第10話 デビューステージ 2
曲の音が余韻を残しながら徐々に小さくなっていく。
それに合わせて肩で息をする自分の荒い呼吸が耳で感じ取れるようになってくる。
頭の中が真っ白でぼーっとしていた。足もふわふわとして地面から浮いているようで
あった。
(終わっ……た……?そっか……もう……終わっちゃったんだ……)
最後のサビに入ってからは一瞬だった。無我夢中で歌い、踊って……本当にあっとい
う間にステージが終わってしまっていた。
まだ夢見心地なはっきりとしない意識の中でステージが終わったのをなんとか理解し
ながら、今見えている景色を決して忘れぬようしっかりと目に焼き付けてからヒカリ
は――静かに目を閉じた。
拍手が聞こえる。
けれどそれは大喝采という言葉にはほど遠いまばらな拍手。それが観客の下した自分
達への評価そのものであった。
「AmaTerasでした!最後までお聞きいただきありがとうございました!」
『――ありがとうございました!』
最後にセンターのアカネのもとに集まり、繋いだ手を一度上げてからお辞儀と共に
下げる。そして声を合わせて挨拶を終えるとステージを下りていく。
その途中でもヒカリだけはふらつきそうになるのをなんとか持ちこたえながらの退場
であった。
『これより30分の休憩時間となります。再開は16時からとなりますので、席から
離れられる際はお時間にお気をつけ下さい。なお会場入口付近のトイレは大変混雑し
ますので――』
ヒカリ達の姿が完全にステージ上から消えたのを確認してから場内アナウンスが始ま
った。
それを合図に緩む会場の空気。しかし舞台袖へと戻ったAmaTerasの三人の間
には真逆の重苦しい空気が漂ったままであった。
そんな空気の中でアカネがそれ以上に重い口を開く。
「……ヒカリ。あれは一体どういうつもりよ」
あれとはもちろん最後のサビのことであろう。
勝手にアカネからセンターの座を奪った。自分がしたことを考えれば、アカリの口調
がきつくなっているのも当然だと思えた。
「す、すみません……。でも……あのままじゃダメだと思って……」
「なによそれ!?アタシじゃセンターは務まらなかったって言いたいの!?」
「ち、違うんです!わ、私……そんなつもりじゃ……」
肩の肉に指が喰い込むほど強くアカネに掴まれ、ヒカリの顔が歪む。
痛みもあったが、それ以上にいつもは優しかったアカネが自分に対してこんなにも
怒りを露わにしているのが怖く、そうさせてしまっているのが自分のせいなのだと
分かっているだけに心が痛み、苦しかった。
「よしなさい。人が見ているわ」
アカネの目に余る行動を見かねたヨミがその腕を掴み、ヒカリから引き離そうと
する。
しかしアカネは、「うるさいわね!アンタは黙ってなさいよ!」とその手を振り払っ
てしまう。
いつもならそこで喧嘩腰になるヨミであったが、イベントスタッフの目が集まってい
るこの時ばかりは、ふぅ……と己の心を鎮めるように深く息を吐くと、
「今日のあなたのパフォーマンスは高天原さんが感じた通り、レッスンの時とは別物
だった。そしてあのままミス無く終われていたとしても結果はより酷いものになって
いた。それを誰かに言われなくては分からないあなたではないでしょう?」
「――――ッ!」
言葉を選び、諭すように語りかけてくるヨミにアカネはそれでも反論しようと睨み
つけ――
「……あんたの言う通りだわ」
今度はヨミに掴みかかりそうになったその手を、しかし寸前のところで止めると爪が
喰い込むほどに強く握りしめる。
そして唇をきつく噛み締めて結び、表情を前髪で隠すように顔を深くうつむかせる
と、その場から足早に立ち去ってしまう。
「ア、アカネさん!!」
「放っておきなさい。少し一人にしてあげたほうがあの子のためだわ」
「……照月さんは大人……ですよね……。こんな時でも冷静でいられて……」
「……そう。あなたからはそういうふうに見えるのね」
「えっ……」
「正直に言うとね、私も今は頭の中がぐちゃぐちゃなの。大須佐さんが取り乱してい
なかったら私があの子に同じことをしていたかもしれないわ」
ヨミはそう言うと汗で張りついたままだった前髪をかき上げ、深く沈むような細長い
息を吐いた。
その時になってヒカリは初めて気づいた。自分以上に疲労の色が濃くヨミの顔に浮か
び上がっていることに。
それはライブによる肉体的な疲労だけではない。今まで決して表には出そうとはして
いなかったがAmaTerasのリーダーとしての責任感が、何も出来なかった自分
を責め精神的にも追い詰めている。そう――ヒカリには感じられた。
「……すみませんでした……。私が勝手なことをしたせいで……」
「そうね。ステージ上のスタンドプレーは決して褒められたものではない……と言い
たいところだけど、私があなたを焚きつけてしまったようなものだったわね。
高天原さんを咎めなくてはいけないのなら、まずは私が反省しなくてはいけないわ」
それに――とヨミは近くにあった柱に背を持たせかけると言葉を紡ぐ。
「結果論だけれども私はあれで良かったと思っているわ。
あなたがセンターになってから明らかに流れが変わった。僅かではあったけれども
興味を失っていた観客の目に再び熱が帯び、ステージへと向けられてくるのが分かっ
た。
少なくともその人達にはAmaTerasの高天原ヒカリという傷跡を残せたはず
よ」
そこまで言うとヨミは自嘲させた力のない笑みをヒカリへと向け、
「あなたは凄いわね。早々に諦めてしまった私とは違って最後まで諦めなかった。
諦めの悪さは私の十八番だと思っていたのだけれど……本当、どうして私はいつも
肝心なところで間違えてしまうのかしら……」
「照月さん……」
「……ごめんなさい。私も少し一人にさせてくれないかしら」
「あっ……はい……。それじゃ……先に幡豊さんのところに戻ってますね……」
本当にこのままヨミを一人にしてしまってもいいのかとヒカリは迷い、後ろ髪を引か
れながらも、本人の望みを尊重してその場を立ち去る。
その足取りは重い。
初めてのステージを終え、AmaTerasがバラバラになっていくのがはっきりと
分かり、ヒカリの足取りをさらに重くしていた。
「お疲れ様、ヒカリ。あなたも一人なのね」
「幡豊さん……」
ステージ前に別れた場所で待っていてくれたアキに何かを言おうとして。しかし何を
言えばいいのか分からずヒカリは言葉を途切れさせると顔を俯けさせた。
そんなヒカリの心境をすでに察していたのか、アキは両手に持っていたウインドブレ
ーカーの一つをヒカリの肩にのせ羽織らせると、空いた片手で頭を自分の腕の中で包
み込むように抱き寄せ、髪がくしゃくしゃになるまで撫で回した。
「目立ったミスもなかったし、デビューステージであれだけ出来れば十分よ。よく
頑張ったわね」
「――――っ」
優しくかけられた労いの言葉にヒカリの顔が歪む。
自分でも分かっている。あれのどこか十分なものか。
アキの期待に応えられかったことぐらい分かっていた。だからこそ、彼女の優しい嘘
が心に出来た傷口に染みた。
「ぁ……ぁぁっ………っ……ぁ…………!!」
ヒカリはしばらくの間、アキに抱かれたまま嗚咽を堪え、涙だけをポタポタと床に零
して濡らしていく。
そんなヒカリの頭を、アキは何も言わずあやすようにただ撫で続けた。
「そうだ……アカネさんは……」
我慢していたものを全て吐き出せたことで少し心が軽くなったヒカリは、先に一人で
ここへ戻ってきているはずの彼女のことを思い出し、アキに尋ねた。
「あの子なら先に来賓室に行かせてるわ。社長の命令だって言ってあるし、あの子は
社長のこと慕ってるから素直に従ってるでしょ」
「社長さんの……?」
「そっ。あなた達に他のアイドルのステージを最後まで見せるようにって言われてる
のよ。それに優勝したらアンコールでもう1ステージやることになるから結果を見ず
に帰る訳にもいかないでしょ?」
「でも私達じゃ優勝はもう……」
「可能性はゼロじゃないわ。AmaTeras以外の出場者が全員、優勝を辞退する
かもしれないでしょ。そうしたら繰り上げであなた達の優勝じゃない」
「なんですか、それ……。絶対ありえないし、そもそもやっぱり始めから自力で優勝
できないってアキさんは思ってるってことじゃないですか」
「あっ、そっか。じゃあ今のは無しで。ちょっと待ってなさい、すぐに他のを考える
から……」
「もういいですよ。――ぷっ」
真面目な顔で本当に考え始めたアキの姿が面白くて、ヒカリは思わず吹き出してしま
った。
(なんだかナミお姉ちゃんと話してるみたいだな……)
自分が不安な時、あの手この手を使っていつも励ましてくれていた年上の女性。
その懐かしい姿にアキが重なり、ヒカリはやっと笑うことが出来た。
「すみません幡豊さん。ご心配をおかけしました。けど、もう大丈夫です」
「そう。じゃあ私はヨミにも声をかけてくるから。一人で来賓室まで行ける?」
「はい。来た道は覚えてますから大丈夫です」
そう言ってヒカリはアキと一旦別れると、少しだけ軽くなった足取りで来賓室へと
向かい始め――
(……あれ?でもこのまま私だけ先に来賓室に行ったらアカネさんと二人きりに
なるんじゃ……)
重大な問題点に気づき、後ろを振り返る。しかしそこにはもうアキの姿はなかった。
(大丈夫って言っちゃったし……行くしか……ないよね……)
キリキリと痛み出す胃袋。軽くなっていた足取りは、一瞬で元通りの重みを取り戻し
ていた。
【続く】
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