席に戻って、騒がしかった教室が静かになる。

 引き出しから教科書を取り出して、昨日の授業のところを開いた。


 特に何事もなく五限が終わり、六限が始まる。

 そこから二十分ほどか。


「…………ん?」


 左のポケットが震えた。


 今は化学の授業。過剰なほど右上がりの文字が板書に連なって、棒読みの説明が教室に反響している。

 この教師は、現代文の教師と並んで寝られる授業だ。

 授業の邪魔をしなければ大体のことは見逃される。

 現に、他の教科の問題集を開いている人や、机に突っ伏している人、前の席に座る生徒の背中に隠れてスマホをいじる人さえいる。


 俺も彼らのように、スマホを取り出して机の窓側の端に置く。

 電話が来ていた。瑠美さんから。


 天上さんからじゃなくて残念だ。

 いや、向こうも授業中なんだけどさ。


 瑠美さんにトークアプリで『後でいいですか?』とだけ送る。

 すぐに既読がついた。『すまん、急ぎだ』と間を置かず返信。


 急ぎ、ねぇ…………。

 要件は決まったようなものだった。


 ——つまり、異形の討滅だ。

 

 世界がぐるんと裏返るように、血と殺戮と骸に塗れた日常へ。


 教科書を机の中にしまう。

 スマホを持って、俺は立ち上がった。


 幸い、誰かが閉め忘れたのか後ろのドアは半開き。

 気配を消しながら歩いて、身体を教室の外に滑らせる。

 人気のない廊下を走る。まっすぐに外へ向かう。

 裏口が見えてきたタイミングで通話をかけた。

 すぐに繋がる。瑠美さんの声が、前置きもなしにいきなり用件を告げてくる。


『急ですまない。仕事だ』

 

「場所は?」


『今送った』


 短いやり取り。

 トークアプリに位置情報が送られていた。

 ここは————この前タバコ吸った公園か!


 確かにここなら俺が一番近い。裏口の閉じた門を飛び越えて、走る速度を上げた。


「状況は?」


『あまり良くない。どうやら子供が一人、ゲートの中に入ったと思われる』


「はァ!?」


 思わず叫んだ。

 バッカじゃねえの!? 親は何してたんだ!


『異形の討滅と子供の救助を依頼したい』


「クソが。もう死んでるだろ」


 一貫して冷静な声の瑠美さんに吐き捨てる。

 異形を前にすれば、一般人でさえ十秒あれば肉塊だ。子供が生き延びられるとは到底思えない。


 足が鈍りそうになる。

 胃に重いものがズシンと来た。


『すまない。……だが、頼む』


 瑠美さんもわかっているのだろう。

 言及は避けているが、口調にやり切れなさが混じる。


「……やれるだけやってみますよ。現場の封鎖は?」


『いつもの公安が向かっている。五分ほどで着くそうだ』


「りょーかい」


 言って、住宅街に入る。

 曲がり角の先が騒がしい。その先に公園があるはずだった。


 通話を切って、走る足を緩めずに角を曲がる。

 見えた。


 人だかりができている。

 公園の入り口で、遠巻きに主婦と思わしき女性たちが何かを眺めていた。

 その視線の先には、この世の何よりも黒い球体が浮かぶ。


 ゲート。

 そう呼ばれている、異形がこちらの世界までやってくるための入り口。

 全長三メートルほどのそれは、時折不気味に脈動しながら、今なお肥大し続けているように見えた。

 あれの膨張が終わった時、異形はこの世界にやってくる。


「嫌! 離して! 子供が中にいるの!」


 半狂乱でそう叫びながら、周りの人に止められている女性がいた。

 もはや一刻の猶予もないだろう。


「今からゲートに突入する! あんたらは早く避難しろ! 下手すりゃまとめて死ぬぞ!」


 叩きつけるように叫んで、人々の輪を通り抜ける。


 ……日本の平和ボケっぷりには、いつもイライラさせられる。

 今、この瞬間、異形が出てきたらどうするんだ?


 逃げる暇もなく、腕の一振りでまとめてハイサヨナラだ。

 それを本当に理解しているのだろうか?


「もっと早く来なさいよ! それを何とかするのがあんたら化け物の仕事でしょうがぁ!!」


 これでも超絶ダッシュで来たんだけどねえ!!

 言い返したいのを我慢。

 そういうもんだ。


 ゲート入る直前にちらと後ろを見ると、涙目で俺を睨む女性がいた。

 先ほど半狂乱で叫んでいた人だ。恐らくは中に入った子供の母親。

 叫んだのは彼女だろう。


 ……慣れたものだ。

 いつも通り、俺がやることは異形をぶち殺すだけ。


 反応するだけ時間の無駄だった。

 人々の刺すような視線を背中に感じながら、俺はゲートの中に身を投げ出した。

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