第9話 F.I.F 2
トラブルもなく無難に最終リハーサルを終えて車内に戻り、昼食を取った後――
自分が出演しているドラマの台本をチェックするヨミ。
目にはアイマスク。耳にはヘッドフォンを着けて横になり、自分が今日歌う曲を
リピートし続けるアカネ。
スマホをずっと手に持ち、メッセージアプリを使って頻繁に友人達とやり取りを
交わすヒカリ。
本番に向けて各々がそれぞれのやり方で集中力とモチベーションを高めていると、
不意に運転席から目覚ましのアラームが鳴った。
「ふあぁ~~……時間かぁ~~……」
すると空気が張り詰めている後部座席とは真逆の気の抜けた欠伸混じりの声がし、
運転手座席の上からは大きく伸ばしたアキの腕がにょきっと生えてきた。
「ちょっとアキさん。いくらなんでもリラックスしすぎじゃないの?」
アカネがアイマスクとヘッドフォンを外しながら体を起こし、呆れ声で言うと、
アキは「ごめんごめん」とバツが悪そうに舌を出した顔を向けてきた。
「仕方ないでしょ。幡豊さんは私達のために今日まで自分の睡眠時間を削って付き合
ってくれていたのだから。むしろもっとゆっくり休んでもらわないと申し訳ないくら
いだわ」
「うわっ、でたよ優等生発言」
「ま、まぁまぁ。きっと幡豊さんは本番まで気を張り続けてたらもたないって教えて
くれているんですよ。そ、そうですよね幡豊さん?」
二人が険悪な雰囲気に突入しかけたところでいつも通りヒカリが間に入って中和させ
ようと、助けを求めるようにアキのほうをチラリと見ると彼女はきょとんとさせた顔
で、
「ヒカリったら良い解釈するじゃない。よし、それでいきましょう」
「よし、それでいきましょう。じゃないですよぉ~!それは口にしたら意味がないや
つじゃないですかぁ~!」
丁寧に自分の口調を真似してきたヒカリにアキは「あっ、そうか。てへぺろ♪」と
おどけてみせた。
しかし後部座席の三人は揃って白けた目を向けてきたのでアキは誤魔化すように一つ
咳払いをし、
「まぁヒカリが言ったことも実際一理あるわね。気合を入れるのはいいけど、本番で
ピークになるよう徐々に入れていきなさい」
それらしいことを言ってから、そそくさと一人先に車から降りるのだった。
関係者入場口から入ったRe:SET芸能プロダクション一行はリハーサルの時と同じく
アキを先頭にして会場内を歩いていく。
その途中で本来なら自分達も使うはずであった合同楽屋の前を通り――
「ねぇ!私のメイク道具しらない!?」
「ちょっと誰のよこの荷物!こんなところに置いたら邪魔でしょ!」
「マネージャ~!あっ、違います!うちのマネージャーのことです!すみません!
もぉ~~青羽マネージャ~~!どこですか~~!?」
個室が与えられている予選上位3組以外の出演者。つまりそこからさらに自分達
AmaTerasを差し引いた17組の出演者が一つの空間にぎちぎちに押し込めら
れたその光景はまさにサバト。
さらに開演直前というスパイスが加わり、リハーサル前に通った時とは比べものに
ならないほど慌ただしく、何より室外からでもはっきりと感じ取れるほどに充満する
ピリピリとした重苦しい空気がここまで漏れ出てきていた。
「うわっ、なにこれ怖っ。地獄絵図じゃん」
修羅場と化したタコ部屋の中を通りすがりに眺めつつ、ドン引きしたアカネが呟く。
「あれでは本番前に集中なんて出来たものではないわね」
「あっ、もしかして幡豊さんは楽屋がこうなるって分かってたから車内で待機するよ
うにしたんですか?」
「ええ、そうよ。と言いたいところだけど実際は社長からの入れ知恵なのよね。
私もある程度の想像はしていたけど、ぶっちゃけここまで酷くなるとは思わなかった
わ」
「へぇ~。社長さんがですか」
「まぁ、あの人はこの業界長いし、この手のフェスの楽屋がどうなるかくらいは知っ
てたんでしょうね」
「………………」
「ん?どうかした、ヨミ?」
「……いえ、なんでもありません」
「トイレなら行ってきていいわよ。ここで待っててあげるから」
「違います」
ヨミは大きく嘆息すると、それを「あら、違ったか」と間違いをさして気にした様子
もなく階段を上り始めたアキの後ろを変わらぬ歩幅のままいく。
(やはり高天原さんに対してはそういうスタンスなのね)
ヒカリはまったく気づいていなかったようだが、アキが濁した言葉からヨミはそれを
確信へと変えた。
カネトがF.I.Fの内情に詳しい理由――彼の経歴を知るヨミにはそれが分かってい
た。
それはかつて八意カネトもこのフェスに関わったことがあるから。
――伊座敷ナミと共に。
(けれど社長も幡豊さんもそのことを高天原さんには隠そうとしている。特に社長は
このフェスだけでなく、伊座敷さんとの関係性の一切を……)
何故そうする必要があるのかを考えるが、答えに辿り着くには推理のピースが足らな
過ぎた。
あえて仮説を立てるとするなら、伊座敷ナミが引退した理由が考えられるが……
「あの……アカネさん。照月さんなんですけど、なんだかいつもより顔が険しくない
ですか……?」
「そう?あの子がムスッとしてるのはいつものことでしょ」
「……聞こえているわよ。愛想のない顔で悪かったわね」
小声でヒソヒソと話していたヒカリとアカネの会話に思考を邪魔され、頭の中で組み
上げていたパズルがバラバラになっていく感覚にヨミは嘆息すると声だけを二人へ
向ける。
それに驚いたヒカリが反射的にビクッと体を震わせ背筋をまっすぐに伸ばした。
「自覚があるなら少しはどうにかしたら?ヒカリがビビってるじゃない」
「い、いえ!私は別にそんなつもりで言ったのでは!」
「必要があればそうするわ。けど、あなた達の前では愛想を振りまく必要はないと
思うのだけれど」
「はぁ?なにそれ。意味分かんないんですけど?」
「あ、あの、落ち着きましょう二人とも!というかそもそも私が変なこと言っちゃっ
たせいですよね!ごめんなさい!」
「はいはい。本番前でピリピリする気持ちは分かるけど喧嘩する元気があるなら本番
まで取っておきなさい。こんなところで無駄遣いするんじゃないの」
これ以上はヒカリの手に余ると判断したアキが仲裁に入る。その甲斐あってヨミと
アカネは互いに顔を背けるとそれ以上は何も言うことはなかったが、険悪なムードは
残ったままであった。
「ヒカリも気にするんじゃないわよ。この二人がいがみ合ってるのなんて日常茶飯事
なんだから」
「は、はい……すみません……」
軽はずみな発言をしてしまったとしょぼくれるヒカリにアキがフォローを入れるが、
沈んだ表情がすぐに切り替わることはなくため息をついた。
そのまま一行は無言のまま階段を上っていく。そして3階まで上りきると、来賓者室
と書かれたプレートが掲げられた扉の前に立つスタッフにアキが首から下げた身分証
を見せ、確認を終えると中へ入ることを許される。
関係者席として今回使用されているこの部屋だが、特別枠として招待されている
AmaTeras。それに加えて個室の楽屋を与えられている人気投票上位3組にも
使用できる権利が与えられていた。
「中には各方面のお偉いさん方もいるんだから、あまり騒がしくするんじゃないわ
よ」
そして一言、ヒカリ達に釘を刺してから室内へと足を踏み入れた。
会場の最上階。ステージ正面に位置する、前面を全てガラス張りにしたVIP席。
普段はプロバスケットボールの試合会場として使われているこの会場だが、今は
イベント仕様として1階のコート部分は入口から見て最奥にステージが。その手前に
はアリーナ席が設置されている。
さらにその周りを細長い半円を描くようにぐるりと囲んだ2階から3階までの観客席
があり、すでに観客で埋め尽くされたその全貌をこの部屋からは見渡すことが出来
た。
「あそこに座りましょうか」
ぽつぽつとまばらに席が埋まっている室内をアキは見回し、特に人のいない左隅を
選ぶ。
4列ある座席のうちの最後列。その1列に奥からアカネ、ヒカリ、ヨミ、アキの順で
横並びに座っていった。
それと同時に――
「わあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」
会場内にF.I.Fの公式ソングが流れ始めた瞬間、観客席が沸き立った。
手拍子が自然と観客から始まり、やがてステージ袖から右手にマイクを持ったスーツ
姿の姥桜女性が姿を現す。
すると先程以上の大歓声が上がり、会場の熱気をさらに上げていった。
観客に迎えられながらステージ中央へと向かう女性の名は
元テレビ局の女子アナウンサーで、その卓越した話術と請け負った仕事に対して一切
手を抜かず真摯に向き合う真面目な人柄が多くの人に愛されており、フリーとなった
現在でもテレビ番組やイベントの司会進行役を多く任されるベテランの名司会者で
ある。
そしてこのF.I.Fの第1回から司会進行役を務めてきたこともあり、今ではすっか
りフェスの顔役としてアイドルファンの中では定着していた。
『わあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!』
大歓声と盛大な拍手に導かれるようにヨウコがステージの中央で立ち止まる。
そして、右手に持ったマイクに音が乗るほどにスゥーと大きく息を吸い込むと、
「みんなぁぁ~~~~!!アイドルは好きかぁぁぁ~~~~~~っっっ!!!」
『おお~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっっっ!!』
「推しのアイドルはいるかぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~っっっ!!!」
『おお~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっっっ!!』
「推しを全力で応援する準備はできているかぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~!!」
『おお~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっっっ!!』
「推しでなくても全力で応援する準備はできているかぁぁぁ~~っっっ!!!」
『おお~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっっっ!!』
「よろしいっっ!!ならば第15回フレッシュ アイドル フェスティバル!!
開演だぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっ!!」
マイクを使っているとはいえ、たった一人で1万を超える観客以上の声量で会場の
ボルテージをいきなり最高潮まで押し上げるヨウコ。
そして――文字通り舞台の幕は上がった。
【続く】
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