第7話 ファンとサインと土下侍
「な、なんとか間に合ったぁ……」
家からずっと駆け足だったせいで乱れまくっている息を整えながらヒカリは教室に
入る。
時計を見れば朝のホームルーム開始3分前。いつもより10分以上遅れての遅刻ギリ
ギリな登校であった。
「おっは~ヒカリン。今日は遅かったじゃん」
「あっ、カグラちゃんおはよう。ちょっと色々あってね……」
声をかけてきたカグラに朝の挨拶を返すと、彼女は「ふ~ん」と特に詮索するでも
なく、頭の後ろで腕を組んだ。
「そう言えば今日はイスズンもまだ来てないね」
「イスズちゃんからは家を出るのが遅くなったって連絡はあったんだけど……大丈夫
かなぁ……」
「寝坊?」
「分かんない。イスズちゃんは小学校の時から寝坊なんて一度もしたことないから、
多分違うと思うんだけど……」
そう言ってヒカリは再び教室の時計を見た。さらに時計の針は進み、ホームルーム開
始まで残り1分を切っている。
クラス担任である菅原ミチコは時間に対しても厳格すぎる性格をしており、常に
始業のチャイムと同時に教室へと入ってくる。つまりロスタイムなどは存在せず、
残りタイムがそのままイスズのデッドタイムを示していた。
イスズのことが心配なヒカリはそわそわと落ち着かない様子で教室の入口と時計とを
何度も見比べる。
――と、その時。不意に自分へ向けられた視線に気づいて、ヒカリは反射的にそちら
へと顔を向けた。
窓際の席の一角に集まっていた三人組と目が合う。ヒカリにはいつも一緒にいるな
程度の認識であったその三人組は、ヒカリと目が合うと慌てて各々別々の方向へと
驚かせた顔ごと視線を逸らした。
よく分からない彼女達のその挙動にヒカリは頭の上でクエスチョンマークを浮かべて
いると、そこでついにホームルーム開始を知らせるチャイムが鳴った。
「全員席に着けー。ホームルームを始めるぞー」
そしてやはり今日もすぐさま担任のミチコが教室に入って来る。
その直後――
「はぁ……はぁ……。す、すいませ~ん!遅刻しましたぁ~~!!」
息と両足をバテバテにさせながら、ふらふら走るイスズがやっと到着した。
「残念だったな神明。5秒遅刻だ」
「ぜぇ……ぜぇ……。うぅ~……もうちょっとだったのにぃ~~……」
前屈みになりながら必死に息を整えるイスズの姿を見てミチコは小さく嘆息すると、
その垂れ下がった頭を出席簿でポンっと軽く叩き、
「その全力疾走に免じて今日は見逃してやる。だが次はないぞ?」
「ほ、本当ですか!?あ、ありがとうございます!!」
小学校、中学校と続けてきた皆勤賞が首の皮一枚のところで繋がったイスズの顔が
ぱぁーと花咲く。
「礼はいいからさっさと席に着け。他にまだ来ていないやつはいるか?」
ミチコはイスズに着席を促して教壇に戻ると、空席がないか確認していく。
「欠席は無しと。それと今日のホームルームだが特に伝達事項はないから出欠の確認
だけで終わりだ。空いた時間は授業がスムーズに始められるように準備しとけよー」
それだけを言い残すとミチコは教室から出ていく。同時に教室内の空気は先程までと
同じ、だらけた雰囲気へと一瞬にして戻った。
「イ、イスズちゃん……大丈夫?」
「う、うん……なんとか大丈夫……。でもこれだけ必死に走ったの久しぶりだから
ちょっとまだお腹痛いかも……」
「お~よしよし。頑張ったねぇ~イスズン」
いつの間にかまたヒカリ達の席までやって来ていたカグラがしゃがみ込んで、イスズ
のお腹を労わるようにさすり始める。
「あ、ありがとうカグラちゃん……って脇腹をくすぐらないで!あはは!もっとお腹
痛くなっちゃうからぁ~~!」
「ここかぁ~?ここがええのんか~?」
「カグラちゃん……なんでオヤジ口調なの……?」
入学してもうすぐ1ケ月。すっかり打ち解け合いじゃれあう二人をヒカリは苦笑しな
がら眺める。
「そう言えばイスズちゃん、今日はどうしたの?こんな時間ギリギリなんて珍しいと
いうか初めてだよね」
「う、うん。今朝のニュースでF.I.Fの特集をやってたでしょ?だからもしかした
らと思ってスマホでテレビの映像を撮ってたら予想通りヒカリちゃん達が紹介され
て!もぉ~私、自分のことみたく嬉しくて!
撮影したやつを何度も何度も見返してたんだけど、そうしたらいつもなら家を出てる
時間を過ぎてて……」
(うちのお母さんみたいなことしてる……)
熱狂的なファンがいてくれるのはありがたいことであったが、今のところそれが全員
身内のみなのでもやもやするものを感じながらヒカリは胸中で呟いた。
「なになに?ヒカリン、テレビ出たの?」
「う、うん。でも出たっていっても宣材写真だけどね」
「カグラちゃんも見る!?これがヒカリちゃんのアイドル伝説の第一歩だよ!!
あとAmaTerasの公式配信チャンネルのURLも後でそっちのスマホに送って
おくね!!」
「お~、ホントだ。ヒカリンがテレビに映ってる。この写真めっちゃ可愛いじゃん」
「そ、そうかな?えへへ……そう言ってもらえると嬉しいなぁ~」
実は表情が硬いと何回もリテイクをくらった結果であるのは内緒にしておき、ヒカリ
が照れて赤くなった顔を緩ませる。
――と、その時。
「あ、あの……高天原さん」
不意に名前を呼ばれ、ヒカリは反射的に声がした左手へと緩んだままの顔を向けた。
するとそこには、つい先程視線を感じた窓際の席の一角に集まっていた三人組が立っ
ていた。
「ほ、ほらサヨリ。言いなよ」
「えっ!?な、なんであたしなの!?聞きたいって言ってたのツバメだよね!?」
「ん~……それを言ったらカナちゃんとサヨちゃんだって聞きたいって言ってたん
じゃないかなぁ~」
「え、えっと……
「えっ!?私達の名前、覚えてくれてたの!?」
「う、うん。同じクラスだし……」
というのは建前で、ヒカリがこの三人組――今発言した順に、
奥津島カナ。佐因サヨリ。そして多喜ツバメの名前を話したことが一度も無いのに
覚えていたのには理由があった。
その理由とは――入学式のあの時のことだ。
「ヒ、ヒカリちゃん……大丈夫……?」
「大丈夫じゃない……。
終わった……終わっちゃたよぉ……私のバラ色高校生活……」
「大丈夫だよ。ヒカリちゃんが思ってるほど、皆はそんなに変な子だなんて思って
ないって」
「そ、そうかなぁ……」
「うん、そうだよ。私の夢はアイドルになることです!なんて入学初日の自己紹介で
言えるなんて、むしろこいつは将来は大物になるぜ!って感じが伝わって良かったん
じゃなかな」
「……本当?」
「ホントホント」
イスズがフォローした甲斐があってか、引きこもっていた天岩戸から顔を覗かせる
天照大御神のように少しずつヒカリの顔が上がっていく。
そして外の世界の様子を探るようにキョロキョロと辺りに視線を飛ばし、そのうちの
一つが窓側の席で談笑する三人組のグループと合った。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
目と目が合い、無言のまま互いを見つめ合うこと数秒。
やがてヒカリの何かを期待する目力に圧されたのか、三人組グループの少女達は
同時に苦笑いを浮かべると、これまた同時にそれぞれ違う方向へと目を逸らした。
「あ”あ”あ”あ”あ”ぁぁ!やっぱり痛い子だって思われてるぅぅぅぅぅっっっ‼」
(言えない……。あの時のことがきっかけでなんとなく名前を覚えてたなんて絶対に
言えない……)
これは墓場まで持っていくべき案件だとヒカリは自分に言い聞かせると、
一つ咳ばらいをしてから、
「そ、それでどうしたの?もしかして私に何か用があった?」
「う、うん……実はね……」
頭頂部の右横に綺麗な玉の形をしたお団子ヘアーの奥津島カナが歯切れ悪くそう言う
と、他の二人と顔を見合わせ意を決したように同時に頷く。
「これってさ……高天原さん……だよね……?」
そう言って、F.I.F公式運営が昨夜SNSに投稿した特別枠の発表――つまり
AmaTerasの宣材写真が表示されたスマホの画面を差し出してきた。
「う、うん。そうだけど……」
以前のヒカリであったら教室内であまり注目されたくなかったので誤魔化していたと
ころであったが、今はアキからファンになってくれそうな人がいたらどんどんアピー
ルして取り込んでいきなさいと言われている。
なのでカグラに褒められた時とはまた別の照れた顔になりながら素直に認めると――
「やっぱりそうだよね!?名前も同じだし絶対そうだと思ったんだ!」
「わっ!わっ!凄くない!?あたし、芸能人と同じクラスとか初めてなんだけ
ど!?」
「あはは……。まだデビューしてないから正確には芸能人じゃないんだけどね」
謙遜するヒカリに対して、興奮が収まらないといった様子でミディアムヘアに
波巻きでウェーブをかけた佐因サヨリは前のめりに上半身を乗り出し、
「でもF.I.Fでデビューするのは決まってるんでしょ!?
あたしさ、アイドルって正直あまり詳しくないから調べたんだけど、F.I.Fって
凄いイベントらしいじゃん!そんなところに出れるなんてマジ凄いって!」
「あっ、わざわざ調べてくれたんだ!嬉しいなぁ!」
「さっきもね、私達でお金を出し合って配信チケット買って応援しない?って
話してたんだ」
「本当!?」
「ん~……。下心ありの応援だからそう素直に喜ばれると良心が痛むかなぁ~」
「ちょ、ちょっとツバメ!余計なこと言わなくていいから!」
のんびりとした喋り方の黒髪をエビ編みにした少女――多喜ツバメの口を慌てて
自分の両手で塞ぐサヨリ。一瞬のことでよく聞き取れなかったヒカリが首を傾げて
いると、カナがバツの悪そうな顔になって言ってきた。
「……ごめん、高天原さん。隠しててもバレるだろうし、正直に言うね……」
そう言うとカナは勢いよくヒカリに対して頭を下げ、
「じ、実は私!照月ヨミさんの大ファンで!そ、それでその……AmaTerasと
高天原さんことを本気で応援するから、その……照月さんのサインとか……貰えない
かなっ……て……」
「あ、あたしもアカネちゃん様の超ファンで配信チャンネル登録してるし、毎回欠か
さず見てるの!高天原さんを利用するみたくなっちゃうんけど、カナと同じで
高天原さん達を応援するのは本当だしガチだから!だからお願い!アカネちゃん様か
らサインを貰えるようお願いしてくれないかな!」
続けてサヨリも頭を下げる。そして最後にツバメも頭を下げ、
「ん~……。二人をあまり責めないであげてほしいかなぁ~。聞いての通り下心は
あったけどぉ~、高天原さんのことも同じくらい本気で応援したいって気持ちに
嘘偽りはないと思うからぁ~」
「そ、そんな!責めるなんてとんでもないよ!応援しようと思ってくれたのは本当に
嬉しかったもの!だから三人とも頭を上げてよ!」
「高天原さん……」
「うん、分かったよ。照月さんとアカネさんのサインを貰ってくればいいんだね?
ただアカネさんは大丈夫だと思うけど、照月さんはどうだろ……。あの人、仕事と
プライベートはきっちり分けて考えるタイプっぽいから……もし断られたらごめん
ね」
「ううん!こっちが無理言ってるのは百も承知だから!むしろ貰えたらラッキーぐら
いにしか考えてなかったし!」
「多喜さんは?もし多喜さんも欲しいのなら一緒にお願いしてみるけど?」
「ん~……。じゃあ私は高天原さんにサインをお願いしようかなぁ~」
「えっ!?わ、私のサイン!?」
「なんとなく高天原さんが一番大物になる気がするんだよねぇ~。私の勘、よく当た
るんだよぉ~」
「そ……」
――と、そこで。
それまでヒカリと三人組の会話を黙って見守っていたイスズがぽつりと呟いたかと
思うと――
「それはダメぇぇぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
次の瞬間には隣に座るヒカリの鼓膜どころか教室の窓ガラスすらもビリビリと震えさ
せるほどの大声で叫んできた。
「イ、イスズちゃん……!?」
「ヒカリちゃんの初めてのサインは私が貰う約束なの!そうだよねヒカリちゃ
ん!?」
「う、うん……。そういえば前にそんな約束をしたっけ……」
両肩をイスズに捕まれ、ガクガクと体を前後に揺さぶられながらヒカリはなんとか
頷いてみせる。
「ん~……。別に私は初めてのサインじゃなくてもいいしぃ~、神明さんの後でも
全然構わないんじゃないかなぁ~」
「……えっ?そうなの?」
「うん」
「もぉ~!それならそうと早く言ってよ~!私、てっきり多喜さんはそうなのかと
勘違いしちゃうところだったよ~~!」
そうなのかってなんだ。というか、そうだったらどうなっていたのか。
一瞬だけであったが豹変したイスズに、ツバメだけでなくカナとサヨリも
『あっ、この子なんとなくだけどヤバイ感じがするかも』と認識をシンクロさせて
いた。
「じゃあ奥津島さんが照月さんのサインで。佐因さんはアカネさんの。イスズちゃん
と多喜さんは私のでいいんだね?」
「本当にごめんね、高天原さん……。無理なお願いしちゃって……」
「ううん全然。これもファンサービスだもの」
「マジ感謝だよ高天原さん!F.I.Fは誠心誠意マジ本気で応援するから!!」
「うん、ありがとう。私も応援に負けないステージに出来るように頑張るね」
と――そこでヒカリはここまで一切会話に参加してこなかった彼女の存在に気づく。
「あっ、そうだ。カグラちゃんも欲しいサインある?」
「ん~、あーしはいいや。芸能人とかあんま興味ないし」
「そうなの?」
遠慮してるのかなとヒカリは一瞬考えたが、本当にそんな様子ではないのは分かった
のでこれ以上は余計なお世話になると思い、それ以上は聞かないことにした。
キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン♪
そして話がまとまったところでタイミングよく1時限目の始業のチャイムが鳴った。
「それじゃ高天原さん、神明さん、御苫さん。また話そうね」
「なんなら今日はみんなで一緒にお昼食べる?屋上とかでさ」
「ん~……。4月とはいえまだ外は寒いんじゃないかなぁ~」
手を振りながら自分の席へと戻っていく三人にヒカリ達も手を振って解散する。
「あーしも自分の席に戻るね」
そしてカグラも戻っていったところで教師が教室に入って来たので、ヒカリは慌てて
鞄から授業に使う道具を取り出し始めた。
【続く】
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