第5話 チームAmaTeras 2
「で、ここをこう訳すからこの文章はこういう意味になるわけだ。じゃあ次のページ
を……高天原、読んでくれ」
ヒカリがAmaTerasの一員として活動を始めて数日が経った、ある日の英語の
授業中。
クラス担任でもある
ると、そこには静かな寝息を返事代わりにしながら机に突っ伏しているヒカリの姿が
あった。
「……高天原?まさかとは思うがこの私の授業中に寝ているのか?」
「ヒ、ヒカリちゃん起きて!起きて!」
前の席から振り返ったイスズが大慌てになりながら小声で囁きつつヒカリの体を揺す
ると――
「は、はい!踊っている時は苦しくても笑顔を絶やさない!ですよね!!」
完全に寝ぼけた顔で勢いよく立ち上がり、その場でなにやら踊り出そうとした瞬間、
ゴン!という大きな音を立てて膝を机にぶつけた。
「い、いったあぁぁぁ~~!……ってあれ?ここ……教室……?」
痛みで目が覚めたのか、きょろきょろと教室の中を見回すヒカリ。そしてやっと自分
の席のすぐ横に立ち強烈な怒りのオーラを放っている人影に気づき、青ざめた顔を
恐る恐るそちらへと向けた。
「ほう?高天原は英語よりも体育の授業でもしていたかったみたいだな?」
「い、いえ違います!これはその……と、とにかく違うんですよ先生!?」
「そうか違うのか。なら何が違うのか私にも分かるよう英文で書いて今日中に提出し
ろ」
「ええ!?そ、そんなぁ!?」
「不満か?なら今日の授業は欠席にしておいてやるから寝てていいぞ」
「うぅ……分かりましたぁ……。頑張って書きますぅ……」
涙目になって着席するヒカリ。
少し寝たおかげで頭と体はすっきりとしていたが、その代償はあまりにも高くつい
た。
「本当にごめんね、イスズちゃん……。お昼休みなのに私の反省文を手伝ってもらっ
ちゃって……」
「気にしないで。それよりヒカリちゃんこそ大丈夫?授業中に居眠りするなんて小学
校の頃から一度もなかったよね」
「あはは……。急に環境が変わりすぎたせいで疲れが溜まってたのかも」
「毎朝のジョギングだけじゃなくてアイドルのレッスンだって大変なんでしょう?
あまり無理はしちゃダメだよ?」
「うん……心配かけてごめんね。でも本当にもう大丈夫だから」
「分かったよ。ヒカリちゃんがそう言うなら信じる。でも辛かったら私には隠さず
話してね」
「いつも苦労をかけるね、イスズちゃん……」
「それは言わない約束だよ、ヒカリちゃん……」
『ヨ……』
「ヨシ!」
いつものやりとりをしようとした瞬間、横から思わぬ大声が割り込んできてヒカリと
イスズは体をビクン!と跳ね上げさせた。
「も、もぉ……カグラちゃん、心臓が止まるかと思ったよぉ……」
「あはは、びっくりした?あっ、ヒカリン。そこの文章間違ってるよ」
「えっ?ど、どこ?」
「ここ。授業中に居眠りをしてしまい申し訳ありませんでした、だからこうだね」
そう指摘するとカグラは二人が手にしている英和辞典も使わずスラスラと書き直して
いく。
「わぁ……。もしかしてカグラちゃんって英語が得意なの?」
「得意ってほどでもないけど日常会話くらいなら喋れるよ。ダンス動画で知り合った
友達の中にアメリカ人の子がいてね。頻繁にやりとりしてるうちに書く方も含めて
大体のことは覚えちゃった感じかな」
「くっ!これが天才系陽キャのオーラ……!!」
「相変わらず目がムスカっちゃいそうなくらい眩しいね、ヒカリちゃん……!!」
「いいよね、ラピュタ。あーしも大好きで何回も見てるよ」
二度目となれば慣れたのか、両手で両目を覆い隠す仕草をする二人をカグラは軽く
流す。
「それよか、あーしも反省文書くの手伝おっか?」
「いいの!?」
「うん。じゃあ、書きたい内容を言ってみて。まずあーしが書くから、それをヒカリ
ンが清書すれば一番早く終わるっしょ」
「ありがとう、カグラちゃん!ホントに助かるよぉ~!」
「その代わりといっちゃなんなんだどさ、ヒカリンが今教わってるダンスレッスンの
ことを聞かせてくれない?」
「それはいいけど……私が教わってるのって基礎の部分ばかりだから、カグラちゃん
のダンスの参考にはならないと思うよ?」
「むしろそういうのが聞きたいんだよねぇ。基礎って一番重要な部分じゃん?そこを
プロはどういうふうに考えて取り組んでいるのかを知りたいんだ」
「うん、それなら話しても大丈夫な内容だと思う。でも本当にあまり期待しないで
ね?」
「オッケー、商談成立だね。じゃあ、さっとさと片づけてダンスの話をしようよ」
そう言うとカグラはヒカリの筆箱から取り出した鉛筆を手の中でクルクルと回し、
反省文作成メンバーへと加わるのだった。
――学校が終わった後――
(イスズちゃんにはああ言ったけど、フェスまで時間はないし、少しでも歌もダンス
も上手くなるには寝る間だって惜しんでられない。無理をしなくちゃ照月さんとアカ
ネさんには追いつけないよ)
ヒカリは事務所の入口の前で一度立ち止まり、
(でも疲れているのを周囲に悟られちゃダメだ。私はアイドル!ダンスの時だけじゃ
なくてどんな時でも笑顔でいられるようにしなくちゃ!)
両手で自分の頬をパンパン!と叩いて気合を入れてからドアを開けた。
「おはようございまーす!」
そして元気よく挨拶をして中へと入る。すると今日は部屋の奥から何やら楽し気な
話し声が聞こえてきた。
(社長さんじゃない男の人の声……?お客さんかな?)
いつもとは違う事務所の雰囲気を感じながらヒカリが奥まで進むと、その考え通りに
椅子の背もたれを前面にしたラフな座り方をしている見知らぬ中年男性が一人。
そして、同じく自分の席でいつになく気楽な様子でくつろいでいるカネトと談笑して
いた。
「ああ、おはよう高天原くん。今日も一番乗りだね。偉い偉い」
ヒカリの姿に気づいたカネトが声をかけてくる。同時に話していた男もこちらに顔を
向けてきた。
「おはようございます、社長さん。それと、ええと……」
「ああ、こちらは
たりボイストレーニングを手伝ってくださる作曲家の先生だ」
「おいカネ、先生呼びはやめろって。俺がそういう呼ばれ方をされるのが好きじゃな
いって知ってるだろうが」
むしろカネトが自分をからかうためわざと敬うように言ったのだと分かっているよう
に、男――春日ノリトは肩をすくめて嘆息すると、モミアゲから顎まで髭で繋がった
顔を改めてヒカリへと向け直し、
「今こいつに紹介された通り、俺の名前は春日ノリト。音楽を生業にしている。
以後よろしくな、嬢ちゃん」
「はじめまして!高天原ヒカリです!こちらこそよろしくお願いします、春日先
生!」
「だから先生呼びはよせって。ただの春日でいい」
「す、すみません。それじゃえっと……春日さん……?」
「ああ、それでいい」
差し出した巨岩のようなごつごつした右手を握り返したヒカリに対して、ノリトは
ニカッと爽やかに笑ってみせる。
線の細いカネトとは対照的で、大柄で全身を分厚い筋肉で包まれた熊のような第一印
象からは想像も出来なかった爽やかさのギャップにヒカリは戸惑うが、とりあえず
見た目とは違い怖い人ではなさそうだと胸を撫でおろした。
――と、同時に。
「……あれ?春日ノリトさん……春日ノリトさん……って、ナミお姉ちゃん…じゃな
かった!伊座敷ナミさんの曲を作っていた方ですよね!?」
その名前が記憶の中にあったのを思い出し、思わず大声で尋ねてしまった。
「なんだ。嬢ちゃんも伊座敷の嬢ちゃんのファンなのか?」
「ノリ。彼女が前に話した例の……」
不意に真面目な声色になったカネトの言葉にノリトは、「ああ、この嬢ちゃんが
そうなのか」と納得しながら呟くと彼もまた真剣な顔になる。
そしてヒカリを値踏みするように、髪の毛の先から足の靴先までじっくりと視線を
這わせていく。
「あ、あの……?」
「ああ、悪い。まだ乳臭いガキとはいえ女性をジロジロと見るのは失礼だったな」
「ち……乳臭いガキ……」
「それとこれは今までも公の場で散々言ってきたことだが、俺は伊座敷の嬢ちゃんに
曲を提供したことなんて一度もねえよ。
俺がやったのはあいつが作った曲をワンランク底上げするための手伝い。編曲って
やつなんだが、伊座敷の嬢ちゃんは俺が手を貸した曲は自分で作曲したとは言えない
って意地を張ってな。
だから作曲は俺の名義になっているが実際は名前を貸しているだけで、作曲してたの
は間違いなくあいつ自身だよ」
「あっ、私もそれはナミさんと春日さんが対談した雑誌の記事で読んだことがありま
す。ナミさんがいつか春日さんがぐうの音も出ないほど完璧な曲を作ってみせるって
言ってたやつなんですけど」
「ああ、あれか。まぁ……それも結局は叶わぬまま終わっちまったけどな」
ノリトは悲し気に細めた目でそう言うと、突然ブンブンと顔を左右に振り、
「いかんな。歳を取ると必要以上に感傷が深くなっちまう」
苦笑してみせた。
「あの……春日さんはナミさんが今どこにいるかは……」
「悪いがそれは俺も知らん。まぁ、あの嬢ちゃんのことだ。変な噂みたく簡単に
くたばるようなタマじゃないと思うがな」
「そう……ですか……」
「力になれなくてすまんな」
「い、いえ!とんでもないです!むしろアイドル時代のナミさんの話を聞けて嬉しか
ったです!あの……もしご迷惑でなければ、他にもナミさんのことを聞かせてもらえ
ませんか?」
「ああ、構わねぇよ。……と言っても、俺もそこまであの嬢ちゃんのことを知ってる
訳じゃないがな」
「本当ですか!?ありがとうございます!!」
ヒカリの顔がパァーと輝く。
その屈託のない笑顔がノリトの記憶にあるナミの笑顔と重なり、彼は懐かしさと同時
に湧き上がる驚きを隠せなかった。
(……なるほどな。カネが一度会ってみろと言うわけだ)
そんなノリトの胸中や表情の変化にヒカリは気づかず、
(照月さんに幡豊さん、それと春日さん。この事務所に入ってからナミお姉ちゃんを
知る人とどんどん出会えてる。凄い偶然だよ!)
自分の知らないナミの痕跡を次々と追えるのが嬉しくて、それどころではなかった。
そして、ここまで偶然が重なるともう一つの可能性も頭に浮かび始めた。
(じゃあ……もしかして社長さんも……?)
そう考え、改めてチラリとカネトの顔を覗き見る。
そしてヒカリの持つ記憶の欠片が彼と何か繋がるような気がしてきた――その瞬間。
「ああ、そうそう。高天原くん」
「は、はい!な、なんでしょうか!?」
突然カネトと目が合い、別に悪いことなどしていないはずなのにヒカリは慄いてしま
った。
「幡豊くんからキミが来たらすぐに上のレッスンスタジオまで来るよう伝えてくれと
言われてたんだった。悪いけどすぐに行ってもらえないかな」
「幡豊さんがですか?」
なんの用事だろうとヒカリは首を捻っても思い当たる節はなかったのだが、
「分かりました。それじゃ春日さん、私はこれで失礼します」
「おう。俺も後でそっちに顔を出すから」
とりあえず言われた通り事務所を後にして、上の階へと向かった。
「おはようございます!」
カネトに言われた通りレッスンスタジオへと赴いたヒカリはドアをノックしてから
中へ入る。
すると今日は聞きなれない『ガガガガ』という機械音が聞こえてきた。
なんの音だろうとスタジオの中を見回すと、奥のほうで折り畳み型の長机とその上に
置かれたミシンの前でいつになく真剣な表情で作業をしているアキを見つけた。
「幡豊さん、おはようございます。あの、社長さんから幡豊さんが呼んでるって聞い
たんですけど……」
声をかけるがアキからの返事はなかった。
どうやらアキはヒカリの声にも室内に入って来たことにさえ気づいていないほど集中
しているようで、ならば邪魔をしては悪いかなと思ったヒカリは気配を消しながら、
そ~っと彼女へと近づいていく。
(……そんなに集中して何を作ってるんだろう?)
背後に回り込みアキの作業を覗き込むと、どうやら作っているのは服のようであっ
た。
――と、そこでやっとヒカリの存在に気づいたのかアキの手がピタリと止まり、
集中して無表情になったままの顔を振り向かせてくる。
「うわ、びっくりした!いつからそこにいたの!?」
「今来たところですけど……。すみません。何か凄く集中してたので声をかけずら
くて」
「ああ、ごめんなさいね。私ってば衣装を作ってる時は超集中しちゃうから、他の
ことが目にも耳にも入らなくなっちゃうのよ」
「衣装……ですか?」
「そっ。あなた達のステージ衣装。一応こんな感じにする予定よ」
そう言うとアキは長机の端に雑に置いてあったスケッチブックを開き、ヒカリに見せ
てくる。
そこにはアニメ調の絵柄で三つのステージ衣装の完成図が描かれていた。
どれもワンピースタイプの物で、首周りとスカート部分に大きなフリルが付けられて
いるのが特徴的なそれは、右手にステッキを持てば魔法少女にもなれそうな愛らしい
衣装。
それが事前に決めておいた各自のメンバーカラーであるヒカリの緑。ヨミの紫。アカ
ネの赤の三色を基調にして分けられていた。
「か、可愛い~!えっ!?これを幡豊さんが作ってるんですか!?」
「衣装代も全部デザイナーに任すとバカにならないからねぇ。うちみたいな貧乏事務
所はこうやって削れるとこは削っていかないといけないのよ」
アキはその仕事がさも当然のように凝った肩をグルグル回しながら言ってみせた。
「あっ。それでこの前、私達の体のサイズを測っていたんですね」
事務所の女性メンバーのみがいたレッスンスタジオの鍵をかけた後、いきなりアキか
ら服を脱げと言われた時はこれが芸能界の闇かと一瞬誤解しかけた時のことを思い出
し、ヒカリはこの為だったのかと納得してポンッと手を打った。
「でも凄いですね。衣装まで作れるなんて」
「まぁ、昔とった杵柄ってやつでね。私さ、アイドルとしてスカウトされる前は
コスプレイヤーだったのよ。分かる?コスプレ?
アニメとかのキャラとそっくりな衣装を着てなりきるやつなんだけど」
「はい、分かります。中には自分で衣装を作ったりしてる人もいるって聞いたことが
あります」
「そうそう。で、私も自分の衣装は自分で作るタイプだったわけ。
自慢しちゃうけど、アイカが作る衣装の完成度はプロの仕立て屋並みだって評判だっ
たんだから」
「アイカ?」
「私がコスプレイヤー時代とアイドル時代に使っていた名前よ。アキのアルファベッ
ト表記を逆さまにするとIKAになるでしょ?だからIとKAでアイカ」
「あっ、なるほど」
「まっ、ヒカリはその頃の私のことなんて知らなかったし、そんな話されても興味な
いでしょうけど」
「おふぅ!!」
思わぬところにあった藪から蛇が飛び出してきて、ヒカリは顔を横に背けながら盛大
に吹き出した。
「なんてね。冗談よ、冗談」
「そ、そんなことないですよ!?アイドル時代の幡豊さんのこと、私はもっと知りた
いです!前にその話を聞いてから、まだ動画サイトに残っている当時の幡豊さんの
ステージ映像とかもいくつか見ましたし!デビューしたばかりの頃のとか!」
「うわ~……アレを見られちゃったのかぁ~……。ってかまだそんな映像が残ってる
とかネット社会怖いわぁ~」
慌ててヒカリがフォローを入れるが、アキは喜ぶどころかむしろげんなりとした顔に
なってしまう。
「ぶっちゃけ、なんだこのアイドルよくデビュー出来たなってレベルだったで
しょ?」
「イ、イエ……ソンナ、コト、オモッタリ、シテナイ、デスヨ……?」
「あはは。ヒカリは嘘をつくのが下手ねぇ」
もろに顔と言葉に出ている正直者のヒカリを、アキは腹を立てるわけでもなく笑い飛
ばす。
「いいのよ、あの頃の私は最低だったって自分が一番自覚してる。
コスプレイヤーとしてかなり有名になって、芸能事務所からスカウトされて天狗にな
ってた頃だしね。アイドルとしてだってすぐに売れて
――けど、そうはならなかった。
当然よね。それまでの自分の人気を過信しすぎて、歌もダンスも本気で練習しなかっ
たんだもの」
アキは笑みを自嘲のものへと変えて言葉を続ける。
「ソロでやっていた私は、アイドルをやってる他の子達が死に物狂いで努力して競い
合っているなんて気づかず、思いもしてなかった。そして気づいた時にはもう過去の
名声は消え失せ、地に堕ちていたわ。
そこからは私も考えを改めて失ったものを取り戻そうとしたけど後の祭りでしかなか
った。
そうして結局、アイドルのアイカは鳴かず飛ばずのまま引退を決意。
その後はアルバイトで生計を立てていたんだけど、その時にこの事務所を立ち上げた
ばかりだった八意さんに拾ってもらって、これからはアイドルを育成する側になって
みないかと勧められたの」
そこまで語って、アキは一度話に息継ぎを入れるため体を大きく上下に伸ばしてから
続ける。
「正直言ってアイドルとしてなんの実績も残せなかった私に誰かを育てるなんてこと
が出来るはずないと思っていたわ。けれど社長に紹介されて断れないまま、ヨミと
アカネのマネージメントをする合間に時間を見つけて色々と勉強を始めたの。
ボイストレーニングやダンス教室は当然として、自分がアイドル時代に培った経験を
どうすれば後進に伝えられるか学んだわ。
そして学べば学ぶほどに後悔することになった。
これを現役時代に知っていれば。あの頃にこれらを理解出来ていたのならば。
もしかしたら私はもっと上に行けたのかもしれない。
知らなかった知識を得るたびにそう思ってしまったわ。もともと才能自体がなかった
んだから、そんなはずはないのにね」
そこまで語ると、アキは「だからね」と床に落としていた視線をヒカリに向けて言葉
を紡ぐ。
「ヒカリ達にはそうなってもらいたくないの。私はあなた達が後悔しないようにアイ
ドルとして必要な知識と技術を全て伝える。
だからあなた達も、どんな結果になったとしても後悔しない道を選びなさい」
「幡豊さん……」
それは成し得られなった者から、これから成し得ようとする者へと手渡されたバト
ン。
その目に見えないはずのバトンは、しかしずっしりと重みが感じられ、ヒカリは自分
の手にはっきりと手渡されたような気がした。
「はい!私、幡豊さんの分まで頑張って絶対にトップアイドルになってみせます!」
「ありがとう。けど、私のことまで背負う必要はないわ。
ただでさえヒカリはナミ先輩のことを背負っているんだから、これ以上の荷物は
背負ってほしくない。
あなたはあなたの願いを叶えるためだけにトップアイドルを目指しなさい」
「でも……」
「私のために頑張ろうと思ってくれたその気持ちだけで十分だから。いいわね?」
アキは優しく微笑むと、椅子から立ち上がりヒカリの頭を優しく撫でた。
「……はい」
「いい子ね。それじゃヨミとアカネが来るまで昨日の復習をしておきましょうか」
「あっ、そうだ。私、社長さんから幡豊さんが話があるからここに行ってほしいって
言われてたんですけど……」
「社長が?私がヒカリに話があるから呼んでたって?」
「はい」
「私はそんなこと社長には言ってないわ。むしろ衣装を作るから邪魔しないでとは
言ったけど……」
怪訝そうに眉をひそめるアキ。すると何かに気づいたらしく、
「……なるほど。上手い具合にデコイとして使われたってわけね」
「でこい?」
「なんでもないわ。下には春日さんが来てたでしょ?社長も久しぶりに会ったみたい
だし、男二人で積もる話でもあったんでしょう」
「はぁ……」
なにやら釈然としないが、とりあえず納得してみせるヒカリ。そして気になっていた
ことをアキに尋ねてみることにした。
「そういえば社長さんと春日さんって仲が良さそうでしたけど、以前からのお知り合
いだったりするんですか?」
「確か大学時代の同級生だって聞いた覚えがあるわ。その頃から友人だったそうだか
ら付き合いは長いんでしょうね」
(そういえば社長さんって何歳なんだろう……?)
ヒカリの見立てが正しければアラフォーなのだが、もしそうなら大学時代からの付き
合いとなると10年以上ということになる。
となれば自分と一番仲の良いイスズよりも長い付き合いということだ。なるほど、
それなら確かに積もる話の三つや四つはあるのだろう。
「おはようございます」
「おっはろー」
そんなことを考えているとレッスンスタジオのドアが開き、ヨミとアカネが揃って
入ってきた。
「おはよう。二人一緒なんて珍しいわね。少しは仲良くなったのかしら?」
「やめてよアキさん。下で社長さん達と話してたらこの子が来て、じゃあ全員で
上に行こうかってなっただけだから」
アカネは心底嫌そうな顔で否定すると、靴を履き替えてスタジオに上がる。
ヨミはヨミで相変わらずアカネの言葉を軽く聞き流し、黙々と独りでレッスンの
準備を始めていた。
「なんだカネ。こいつら仲悪いのか?」
「いやぁ、そんなことはないと思うよ?ねっ、高天原くん」
「え”っ!?は、はい……。照月さんとアカネさんはいつもこんな感じかと……」
「やっぱり仲が悪いんじゃねぇか」
「おふぅ!?」
「あっはっは。まぁそこら辺は二人ともプロだから心配いらないって。
ねっ、高天原くん」
「は、はい!そうです!練習が始まれば二人とも息はぴったりなんですよ!
それに比べて私はまだお二人の動きについていくのが精一杯で……むしろついて
いけてなくて足を引っ張っているといいますか……」
「おいカネ。なんかこの嬢ちゃん、塩をかけられたナメクジみたくどんどん小さくな
っていってるぞ」
「あっはっは。高天原くんに必要なのはまず自信なのかもしれないねぇ」
「はいはい。二人ともあまりヒカリで遊ばないで下さい」
見かねたアキが助け舟を出し、「というか着替えられないから男は外に出てて下い」
と、カネトとノリトを部屋から追い出した。
【続く】
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