柿本教授の記録

 ……喰ひに関して。今回はボイスレコーダーで記録する。

 駅から二時間の山奥というのは、いかに人工物がたくさん建っていようと、結局は野生生物のテリトリーに他ならないのだ。

 認識が甘かった。ここにはもう私以外の人間はいない。車も全く通らない。

 私の車はタイヤがパンクして、ガソリンが尽きていた。パーツが分解された形跡がある。当然、野生生物はこんなことをしない。

 西沢。何のつもりだ。今、近くの村に向かって歩いてる。人口六人だったか。電話くらい貸してくれるだろう。

 そう、そうそう、私のスマホも無くなっていた。車の中に置いていたんだ。西沢が盗んだのだろう。

 暑い。落ち着いた猛暑が復帰してきてる。このセミの声……ヒグラシというのは涼しい時刻に鳴く虫だったはずだ。

 くそっ。飲み物を取りに戻ろうか。いや、戻っていたら日が暮れて動けなくなる。


 ……。

 現在時刻は不明だが、村に着いた。アスファルトの道路の両脇に数軒の家が並んだだけの村だ。

 なぜ、誰もいない。六人住んでると聞いた。緊急避難だ。家に上がってもいいだろう。

 法的な証拠としてもこの録音は役に立つ。殺人的な暑さだ。私は命の危険を感じて他人の家に避難する。

 ……鍵が開いている。ど田舎では普通のことだろうか。

 お邪魔します! 誰かいませんか!

 大学の者です! 誰かいませんか!

 ……なんだ、この家。

 異常だ。他の家にする。


 ……なんなんだ。いったい。

 どの家も、玄関にほこりが積もってる。

 廊下も、家具も、ほこりだらけだ。誰も住んでないんじゃないか。この村。電話も通じない。冷蔵庫も温まってしまってる。

 水道も通ってない! おいっ! ふざけんなよ!! ふっざけんな!! 誰だ! 騙しやがったのはッ!!


 ……。

 ……。


 外が真っ暗だ。今夜はここに泊まるしかない。

 何か飲むものが必要だ。落ち着け。落ち着け……。


 台所の戸棚から、ウイスキーのボトルが出て来た。アルコールはダメだ。飲めばよけい水分が奪われる。


 床下収納……これは……缶詰か。

 白桃のシロップ煮。缶がふくらんでいない。無いよりはマシ……。

 クソがッ!! 缶切りだ!! 缶切りが無えッ!!


 ……すまない。暑さのせいだ。脱水のせいで……。


 ……誰に謝ってるんだ。馬鹿か。


 温度計を見つけた。壊れてなければ、現在36度だ。体温と同じだな。

 缶詰は諦める。どうせ開かない。手探りで外に出て草を採ってきた。イタドリだ。ほうれん草どころじゃないシュウ酸の塊だが、噛めば酸っぱい汁が出る。

 ……。

 部屋の中まで真っ暗だ。


 ……ポケットにマッチがあるのを思い出した。買い出しの時にホテルでもらったやつだ。台所のシンクに燃えるものを放り込んで火をつける。明かりを確保したい。


 待ってくれ。おかしい。新聞紙を見つけたんだが、日付が今日になってる。

 今日の新聞が、なぜほこりだらけで転がってるんだ?


 ……窓の外を光が通った。一瞬だが。


 今気づいた。ヒグラシが鳴いてるんだ。こんな真っ暗な中、ずっとヒグラシが鳴いてる。


 汗まみれだ。シャワーを浴びたい。


 外の光が気になる。出て確かめてみる。


 ……。おおっ……。

 『喰ひ』だ……! 『喰ひ』がいる!

 毛が光ってる! まるで深海のクリオネみたいに……!

 そんな馬鹿な! この大きさで光る生物だと!? 発見されないはずがない!!

 光る体毛がうごめいてる! うぞうぞとまるで虫みたいに……虫の群体みたいに


 あっ!!


 あっ


 あああ


 あっ


 あ

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