第15話 陽はまた昇る
(思っていたより早く撮影が終わってよかったわ)
もうすっかり通い慣れた雑居ビルの階段をヨミは一段ずつ上って行く。
3階まで上りきり、いつもならまず始めに顔を出すことにしている事務所の前を
通過し、今日はさらに上の階を目指す。
(この時間ならもう二人とも来てるわね。幡豊さんも……上にあがっているかしら)
今日のように現場からではなく学校が終わってからでも、事務所から最も遠いヨミが
決まって入りも一番遅かった。
大抵は先に来ているヒカリとアカネがすでにストレッチを始めながら談笑していた。
稀にそこにアキも加わり、仕事で合流が遅くなった時はすでにレッスンが始まって
いたことも少なくはなかった。
1ヶ月。
AmaTerasの一員となり、アイドルとして活動した期間。
たったの1ヶ月という短い期間であったが、そういったことが容易に思い浮かぶよう
になる程度には、ヨミにとって日常の一部と成りかけていた時間であった。
(けれど、それも今日でお終い)
そう――終わらせるために、自分はここに来たのだ。
一日かけて考えたが、やはりアイドル活動は自分の願いを叶えるためにはリスクが
大きすぎる。
(やはりどれだけ時間がかかろうとも、役者のみに専念して地道でも確実に前へ進む
べきだった)
それがヨミの出した結論。
だからまずはメンバーであるヒカリとアカネにAmaTerasを脱退する旨を
告げ、外堀を埋めてからカネトとアキにも告げる。事務所への挨拶を後回しにしたの
はそのためであった。
意識はしていないつもりでも、いつもより自然と重くなった気がする足取りでヨミは
4階まで上りきると、ドアの前で一つ深呼吸をしてからドアノブに手をかけた。
そしてドアを開こうとした――まさにその瞬間だった。
「なんで嘘でもそんなことを言うんですか!!」
――ヒカリの悲痛な叫び声が部屋の中から聞こえてきたのは。
(今の……高天原さんの声よね……?)
初めて聞くヒカリが感情を爆発させた叫び声に驚き、ヨミは思わずドアを開こうとし
ていた右手の動きを止めてしまう。
一体何事かと気になったヨミはそのままドアを少しだけ開き、隙間から耳を立てて
中の様子をうかがうことにした。
「照月さん、あんなに一生懸命頑張ってたじゃないですか!役者のお仕事だってあっ
て誰よりも大変だったのに、それでも弱音一つこぼさずに毎日必ずレッスンしに
来て!私なんかよりずっと!ずっとずっとずっとずっと頑張ってました!!
それなのにどうしていなくなれば清々するなんて、強がりだったとしても言えるん
ですか!!」
「いい子ぶるんじゃないわよ……ヒカリだって正直そう思ってるんでしょ!?
いっつも気を遣って萎縮してさ!そんなんでどの口が綺麗事を言ってるのよ!」
「確かに私は今の照月さんのことが苦手です!いつも距離を置かれている気がする
し、本心を話してくれないから何を考えているのか分からなくて怖いし……
でも、いてほしくないなんて思ったりしません!
だってAmaTerasとしてステージに立つあの人のことなら信じられるから!
照月さんはこの1ヶ月の間、誰よりもAmaTerasに本気だったことを私は知っ
ていますから!」
F.I.Fのステージの後に見た、初めてヨミが弱音を漏らした姿。
AmaTerasを成功させようと本気だったからこそ隠せなかった本心。
それをヒカリは知っている。
だから――言える。
「照月さんはAmaTerasの大切な仲間です!私にとっても、アカネさんと同じ
でこれからもずっと一緒にアイドルを続けて行きたい大切な仲間なんです!!」
「――――!!」
ヒカリの言葉を聞いた瞬間、ヨミの心に経験したことのない強い衝撃が一陣の風とな
って吹き抜けた。
それは夏の風のように熱く。
秋の風のように力強く。
冬の風のように鋭く。しかし春の風のように優しくもある――不思議な風。
ヒカリがヨミの心に生み出した風は、彼女が長い年月をかけて作りあげてきた他者と
を遮る堅牢な壁に亀裂を生じさせていく。
(仲間……か)
そんなものは
いつだって用意された椅子の数には限りがある。誰もがその座を狙い、常に競い
合い、時には他者を蹴落としてでも手に入れようとしている。
もし仲間などという言葉を使う者がいたら、それは自分を利用しようとしている
だけ。利用価値が無くなれば舌を出して敵へと回る。
だから自分以外は信じてはならない。隙を見せてはならない。
長く芸能界に身を置いてきたヨミは、実体験もあって母のその教えは間違っていない
と今でも思っている。
僅かでも隙を見せれば一瞬で奈落の底まで転落する世界。一度堕ちてしまえばすくい
上げてくれる手などない。実際に骨の髄まで経験してきた。
だから独りでいいと思っていた。独りで強くならなければならないと自身に言い聞か
せてきた。
そうやって――ずっと生きてきた。
けれど違うと。それは間違いであると示そうとしてくれている者が今、目の前に
いる。
ヒカリは自分のために本気で怒ってくれていた。
目的を果たすことだけを最優先し、自己中心的な理由のために彼女を遠ざけてきたと
いうのに。
そんな資格など無い自分などのために怒り、仲間だと言ってくれた。
(……まいったわね……)
全てが感情剥き出しの言葉。だからこそ何一つ嘘偽りがないと分かるヒカリの本気の
言葉はヨミの心を揺り動かしてきた。
AmaTerasを抜ける。そう決めていた心さえも。
(こんなにも簡単に決意が揺らいでしまうなんて、私は弱くなってしまったのかし
ら……)
だとすれば――それはきっとAmaTerasのせいだ。
ずっと独りだったヨミが初めて他人と共有した、AmaTerasのデビューステー
ジを成功させるという目標。
ヒカリとアカネ。三人で協力し合ってきた日々が、これまでなんでも独りでやってき
た自分の強さを知らず知らずのうちに薄めてしまったのだろう。
「キミはもっと弱くなったほうがいい」
あの時は理解できなかった言葉。それが今なら分かる気がする。
(社長は私に……誰かに頼る弱さを知ったほうが良いと分かっていたのね……)
独りで何かを成そうとしても限界がある。しかし二人ならまだ可能性が広がる。
独りで行き詰っていた自分がカネトの助力を得た時のように。
そして今の自分にはヒカリが。アカネが。そしてアキもいてくれる。
(社長はこのことを気づかせるため私にアイドル活動をさせた……?)
そう考えて、ヨミはすぐにかぶりを振った。違う。あの人はそこまで完全な善人では
ない。
彼が望んでいるのは伊座敷ナミを越えるアイドルを創り上げること。
そのために照月ヨミという駒が単に【使えた】というだけのことなのだろう。
その上でカネトに利用されただけの形にならぬよう、ヨミにも成長の機会を与えて
おくことで貸し借りを無しにした。そんなところであろう。
(……本当に食えない人だわ)
流石に自分の人生の倍を生きているだけはある。そう心の中で苦笑すると、ヨミは
改めて考える。
今まで通りにこれからも独りで役者だけを続けるべきか。
それとも、変わるためにヒカリ達と一緒にAmaTerasを続けるべきか。
考えて――答えはすぐに出た。
そしてヨミは再び右手でドアノブを掴んだ。
【続く】
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