【第一章完結】如月くんはタバコが吸いたい
@ShirotaY
第一章
第一話 生クリームより甘い対応ですね
——タバコ吸いてぇな。
六限目の半ばで、ふとそんなことを思った。
窓際最後方の席。頬杖をついて空を眺めながら、ぼうっとしていた時のことだった。
無意識に手が右ポケットに伸びていた。
流石にここで一服なんてしたら、退学は免れない。
教室で窓から外を眺めながら一服、なんて。ちょっとやってみたいけどさ。
黒板の上にある時計を見る。
まだ授業が終わるまで三十分もあるじゃねえか。
放課後まで我慢? もちろんノーだ。
吸いに行くか。どうせ出席扱いだろうし、もう帰ってもよくね?
よし行こう。
俺は立ち上がった。
というか今気づいたが、半分以上寝てるのかよ。
あのおっさん、人を眠らせる異能でも持ってんのか?
ちゃんと勉強しろよー。
適当にエールを送って、元から何も置いていない机から離れる。
ほい、ガラガラっと。
人気のない廊下を歩いて、向かう先は登り階段。
登った先の鍵がかかったドアの前で、こっそり作成してある合鍵を取り出した。
かちゃり、と軽い音と共に空いたドアの向こうは屋上。
あまり音を立てないように閉めてから、いつもの場所である柵に上半身を預ける。
眩しいくらいの晴天だ。昼までは雨が降っていたのだが、夏前の暑さでとうにコンクリートは乾いていた。
ポケットからタバコの箱を取り出す。
赤いパッケージの中央に、キューバの革命家が描かれたタバコ。
その名前をもじって、チェ、と呼ばれるタバコだ。チェ・ゲバラってそのまま呼んだりもするな。
タールのミリ数でこのパッケージの色は変わるんだが、俺が愛用しているのは7ミリのチェ・レッド。もう一つ上に9ミリのチェ・ブラックがあるんだが、俺はレッドの方が好みだ。
タールがキツい=ウマいじゃねえんだよな。キツすぎると肺とか喉が痛くなるし。
レッドが個人的には一番バランスが良いんだ。
あとは、見た目がチェ・レッドの方が好きだってのもある。
一本咥えて、ライターを取り出して、
「あ?」
ない。
タバコと一緒に入れたはずなんだけどな。
昼に公園で吸った時にはあった。公園に置いてきたか?
今日はあれ以外にライターは持ってきていない。
「……ま、いっか」
人差し指をタバコの先に付け、体内を巡るマナを呼び起こす。
己の意思一つで励起する、世界の理からかけ離れた超常の力。
まぁ、今はただのライター代わりなんだけど。
本当は無許可で使っちゃいけなかったりする。
まぁ、銃やナイフよりもずっと危険な力だしな。下手すりゃ裏でこっそりと処理されたりするらしい。
火を点けるくらいだし、ライター買いに行くのはクソめんどくさいし、このくらいはいいだろ。バレないバレない。
力の規模もそう大きなものでもなし、へーきへーき。
というわけでさっさとタバコに点火し、ゆるーくフィルター越しに紫煙を味わう。
あぁ……たまらねえ。一吸い目がやっぱり一番ウマい。最高なのは開けたての一本目だが、それはそれ。
タバコの基本にして究極を突き詰めたような、甘く豊かな葉っぱの香りは、チェの醍醐味だ。
チェ・ブラックほどタールがキツすぎず、完璧な塩梅である。
タバコ入れとは逆のポケットが振動する。
上向いた気分のままスマホを取り出して、何も考えずに通話ボタンを押した。
「あいあい、凪也ですよーっと」
『お前、力を使っただろ』
秒でバレたの巻。
あっれぇー??
スマホ越しに聞こえる低い女性の声は、ちょっと笑えるくらい怒気を発していた。
紫煙で肺を満たす。
現実逃避気味に空に煙を吐き出して、質問。
「なんでバレたんすか?」
『ちょうどお前の高校近くで、異形が発生したんだよ。最近ショッピングモールができただろ、あそこの裏だ』
「マジすか」
ここは屋上だから、件のショッピングモールはよく見えた。
遠くに見える、人ならざるモノとの生息圏を分ける外壁のずっと手前。
数キロは離れているだろうか。ここの生徒もよく遊びに行っているらしい大型複合施設だ。
施設のオーナーであろう会社の名前が、屋上にでかでかと看板を掲げている。
「手伝いはいります?」
『いらん。もう終わった』
「それは優秀なことで。じゃ、瑠美さんお疲れーっす」
『待てコラ』
チッ、逃げられなかったか。
親指でフィルターを弾く。灰が風に乗ってどこかへと飛んでいく。
『厳重に禁止されているのは知っているだろう。何で力を使った?』
「ライターを公園に忘れてきちゃったんで、仕方なく」
バキ、とスマホ越しに何かが割れる音が聞こえた。
もしかしなくても、握力で画面でも割りましたか?
「や、しょうがないじゃないすか。こっからライター買いに行くのめんどいんすよ」
『その程度の面倒が理由で重罪を犯すんじゃねぇよ!』
ごもっともである。
反論の余地はなかった。
「すんません。多分きっと恐らく以後気をつけるんで」
断言はしない。
もし同じ場面になったら、同じことをする確信があった。
次からはバレないように気をつけよう。
しばらく通話先が無言になった後、めちゃくちゃ大きな溜息が聞こえた。
『……幸い、政府の人間にはバレちゃいない』
でしょうね。
さすがに気にしてますわ。
うちのチームに、とんでもなく感知が優れた人がいる。
今回、その人がたまたまそのショッピングモールとやらに出動していたからバレたのだろう。
要は、タイミングが悪かったってこと。
つまり、そうそう起こらないということだな。
再犯が確定した瞬間であった。
『今は授業の途中だとか、そもそも未成年だとか、これでもその辺りは見逃してやっているんだぞ』
「あー、日本はタバコ十八歳からでしたっけ」
『二十歳だ、馬鹿者』
あれ、そうだったっけ?
ちょっと前に十八歳を成人扱いにするとかなんとかの話を聞いた記憶があるのだけど。
確認してみたら、飲酒とか喫煙は変わらず二十歳からだそう。はー意味わかんね。
どっちにしろ俺は十七歳だし、関係ないのだけど。
「で、他に何か用あるんすか? 今一服するので忙しいんですが」
『ちょっとくらい反省しやがれ……』
「反省はしてますよ?」
次はバレないようにもっと上手くやろうと思ってるから。
反省はしてるけど後悔はしてないってやつだ。
『お前なぁ……。ああクソ、頭痛くなってきた……』
「ヤニクラですか?」
『違うわ。お前じゃねえんだから』
ちゃんとツッコミが返ってくるあたり、めっちゃいい人だと思う。
今度、何か差し入れでも持ってこようかな? ピアニッシモとかどうだろうか。仕事人間みたいな見た目の瑠美さんだけど、意外と似合うかもしれない。
まあ、瑠美さんがいつも吸っているのはアイスブラストの5ミリだが。
「で、結局他に用はあるんすか?」
『あるにはあるが……事務所で話す。授業が終わったら来い』
「今から行きますよ。どうせサボる気だったので」
尻ポケットから携帯灰皿を取り出す。
タバコエチケット、だいじ。ポイ捨てなど論外である。
結構パンパンになってきたそれに吸い殻を入れた。
『お前なぁ……』
「時間は有効に使うべきでしょう」
半分の時間で大半が寝てるような授業なぞ、受ける意味もなかろ。
そんな不毛な時間を過ごすなら、事務所に行った方が数百倍マシだ。
んー、中に戻るのめんどいな。誰かに遭遇するかもしれんし。
いっそ飛び降りちまおうかな?
『タバコ吸ってるってことは、どうせ屋上にいるんだろ。面倒だからって飛び降りたらちょん切るぞ』
「脅し方物騒すぎません?」
言われてしまったらしゃーなし。普通に行くかぁ。
あ、折角なら何をちょん切るのかって聞くか。
そんなことを思った直後に、通話が切れる。エスパーかよ。
「ま、いいか……」
気にするほどでもなかった。
スマホをポケットに戻す。
ついでに時間を確認したら、七分ほど通話していたらしい。
無添加のタバコだからか、ゆっくり吸うとそれなりに長い。アメスピほどではないが。
三分程度で吸い終わるタバコが多いが、それらと比べて長く楽しめるのもチェの魅力だ。
それなりに満足感はあったが、もう一服吸いたい気持ちもあった。
ただまぁ、今から行くと言った手前、動きますか。
にしても、用って何だろうな?
*
事務所は、学校からタクシーで三十分ほどの場所にある。
オフィス街の一角にある、どでかいビルの一つがそれだ。
名前は『如月対特災事務所』。対特災は特殊な災害、つまり異形の発生などの異能が関わる事件に対応するという意味だ。
入り口から回り込み、隣のビルとの陰に絶妙に隠れた階段を下る。専用の入口がこちらにあるのだ。
階段を降りた先のゴツいドアにICカードをかざすとロックが外れる音。
ドアを開けると細い廊下があって、少し歩くと談話室に出る。
談話室と言っても、自販機やコーヒーメーカーが近くに置いてあって、真ん中に二つテーブルが並べて置いてあるだけの、簡素なものだ。
「お疲れーっす。…………うげ、スズネさん」
軽く挨拶をしながら顔を出す。
そこにいる人を見て、思わず顔を顰めた。
「あらお疲れ様。随分なご挨拶ね、如月君」
「いやぁ……まぁ、ね?」
あらあらうふふといった感じで微笑む糸目の女性が、優雅にコーヒーを啜っている。
よくわからんブランド物に身を包み、小指を立てて自前のティーカップを傾ける姿は、まさしく貴婦人。
地下室をとりあえず談話室っぽく整えた感じの内装に、全然似合っていない。静かにジャズが流れる小さな喫茶店とか、噴水のある庭園のテーブルとか、そう言った場所が似合いそうな人だ。
ちなみに、とんでもなく感知能力が優れているのがこの人。
瑠美さんに怒られた元凶とも言える。いや、元凶はこっそり力を使った俺か。
「もう、ダメよ勝手に力を使っちゃ。神秘は秘されるからこそ神秘なのよ?」
「そっすね。はい」
ちくりといただいた小言に、一も二もなく頷く。
「ちゃんと反省すること。じゃなきゃ……ちょん切っちゃうわよ?」
「うひぇ」
そういう時だけ目を開かないでください怖いです。背筋がブルってします。
淑女にあるまじき発言だが、スズネさんはこういう人だ。
瑠美さんにちょっと感染っている今日この頃。ほんと勘弁してください。
「瑠美に呼ばれたんでしょ? 行ってきなさい」
「ういっす」
これ見よがしにデカいハサミを取り出したのは偶然ですかね?
砂糖スティックを開封するのにわざわざ使います?
ちょっと切れ味が落ちたかしら……じゃないんすよ。
なんかもう同じ空間にいるのも嫌なので、さっさと奥の『所長室』と書かれているドアをノック。
瑠美さんは大体ここにいる。あの人がこの事務所の所長だからね、当然っちゃ当然。
事務所の名前にもなっている。俺の義理の姉だ。
『入れ』
「失礼しまーす」
許可が降りたのでガチャリ。
小さな部屋の向こうで、瑠美さんが疲れた顔で煙を吐き出していた。
細くしなやかな指が、黒くて平べったいものを挟んでいる。
「お、なんですかそれ?」
「貰いもんのよくわからんやつ」
「あー、水蒸気が出るっていうアレですっけ」
「それ。ニコチンゼロ、タールもゼロ。ついでに吸ってる気もゼロ」
「ダメじゃないっすか」
吸う意味ある?
瑠美さんも賛同するように頷いて、忌々しげに天井を見上げた。
「このビルが全面的に禁煙になりやがったんだよ。電子タバコとかもダメときた」
「一階の入り口脇に喫煙所ありませんでしたっけ?」
「なくなりやがった。近くのコンビニに行くしかねえ」
そこの喫煙所はまだ残っているらしい。
時間にして徒歩五分ほど。ふらっと行くには絶妙に面倒な距離である。
「クソですね」
「ああ。クソだ」
二人して最近のタバコ規制に恨み言を吐いてから、俺は近くのパイプ椅子に座った。
「で、要件は何すか」
「アウトローの存在が確認された。既に一般人に被害が出ている」
開いている封筒を投げ渡される。
中にはそこそこに分厚い書類が三つ折りに畳まれていた。
開いてすぐに見えた写真に、俺は顔を顰める。
「あーあ、こりゃひでえ」
思わず呟く。
書類には、一枚の写真とそれに対する情報が細かに書き込まれていた。
その写真は、恐らくは人間の死体だった。
断定できないのは、それが死体と呼べるほど、原型を留めていなかったからだ。
どこかの裏通りだろう。幅が狭いアスファルトの道路の端に、吸い殻や缶のゴミが落ちている。
見切れているが、壁には落書きの痕跡も認められる。
はっちゃけた奴らが群がっていそうな場所だ。
その中央に、ありったけの赤いスープをぶちまけたような水溜りがあった。
バケツ一杯でも足りないくらいの量で、狭い道路の両端まで届いている。
水溜りの中には、何か柔らかいものの欠片がいくつも浮かんでいた。
「このスープの原材料はどちら様で?」
「そのページの下を見てみろ」
言われた通りにすると、ばっちり個人情報が載っていた。ああいや、故人情報か?
金髪の目つきが悪い若者の写真。高校三年生らしい。
万引きに恐喝、強姦の疑いさえある。色々やってるねぇ。完全に道を踏み外した不良ってトコか。
ページを捲っていると似たような写真がいくつかあった。
確認できる限り、二人の似たような人が亡くなっているらしい。
手口はどれも同じであり、近場で発生しているため関連があると思われていたそう。
犯人は現場に足跡を残しており、それぞれ別の足跡であるため複数犯の可能性が高いようだ。
そんな感じで捜査の流れが報告書のように書かれていた。
で、何やかんやで容疑者が浮かび上がって、犯人グループと思われる車はとある建築会社の地下駐車場に消えていったと。
その住所と、一人ひとりの顔写真までバッチリ載っていた。ご丁寧に、全員から異能を使用した形跡が見られるらしい。
…………なるほどねぇ。
俺がざっと目を通したのを見計らって、瑠美さんが言う。
「で、お前にはそいつらを捕まえて欲しい」
「殺しは?」
「無しだ。五体満足で引き渡せ」
「生クリームより甘い対応ですね」
どうしてこう、日本という国は犯罪者にも人権を保障したがるのだろう。俺らより重要視されているのはきっと気のせいじゃない。
取り調べしたいなら喋れる口だけあればいいと思うし、リーダー格以外は必要ないと思うんだけどな?
「いい加減、お前も慣れておけってことだ」
「慣れてはいますよ。面倒だからやりたくないだけで」
そう、面倒なのだ。
仕事のオーダーだから否やはないけどさ。
「じゃあ、行きますか。車は回してもらえるんで?」
すぐに動くことは織り込み済みだったのか、瑠美さんは頷いた。
「公安の車がある。それで向かえ」
「りょーかいです」
待機している車種とナンバーを教えてもらい、俺は立ち上がる。
軽く伸びをした。もうここに用はない。
「……いつものことだが、あまり」
「わかってますよ。一々気にしてないですって。あ、ライター貸してください」
物言いたげな瑠美さんは、それでも何も言わずにポケットからライターを投げた。
ありがたく受け取り、俺は所長室を出る。
そんな心配そうな目をしないでも大丈夫ですって。
談話室に戻ると、スズネさんは優雅にコーヒーを飲んでいた。
「あら? もう出るのね」
「はい。行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
短くそれだけ交わして、俺は談話室から直接駐車場に繋がるドアを開ける。
薄暗い地下のコンクリートと排気ガスが混ざった臭いを感じながら、公安が乗っている車に向かった。
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