追憶 ――照月ヨミ―― 2



「私をあなたの事務所に……ですか?」


「ええ。照月さんさえ宜しければですが」


その人――ぼさぼさの髪にネクタイすらまともに結んでいない、よれよれのスーツ姿


という【見た目から生まれる信用性?なにそれ美味しいの?】と言わんばかりの


八意カネトと名乗ったその人は、自分の名刺を差し出す両手へ怪訝な視線を向ける私


に向かってにこにこと笑いかけてきた。


「うちはこれから立ち上げる予定の芸能事務所でしてね。けれどまだ所属してくれる


タレントがいなくて探していたところなんですよ」


「それで私……ですか」


「ええ。天才子役の照月ヨミさん。ですがフリーになられてからは苦戦されていらっ


しゃるようで。そこでどうでしょう。もう一度、我が事務所の所属タレントして再起


をはかってみるというのは?」


「……なるほど。私のことは調査済みということですか」


見かけだけでなく話の内容も胡散臭さしか感じられない人であった。それがさらに私


の警戒心を高めた。


今の私の現状を知っているということは、ほぼ間違いなく私の弱みにつけこんでくる


気なのだろう。


手詰まりの私に救いの手を差し伸べるふりをして、後は知名度だけはまだある私を


利用できるだけ利用し、価値が無くなるまで使い潰すといったところだろうか。


そして搾りカスすら残らなくなるまで利用された後は……まぁこの業界の暗部を嫌と


いうほど知っている以上、まずろくな結末にはならないだろうと容易に想像が出来


た。


「申し訳ありませんが、私はもう少しフリーで足掻いてみるつもりです。折角のあり


がたいお話ですが、今回はご縁が無かったということで」


確かに打開策が全く思いつかない現状からもう一度事務所に所属できるというのは、


今の私からすれば喉から手が出るほど望んでいる状況だ。


が、そのためにこの人の道具になるつもりはない。


私にはやらなければ――成し得なければならないことがあるのだから。


だから私は彼の誘いを断ると、一度お辞儀をしてその場を立ち去ろうとした。


「ふむ……。どうやら僕は胡散臭い信頼ならぬおっさんだと思われてしまったようだ


ね」


(自覚はあるんじゃない)


私は声に出さず胸中で嘆息すると、


「差し出がましいですが、せめて身だしなみくらいはもう少し整えられたほうがよろ


しいかと」


「ん?ああ、これは失礼。すっかりいつもの癖で忘れていたよ」


笑顔で嫌味をこめた苦言を呈すると、彼は本当に忘れていたらしい。


私の前でぼさぼさのの髪をオールバックにまとめあげると、よれよれだったスーツも


ビシっと正して最後に眼鏡の位置をくいっと人差し指で押して直す。


するとどうだろう。一瞬にして見た目だけでなく身にまとう雰囲気すらも変わり、


いかにも仕事ができそうな男性に変わったではないか。


いや……見栄えが良すぎて、逆にそれはそれで胡散臭さを増している気はしたが、


それはさておき。


(あれ……?この人……どこかで会ったことがある気が……)


「思い出してくれたかな?」


「え……?」


まるで私の心の声を盗み聞きしたように、口調までもしっかりとした物へと変わった


八意さんはそう言ってきた。


もし本当にどこかで会ったことがあるのなら思い出さないと失礼にあたる。


だから私は必死に記憶の糸を手繰り寄せようとしていると、


「銀河の中心でAIが叫ぶ。あの収録現場で僕とキミは一度だけ会ったことがあるん


だよ」


向こうからヒントを出してきてくれた。


それは私もよく憶えている映画のタイトル。


邦画としては異例の大ヒットとなったおかげで今でも私の出演代表作の筆頭となって


いる映画。


そして、私が天才ではないと初めて気づいてしまった映画……


「あ…………」


そこまで記憶を紐解いて、やっと私は思い出せた。


あの映画を大ヒットさせた立役者であり、物語のヒロイン役を演じていた伊座敷ナミ


さん。


そして常にその傍らにいた、一人の男性のことを。


オールバックの髪型。しっかりと着こなした青のスーツ姿。どれもが今、目の前に


立っている人と当時の記憶が重なった。


「あなたは……伊座敷さんの……」


「どうやら憶えていてくれたようだね」


驚きながら呟いた私に向かって、八意さんは先程までの作り笑いとは違う自然な笑み


を浮かべてみせた。


八意カネト。


伊座敷ナミが伝説のトップアイドルと呼ばれるまでの道を作り上げた、彼女の


マネージャー。


伊座敷さんが引退したのと同時に彼もまた芸能界から――世間からすらも姿を消し、


その後どうなったのかを知る者は誰もいないはずであった。


その彼が今、自分の目の前に立っている。


「まるで亡霊でも見るかのようだね」


「……それはそうですよ。今まで消息不明だった人が突然なんの前触れもなく目の前


に現れれば誰だって驚きます。私がマスコミの人間なら今すぐスクープとして記事を


書き上げているところです」


「なら、今からマスコミにたれ込むかい?」


「私に利があるならばそうします。ですが残念ながらそうではないので」


「キミが分別のある人間で助かるよ」


八意さんはわざとらしく肩をすくめてみせる。まるで私がそう言うと分かっていたよ


うに。


「それで……何が目的なんですか?」


「ん?なんのことだい?」


「とぼけないで下さい。業界から完全に去ったはずのあなたが戻ってきた。


それには理由があるからですよね」


「鋭いねぇ。その洞察力と勘の良さはお母さん譲りかな?」


「――! お母さ……母のことを知っているんですか!?」


「知っていると言えば知っているけど、キミが知りたいことまでは知らないかな」


「そう……ですか……」


「悪いね、期待させるようなことを言ってしまって」


「いえ……」


もしかしたらと思ったが、やはり世の中はそう上手く事が運ばないらしい。


私が落胆しているのを見かねたのか、申し訳なさそうな顔をしていた八意さんはこう


言ってきた。


「今すぐキミの願いを叶えてあげることは僕には出来ない。けれど、その手伝いくら


いは出来るつもりだよ」


「え……?」


「キミの願いは消息が掴めなくなってしまったお母さんを探すこと。そしてもう


一度、家族としてやり直すこと。


そのために【天才子役 照月ヨミ】としてもう一度輝きを取り戻し、お母さんがいた


頃と同じ状況をキミは作ろうとしている。違うかい?」


「……………」


そこまで完璧に私のことを調べあげていた八意さんに対して驚きを隠せなかった。


私が声すら出せずに驚愕しているのを肯定と受け取ったのだろう。八意さんはさらに


言葉を続けてきた。


「ならばその願いを叶えるために僕の力を利用すればいい。代わりに僕もキミのこと


を利用させてもらうから」


「……具体的に、私に何をしろと……?」


「今と何も変わらないさ。僕はキミがもう一度輝けるための道を共に作る。キミが


諦めたり、僕の手助けが必要にならなくなるまでね。その代わり――」


「私にあなたの事務所の看板――いえ、客寄せパンダになれと仰るんですね」


「やはりキミは賢いね」


私の憶測が八意さんの眼鏡にかなったのだろう。彼はとても満足そうな笑みを浮かべ


てみせた。


「僕は僕の目的を果たすためにキミ以外にも新しい力が必要でね。そのためにキミが


僕の事務所で再び活躍してくれればこれ以上の宣伝はないんだ。


あの照月ヨミが所属し再生を果たした芸能事務所。そう注目が集まれば自然とうちに


興味を持ち、入りたいと望む人も増えてくるはずだからね。


母数が増えれば僕が求める人材と巡り合える可能性も上がる。それが僕がキミを利用


する利点さ」


「一つ質問してもよろしいでしょうか?」


「どうぞ」


「その求めている人材とは?」


「アイドル候補生さ。それも伊座敷ナミを越える、とびっきりの才能を


持った――ね」


(伊座敷さんを越えるアイドル候補生?それを見つけるのが、この人が戻ってきた


理由……?)


「ほら、伊座敷ナミは今でこそ伝説のアイドルと呼ばれているけどその最後は


ちょっと汚点が残ってしまっただろ?だからね、僕は今度こそ完璧な伝説のアイドル


を誕生させたいのさ。


それこそ伊座敷ナミを越えるような、完全無欠のスーパートップアイドルをね」


流暢に語る八意さんの説明からは、確かになるほどと納得させられるものがあった。


しかし私にはそれが全て真実ではないと思えた。


今の言葉には多分嘘が混ぜられているし、まだこの人は何かを隠している。根拠は


全くなかったが、幼い頃から魑魅魍魎だらけの芸能界で鍛え抜かれた嘘を見抜く直感


がそう告げていた。


「という訳なんだが、どうだろう。僕達は手を取り合えないかな?」


「……………」


私は即答はせずに少し考え込む。


八意カネト。


かつて伊座敷さんのマネージャーをしていた人物。無名の彼女をトップアイドルまで


育て上げた手腕と実績は疑う余地などなく、確かなものに違いない。


その彼が私の仕事を後押ししてくれる。しかも私にとってデメリットとなる部分が


全くといってもいいほど無いのにだ。


これだけなら破格の条件。八意さんの気が変わらぬうちに今すぐ飛びついてしまう


べきだ。


(唯一の問題はこの人がどれだけ信用できるかということ……)


それを冷えた頭で静かに考え抜き――


「――分かりました。そのお話、お受けさせて下さい」


そう言って私は八意さんに頭を下げた。


今はどれだけ考えてもこの人の真意が分からない以上、素直に信頼することは


出来ない。


けれど――信用は出来る。


八意さんは私を利用すると言った。もし私を騙そうとしているのならば、そんな馬鹿


正直な言葉など表に出さないはずだ。


そしてそれは彼が言う通り、少なくとも互いの利害が一致している間は私を裏切る


真似はするつもりは無いという彼なりの表明だと受け取れた。


だから信頼は出来ないが信用は出来る。互いに利用し合っている間は。


「ありがとう。キミの英断に感謝するよ」


そう言うと八意さんはその場で片膝をつき私の右手を取ると、まるで忠誠を示す騎士


のように恭しく頭を垂れてきた。


どこまでも行動の一々が芝居がかった人だ。そう思うと同時に、母がこの人のことを


人たらしと言っていたのを思い出した。


「これで僕達は同じ事務所の仲間だ。よろしくね、照月くん」


「こちらこそよろしくお願いします。八意社長」


そして同時に笑いかける。


どちらもその笑みの下に本当の顔を隠したままで。


「ああ、それと僕の提案を受け入れてくれたお礼としてキミに一つアドバイスを


送ろう。


キミはもっと弱くなったほうがいい」


「弱く……?強く、の間違いでは?」


「いいや。弱く、さ」


意味が分からないといった心の声が顔に出ていたのか、八意さんは出題したなぞなぞ


が解けないのを楽しむ子供のような笑みを浮かべて私を見ている。


「まぁ今は分からなくてもいずれ分かる日が来るさ」


「はぁ……」


結局、明確な答えまでは教えてもらえずはぐらかされたので、私も思わず生返事を


してしまった。


この時、彼が私に与えたアドバイスの意味は今でも分からぬままでいる。


――ともあれ。


こうして私――照月ヨミはRe:SET芸能プロダクションに所属する初めてのタレント


となった。



【続く】

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