第2話 Re:SET芸能プロダクション 3



「お見苦しいところをお見せして申し訳なかったね……高天原さん……」


やっとアキの説教から解放されたカネトが床の上に直で正座していた両足をふらふら


と立ち上がらせた。


「あ、あの……大丈夫ですか……?」


「大丈夫、大丈夫……。いつものことだから……」


(いつものことなんだ……)


力のない笑みを浮かべて自分の席へと戻っていくカネトを見て、ヒカリはこの事務所


のパワーバランスを理解すると同時に、アキだけは絶対に怒らせないようにしようと


固く心に誓った。


「ふぅ……。まったく、幡豊くんは心配性なんだから……」


「あら?まだお説教が足りませんでしたか?」


「もうお腹いっぱいです。本当に反省しています申し訳ありませんでした」


自分の席で仕事を始めたアキへと向けた顔を自身の仕事机にこすりつけるカネト。


そして許されたのを確認すると再びヒカリへと顔を向け、


「まぁ高天原さんも座りなよ。そこの空いてる椅子を使っていいから」


席の主がまだ不在のもう一つの仕事机の前に置かれた椅子を指さした。


「でも、ここにも誰か来るんじゃ……」


「ああ、それは大丈夫。そこの席の子は経理担当なんだけど、基本的に


リモートワークで事務所にはほとんど顔を出さないから」


(経理ってリモートワーク出来る仕事だっけ……?)


働いたことがないのでよく分からないが、まぁ一応は社長であるカネトがそう言って


いるのだからこの事務所ではそうなのだろうとヒカリは納得すると、


「では失礼します」と椅子に腰を下ろした。


「それで、だ。こんな事務所だけど、うちの所属タレントとして契約してくれる気に


なってくれたかい?」


「こんな事務所なのは大体社長のせいですけどね」


「あっはっは!耳が痛いね、これは」


「そうやって笑えばなんでも済むと思って……」


アキは深いため息をついて仕事の手を止めると、ヒカリへと体ごと向けて、


「高天原さん、考え直すなら今のうちよ?」


「い、いえ!社訓通り、最低限のTPOが守られたフランクな職場だと思いますし、


そこは特に心配はしていないので大丈夫です!」


「……守られてる?」


「守ってますよ」


アキはカネトから目を逸らして即答した。


「そ、それに、私なんかを拾ってくださった社長さんのご期待に応えたいです


し……」


「高天原くん」


――と。カネトは突然ヒカリの呼び方を変えると、表情と声も真面目なものとなる。


一瞬のうちに別人と入れ替わったのではと思えるほど雰囲気が変わったことに驚く


ヒカリにカネトが言葉を紡いできた。


「私なんか、なんてこれからは簡単に言うものじゃないよ。それはキミを認め、アイ


ドルとして成功するのを信じ、力を貸してくれる人達の想いを裏切る言葉だ」


「あ……」


「気づけたのならそれで良い。ごめんね、僕は厳しいことを言っているよね」


「いえ……。私の不注意でした。すみません……」


今、自分は高天原ヒカリというアイドルとして、その可能性を信じスカウトしてくれ


たカネトの期待を【私なんかにはそんな価値などないはずなのに】と裏切り、傷つけ


た。


伊座敷ナミのようなアイドルになるという夢がもう自分だけの夢ではなくなったのだ


から、自身を卑下し、否定することは同じ夢を見てくれている人をも否定してしまう


のと同義なのだとカネトは教えてくれたのだ。


確かにこれは厳しい。


安易に人前で弱音は吐けなくなってしまうのだから。


――そう思ったが。


「けどね、僕の前ではいくらでも弱音は吐いていいんだよ」


「えっ……でもそれじゃ……」


「大丈夫」


(あ……またその言葉……)


あの人の口癖。けれど、あの人ではない人が言った言葉。


なのに……何故かあの人に言われたのと同じくらい安心できる言葉……


カネトはヒカリの中に残る不安を取り除くように優しく微笑むと、言葉を紡ぐ。


「僕のことはいくらだって傷つけてもいい。決して傷つかないから。


キミがどれだけ弱音を吐こうとも、僕はキミに失望したりしないから。


だから、大丈夫」


「社長さん……」


「社長。なんか格好いいことを言ってますけど、一つだけ間違えてますよ」


と、それまで黙って話を聞いていたアキが口を挟んできた。


「僕、じゃなくて僕達、ですよね。私だって自分がマネジメントする子は最後まで


何があっても信じますよ。


だから高天原さん。いえ、これからはヒカリって呼ぶわね。


女同士じゃないと話しずらいこともあるでしょうし、もし社長に言いにくいことが


あったら私に言ってくれて構わないんだからね」


「幡豊さん……」


「確かに幡豊くんの言う通りだね。やれやれ……すぐ一人で背負いこもうとするのは


僕の悪い癖だ」


カネトはバツが悪そうに頭をポリポリとかくと改めてヒカリを正面から見据え、


「じゃあ、改めてもう一度聞こうか。


高天原ヒカリさん。我がRe:SET芸能プロダクションと是非とも契約してはいただけ


ないでしょうか?」


カネトの問いにヒカリは――


「はい!こちらこそ是非ともよろしくお願いします!」


アイドルとしての道を歩み出す者として相応しい、輝きに満ち溢れた笑顔で答えた。


「うん、良い笑顔だ。まぁ実際には高天原くんはまだ未成年なので保護者の同意が


ないと契約できないんだけどね」


「社長。それを今言うのは野暮ってものですよ」


アキは苦笑すると、あらかじめ用意しておいた契約書をクリアファイルに入れて


ヒカリに手渡す。


「これをご両親によく読んでもらって、問題がないと納得出来たらサインをしてもら


ってね。他にも記入が必要な個所には付箋を貼っておいたから、書き忘れがないよう


に気をつけて。


もし何か分からなければ私の携帯か事務所に電話してくれて構わないから。これ、私


の連絡先ね」


続けてケースから取り出した名刺をそのまま片手で渡そうとすると、ヒカリはそれを


両手で丁寧に受け取り、


「あっ、これは重ね重ねご丁寧にどうもありがとうございます」


「ぷっ。ヒカリって確かまだ高校生になったばかりよね?その割には大人が使うよう


な言葉遣いをちょくちょくするわね」


「あはは……。小さい頃からお父さんが持ってた大人向けの漫画とか小説を読んでた


せいだと思います」


「なんにせよ言葉遣いやマナーが理解できているのはいいことだよ。特に礼節には


五月蠅いこの業界だと尚更ね」


「まぁ、そこら辺もデビューまでに私が教えるから安心していいわよ」


「はい。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」


話がまとまったのでカネトはうんうんと満足げに頷き、


「さてと。それじゃ、今日のこれからの予定だけど――」



「おはようございます」



カネトが言いかけたところで、入口のドアが開く音がしたのと同時に凛としたよく


通る声が聞こえてきた。



【続く】

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