第2話 Re:SET芸能プロダクション 2

「ここ……で間違ってないよね……?」


手に持った名刺に書かれた住所とスマホに表示されている地図とをヒカリは何度も


見比べて、目の前の建物を見上げた。


ヒカリが住む鶴川市から電車で三駅。神奈川県最大のターミナルである横浜駅から


帷子川沿いを下流に向けて歩くこと10分少々の所にあった4階建ての雑居ビル。


お世辞にも新しいとは言えない年季の入った鉄筋コンクリートの造りで、1階は


今は閉まっているが飲食店らしく、【居酒屋どっこいせ】と書かれた看板が掲げられ


ている。


その店の脇に、上の階へと繋がっていると思われる階段が見えた。


洞窟の入口のように少し薄暗くなっているその場所をヒカリは恐る恐る覗き込んでみ


ると、建物の階数と同じ数だけある郵便ポストを見つけた。


「3F、Re:SET芸能プロダクション営業事務所……。よかったぁ、ここで合ってる


みたい」


本日訪問予定の会社名を見つけ、ひとまずほっと胸を撫でおろす。


そして時計を見て約束の時間の10分前であるのを確認すると、階段を上り始めた。


もうすぐ午前10時になるというのに建物内は薄暗く、足元に気をつけながら二階へ


と上がるとドアが一つ。しかしここは目的の階ではないのでスルーしてさらに階段を


上ると、二階と同じ構造でまたドアが見えてきた。


こちらにはRe:SET芸能プロダクションと書かれた手作りと思われる表札が出てお


り、ヒカリはその前で立ち止まると、身だしなみを整えてから一度大きく深呼吸を


する。


そして、「よしっ!」と気合を入れるとドアをノックした。


待つこと暫し――ドアの向こうからの反応はない。というか、人の気配が感じられ


なかった。


念のためにもう一度ノックしてみるが結果は同じ。ならばとドアノブを回そうとして


みるが、鍵がかかっていてそれも不発に終わった。


「あれ……。誰もいないのかな……」


確かに指定された時間にはまだ早いし、ここで待つべきかとヒカリが迷っている


と――


「あら。ごめんなさい、営業は10時からなんですよ」


不意に階段の下から女性の声が聞こえ、ヒカリはビクンッ!と大きく全身を震わせ


た。


驚きで心臓がバクバクと音を立てているままそちらへと顔を向けると、今の声の主で


あると思われるスーツ姿の大人の女性が階段を上ってきていた。


「あ、あのすみません!わ、私、決して怪しい者ではなくて、こちらの会社の社長様


に呼ばれて來ました!え、ええっと……名刺!貰った名刺どこに入れたっけ!?」


軽くパニックになりながらも、なんとかピンク色のショルダーバッグの中から証拠と


なる名刺を見つけだすと、階段を上り終えて目の前に立った女性へと差し出した。


まるで自分がこの名刺を受け取った時に八意カネトがしてみせたのと同じ動きを


真似して。


女性はその名刺を受け取らずチラ見だけして確認すると、


「ああ、あなたが高天原ヒカリさんね。社長から話は聞いているわ」


落ち着いた美しい声色に導かれるようにヒカリが顔を上げると、にっこりと微笑んだ


女性の顔が目に飛び込んできた。


(わ……。凄く綺麗な人……)


歳は20代半ば丁度といったとこであろうか。


グラデーションボブの髪をセンターで分けており、清潔感に溢れた外見と隙を感じさ


せない佇まいはヒカリの【仕事が出来る女性像】と見事に一致していた。


「初めまして。私は幡豊はたとよアキ、ここの社員よ。お待たせしちゃって


ごめんなさいね」


「い、いえ!私も今来たところですからお気になさらず!」


「ふふっ。時間前行動ができるのは良いことだわ。この業界、信用と信頼は何よりも


大事だからね」


軽く自己紹介を済ませた女性――アキはまるで初デートの待ち合わせに現れた相手と


対するような、カチコチに緊張したヒカリを初々しく思いながら、「今開けるから


ちょっと待ってね」と言ってブランド物のバッグの中から鍵を取り出す。


「さぁ、狭い事務所ですがどうぞお入り下さい」


「し、失礼します!」


入口のドアを開け、先に中へと入り招くアキの後にヒカリは続く。


室内は入ってすぐ左手にある給湯室以外はパーティションで区切られており、


入口から順に応接室。休憩室を兼ねた資料室。そして奥の窓際に三つのワークデスク


が置かれた作業室に分けられていた。


確かにこじんまりとした事務所だとヒカリは思いながら、自分の仕事机に荷物を置き


に行くアキの後ろを生まれたてのヒヨコのようにぴったりとついて行く。


「では改めましてRe:SET芸能プロダクションにようこそ、高天原ヒカリさん。


先程も自己紹介しましたけど、私は幡豊アキと申します。ここでは主に所属タレント


のマネジメント業務と事務業務を担当しています」


「た、高天原ヒカリです!よろしくお願いします!!」


「ふふっ。別に今日は面接に来たわけじゃないのだからそんなに緊張しなくても


平気よ。むしろ、これから一緒に働く仲間になるのだから堅苦しいのは無しでいきま


しょう。


社内では最低限のTPOを守ってフランクに、が我が社の社訓でもあるからね」


「は、はぁ……」


そうは言われても、今日は無礼講だからと言われて本当にいきなり馴れ馴れしくでき


るはずがないのと同じで、ヒカリはまだ緊張を解けぬまま生返事をしてしまう。


「社長もすぐに来ると思うけど、それまでただ待たせるのもアレだし……


その前に軽く二階と四階の案内でもしましょうか?」


「は、はい。お任せします」


「じゃあ、行きましょうか」


そう言って先程入ってきたばかりの入口へ向けて歩き出したアキの後ろを、ヒカリは


またぴったりと張りついたままついていくのだった。






「まず4階はレッスンスタジオになってるわ。って言っても設備は最低限しかないの


だけどね」


「わぁ……!」


知識としてはあったが、実物を初めて見て足を踏み入れたヒカリは興奮で目を輝かせ


た。


間取りとしては下の事務所と同じはずだが、物がピアノ1台しか置かれていないため


か、かなり広く感じられる。


設備は最低限とアキは言ったが、右手の壁にはバレエスタジオで使われるのと同じ


レッスンバーが。左手の壁の一部は鏡張りになっている。


さらに床も、膝の怪我を防ぐために衝撃を吸収する造りになっており、ヒカリには


不足どころか十分に思えた。


「こういうレッスンスタジオは初めて?」


「はい!写真とかでは見たことがありましたけど、実際に入るのは初めてです!」


「ふふっ。すぐに見慣れてしまうわよ。あとはレッスンがきつくて来るのが嫌に


なったりね」


「う……。やっぱりレッスンって厳しいんですか……?」


「そりゃプロとしてやっていくためだもの。汗と涙が出なくなるまでビシビシ鍛えて


あげるわよ」


「うぅ……お手柔らかにお願いしますぅ……。って、あれ……?その言い方だと幡豊


さんが教えて下さるんですか?」


「基本的にはそうね。ボイストレーニングは外部から先生を招くこともあるけど、


それ以外は全て私が担当することになるわ」


そこまで言うとアキは自信満々に自分の胸を叩き、


「こう見えて私も元アイドルだったからね。そこら辺のノウハウはバッチリだから


任せてちょうだい」


「え?」


「え?」


きょとんとした顔になったヒカリを見て、アキも思わず同じ顔になる。


「……もしかして知らない? 3年前まで活動してた、アイドルのアイカ。


あれ、私なんだけど……」


アキの問いにヒカリは額からだらだらと脂汗を大量に流し、スゥ~……と


不自然極まりない挙動で目を逸らすと、


「モ……モチロン、シッテ、マシタ…ヨ……?」


「嘘はバレない演技が出来る時だけつきなさい」


バレバレの嘘をつくヒカリを見て、アキはハァ~と深いため息をついてみせた。


「す、すみませんすみませんすみません!勉強不足でしたああぁぁぁっっっ!!」


「まぁ、ぶっちゃけたいして売れなかったし、知ってるのはコアなアイドルオタク


くらいの知名度だったから高天原さんが知らなくても仕方ないんだけどね……」


「い、いえ!そんな!先輩アイドルのことを存じ上げなかったなんて許されざる


失態です!!切腹!今すぐここで腹を搔っ捌いてお詫びしたほうがよろしいでしょう


か!?」


「いや、レッスンスタジオが血まみれになるから止めて……。ってか、なんで詫び方


が武士なのよ」


テンパりまくるヒカリの言動がツボに入ったのか、アキは腹を抱えて笑い出す。


「まぁいいわ。とにかくこのスタジオとレッスンに関してはそんなところよ。


他に何か聞きたいことはあるかしら?」


「い、いえ!大丈夫です!」


「なら次に行きましょう」






レッスンスタジオを出た二人は、今度は2階まで下りる、


「ここは見ての通り倉庫ね。撮影とかで使った買取の衣装とか道具を補完して


あるの」


アキの説明通り、カーテンが閉められ直射日光が避けられた室内にはいくつもの


段ボールが積み重なって置かれていた。


衣装に関しては厚みのあるハンガーにかけられ、その上からも衣装カバーがかけられ


ている。丁重に保管されているのが一目瞭然であった。


「うちに所属しているのは役者の子とモデルの子だから基本的に衣装が多いわね。


高天原さん、着たい服があったら着てもいいわよ」


「えっ、いいんですか!?」


興味津々に並んでいる衣装を眺めていたヒカリの目が輝く。


「そうねぇ。高天原さんは身長低めだけどスタイル良さそうだし、ヨミの衣装なら


着れそうだから……これなんてどう?」


「こ、これはちょっと私には大人っぽくて似合わない気が……」


「そうかしら?確かに高天原さんは童顔だけど、服とのギャップ差が生じてむしろ


それが良い味を出しそうだと思うのだけど」


「え~、そうですか~? でも幡豊さんがそう言うなら試しにちょっと着てみようか


なぁ~」


そんなふうにブティックで買い物をする女子二人のようにキャッキャウフフしている


と――


「おやおや。何やら楽し気な声が聞こえると思ったらキミ達だったかい」


部屋の入口から声が聞こえ、同時に我に返った二人はそちらへ顔を向けた。


「しゃ、社長!いつからそこに……じゃなくて、おはようございます」


「お、おはようございます!」


アキに続いてヒカリも頭を下げて挨拶をする。


「はい。二人ともおはようございます」


するとこの事務所の主人――八意カネトも社長らしからぬ物腰の低い丁寧な挨拶を


返してきた。


「高天原さん、本日は我が事務所へお越しいただきありがとうございます」


「い、いえ!こちらこそお招きいただきましてありがとうございます!」


ヒカリは頭を下げ続けたまま、チラッと上目づかいでカネトを見る。


ボサボサの髪とヨレヨレに着崩したスーツ姿。


初めて彼と出会った日の記憶とそのままの、だらしない外見であった。


「それより社長。今日は高天原さんが来るから、ちゃんと身だしなみを整えてきて


下さいって私言いましたよね?」


「え?そうだっけか?」


「とぼけないで下さい。もう……高天原さんを見て下さい。まるでリストラされたの


を家族に言えず公園で時間を潰してる駄目男みたいだって思ってる顔をしてますよ」


「い、いえ私はそんな!それに初めて社長さんと会った時もこんな感じでした


し……」


「……なんですって?」


ヒカリの言葉にアキの声が突然低くなると眼光まで鋭利な刃物のように鋭くなり、


さらには全身からもドス黒いオーラのような何かが噴き出していく。


怒りを全身で表したその迫力にヒカリの口から「ひっ!?」という悲鳴が自然と飛び


出した。


「社長……?私、普段から何度も言ってますよね……?事務所にいる時はその恰好で


も構いませんけど、来客時や外出時は身だしなみを整えて下さいって。


社長がずぼらだって噂が立つと、うちのイメージも悪くなるからって何度も何度


も……」


「ま、待ちたまえ幡豊くん!あの時は公園で休憩しててだな……」


「なおさら駄目じゃないですか!そんなの誰が見てもさっき私が言った、リストラ


されたのを家族に言えず公園で時間を潰してる駄目男にしか見えないですよ!パパラ


ッチとかされたらうちのイメージは地に堕ちますよ!?」


「ぼ、僕みたいな弱小事務所の社長をパパラッチするような人はいないんじゃないか


なぁ……」


「確かに今はそうですけど、あなたは――」


「そ、そうだ!僕は昨日やり残した仕事があるから早く事務所に行って片づけなく


ちゃ!キミ達は引き続き衣装談議に花を咲かせてくれたまえ!それじゃまた後で!」


「あっ!逃げないで下さい社長!逃げるなって言ってるでしょうがコラアァァッッ~


~!!」


脱兎の如く逃げるカネトとそれを鬼の形相で追いかけるアキを、ヒカリはぽかーんと


口を開けたまま見送ると、ハッと我に返り、「あ、あの!置いていかないで下さいよ


~!」と手に持っていた衣装を元に戻して二人を追いかけた。



【続く】

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