第四話 いや、デートじゃねえし


 六限目は自習だった。

 本来なら数学だったが、体調不良で教師が休みらしい。

 降って沸いた自由時間に、テスト期間でもない二年生の教室がどうなるか、なんてのは想像に難くない。


「凪也ぁー、お前が五限サボるなんて珍しいな」


 クラスでまともに話す唯一のクラスメートが、そんなことを言いながら俺の席に歩いてきた。

 隣の席の男子が気まずそうに目を逸らす。まぁ、サボるのはよくないしな。

 他の学校は知らないが、どうにも授業をサボるとか、そういった不真面目な……いや、周りと合わせないような人間は浮く傾向にあるらしい。

 こういうの、日本人的気質っていうのかね? サンプルが少ないからそれだけで断言できるわけではないけども。


「昼寝してたら五限終わってたわ」


「あはは! 相変わらずマイペースだな」


 破顔しながらそいつは教室の隅にある掃除用具入れに背中を預ける。完全に雑談の体勢だ。

 染めているらしい茶髪を上げ、嫌味なく笑う様は好青年のそれ。

 兵藤ひょうどうりゅう。サッカー部のエースとして、次期部長とも言われているらしい(本人談)。

 場所が違えば一組織のリーダーにでもなれそうな、社交的な奴だ。よくわからんが気に入られた。


「勉強はしなくていいのか?」


「五限サボった奴が言うか? ま、この中で集中はできないよな」


 軽く教室を見回す龍に倣ってみる。

 それこそ片手で数えるくらいの奴らは無心で参考書を解いたりしているが、ほとんどはスマホをいじったり、集まって雑談している。

 とはいえ、龍の言ったことは建前で、こいつが最初から勉強する気がないのも明らかだった。


「凪也、今日暇だったら遊びに行かないか? 部活今日休みなんだよ」


「無理だ。先約がある」


「ちぇ、残念。一回くらいお前と遊んでみたいんだけどなぁ」


 反射的に断って、こいつならもしや、と思った。

 顔は整っており、日頃から部活をやっているからか筋肉質だ。背も高い。有体に言えば、女に苦労しなさそうである。


 この後は、大事な予定がある。

 天上さんと遊びに行くという、大事な大事な予定が。

 ……ただし。


 他は、何も決まっていなかったりする。


 遊びに行かないかと、誘ってみたはいいが。

 割と真剣にわからないことがあるのだ。


 そもそも遊ぶって、何したらいいんだ?


 外国にいた頃はそもそも生きるので精一杯だったし、日本に来る前は人間や異形をぶち殺す以外のやることはなかった。

 日本に来てからも仕事が恋人みたいな生き方しかしてねえ。


 そんな奴が、よく普通の生活どうこう言えたものだと思う。

 割と、マジで、そう思う。今思い返せば盛大なブーメランだったりする。

 あれは衝動的なものだったしなぁ。

 もしくは、心のどこかで、俺も憧れていたのかね?


 まぁ、そんなわけねえか。

 そういう感情なんて、とっくの昔に消え去っている。


 ……遊ぶことに関しては、後で瑠美さんに電話で聞いてみるか。

 ともあれ、まずは遊び慣れていそうなこいつの意見を聞いてみるのはありだろう。


「龍。断っといてなんだが、どこに行く予定だったんだ?」


「んー? そーだなぁ……」


 何も考えてなかった様子。

 だが、ゼロの状態からではなく、思いついた複数の選択肢から選ぶような素振りだった。

 この時点で経験値の差は圧倒的である。


「まぁ、フードコートで駄弁るかゲーセンかねえ」


 …………、


 …………うん??


 フードコート? ゲーセン?

 両方とも初めて聞いた。

 フードコート? 食事の上着? はぁ??

 ダベルってなんだ? 隠語か?

 ゲーセンは……ゲームセントラルみたいな感じか? 色んなゲームが集まってる場所ってことだろうか。


「なるほどなぁ」


 誤魔化すようにそう言った。

 龍の言い方が、知ってて当たり前みたいな感じだったからだ。

 後で調べとこう。


「……? 変な反応だな。まぁいいけど」


「ちなみに、それ以外だとあるのか?」


「それ以外、か。となるとカラオケ……? 凪也が歌うイメージないから逆に聞いてみたいかも」


「カラオケか。見たことあるけど行ったことはねえな」


 カラオケはわかる。看板にそう書いてあった。

 看板のデザインにマイクがあったし、龍の言葉から予測するとマイクを持って歌う場所なのだろう。


 ………………それに何の意味があるんだ?


 いや、まぁ、行ったことない奴が無粋なことを言ってもしょうがねえな。

 もしかしたら楽しいのかもしれない。

 とてもそうとは思えねえけど。


「凪也は何か好きな曲とかあんの?」


「好きな曲、ね…………」


 生憎、日本に来てからは好きになるほどに誰かの歌を聴いたことがない。というか好きな歌なんてもんはない。

 とはいえ、ないって答えるのもなぁ……。

 知ってる曲挙げてみればいいか?

 外国にいた頃に多少覚えた歌ならあるが、好きではないし、そもそも日本語じゃねえから絶対にわからない。

 ……そういや、あれならよく聞くし、きっと誰でもわかるだろ。

 歌は知らないけど、鐘のような音の重ね合わせが響く、あれだ。


「曲名はわからんけど、五時に鳴るやつ」


 ほら、どこからともなく聞こえてくるあれだよ。

 毎日耳に入るけど時報になるし役立っている。


「…………ッははははは! あれね! あれが好きか……! 待って、ツボに入る……!」


 龍が腹を抱えて笑い出した。何か変なこと言った?

 隣の席の奴は机に伏せっていたが、笑っているのかその身体がぴくぴく震えている。


「いやー、やっぱり凪也は面白いな!」


 ひとしきり笑った龍にお前はどうなんだと聞いてみたら、全く知らない横文字が返ってきた。

 ダメだ。全然わからん。

 笑われているんだろうが、何をどう笑ったのかすら謎だ。

 この調子だと一方的に笑われそうである。不快感よりずっと困惑が強い。


 ……どうにも俺はまだまだ日本について知らなさすぎるらしい。

 言語や常識はある程度学んだ自覚はあるが、龍と話すとまだまだ足りないと思い知らされる。

 俺の事情をある程度知っている瑠美さんなら、的確なアドバイスが聞けるだろうか。

 よし、聞いてみよう。


「トイレ行ってくる」


 言って、まだ笑っている龍を置いて廊下に出た。

 歩きながらスマホを取り出して番号をコール。

 三コール目で出た。


『どうした、凪也。珍しいな、お前からかけるなんて』


 低い声が聞こえる。

 困惑気味なのがスマホ越しでもわかった。


 単刀直入に言う。


「瑠美さん、女の子と二人で遊びに行くってどこに行けばいいんだ?」


『ッ! ゲホッゲホッ……! おま、おまっ…………え、新手のギャグか?』


 ギャグとは失礼な。


「いや、放課後に遊びに行くことになったから。でも俺、遊びって何したらいいかわかんねえんだ」


『………………マジ? 遊びに行くの、マジ?』


「マジだ」


『……………………やっべ、涙出てきた』


「なんでぇ!?」


 本当に声が震えていやがる。

 泣くような要素あった?


『よかったなぁ…………。お前にもちゃんとそういう相手ができたんだな…………』


「すっげえしみじみと言ってるとこ悪いけど、別に恋人でもなんでもねえよ?」


『今は、だろ? 任せろ。スズネと一緒に最強のデートプランを考えてやんよ』


「いや、デートじゃねえし」


『異性と二人で出かけるのは全てデートだ。異論は認めん』


 認めないんかい。また俺の知らない日本の文化か?

 果てしなく何かを誤解しているらしい瑠美さんは、スズネさんを呼びに行ったらしい。

 スマホ越しの漏れ聞こえる声でもテンションが高いとわかる、瑠美さんの捲し立てる口調に、時折間延びしたスズネさんの相槌が混ざる。

 少しして話がまとまったのか、スマホの向こうから俺を呼ぶ声。


『もしもし。如月君?』


「あ、どうもっす。スズネさん」


 瑠美さんと、スズネさん。少なくとも俺の知っている限りでは、経験豊富に見える女性陣だ。

 彼女らだったら、天上さんを楽しませることができるプランを提供してくれるのではないだろうか。

 実はもう一人、確実にいいアドバイスを貰えそうな人がいるんだが、生憎とすぐに連絡が取れそうにないんだよな。


 電話口でこちらが待っている都合上、二人のやりとりは短いものであったが。

 それでも、全くの遊びを知らない俺よりはずっと、建設的な案を出してくれるはずだ。

 考えてみれば、龍は同性だ。同性と遊びに行くのと、異性と遊びに行くのではまた勝手が違うだろう。

 女性という視点を貰えるという点で、瑠美さんに相談したのは正解な気がする。

 スズネさんも巻き込んでくれたのはむしろ重畳。二人からの意見という、より信頼性のあるデータがもらえる。


 静かに天啓を待つ俺に、スズネさんは短く一言————


『真っ直ぐラブホに行きなさい』


「…………、」


 ツー、ツー………、


 無機質な電子音が、相手方との通話が切れたことを端的に示していた。

 反射的に通話終了ボタンを押していた。


 ……と、すぐに電話がかかってくる。

 相手は言うまでもない。


 繋がるなり、叩きつけるように俺は言った。


「俺は未経験です」


『あらぁ、童貞だったのね。ちょっと刺激が強かったかしらぁ?』


 未経験のことを、日本語で童貞と言うのか…………ああいや、重要なのはそこじゃねえわ。


「どっちだろうが、真っ直ぐラブホがおかしいのはわかるっつの」


 猿じゃねえんだからさ。

 ちょっと嫌な記憶も思い出して、口調が刺々しくなってしまう。


『冗談よぉ。そうねぇ……如月君はたぶん、遊びって言っても具体的に何するかわかってないんじゃない?』


 エスパーか、この女。

 スズネさんって、こういう節々で鋭いところがあるんだよなぁ。


「まぁ……そうですよ。フードコートとかゲーセンとか言われても、何のことやらって感じです」


『そこまでなのね。末期だわぁ』


「末期っ……!?」


『タバコが好きでも、ピースとかアメスピは知らないとか、そんなレベルじゃないかしらねぇ?』


「あー、確かに末期ですねそれは。死んだ方がいい」


『そ、そこまでなのねぇ……?』


 納得した。

 それはダメだわ。


「んー、先にその辺を知っておくべきだったか」


『あら、そうでもないわよぉ? 教えてもらう、というのもアリだと思うわ』


 俺の独り言に、スズネさんは反応する。

 それもそうか、と思ったけれど、今回はちょっとな……、


「俺が遊びに連れて行くって感じだったので、そう言った手前、教えてもらうってのは……」


『そんなことも知らずによく遊びに連れて行くって言ったわねぇ』


「うぐっ」


 どストレートな言葉が胸に刺さった。

 反論の一つも浮かばねえわ。


『彼女さんからは、どこに行きたいとかはないのかしらぁ?』


「彼女ではないですが、聞いていないですね。俺ほどではないとは思いますが、遊ぶってこともほとんどしてない感じです」


 これは俺の推測だが、天上さんの反応からして間違ってはいないだろう。


『だったら、まず彼女さんのことを知ることからねぇ。何が好きで、どういった場所を好むか聞いて、そこから考えた方がいいわよ。歩きながら、一緒に決めて行く感じねぇ。ここに行こう! って決めて動くのは、その場所をよく知っている前提だし、如月君には無理だと思うわぁ』


「確かに。タバコ屋か、裏向きの店しか知らないっすわ俺」


『もし候補に挙げていたらちょん切っていたわぁ』


「電話越しにっ!?」


 怖いて。

 流石に無理だとはわかっているけど。

 日差しが強いから日傘を差そう、といった気軽さで異形をミンチにするスズネさんだから、たぶん実際にちょん切るってなっても口調が変わらないんだ。本当に勘弁してほしい。


『じゃあ頑張ってねぇ。結果報告待ってるわぁ』


 通話が切れた。

 ……なんだか、どっと疲れた。昼に結構吸ったなずなのに、肺がニコチンを求めていた。


「……屋上行くか」


 天上さんと出かけている間にタバコを吸うつもりはなかった。

 実質、ここがしばらく吸えなくなる最後のタイミングである。


 無人の屋上で、チェに火を点ける。

 そこはかとない疲労感を、煙と一緒に吐き出した。


 ポケットに入れたスマホが震える。

 見ると、瑠美さんから連絡が来ていた。


「『涼音がすまん』、『お前が無理に引っ張ろうとしなくていいと思う』、ねぇ……」


 確かに、気負いすぎていたのはあった。

 遊びに行くのは初めてなのだ。

 そんな奴がリードしようなんてのは、そりゃあ無理だよな。


 瑠美さんからは、この辺りのおすすめスポットを連投で送ってくれた。

 ありがたい。

 知らん言葉が大量に並んでるけど。

 飲むわらび餅ってなんだし。わらび餅すら知らんわ。


「たぶん、天上さんも飲んだことないんだろうなぁ……」


 同い年くらいの女子高生が三人でピースしている写真を見て、ふとそんなことを思った。

 正直、味に興味はない。どうせ何飲んでも変わらん。

 ただ、これを飲んだ時の天上さんの感想は、気になった。


 あの無表情が、少しでも緩んだりするのだろうか。


「…………、」


 スマホを持つ指に、意思が宿る。

 俺は瑠美さんが送ってくれた、おすすめスポットを一つ一つ詳しく確認していった。





「如月君、上手くいくといいわねぇ」


「初手に真っ直ぐラブホ行けって言った奴とは思えねえセリフだな」


 電子タバコの煙を口元に燻らせながら、呆れた顔で如月瑠美は琴原涼音を見た。

 事務所の談話室。上機嫌にティーカップを傾ける琴原涼音は、悪びれもせずに笑う。


「やぁねぇ、冗談に決まっているでしょう?」


「あいつは常識に欠けてるんだ。冗談が冗談とわからねえんだよ」


 真に受けたらどうすんだ、と無言の抗議をブラウンの瞳に乗せる如月瑠美は、しきりに平べったい金属のパイプに口をつけている。そこからしか酸素が供給できていないのかと思うペースだ。

 左手はテーブルの上に置かれているが、人差し指が忙しなくテーブルを叩いている。


「不安かしらぁ?」


「そりゃあな。これでも義理の姉だ」


「…………それにしては、年が離れている気が」


「あ゙ぁん?」


「ナ、ナンデモナイワヨー」


 琴原涼音は素早く目を逸らした。

 きっと、母にするのはプライドが許さなかったんだろうなぁ…………と頭の片隅で思った。

 まぁ、年齢差を考えれば母にするのは無理筋でもあったが。


「如月君で思い出したけど。この前のあの子の依頼、進展があったの?」


 旗色が悪いと感じた彼女は話題を変える。

 如月凪也が三人のアウトローをボコボコにした一件だ。

 国から——正確には、とあるお偉方から——この件について詳細を調べるよう、非公式の依頼があったのだ。


「ああ。幾つかの探偵事務所に探らせてある。だが、一筋縄ではいかなそうだ」


 如月瑠美は先ほど探偵から送られてきた報告書を思い出しながら、涼音に言う。


「どうやら、あのアウトロー三人はを探していたようだ」


「……ふぅん?」


「まだそれしか判明していない」


「……そう。何だか、嫌な予感がするわね」


「涼音もか」


「何というか……雪だるま式に事態が大きくなっていくような感じよ」


「……、」


 対特災事務所の所長は無言で頷いた。似たような予感を抱いていた。

 警察という捜査に最も適した組織があるにも関わらず、こちらに非公式の依頼が来る時点で相当きな臭い。


「手を引くことはできない?」


「難しいな……。依頼を持ってきたのは、反国営派の重鎮だ」


「なるほどねぇ……」


 反国営派。つまり、異形討滅の国営化に反対する一派であるということだ。

 端的に、彼女らのような立場にとっては味方である。

 この件から手を引いたことで、国営推進派に寝返ってしまうことだけは避けたかった。


「まぁ、この件は続報待ちだ。今気にしても仕方ないさ」


「そう、ねぇ…………。そうだと、いいわね」


「……涼音?」


「…………いいえ、何でもないわぁ」


 如月瑠美は追及するべきか、迷った。

 彼女の中で何か、重大な決断がされたような気がしたから。


 数秒、迷って。

 聞くだけ聞こうと、口を開きかけ、


「ちょっと、出かけてくるわねぇ」


 言葉と同時に立ち上がった琴原涼音に、遮られた。


「あ、あぁ。分かった。どこに行くんだ?」


「散歩よぉ、散歩。夕方には戻るわぁ」


 それを却下する権限はない。

 如月瑠美はぐっと押し黙り、頷くことしかできなかった。


「何かあったら連絡してねぇ」


 それだけ言って、さっさと琴原涼音は出て行った。

 空のティーカップが置きっ放しということは、確かにここに戻ってくるつもりなのだろう。

 一方で、洗いもせずにこの場に放置することに、如月瑠美は大きな違和感を感じていた。


 普通、談話室という共有スペースのテーブルに、自分のものを置きっ放しにしないだろう。

 そうするということは、よっぽどの急ぎだったり、琴原涼音の頭の中が別のことで一杯だったからに他ならない。


 きっと彼女は、あの件で何かに気づいた。

 もしくは直感にしろ、閃くものがあった。

 それを調べに行ったのだと考えるのが自然。


 そしてそれは、少なくとも現時点では自分に話せないことだ。

 すぐにそこまで如月瑠美は考えて。


 そこから先が、何も思い浮かばなかった。


「……クソ、タバコ吸いに行くか」


 脳がニコチンを欲していた。わからないことに、イラつきが生じている。

 胸の奥に巣食うモヤモヤに、彼女は悪態を吐きながら事務所の外にある喫煙所へと出ていった。

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