第七話 しんどいなぁ


 公安第五課巡査、実務七年目の警視である相良さがら大道おおみちは溜め息を吐きたい気分だった。


 三十手前、鍛え上げられた体躯に浅黒い肌。飢えた猛獣のような顔つきは一見すると裏業界の格闘家のようにも見える男だ。

 キャリア組として公安に入り、順調に出世街道を駆け上がっている優秀な警察官である。


 そんな彼は今、不機嫌な顔で社用車の助手席に座っていた。


「相良さん、ゲート周辺の封鎖完了しました」


「わかった。引き続き厳戒態勢を維持。部外者を絶対に周辺に近づけるな」


「はい」


 無線で自分の指示を飛ばした部下を横目で見る。

 眼鏡の奥は感情の浮かばない顔だ。内心は窺い知れない。

 だが、数日程度の付き合いでもないから、それが不機嫌を隠すために感情を殺しているのだと手に取るようにわかる。

 きっと自分が、現場の空気を締めるためにも、敢えて不機嫌な顔のままでいることにも気づいているだろう。


 言ってしまえば二人とも、割と虫の居所が悪いということだった。

 恐らくは現場で封鎖に当たっている人員も。


 この車は、ゲートの出現した公園が遠目に見える場所に止めている。

 ここからは現場の状況がよく見えた。


「…………、」


 スモークガラス越しに、相良は外を見る。

 そこには、縋り付く勢いで部下に何かを捲し立てる、一人の女性がいた。


「子供がゲートに入ってしまった…………か」


「最悪の状況です」


 相良大道が呟くと、隣の部下が苦虫を噛み潰す調子で返す。

 間違いなく最悪だった。

 なまじ、未来が予測できるだけに。


 生きている可能性など、高層マンションの最上階から落ちて生還するよりも低いだろう。


 マスコミが騒ぐはず。実際、既に嗅ぎ付けているようだ。

 明日の朝刊はきっと、愉快なことになるに違いなかった。


 この状況ではどうしようもない、というのは現場の共通認識だろうが。

 油を撒いて好き勝手火を点けて回るだけのマスコミが、それを斟酌するとも思えなかった。


「そうして我々は、またも化け物どものお膳立てと尻拭い、か」


 隣で部下が居心地悪そうに身動ぎした。

 相良大道もまた、返答を求めての発言ではなかった。

 その一言が、公安第五課の今の仕事を端的に表していたからだ。

 現場の人員が不機嫌な理由でもあった。

 

 異形関連の通報はこちらに回されるが、この習志野クラスタには国に所属している異能力者がほとんどいない。

 よって、通報を受けたところで対応できる戦力がないため、別クラスタから応援を要請するか、民間への協力の依頼が必要なのだ。

 この辺りの地域での民間だと、如月瑠美が運営している事務所が第一候補となる。

 今は彼女の義弟である、如月凪也がゲートに突入しているらしい。

 未成年の癖にタバコは吸うわヘラヘラしているわで、相良大道が輪にかけて嫌いなタイプの人間だった。


「化け物と異形、お互いが潰し合って消えてくれるといいんですけどねぇ……」


「…………、」


 上司の愚痴混じりの呟きに何かを思ったか、部下もぼそりと物騒なことを口にする。

 とはいえこれも、公安第五課の——もっと言えば、国家としての——共通の願いであったりもする。


 大前提、国民の安全が最優先であるため、異形が発生しなくなれば良い。

 だがそうなると、化け物どもの存在意義がなくなる。現状でさえ、国が管理できない巨大な爆弾が日本各地に存在しているようなものだ。

 今は異形の討滅という目的に矛を逸らしているが、その目的すら無くなった場合、その矛先はどうなるのかが予測がつかない。


 化け物だけがいなくなるのも問題だ。習志野クラスタだけではなく、国全体で見ても国定の異能者は多くない。

 異能者育成のノウハウすらも整っていないのにそれが起こってしまえば、その先は日本という国の確実な滅びだ。


 だから、ベストは化け物どもと異形が対消滅することだ。

 ベターは、異能者育成のノウハウを国が整えて、異形の討滅を完全に国営にすること。

 つまり、化け物どもに首輪をつけることだ。


(そういえば、最近は第八係が大人しいな……)


 異能の研究機関と手を組んで、ベターの目的を達成しようと画策する部署だ。

 相良大道は第八係があまり好きではなかった。

 彼らの人を見る目は、道端の石ころを見るように無機質だったから。

 しかも秘密主義なところがあり、第八係が具体的にどのようなことをしているのかを知る者はほとんどいない。

 元々秘密主義の組織ではあるが(ここの人員も、表向きには単に警察と名乗っている)、第八係は特にその傾向が強いのだ。

 しかも噂レベルではあるが、色々と後ろ暗いことや非人道的なこともやっているらしい。

 警視としてではなく個人の感情であるが、そういう不健全さがどうにも好きになれないのだ。


(……まぁいい)


 考えても詮ないことだった。

 あとは状況が動くのを待つだけ。その短い時間の、今は休憩のようなものである。

 相良大道は腕を組んで、背もたれに身体を預けた。





 ゲートの中は、漆黒の入り口からは想像もできないほどに明るい。

 地球と同じように太陽があり、月がある。

 どこかの研究で、地球とほとんど同じ環境であるとの結果も出ているらしい。


 だが、地球とは——俺たちが住んでいる場所とは絶対に異なる点が、二つある。


 一つ。

 建物どころか、植物すらも見当たらない、無尽の荒野が広がっていること。


 二つ。

 異形が、辺りを闊歩していることだ。


 目の前で。

 見上げるほど巨大な異形が、赤色の拳を振り上げていた。


「よっと」


 跳ぶ。

 一瞬前まで立っていた場所に拳が叩きつけられた。

 地面が揺れる。乾き切った砂粒が舞う。


 一気に二十メートルほど距離を取る。


「……気持ち悪い見た目してんなぁ」


 嘆息しながら、混じり気のない殺意を向けてくる異形を見上げた。

 曰く形容し難い外観の、十メートル近い巨体。

 足はなく、押し固めた粘土のような緑色の塊が地面と接地している。

 その塊から、腕やら足やら何かの骨やらがハリネズミのように飛び出しており、赤だったり黒だったりと原色が目に痛い。

 見ているだけで正気が削られていきそうだ。


 人型の異形もいるにはいるが、ほとんどがこいつのように、もはや何が原型かもわからない見た目をしていた。

 こんな奴が日本に飛び出してみろ。阿鼻叫喚の渦に決まっている。


 異形と言うに相応しいこいつらは、この終わりきった後の世界で何かを探すように彷徨い続けていた。


 緑色の塊がもぞもぞと動く。

 首筋を撫ぜる特大の悪寒。


「ッ!」


 異能で全身を強化。

 即座にその場を離脱すると、渦を巻いた風がすぐ側を通り抜けた。

 後ろを確認する必要はない。塊に生えていた骨が一本無くなっていたから。

 遅れてどこかに着弾したような重い音が聞こえてきた。


「……なるほどね」


 中、遠距離の攻撃手段ってわけだ。

 近づけば無数の腕やら足やらが待っている、と。

 それぞれの威力は、まともに当たればミンチになりそうなくらいか。


 距離を取れば飛び道具、近づけば大量の手足による暴力。

 シンプル故に隙がない。

 こいつは多分、生半可な異能者じゃ犬死するだけだ。


 どうにかするには、まずは近づけないと話にならないが……、


 ま、やってみるか。

 結論は軽く、行動も軽快に。

 難しく考えるのは性に合わねえし。

 たん、とつま先を軽く鳴らしてから、異形へと接近する。


 三歩、踏み出したところで。異形の斜め上に生えている足が天に伸ばされた。

 大きく横に回避。足が俺がいた地面にめり込む。すぐに上に跳ぶ。横殴りの拳が真下を通過する。着地してすぐ、飛んできた紫色の歯をしゃがんで避ける。


 異形の攻撃でずっと地面が揺れていた。

 一歩踏み出すごとに殺意の塊が暴風のように襲いかかってくる。

 次の行動に繋げられなければ即死。よくて大怪我、からの死。

 かわしつつ、進む。


 かと思えば、異形が幾つかの手足で地面を叩いた。

 一層激しく地面が振動して。


 次の瞬間。緑色の土台の部分が浮いた。


「ちょ、そんなんアリかよ!?」


 手足を支えに、本体を持ち上げたのか————

 そんな考察が脳の隙間に差し込む。

 目の前には、人ひとりをプレスするには十分な大きさの土台の底。

 ぞわりと本能的な悪寒に従うまま、慌てて着弾地点から逃げた。


「ッ、」


 自分が一瞬浮いたと錯覚するほどの大きな揺れが襲う。

 マジでこんなのが日本に開放でもされたら、どれほどの犠牲者が出るか。ここまで危険な奴は久しぶりだった。


 出力の問題もあった。

 この見上げるほどの異形を討滅するのに、どうしても『タメ』の時間が必要となる。

 一秒あれば足りるが、無防備になる一秒でたぶん十回は殺される。


 一旦ゲートを出て瑠美さんか公安に援軍を頼むべきか、ちょっとだけ迷った。


「半端な異能者は来ないだろうが…………空いてるとも限らねえか」


 多方面から攻めて、異形の攻撃を分散させれば一気に楽になるとは思うけども。

 まぁ、無い物ねだりだった。

 援軍が来るまで遅延戦闘をするってのも性に合わん。


 それとも…………いや、止めておこう。

 確かに強いが、どうにかなる相手だ。


 近づけばキツいが……無理ってほどではない。


「しゃーねえ……やるか」


 呟いて。

 自分の中のスイッチを切り替えた。


 世界が、劇的に変わる。


 脳髄にガソリンをぶち込んだような感覚。

 歯車が唸りを上げ、火花を散らしながらも稼働する。

 自身に満たされる全てのリソースが、この異形を殺すためだけに傾けられる。


 異形の攻撃が、やけにゆっくりと感じた。

 瞬きする程度の短さである予備動作が、引き伸ばされた永遠にすら思えてくる。

 あまりにも遅い時間の中で、攻撃をかわしながらも、俺はただ異形を観察する。


 見ていれば、慣れてくる。

 根っこから独立した腕やらが生えているように見えても、単発の攻撃の繰り返しではないのだ。

 どこかに無意識の連続性があって、やがてそれは似たようなパターンに当てはめられてくる。

 俺の回避方法、姿勢、異形の攻撃の順序、癖。

 それら全ての情報に対して、異形の行動が俺の中で絞られてくる。

 回避に余裕が生まれれば、思考に割くリソースが大きくなる。

 そして、思考に割くリソースが大きくなれば、異形の行動パターンの割り出しも急速に進んでいく。


 瑠美さんにこれを話したら、『格ゲーでCPUを相手にするみたいだな』と言っていた。

 意味はよくわからなかったが、そういうことらしい。


「右フック、足振り下ろし、投擲、腕振り下ろし…………」


 呟きながら、異形の行動と俺の脳内におけるパターンを照らし合わせる。

 段々と一致が取れてくる。異形の行動における『核』のようなものが見えてくる。

 そのまま五分ほど戦い続けた。


「よし」


 大体わかった。

 知能のレベルが高ければもっと苦労していたが、この異形はそうでもない。怒り狂った猛獣のように、ただ人間を殺すことしか考えていないようだ。

 まぁ、その点で言えば珍しくはなかった。


 必要な情報は揃った。

 後は理想の結果に対して、実現にはどうすればいいかの逆算の連続だ。

 結論から、この異形の討滅方法を即興で組み上げていく。


 そうして残るのは、それを現実の世界に出力する作業だけ。

 そこに熱は失われ、ひたすらに淡々と、工程を消化するだけの蛇足と成り下がる。


 要は、わかりきった結末の確認だ。


「……投擲を跳んで避けると、腕の振り下ろしが来る。次は薙ぎ払うような蹴りが左から」


 そら来た。


 だから、腕の振り下ろしと蹴りを避けるように、右側から急接近したら、お前はどうする?

 答えは簡単だ。


「咄嗟の行動は振り下ろし」


 最も近くの腕か足で、近づいた俺を上から思いっきり叩き潰しに行くよな?


「速度計算が甘いから、それは当たらない」


 俺の後ろで、轟音。

 背中を風圧と砂利が叩く。


 そして、この異形の行動こそが俺の狙っていたものであった。


 例えば、うつ伏せで寝ている人間がいるとする。

 その人が顔の横に手のひらを置いて、そのまま腕を伸ばそうとするとどうなるか。


「それだけ近くで加減もせずに腕を叩きつけたら、そうなるのはわかっていただろうに」


 異形の土台の部分が、浮いた。

 のっぺりとした底が、無防備に俺の目の前に晒される。

 追撃とばかりの投擲は、土台がバランスを崩したことにより明後日の方向へ飛んでいく。


 『タメ』を作る時間としては十分過ぎた。

 右手に、全身を駆け巡る熱を一点集中させて。


 地面を割り砕く勢いで踏み込んだ。

 拳を固く、固く握る。


 ただひたすらに、威力を求めた一撃を。


「おら、よッ!!」


 身体全体を使って異形の底面に叩き込んだ。

 

 轟音……だったと思う。

 耳は破裂するような音を最後に機能しなくなった。


 臓腑すら振動する衝撃波。


 袖のボタンが弾け飛ぶ。


 異形は——半分以上が消し飛んだ。


 緑色の土台から生えていた腕やら足やらが遥か彼方に消えていく。

 残った部分は三割ほど。背筋を凍らせる殺意も、心臓が握り潰されるような圧迫感も消えていた。


 拳の方も無事ではない。

 指が吹っ飛ぶことはなかったが、骨がズタズタになった感触がある。

 裂けた皮膚から出た血が、顔と制服にかかった。


 またダメにしちまったな。

 そんなことを思って。


 もぞ、と異形の残った部分が動く。


「ッ!?」


 まだ、生きていた……!?

 どんな生命力だよ!?


 異形の底面を突き破るように、黒い骨が射出された。


 やばい。全力で身を捻る。

 

 スローモーションで映る視界で、骨の回転までがはっきり見えた。

 かわせない——、


「ッ……、」


 左腕に激烈な痛み。


 ぶつり、と千切れた音が身体の中で鳴る。


 急に左半身が軽くなって、バランスを崩す。


 気にするのは後だ。


「ッ、いい加減、くたばりやがれ……!」


 腕が使えないなら、足。

 異形の残った部分を全力で蹴り飛ばすと、更に半分ほどが爆散する。

 どうやら、それがとどめだったらしい。

 土台から生えていた腕やら足やらが、萎びたように垂れ下がる。

 異形の震えるような動きも止まっていた。


 そうしてすぐに、世界に溶けるように異形は霧散する。

 風化して塵となって、まるで最初から存在していなかったかのように、消えていく。


「クソが……」


 悪態を一つ。

 神経に針を突き刺すような痛みに顔を顰めつつ、右手でなんとかタバコを取り出して咥える。

 フィルターに血が付いたが、そんなこと気にしてられない。

 異能で火を付けて、口の端から煙を吐き出した。


 まさかあの状態から生きているとは、なんてただの言い訳だ。

 最後の最後で油断した。

 その結果がコレだ。


 左腕が、二の腕あたりから先がなくなっていた。


 異能は治癒能力も高めるから、数日もすれば生えてくるだろう。

 今日が金曜日でよかった。

 とはいえ、止血する必要はある。


 異能を発動。左腕を凍らせる。

 痛み以外の感覚が消えていたから、冷たいも熱いもない。ただ別種の痛みが加わっただけだ。


 右手と鼓膜は今日中には治るだろう。


 あー、しんどい。

 煙と共に嘆息して、そういえばと思い出す。

 子供がこっちに迷い込んでいたんだったか。


「いや、無理だろ……」


 あんな異形を前にして、生きていられるはずがない。

 今ごろ、この乾いた地面に何もかも吸収されているだろう。


 どうしたもんか、とゲートへ歩いていると、異形の残骸の他に何かが落ちているのに気づく。

 ゲートのそばに落ちていたそれは、拳大の大きさの車のおもちゃだった。

 見覚えがあった。

 少し前、公園で俺がタバコを吸っていた時に話しかけてきた子供が同じものを持っていた。


「…………、」


 右手を伸ばしかけて、止まる。

 血塗れの手で触れるのはどうかと思ったのだ。


「しんどいなぁ」


 きっと、未知へのちょっとした好奇心だったのだろう。

 些細な冒険のつもりが、まさかこんなことになるとは、この子も思っていなかったはずだ。


「……助けられなくて、ごめんな」


 届くはずもない、言葉を。懺悔を。

 小さく吐き出す。


「……恨んでいいさ。俺を呪いにでも来たかったら、いつでも歓迎するぜ」


 虚空へこう伝えるのは、もう何度目か。

 残念ながら、それが実現したことはないけれど。


 死んでいい命ではなかった。

 この子の帰りを待つ幸せな家庭が、この子の目の前に広がる無数の明るい未来があった。

 それらが全て失われた。


 この子の苦しみを想うと、頭を掻き毟りたくなる。心の深い部分に杭を刺されたような痛みが走る。

 無念だっただろう。怖かっただろう。痛かっただろう。


 少しでもそれが晴れるというのなら、俺を呪いに来ようが構わなかった。

 たぶん、そういった形で、俺は罰されたかったのだ。


 …………とはいえ。

 こんな辛かったこと、綺麗さっぱりに忘れてほしい、と思う。

 そして、生まれ変わった先で、平穏に、幸せに、人生を歩んでほしい。

 それこそが、俺が最も願うこと。


 心葉もそうであれば、と願わずにいられなかったから。

 罪なき、理不尽に奪われたいのちへ。


 神様なんているかは知らないが。

 俺の祈りでよければ、幾らでも捧げよう。


 願わくば、この子の来世に幸福を。


 消えかけのタバコの煙が、線香のように細く、白く、空高くまで伸びていた。

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