追憶 ――照月ヨミ――
私は物心がつく前から芸能界に身を置いていた。
初めて子役として仕事をしたのは2歳の頃らしい。全く記憶に残っていないが、映像
には残っているのでそうなのだろう。
天才子役。
人は私のことをそう呼んでいたが、私からすれば母に言われたことをそのままこなし
ているだけ。
演技もテレビに出演した時もインタビューをされた時も。私をマネージメントしてい
た母の言う通りにしていれば全て上手くいった。
それなのに大人達はまるで私が自分で考えてやっているように受け取り、ますます私
のことを天才だともてはやした。
子供心でもずるいことをしているという自覚はあったが、私がそうすれば大人達は
喜んでくれたし、何より照月ヨミという子役が売れれば売れるほど母は嬉しそうに
私を褒めてくれた。
だから頑張れた。
まだ心身共に幼かった頃は。
しかし私は【天才子役 照月ヨミ】である前に一人の人間でしかなかった。
売れっ子として芸能界で仕事に費やす時間がほとんどのため、プライベートな時間な
んてほとんどなかった。
保育園も小学校も早退や欠席ばかりでまともに通った記憶がない。そんな子だから
友達なんて出来たとしてもすぐに付き合いが悪いと疎遠になっていく一方。
子供として当たり前のように友達を作り、放課後は学校の校庭で一緒に走り回った
り、誰かの家に集まって過ごす。そんな誰もが当たり前に送る日常こそ私にとっては
非日常であった。
だから――憧れてしまった。
私も普通の子供として過ごしたい。一緒にお喋りして、陽が落ちて真っ暗になるまで
遊べる友達と時間がほしい。
そう――思ってしまった。
だから中学受験を理由にして、小学六年生の1年間だけ芸能活動を休止したいと母に
願い出た。
ずっと母の望む通りに生きて来た私の生まれて初めての我儘。
しかし、それすらも母は許してくれなかった。
そんな中で父だけは私に味方してくれた。最初は私の言葉同様に耳を貸さなかった母
であったが、その根気が折れるまで父が説得してくれたおかげで私は1年間の自由を
手に入れられた。
……嬉しかった。
学校を早退せず、放課後まで教室にいられることが。
放課後に仲が良くなった子達と一緒に帰れることが。
その道中で寄り道をして遊べることが。
勉強会だからと母に嘘をついて友達の家にお泊りしたことが。
ずっと憧れていた普通の子供としての生活がそこにあった。
だけど幸せな時間というものはシンデレラの物語のようにあっという間に終わって
しまうもので――
中学へ進学した私は母との約束通り、芸能活動を再開することになった。
そして――私を取り巻く環境の変化に気づくのには、さして時間はかからなかった。
仕事が減っている。
休業前はそれこそ365日休みなく組まれていたスケジュールが嘘のように、仕事が
入っていない日のほうが多くなっていたのだ。
始めは母が私に気を利かせ、リハビリ期間として仕事をセーブしてくれているのだと
思っていた。
しかし――違った。
私が復帰して以降、日を追うごとに母の顔には焦燥が色濃く現れていった。
そして、その理由もすぐに分かった。
かつて私が座っていた【天才子役】としての椅子。
たったの1年間だけ空席にしていたその場所には私ではなく違う子が座っていた。
そう――私にとってはたったの1年間だったはずだったのだ。
しかし流行り廃りが目まぐるしく入れ替わる芸能界という場所において、1年という
月日は照月ヨミという存在を忘れ去り、その代わりとなる新たな才能が台頭するには
十分すぎる時間であったことを、ずっと子役のトップとして歩き続けてきた私は知り
もしなかった。
そして、そこでやっと母が何故あれほどまでに私の休業に反対していたのかを理解す
ることができた。
仕事を他の子に奪われ、私が家にいる時間が増えるほど母はやつれ、心までもが荒ん
でいった。
日に日に父と言い争う回数が増えていった。
母があまりにも大声で叫び、暴れてしまうから近隣の住民に警察を呼ばれたことも
あった。
そしてついに――母は家を出て行った。
私には何も言わず。何も告げず。
スマホに登録してあった母の連絡先はすぐに全て繋がらなくなり、向こうから連絡を
とってくることも二度となかった。
それは父も同じらしい。母の実家に連絡しても本人から繋がないでくれと言われてい
たようで、父もそれ以上どうすることも出来なかったようだ。
だからある日、父に言われた。
お母さんのことは忘れなさい――と。
中学生にもなれば皆まで言われずとも父が母と離婚したというのは察することが
出来たし、理解も出来た。
しかし、そう言われたからといって受け入れられるはずもない。
父と母が離婚した理由――それが全て私にあるのだから。
私の我儘が――私のせいで家族はバラバラになってしまった。
後悔した。なんであんな我儘を言ってしまったのだろうと。
ずっと母の言うことを聞いていれば、今でも家族三人で仲良く暮らせていたはずなの
にと。
後悔して、後悔して、後悔して――毎日欠かすことなく後悔の念に圧し潰されて。
それでも必死に考えた。
どうすれば母が戻って来てくれるかを。
考えて、考えて――1つの結論に至った。
私が【天才子役 照月ヨミ】として輝いていた頃に戻ることが出来れば、きっと母も
家に帰ってきてくれるはずだ、と。
確証など何一つないただの憶測。いや……願望。
しかしその時の私には――そして今もまだ、その希望とも呼べない光にすがることし
か出来なかった。
そうと決めた私は当時所属していた芸能事務所を退所した。
事務所からは旬が過ぎて盛り返すのは難しいと判断した私をこれ以上手間暇かけて
売り出すほどの旨味はなかったようで、私の事務所内での扱いは明確におざなりに
なっていたし、何より私のマネジメントを母が全て担っていたことが大きくマイナス
へと働いていた。
基本的に私の仕事を取ってきていたのは母だ。その母が長い年月をかけて培った人脈
は残されていたものの、けれどそれはやはり母が使ってこその物であった。
母からそれらの業務を引き継いだ私の新しいマネージャーはそれまで担当していた
タレントを抱えたまま私のことも面倒を見ることになったので、その人脈の再構築
まで手が回っていないようだった。
そして今まで二人三脚でやってきた担当タレントと、面倒事を押し付けられるように
してマネジメントまでしなくてはならなくなった私。どちらを優先するかは分かりき
ったことであった。
このまま事務所に残っていても何も変わらない。むしろ先細りにしかならない。
そう感じていた私は事務所を辞め、フリーになった。
しかし事態は好転するどころか、より悪化の一途をたどってしまう。
母が残した人脈を頼ってなんとか小さな仕事は得られた。しかし次に繋がらない。
どの人も母にはお世話になったからと単発での仕事は融通してくれるものの、それで
借りは返したとばかりにそれっきりの付き合いのみばかりとなってしまった。
何より事務所を退職してフリーになったというのも彼らからすればいただけなかった
のだろう。
事務所に所属しない私を使う【メリット】がないからだ。
芸能事務所とは所属タレントに働ける場所を提供するのが仕事だ。けれどそれは現場
との貸し借りによって成り立っている場合がほとんどである。
例えば同じ事務所に視聴率が稼げる売れっ子と無名の新人がいたとする。
この場合、現場が使いたいのは当然視聴率が稼げる売れっ子だ。けれど事務所として
は無名の新人を売り出したいからこちらも使ってほしい。
だから事務所としては売れっ子を使わせてあげる代わりに、他の現場で新人も使わせ
てほしいという約束を取り付けるのである。
こうやって売れっ子のおこぼれを新人へと回して育て、第二の売れっ子へと成長させ
る。基本的にタレントが豊富な大手の芸能事務所ほどこのサイクルで回している場合
が多い。
しかしフリーではそれが出来ない。
落ち目の元天才子役を使ったところでたいした視聴率は期待できない。その上で
見返りもない。
ないない尽くしのタレントを使う理由など無い。
ただでさえ個人配信によるテレビよりも面白い動画が溢れ、時代の波に吞み込まれよ
うとしている業界では目先の結果に走る現場が多くなっているのだ。そこに即戦力に
なれないフリーのタレントが入る余地など僅かな隙間さえなかった。
失敗から学ぶこともあるというが、私にとってのフリー転向失敗は学んだことを次に
活かすことも許されぬ致命傷であった。
こうして照月ヨミというタレントは奈落へと一直線に墜ちて行き、最早拾う者もいな
くなる。
そんな決定づけられた絶望の中で――私はあの人と出会った。
今の事務所――Re:SET芸能プロダクションを立ち上げたばかりの八意カネトさん
に。
【続く】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます