第二話 止める義理はないな
俺らが扱う力は、神秘だとか異能だとか超能力だとか、色々な呼び方がある。
だから必然、それを扱う人の呼び方も多種多様。
力の源であるエネルギーは、マナという呼び方で割と統一されているが——ひとまずこれは置いておこう。
そのマナというエネルギーを使う人たちは、異能者だとか覚醒者だとか、当たり前だが一般人とは明らかに区別して呼ばれる。
俺の中ではシンプルだし、マナとか異能の力、異能者でまとめてるけど。
だが、口さがない人や、国家権力の大半——要は政治家や警察や公安といった人種は、ほとんど揃って俺らのことをこう呼ぶ。
「おい、化け物」
「あん?」
頬杖をついて窓を眺める作業から顔を戻す。
ハンドルを握る眼鏡をかけた男が、バックミラー越しに俺を睨みつけていた。
「話は聞いているな。さっさと終わらせろよ」
有無を言わさない口調だった。
別に親の仇でも何でもないが、親の仇に接するような態度。
こいつらに礼儀とかを気にするだけ無駄だ。視線を窓に戻して、返答する。
「わかってますよっと。五体満足で引き渡せばいいんでしょう?」
返事は助手席に座る男の舌打ちと、乱暴な車の加速だった。
慣れたものだ。
俺たち異能者にやたら当たりが強いことも、最悪な車内の空気も。
一応、国の方でも異能者の戦力は保有しているらしい。
しかし、異能に目覚める人は全体の割合からすればかなり少なく、国の保有する戦力も当然少なく、替えが効きづらい。
だから俺たちのような、国に所属していない野良に依頼が来るのだ。
また、国の依頼でなくとも、異形の発見と討伐はある程度こちらが自由に動ける。
でないと、際限なく被害が広がる可能性があるからな。早期の終息は重要であり、その証明を以て国から報酬が支払われる仕組みである。
だが、国としては、明らかに一般人より強い俺たちの存在は、まさに目の上のたんこぶ。
言ってしまえば潜在的な国家の武力的脅威が、国内に大量にいるわけだ。
そこで実施されたのが、国が徹底的に異能者を管理すること。
そして、異能者の社会的地位を一般人の下に置くことだった。
後者は言ってしまえば『異能者が異形を討伐することは当たり前のこと』という国民感情を持たせ、それをしない、またはできない異能者が石を投げられるような風潮を作ったのである。
俺たちを化け物と呼ぶことも、その活動の一環なのかもしれない。
……いや、そんなことはねえだろうな。
「着いたぞ」
固い声に、俺は思考から現実に引き戻される。
動きを止めた車の窓から、年季の入った建物が目に入る。建築会社とあったが、もう廃業していそうである。
他に建物はなく、森の切れ目にぽつんと存在していた。人気のない場所ということで、犯人にとっても都合が良かったのだろう。
周囲の被害や隠密性を気にしなくて良いから、こちらとしてもありがたい。
「地下駐車場はこちらが抑える。内部には犯人しかいない。わかったらさっさと行け」
最小限の伝達と、余計な一言を助手席の男は俺に投げかけた。
もはや一々気分を害したりはしないし、言い返したら面倒なことになる。俺は適当に返事をして車から降りた。
梅雨明けのじめっとした湿気に、少しだけ眉を寄せた。
日本の夏は、湿気が嫌な感じだ。肌に纏わりつく熱気の不快感が強い。暑いだけでなく、どこか空気の汚さを感じてしまうのだ。
半ば無意識に、タバコを咥えて瑠美さんから借りたライターで火をつける。
咥えた時の袖で気づいたが、まだ制服だった。どこかで着替えておけばよかったかもしれない。
「……別にいいか」
いつもより美味しく感じる煙を味わいつつ。
寂れた建築会社の入り口に近づく。窓は全て固く閉じられ、棚のようなものが置かれているのか中の様子は伺えない。
入り口は自動ドアだが、当然と言うべきか動かなかった。外越しに受付と階段、右に細い通路が見える。
右を制圧して、後は流れで問題ないな。
狭く、角の先が見えないため、籠城者にとって有利な地形だ。
車の音で犯人たちも気づいているだろう。戦闘は避けられそうにない。
そうなるともう、やることは一つだった。
「お邪魔しまーす」
自動ドアのガラスに前蹴りを叩き込む。
けたたましい音と共に、強化ガラスが一発で粉々に砕け散った。
点での衝撃に弱いって聞くしな。全体が一気に砕け散るのは見ていて気持ちよさがある。
ゆっくりとニコチンを摂取しながら、俺は(物理的に)開いた自動ドアから中に入る。
確か、犯人グループは三人だっけ? 眼鏡と、デブと、ヒョロガリ。全体的に陰気そうな奴らだったのは覚えている。
上から物音が聞こえた。せめて気配ぐらいはちゃんと隠しておけよ。
まぁ、素人だし仕方ねえか。
この分だと奇襲を警戒する必要すらないかもしれない。
右の通路に姿を見せてみても、案の定誰もいない。奥はトイレだった。
催涙弾とかを叩き込めば一発でわかるのだが、武器の携帯は許可されていない。銃などの武器の恩恵は異能を持たない者だけの権利とばかりに、しっかり禁止されている。そのせいで制圧が非効率になるのはマジでクソだと思う。
面倒だが目視でしっかり確認。
タバコが燃え尽きかけていたので携帯灰皿に入れつつ、階段を登る。
二階建てだったから、これで二階に三人がいるのは確定した。
階段とかも絶好の奇襲場所なのに、何も無かったことに逆に驚く。
マジで素人なんだな。人間をミネストローネみたいにできるのに、こう言った部分の詰めが甘すぎるのは逆に新鮮だ。
二階は事務所のようだった。
今は事務所ではなく、犯人らの居住空間らしい。
ゴミ袋が隅にいくつかあり、中にはカップラーメンやコンビニ弁当などが詰まっている様子。
飲みこぼしなどもカーペットにシミとして残っており、小蝿が飛び回っている。お世辞にも清潔とは言えなかった。
犯人と思わしき三人は事務所の中にいた。
が、それを観察する余裕があるくらい俺は彼らを脅威に感じなかった。
だって、俺を見る目が侮りというか、『どんな奴かはわからなかったけど、ガキで助かった』みたいな目をしてるんだもの。
外見とかどうとか気にせず、さっさと奇襲なりで仕留めに行く方がよっぽど勝算があっただろうに。
多少は身構えてはいたのに、肩透かしを食らった気分だ。これなら今頃地下で待機している公安の二人でも十分だろ。
「あー……要件はわかっているだろう。一応言っておくが、大人しく捕まる気は?」
半ば義務的に言った。従うとは思っていない。
三人の代表なのか、眼鏡が諭すような声で答える。
「捕まる? 坊や、何を言っているんだい。僕たちは悪いことなどしていないよ?」
えぇ…………?
ちょっと何言ってるかわからない。
「人間のスープを作ったことに関しては、悪いことではないと?」
「彼らは社会の悪だ。だから、俺らが正義を執行したんだ。神から与えられた、この力でねぇ……!」
今度はヒョロガリが言って、手のひらに光の球を浮かべた。
うっとりとそれを眺める様子は、明らかに異能に魅入られている。いや、もしかしたら、異能に目覚めた自分なのかもしれないけれど。
「じゃ、邪魔をするなよ、坊主。いっ、痛い目に会いたく、なっ、ないだろう?」
どもりながらも最後にデブが締め括る。……締め括ると言っていいのかはわからないが。
要は、自分たちの行いは正しいと主張したいと。
ターゲットは割とどうしようもない不良だった。生きていれば誰かを不幸にし続けそうな、どうしようもない奴らだと報告書からも察せられた。
それらを肉のスープにすることが、こいつらにおける正義の執行らしい。
「アホらし」
すっげえ時間を無駄にしている気分だ。
思わずタバコに手が伸びていた。
「む、坊やは学生だろう。タバコとは感心しないな」
「あっそ」
天井に煙を吐き出してから、適当に近づく。
それに対して軽く身構えただけの三人に溜め息を吐きながら、一番近くにいたデブの下顎を蹴り飛ばした。
デブの身体は十センチほど宙に浮いて、泡を吹いて倒れた。衝撃で砕けた歯がヒョロガリの頬に当たる。
足を下ろして即座に右足を軸に回転。何故か呆然としているヒョロガリのこめかみに爪先を叩き込む。
壁際まで吹っ飛び、ゴミ袋に頭を突っ込んでピクピクしている。既に意識はないだろう。
「な……何を!?」
「何って……逮捕するだけだが」
話通じそうにないし。
問答を重ねるのも面倒だ。
「さっさと終わらせて帰りたいんだよ。宿題やんなきゃだし」
学生の辛いところである。
宿題とかマジで面倒だ。学校にいる時間だけ勉強してりゃいいんじゃねえのかよって。
「く……仕方ない。痛い目を見てもうよ!」
言って、眼鏡が異能で身体能力を強化したのか、瞬きするほどの速度で俺の後ろに回った。
マナの燐光が無数の蛍のように煌めく。
だが、あまりにも無駄な動きと言わざるを得なかった。
後ろに回り込むくらいなら、最短最速で拳を叩き込んだ方がずっと良い。
「こっちの台詞だわバカが」
羽交い締めでも試みようとしたのかは知らないが。
眼鏡が次の動きを見せるより早く、一歩後ろに踏み込むと同時に肘を鳩尾に見舞う。
「ご、っふ……」
汚いから唾を避けて、たたらを踏んだ眼鏡をヒョロガリと同じように蹴り飛ばした。
同じようにゴミ袋に頭を突っ込んで、眼鏡は動かなくなる。
制圧完了。
異能の出番すらない。
事件の凶悪性とは裏腹に、あまりにも素人で、あまりにも歯応えがなかった。
唯一、ヒョロガリの言っていた神が比喩かどうかが気になるが。
それを調べるのは俺の仕事ではない。
わざわざ俺が行く意味もなかっただろ、これ。
新人に任せても問題なかっただろうし、何ならさっきも思ったように公安でも余裕で対処できただろう。
徒労感が全身を支配していた。
ヒョロガリは正義の執行とか言っていたが、どうせ過去に不良にいじめられたとかで憂さ晴らしとか復讐とかが主な理由だろうよ。
フィルター越しに煙を深く吸い込んで、紫煙と同時に思わずやるせなさが漏れた。
「しょーもな…………」
*
クソみたいな依頼があっても、終わってしまえば気にならなくなるものだ。
事務所に戻って近くの喫煙所で一服すればもう過去のこと。思い出す価値もない。
いつも通りの気分で迎えた次の日の昼休み。
もはやルーティンと化した屋上での一服を楽しんでいる。
昨日は昼まで雨で、仕方なく公園の屋根がある場所で吸っていたんだが。
「やっぱ昼休みの屋上でのヤニだな……」
右手に缶コーヒー、左手にタバコという完璧な布陣である。
安物だからとそのままもらったライターで、さっさと二服目を点けた。
屋上にライター隠しとくの手だよなあ。
そんなことを思いながら、柵に身体をもたれさせてニコチンを身体に入れる作業に没頭する。
結構手前に柵があるから、身体をもたれさせるくらいじゃあこの学校の狭い校庭まで見下ろすことはできない。
バレることを怖がっているわけではないが、面倒な真似は減らしたいからな。一応その辺はちゃんとチェック済みだ。
柵に背中を乗せると、目を細めたくなるほどの太陽が目に沁みた。
「いい天気だな……」
日本に来てから、空を見上げることが増えた。
外国にいた頃は自分を殺しに来るマフィアやら異形やらが順番待ちをしていたから、空を見上げる暇もなかった。
思い出したくもないあの日常で擦り切れた感性が、今日はいい天気だ、なんてどうでもいいことを訴えかけるほどには、俺も日本の平和に絆されているのだろうか。
灰を空に放りながら、ぼけーっとそんなことを考えていると。
「……?」
屋上に繋がる階段を登る音がした。
足音は一人、音の高さから多分女性。もしくは小柄な男性。いや、音の軽さからしてつま先体重だから女性だな。
音の感覚は少し長い。迷いなく向かう、といった足取りではないから、赴任歴が長い線はないか?
若い女教師は大体がヒールを履いているから、もう少し硬質な音が鳴るはず。
つまり女子生徒だな。
肺に煙を溜めて、吐き出す間に結論が出る。
生徒なら別にどうでもよかろ。
屋上には侵入禁止だ。ここに来る時点で共犯である。
くるりと反転して、ドアに背中を向ける。柵に肘を預けて、タバコを咥え直した。
扉が音を立てて開いても無視する。
どうせ、タバコ吸ってる不良生徒の後ろ姿を見て、帰ると思ったからだ。
だから、
「……?」
迷いなく屋上に入って、こちらに歩いてくることには、流石に虚を突かれた。
肩越しに振り向いて、侵入者を見やる。
「…………」
あぁ——なるほどな。
予想通り女子生徒だった。
俺は彼女が屋上に来た理由が、一発でわかった。
肩くらいの黒髪をひと束だけまとめている。歩く拍子に小さく揺れる髪は、あまり手入れさえていないのかバラバラに揺れていた。
目鼻立ちは整っているが、表情が死滅している。哲学的ゾンビが本性を表したら、こんな感じになるのだろうか。
平均より小柄で、制服は特に着崩していたりはしない。
女子生徒は俺をちらりと一瞥し、けれど無視して真っ直ぐ柵に歩いた。
不真面目な生徒が堂々と一服していることに、何も言うつもりはないようだ。
形のいい眉が一瞬だけ動いたように見えたから、臭いが鼻についたのかもしれない。単に俺の被害妄想で、そう見えたかもしれない程度の小さな動きだった。
無言のまま、女子生徒は一歩一歩、じっくり確かめるように、柵の前まで進んだ。
「…………」
俺の予想通り、女子生徒は身軽に柵を乗り越えた。
数メートルほど進めば、彼女は地上へ真っ逆さまだ。
そして、それこそが————四階建ての校舎の屋上から身を投げ出すことが、恐らくはこの女子生徒の目的だった。
彼女を一目見た時。その、色のない瞳が。
まるで奈落を映したような、底なしの闇に染まった瞳は、見覚えがあったのだ。
「…………止めないんだ」
女子生徒が声を発した。
透き通った湖に一雫を落とした波紋のような、静かで綺麗な声だった。
「止める義理はないな」
俺はそれだけ答えて、紫煙を吐き出した。
吐き出した後、ただ、と続ける。
死の淵へと近づく女子生徒の、歩みかけた身体が止まる。
「お節介を一つ言うとしたら、転落死はやめておいた方がいい。ロクでもなく痛いらしいぞ」
親指で灰を弾いて、缶コーヒーで喉を潤す。
「この高さじゃ、最悪死ねないしな。頭から激突すれば確実だが、頭から落ちても都合よくはいかないこともある。失敗して気がついたら下半身が動かない、とかになったら嫌だろ?」
「……経験者?」
「まさか」
俺は鼻を鳴らした。
「だが、高い場所から落ちて死んだ奴は見たことがある。逆に、死ねなかった奴もな」
「……、」
女子生徒の足が、一瞬震えたのが見えた。
そうだよな。折角勇気出して死のうとしたのに、死ねなかったら最悪だよな。
「頭から行って綺麗に脳みそがカチ割れればいいが、そうじゃなきゃ最悪だ。即死できずに、だけど助からない場合も多いらしいぞ。自殺しようとした奴らでも珍しくないらしいが、みんな『死にたくない』っつって結局助からなかった」
不思議なもんだよな。
死のうとして飛び降りたのに、最後に言う言葉が『死にたくない』だなんて。
「わたしはそうはならない。…………でも、おすすめは、なに」
自分だけは違う。それも、自殺する前に誰もが言っていたことだった。
まぁ、いちいち突っ込むのも野暮だろう。
「冬にでも盛岡クラスタに行くといい」
「……凍死?」
俺は頷いた。
「雪山で遭難でもすれば、確実で、比較的楽だ」
女子生徒は首を横に小さく振った。
自分の求めるものではない、と言いたげだ。
まぁ、そうだよな。
今はまだ夏の頭。冬は遠いのである。
となると、なんだろうか。次を考えようとして。
ふと思った。
「答えたくないなら構わないが。そもそも何で死にたいんだ?」
「……聞かない方が、いい。あなたが、危ない」
「こう見えても逃げ足には自信があるぞ」
逃げるよりはぶち殺しに行くのが日常だけど。
「後は……そうだな。もし本当に死ぬつもりなら、その前に自分のことを話してみるのも、いいんじゃないか」
人は死ぬ前に、何を思うか。
そこに明確な根拠もデータもないけれど。俺の経験上では『自分のことを、誰かに覚えていてほしい』だった。
名前でも、生い立ちでも、遺言でも。自分が生きていた証明というものを、多くの人は死ぬ前に求めるのだ。
「…………、」
女子生徒はしばらく黙り込んだ。
それは、答えない、という意思表示なのだろうか。まだ出会って間もない俺にはわからない。
だが、ノーなら首を横に振るなりするだろう、と数十秒待ってみる。
「…………わたしは、欠陥品だから」
ぽつり、と。
平坦な————けれど、底に深く絶望が滲む言葉から、彼女の独白は始まった。
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