第12話 それぞれの夜――幡豊アキ――



「……ただいま戻りました」


アキは重い足取りで事務所までの階段を上りきると、見慣れた入口のドアを開けて


伏し目がちになったまま中に入る。


「……はい。この度は私の都合を通して下さりありがとうございました。


……ええ。彼女達にはこれ以上ない経験となったはずです。……ええ。必ず一年後


には今回の投資への見返りをお約束します。……はい。では失礼いたします」


事務所の奥からカネトの話し声が聞こえたのでアキはすぐそこまでは行かず、ドアを


音が立たぬよう閉めると入口で気配を殺して聞き耳を立てる。


そして、どうやら電話で誰かとやりとりをしていてちょうどそれが終わったところの


ようだと把握すると、潜めるのを止めカネトに対して姿を見せた。


「ああ、幡豊くんだったか。お帰り。今日はご苦労様だったね」


「……いえ。これが私の仕事ですので」


アキは自分の机の上にハンドバッグを置くと、立ったままカネトに対して頭を下げ


る。


「私の力が至らずあのような結果となってしまいました。本当に申し訳ございませ


ん」


「よしてくれ。キミも照月くんも大須佐くんも高天原くんも今日まで本当によく


頑張ってくれたじゃないか。確かに今日の結果は不本意なものとなってしまったけれ


ど、だからといってキミ達を責めるつもりなんて僕にはないよ」


それよりも、とカネトは早々にこの話を終わらせ別の話にすり変える。


「AmaTerasの三人はどんな様子だったかい?」


「……全員、初めてのステージ後ということもあり心身共に疲れ切っていましたの


で、家が帰り道だったヨミとヒカリはそこで降ろして直帰させました。


アカネは自転車があるから下までは一緒だったのですが、今日は社長に合わせる顔が


ないと言うので……」


「ふむ……そうかい。大須佐くんがその様子なら、他の二人もあの結果にはかなり


ショックを受けていたのだろうだね」


カネトはそう言うと腕を頭の後ろで組み、椅子の背もたれに体重を預ける。


しかしアキにはその言葉や仕草、そして表情にも深刻さが足りず軽く感じられた。


まるで他人事のようだとすら思えるほどに。


「……ずいぶんと落ち着いていらっしゃるんですね」


だからだろう。今日までAmaTerasの三人とずっと行動を共にし、彼女達が


どんな想いでステージの上に立っていたのか。そして結果が出た後から誰一人口を


開こうとしないほど屈辱に身を焼かれていたのを傍で見てきたからこそ、ヒカリ達を


軽んずられたことで芽生えた苛立ちが自然とその言葉を強い口調としてアキに発せさ


せた。


「あの子達には社運が……いえ。社長にとってはそれ以上に大事な案件を背負わせて


いるはずです。なのにその落ち着きよう。それではまるで――」


「――こうなると僕が分かっていた。かい?」


「……………」


言おうとしていたことを先に言われ、アキは行き場を失った怒りの言葉の代わりに


両目をきつく釣り上げた。


「僕は神様じゃないよ。今日の結果がどうなるかなんて分かるはずないさ」


けれどカネトは飄々とした態度を崩さぬまま、「……と言ったところでキミは納得し


てくれはしないだろうねぇ」とわざとらしいため息をついてみせた。


そして頭の後ろで組んでいた両腕を解き、今度は自分の机の上に肘を立てて組み直す


と、重ねた両手の上に顎を乗せる。


「確かにある程度は似た結果になるだろうと予想できてはいたさ。けど、大須佐くん


がプレッシャーに負けてしまったのは僕にとっても予想外だった。これは本当だ


よ?」


「……私は何かしらの勝算が社長にはあるのだと思っていました。けれどこんな……


初めから勝算のない勝負をさせられていたなんて、いくらなんでもあの子達が可哀想


です!!」


「けれど今日のF.I.Fで彼女達ははっきりと理解はずだ。トップアイドルという


ものには並大抵の努力や覚悟でなれるものではないと。


それを知った彼女達は初めて本当のスタートラインに立てたのさ。遅かれ早かれ気づ


かなければならない、その場所にね」


「だからっていくらなんでも荒療治すぎます!自信を失ったまま立ち直れず、そのま


まアイドル生命を終わらせてしまう可能性だってあります!!」


「かつてのキミや他のアイドルが伊座敷ナミのステージを見た時のように、かい?」


「――っ!……ええ、そうですよ!今のあの子達にはAstraeaは目標にするに


は高すぎた壁です!乗り越え方が見えてこなければ後は挫折するしかないじゃないで


すか!」


「キミは実に矛盾したことを言うね。あの子達のことを大事にしすぎるあまり、まっ


たく信じていないようなことを言う。


幡豊くん。キミが今感じている不安はかつてのキミ自身が経験したトラウマから来る


不安だ。自分はそうだった。だから彼女達も同じに決まっている、ってね。


でもね、そう考えるのではなく自分はそうだったが彼女達は違うかもしれない。


どんなに高い壁だって乗り越えられるかもしれない。その可能性を信じ、力になって


あげることこそが僕達の仕事だとは思わないかい?」


「……それは詭弁です。社長はずっとナミ先輩の傍にいたから、下から見上げて苦し


む人間の気持ちなんて分からないんですよ……」


「……あの子だって最初から全てが順風満帆のシンデレラストーリーだったわけじゃ


ないさ」


「え……?」


「キミはその頃まだ事務所に所属していなかったから知らないだろうけどね。


あの子の輝きは最初から強すぎたのさ。だから初めてのドラマ出演では端役なのに


メインヒロインを喰いすぎるとわずかな出番だったにもかかわらず編集で全てカット


されたし、業界最大手の芸能事務所に所属するアイドルと共演した音楽番組では曲の


サビ部分のみ数秒しか映らないという妨害も受けた。


実力はあるのに――いや、ありすぎたからこそ出る杭は打たれ続けたものさ」


「……………」


アキは自分の知らない伊座敷ナミを語るカネトの言葉に驚きを隠せなかった。


世間一般の伊座敷ナミのイメージはデビューから1年も経たぬうちにF.I.Fを圧倒


的な実力差で制覇し、そこから一気にトップアイドルまで駆け上がった苦労知らずの


シンデレラガール。


それは同じ業界、しかも同じ事務所にいたアキですら今まで疑いもなくその通りなの


だろうと信じて疑わなかった伊座敷ナミのイメージであった。


「けれどあの子は決して自分というもの信じて曲げなかった。どれだけ理不尽な目に


遭いながらも決して折れず、諦めず、いつだって全力で輝き続けた。


その姿勢が徐々に業界でも噂となり認められ、そしてついに――掴んだのさ。


天から垂れてきた一本の糸にね」


そこで一度話に息を入れると、カネトは咥えた煙草に火を点ける。


「そこからあの子がトップアイドルまで駆け上がるのは本当に一瞬だった。


けれど誰もそのことを不思議には思わなかった。何故なら伊座敷ナミにはそうなって


当然だと思わせるだけのポテンシャルが十分に備わっていたからね。


だからこそ多くの人はそのガラスの靴を履いた後のシンデレラストーリーは知ってい


ても、あの子が苦労していた下積み時代のことなんて知らないのさ」


「ナミ先輩にも……そんなことが……」


「話が少し逸れたね。要するに僕が言いたいのは、トップアイドルになれるのは


伊座敷ナミのように最後まで自分を信じられる子だけってことさ。


そしてAmaTerasの三人は。いや、三人だからこそ互いに支え合い、それが


出来るようになれる強い子達だと僕は信じている。


キミは――この1ヶ月、誰よりもAmaTerasを傍で見てきた幡豊アキはどう


だい?」


「……その言い方は卑怯ですよ。私だってあの子達が簡単に挫けるような弱い子じゃ


ないと思っています。けど……!」


「ああ、分かってる。今回みたいなことはもうしないと誓うよ」


「……本当ですか?」


「僕が今まで嘘をついたことがあったかい?」


「数えきれないほど」


「あっはっはっ。そうだっけか」


カネトは笑ってごまかすと、その嘘をの一つである二度と事務所内で吸わないと誓っ


た煙草の火を消し、窓を開けて換気を始める。


(まったく……相変わらず人を言いくるめるのが上手い人だわ)


いつの間にかカネトに対する怒りはかき消され、それどころか彼の言葉にまたもや


納得させられてしまった自分に呆れたアキは深くため息をつく。


そもそもカネトとアキでは全てにおいて経験値がまったく違うのだ。


何もかもが初めて尽くしで結果ごとに一喜一憂するアキと、経験から描いた未来図を


常に見据えているからこそ多少のことでは動じないカネト。


その違いを理解しているからこそ、アキからすればカネトの言葉は自身の不安や迷い


といったものをかき消す耳に心地良い言葉に聞こえてしまう。


(……けど、いつまで経ってもそれじゃいけない)


最終的にカネトの言葉を頼ってしまっていては自分は成長できないままだ。


AmaTerasを成長させるには何よりも自分自身が成長しなくてはならない。


少なくともカネトの言う通り、何があろうと彼女達のことを信じていられるくらい


強くならなくては――


F.I.Fの大敗はアキにとっても変化を促す結果となっていた。


(まさか社長はそこまで織り込み済みでF.I.Fに無理やり出場を……?)


カネトならあり得ない話ではないとアキは思いながら、開けた窓から夜空を眺めてい


る彼の横顔をチラリと盗み見た。


「今日は星がよく輝いて見えるねぇ」


「え?あっ、ええ……そうですね。夜空もAstraea星の女神を祝福しているの


かも……」


そんな自分に向けられた視線に気づいたのか、急に話を変えてきたカネトの言葉に


アキは戸惑いながらも返す。


「なるほど。それは言い得て妙だ」


「けど――」


アキは顔をカネトと同じ方向へと向け、言葉を紡ぐ。


「今は星が輝く夜空でも、明日になれば再び太陽が昇り輝きます」


「ああ、その通りだ。太陽は沈んでもまた昇る。必ずね」


それは太陽の女神であるAmaTerasも同じだと二人は信じ、同時に笑みを


浮かべてみせた。



【続く】

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