第3話 二人の先輩



「おっ、どうやらタイミングよく来たみたいだね」


それが誰であるのか、カネトとアキには分かっているのだろう。


近づいてくる足音へと顔を向けると、家族が帰宅したかのような気楽な様子でその者


を待ち受ける。


逆にヒカリはまた初対面の人が来たみたいだとドキドキして落ち着かない様子であっ


た。


そして――彼女の姿が現れる。


右肩の前で編んだ綺麗な栗色の髪を静かに揺らしながら。


(あ……この人……)


その容姿にヒカリは見覚えがあった。


照月ヨミ。


この事務所のホームページに掲載されていた所属タレントの名前をしっかりと思い出


す。


確か歳は自分よりも一つ上。しかしたった一歳しか違わないのに、自分よりもずっと


大人びた顔立ちをしている。


さらにスレンダーな細身の体を包む、薄い水色のワンピースが年齢にそぐわない落ち


着いた雰囲気を演出しており、彼女をより大人の女性として見せていた。


「おはようございます。社長。幡豊さん」


ヨミは二人の顔が見える位置で立ち止まると、改めて両手をへその辺りで重ね合わせ


丁寧にお辞儀をして挨拶をする。


そして――顔を上げた彼女の姿にヒカリは一瞬で見惚れてしまった。


(すごく綺麗な姿勢……ただ立っているだけなのに絵になる……)


ピンと一直線に伸びた背筋。かといってそれを意図的にやっていると感じさせない


自然さ。


それは挨拶にしても足運びにも言えた。


何気ない一つ一つの動作すら美しく、嫌みなく人の目を惹く。そしてこれらがとても


一朝一夕で身につくものではないということはヒカリにもすぐ理解できた。


子役時代から常に人目に晒される芸能界に身を置き、洗練させ続けてきたからこそ


出来る立ち振る舞い。


それを身内の前でも常時続けている真面目さが照月ヨミという人間性をよく表してい


た。


――と。自分に向けられている熱視線に気づいたのか、ヨミはヒカリの方へと顔を


向けてきた。


視線が合い、ドキリとしたヒカリは思わず視線を逸らしてしまう。


「社長。こちらの方は?」


「うん、よくぞ聞いてくれた。彼女は高天原ヒカリくん。新しくこの事務所の一員と


なる、アイドル志望の子だよ」


「アイドル、ですか」


ヨミは特に感情を揺るがすことのない声で反芻すると、ヒカリに対して体の向きが


正面になるよう変え、カネト達にしてみせたのと同じく丁寧にお辞儀をする。


「初めまして。照月ヨミです。よろしくお願いします」


「た、高天原ヒカリです!こ、こちらこそよろしくお願いします!」


ヒカリも慌てて椅子から立ち上がると、地面に顔がつく勢いで深々と頭を下げて挨拶


を返した。


「あ、あの!照月さんってあの天才子役の照月ヨミさんですよね!?


私、小さい頃にお魚体操の歌をよく聞いていました!あの歌、今でも大好き


です!!」


そう言ってヒカリが顔を上げると――


一瞬で氷河期でも到来したかのように、事務所内の空気が凍りついていた。


「あ……あれ……?」


「――そう。あの歌のことを好きな人がまだいてくれて嬉しいわ」


(ひいぃぃぃぃっっ!? え、笑顔なのになんか怖いよぉぉぉぉぉっっ!?)


顔は確かに笑っているのだが、その仮面の下から正反対の感情が漏れ出ているのを


隠すつもりがないことに気づいたヒカリは、蛇に睨まれた蛙の如く直立不動の姿勢で


動けなくなってしまう。


「……ヒカリ、ヒカリ」


「は……はい……?」


そこで、こめかみを右手の人差し指で押さえながら空いている逆の手で手招きしてく


るアキに気づいたヒカリは、ヨミとは正面で向き合った状態を維持しながらカニ歩き


で彼女へと寄っていく。


そしてアキの手の動きで指示されるままその場にしゃがむと、高さの合った耳へと息


が届くほど顔を近づけてからヒソヒソと小声で言ってきた。


「あなた天才だわ。あの子の地雷を二つ同時に踏み抜くなんて」


「じ、地雷……ですか……?」


「そっ。ヨミに子役時代の話はNGなの。あと天才子役って呼び方もね」


「……別にそこまで気を遣っていただかなくても結構です」


しっかりと聞こえていた二人の会話にヨミは小さく嘆息すると、言葉を続ける。


「子役時代の実績があるからこそ今でも私が役者でいられるのは事実ですし、


当時の私をまだ憶えてくれている人がいるのは本当にありがたいことだと思っていま


すので」


ただ――そう付け加えてから、ヨミは笑顔の鉄仮面を着け直すとヒカリに微笑みなが


ら言葉を紡ぐ。


「私からは進んで子役時代の話はしたくないということだけは覚えておいてもらえる


と嬉しいわ」


「はははいいいいぃぃぃっっ!!し、しかと肝に銘じましたああぁぁぁっっ!!」


ヒカリは先ほどまでのカネトのようにその場で床に両膝をついて正座すると、さらに


は額を地面に叩きつける勢いで平伏してみせた。


その見事なまでにダイナミックな土下座とタイミングを合わせたかのように――


「おっはろ~♪」


再び事務所のドアが開く。


そして先程のヨミとは打って変わり、賑やかな声と軽い足音で彼女は挨拶と共に中へ


と入ってきた。


「やっほー社長さん。アカネちゃん様が来たよ~……って、何この状況」


事務所の中で見知らぬ少女が一人だけ土下座させられている異質な光景に、金色の


髪を頭の左側でサイドテールにしているその少女――大須佐アカネは顔をぽかーんと


させながらそう言った。


「ってか、その子は誰?」


「ああ、うん。彼女は……」


「新しくこの事務所にお世話になる予定の高天原ヒカリです!アイドル志望です!


よろしくお願いします!!」


「あ、うん……アタシは大須佐アカネ。よろしく」


土下座したまま器用に体の向きを自分へと向けて自己紹介してきたヒカリにアカネは


戸惑いながらも、


「ってか、アタシと話すときは頭と体は上げていいよ?むしろ上げてくれないと


なんかこっちが悪いことしてるみたいだし」


「は、ははぁ!ありがたき幸せっっ!!」


(……武士?)


正座は崩さぬまま顔ごと上半身を上げてきたヒカリと目が合う。なるほど。アイドル


を目指すだけあって可愛らしい顔をしているというのが彼女に対するアカネの第一印


象であった。


ヒカリもまた、ホームページに掲載されていた画像ではない生の大須佐アカネを間近


に見て……


(ギャルだこれ!?)


ヨミと同様に落ち着いた大人の雰囲気であった宣材写真から抱いていたイメージとは


全く違う、派手な彼女の容姿に驚きを隠せなかった。


上は肩を出したトップス。下はダメージ少なめのジーンズ。そして腰にはカーディガ


ンの袖を帯にして巻いている。


しかし派手目な衣装に比べてメイクは控えめで、全体的にナチュラルに仕上げられて


いた。


それは言うなれば、見た目の派手さを重視した過去のギャル文化と、自然な可愛さを


重視する現代のギャル文化のいいとこどりをしたコーディネートであった。


(想像してたのと少し違ったけど、この人もすごい美人なのは間違いない……。


清楚系の照月さんとはまた違った妖艶さがあるっていうか……)


ヒカリがそう感じた理由――服の下からでも激しく主張してくる、見事に実った二つ


のたわわに目が釘付けになっていた。


「っていうかさ。なんで土下座なんてしてるの?土下座は強要罪が適用されるから


訴えていいのよ?なんなら良い弁護士を紹介してあげようか?」


「い、いえ!これは決して強要されてやっているわけではなくてですね!


私が照月さんに失礼なことを言ってしまったことに対する出来る限りの謝罪方法なん


です!!」


「あ~、なるほど。そういうことね」


今のヒカリの説明で大体の状況が理解できたアカネは、正座を続ける彼女とヨミが


一緒に入った写真をスマホで撮りながら納得してみせた。


「どうせこいつに天才子役だとか子役時代に出てたあの作品が好きでしたとか


言っちゃったんでしょ。その程度で土下座までさせちゃうなんて、芸歴二桁の大女優


様は流石お偉いわよねぇ~」


「だから私がさせたわけではないとこの子が言っているでしょう。あと、今撮った


写真は削除しなさい」


「嫌で~す。あっ!ちょっと!アタシのスマホ返しなさいよ!」


ヨミは素早くアカネからスマホを奪い取ると、撮られた画像を勝手に消去してしま


う。


そして用の済んだスマホをアカネに返しながら、


「……それで社長。今日、私をここにお呼びになったのは何かお話があるからだと


仰っていましたが」


「なんだ。あんたも社長さんに呼び出されてたの?」


「ええ。不本意ながら、どうやらあなたと同じ理由でね」


視線すら向けず塩対応で答えるヨミに向かって、アカネはべーっと舌を出す。


「……幡豊さん。あの二人って仲が悪いんですか?」


「まぁ……良いとは言えないわねぇ」


一方で、ヒソヒソと小声で尋ねてきたヒカリに対してアキはため息混じりに答えて


いた。


そんなバラバラな事務所内の空気を感じ取ったのか、カネトはこほんと咳払いをして


場を一度リセットさせてから口を開く。


「うん。キミ達二人を呼んだのにはちゃんと理由がある。まず、照月ヨミくん」


「はい」


「次に大須佐アカネくん」


「はいはーい」


「そして最後に高天原ヒカリくん」


「は、はい!」


「実はね、キミ達三人でアイドルグループを組んでもらおうと考えているんだ」


「ちょ、ちょっと待って下さい社長!元からアイドル志望のヒカリはともかく、


ヨミとアカネは……」


カネトの提案に対し、真っ先に反応したのは当事者三人のうちの誰でもなくアキで


あった。


そして名を挙げた二人のほうを見ると、案の定ヨミだけは眉をひそめていた。


「……一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「どうぞ」


「それは私に役者からアイドルへ転向しろ、ということでしょうか?」


「いや、そうは言っていないさ。あくまでキミの本業は今まで通り役者。


その上でアイドルとしての活動も両立して行ってもらいたいと思っている」


「では、もし役者とアイドルの仕事が重なってしまった場合、私は役者の仕事を優先


しますが構わないということですね」


「ああ、もちろん。それで構わないとも」


「…………」


ヨミは顎に手を当てて思案を始める。


しかしそれは、どう答えるべきか考えるというよりも、何故カネトがこのような提案


をしてきたのかその真意を測りかねているという様子であった。


「じゃあ、大須佐くんはどうだい?」


ヨミの返答を待つ間にカネトはアカネへと話を移す。


「アタシ?アタシは別にやってもいいよ」


「おや。思っていたより簡単にOKしてくれたね」


「モデルからアイドルになるってのは別に珍しい話じゃないし、両立してる人は


もっと珍しくもないし。それにアタシもアイドルにはちょっと興味があったってのが


本音かな」


ただ――とアカネは一言付け加えてると、切れ長の両目を鋭くさせながら言葉を


紡ぐ。


「アタシが社長さんと初めて会った時に交わした約束――忘れてないよね?」


「ああ、もちろんだとも」


「なら何も問題ないよね。この世界の主役であるアカネちゃん様が天上天下唯我独尊


絶対無敵のアイドルになってあげる」


一転してアカネはニカッと綺麗に並んだ白い歯を見せて笑みを浮かべると、カネトも


「期待しているよ」と微笑み返す。


「さて、最後になってしまったけど高天原くんは……」


「やります!アイドルになれるのならなんでもやります!」


「うん、その心意気は頼もしいしありがたいね。でも嫌なことはちゃんと嫌だって


言うんだよ?」


「はい!お心遣いありがとうございます!」


「それで、だ。二人からは了承を得れたのだけど、照月くんの考えはまとまったか


な?」


自然と事務所にいる全員の視線がヨミへと集まっていく。


返答を急かされている気になる視線をシャットダウンするかのようにヨミは一度瞼を


閉じると――


「――分かりました」


了承の言葉を口にして、再びゆっくりと目を開いていった。


「ですが、アイドル活動が私自身の為にならないと判断した時は自由に辞められる


権限を下さい。それが条件です」


「いいだろう。キミを失望させないよう、僕も今まで以上に努力することを約束する


よ」


「……そのお言葉が嘘にならないよう期待します」


まるで剣の先を互いの喉元に突き合わせているかのような緊張感に包まれたやりとり


であったが、無事に話がまとまるとカネトは手を叩いてパンッと明るい音を出し、


「これでキミ達は同じ事務所の仲間ということだけでなく、同じアイドルグループの


仲間ともなったわけだ。でも高天原くんは二人とは今日初めて会ったばかりだし、


照月くんと大須佐くんの二人も本職が違っていたから同じ現場で活動することも


なく、あまりじっくり話す機会もなかっただろ?」


だからね、とカネトは立ち上がりながら言葉を続けると、ヨミへと歩みより茶封筒を


手渡す。


「もうすぐお昼ご飯の時間だし、これでみんな一緒に親睦会を兼ねたランチでもして


くるといい。ついでにグループ名も決めてきちゃってね。


あっ、それと――」


そこまで言うとカネトは今日一番の真剣な声で言った。


「ちゃんと領収書は貰ってきておくれよ?」



【続く】

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