5.入学

 四月三日。


 今日は大学の入学式だ。朝の陽光が窓から差し込み、静かな朝の始まりを告げている。僕はベッドから起き上がり、意識をしっかりと目覚めさせる。大学に通うのは初めての経験で、どんな一日になるのか期待と不安が入り混じっている。


 ソファーに目を向けると、凛がまだ眠っている姿が見える。凛を起こさないように、電気をつけず、静かに朝の支度をする。朝食はいつも自分で用意しているが、朝はいつもグラノーラだけの質素なものである。自炊と呼ぶには少々簡単すぎるが、この手軽さが逆に僕にとっては心地よい。お腹を満たしながら、今日の入学式に向けての準備を進める。


 スーツに着替えると、鏡の前でネクタイを整えながら、少しだけ緊張する自分を感じた。大学生としての新たな一歩を踏み出す準備が整った。外の光が明るく、春の陽気が心地よい。


 支度が終わると、凛に「行ってきます」とつぶやきながら、彼女の寝顔を見守る。これからの大学生活に対する期待と不安が混じる中、彼女の存在がいつも以上に心強く感じられた。玄関を開け、外に出ると、晴れ渡った空が広がっている。新しい始まりの日を迎えるために、深呼吸して一歩踏み出した。




 大学に着くと、キャンパスは新入生で賑わっていた。広い体育館には、整然と並んだイスが設置され、入学式の準備が整っている。式が始まる前に、僕は周りの人々を見渡しながら、どこか緊張していた。周りの新入生たちも、期待と不安の入り混じった表情を浮かべている。


 入学式が始まり、大学の学長や教授たちが歓迎の挨拶を行う中で、僕はこれからの大学生活に思いを馳せた。式典が終わり、キャンパスの外に出ると、多くの新入生がグループを作っているのが見受けられた。僕は一人で歩きながら、自分の今後の大学生活を考えていた。もしかしたら、これからも一人かもしれない。そんな不安を拭い、正門に向かって歩いていく。そんな僕に、後ろから声がかかった。


「ねえ! そこの君、新入生?」


「はい」


 振り返ると、そこにはチラシを持っている眼鏡の男性がいた。何の用だろうと考える間もなく、その人は大きな声で言った。


「オカルト研究会に、入りませんか!!!」


 その声に、少し怯んだ。周りの人たちも、なんだろうとこちらを見ている。なぜか僕まで恥ずかしくなってしまった。


「あ、ごめんなさい。少し声が大きかったですね」


 少しどころではなかったが。細かいことは置いて、この人は今オカルト研究会と言った。その活動名には興味が湧いた。


「オカルト研究会、ですか?」


「はい。オカルト研究会ですよ」


 僕はチラシを受け取り、その活動内容に目を通す。心霊スポットの調査、UFOとの交信、etcエトセトラ……。いかにもオカルトらしいことが書かれていた。僕は最近までオカルトを信じていなかったが、最近、信じざるを得ない状況になったので、オカルトには興味がある。


「分かりました。入部します」


「え! ほんと? ありがとう!」


 その先輩は驚いたような様子でこちらを見たが、そんなに驚くならなぜ勧誘したんだろうと思った。周りの人たちも、あの勧誘をされた人間が即入部になることに驚いたのか、口を開けてこちらを見ている人が多かった。


「それじゃ、部室に案内するね」


 先輩は喜びのあまり、僕に案内を始めた。僕たちはキャンパス内の比較的古びた建物に向かって歩いた。その建物の一室がオカルト研究会の部室だという。


「部室はあまり大きくないけど、居心地はいいんだ」


 先輩は説明しながら、部室のドアを開けた。中に入ると、部屋は狭く、古い木製の机や棚が並んでいた。壁には様々なオカルトに関するポスターや、神秘的なシンボルが貼られている。正直、僕には居心地がいいようには見えない。


 部室の中央には、先輩ともう一人の学生が座っていた。もう一人の学生は、黒髪で丸眼鏡をかけた女性だった。彼女は静かに本を読んでいる様子で、先輩の話に気づと、ゆっくりと顔を上げた。


 「こちらが部長の中村さん。僕は勧誘担当の鈴木です」


 先輩が紹介してくれた、部長である中村さんに会釈ほどの礼をする。


「はじめまして」


「はじめまして、よろしくお願いします!」


 その言葉に、勢いよく挨拶を返した。すると彼女は少し困惑した様子で言った。


「大丈夫? 無理やり連れてこられてはないよね」


「いえ、そんなことはありません」


 その心配をするということは、過去に似たことがあったのだろうか……と心配しながら、僕は中村さんの問いに答えた。


「入部してくれるって本当に?」


 鈴木と名乗る先輩は、再度僕に確認した。


「はい。オカルトは最近信じるようになりましたから。この部活に入ろうと思いました」


 その言葉に、鈴木さんは右手を高く上げ、喜びの声を上げた。


「ありがとう! ようこそ、我がオカルト研究会へ!」


 そんな大げさな……と思いながらも、僕は部室を見渡した。


「この部活って、二人しかいないんですか?」


「うん。前は先輩が五人いたんだけど、就活とかもあるからみんなやめちゃって。だから、廃部の危機なんだ。今は君も含めて三人で、あと一人足りないけど同じ部員同士、仲良くしよう」


 鈴木さんはそう言いながら、部室にある古びた机やイスを並べていく。


「そうですね。これからよろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしく」


 そんなやり取りをしていると、中村さんが口を開いた。


「さて。じゃあ、自己紹介をしようかな」


「あ、それなら僕は……」


 自己紹介は不要だ、と言おうとしたが、中村さんはそれを遮った。


「いやいや、せっかくだから、自己紹介の時間にしよう」


 部長は軽い笑みを浮かべて言った。


「じゃあ、まずは僕から。えー、名前は鈴木明夫。文学部国文科の二年です。よろしく」


 次はお前だと言わんばかりに、中村先輩はこちらを見た。仕方がないので、自分も自己紹介を始める。


「社会学部の高城優人です。よろしくお願いします」


 すると中村先輩も自己紹介を始めた。


「私は中村京。鈴木と同じ文学部の三年です。よろしくね」


 中村さんは微笑みながら、自己紹介を終える。


「えーと、じゃあ質問タイム! なにか聞きたいことある?」


 鈴木さんはそう言い、質問を促す。とりあえず、僕は自分が今聞きたいことを聞いた。


「このサークルって何をするんですか?」


 鈴木さんは待ってましたといわんばかりに、すぐさま返答をくれた。


「オカルトに対する研究とかかな。要するに、おまじないや怪談話、幽霊伝説なんかについて調べてレポートにまとめるんだよ」


 やはり思った通りの活動内容だ。すると、中村さんが口を挟んだ。


「まあ、お遊びみたいなサークルだから、そんなに堅苦しく考えなくてもいいよ」


 その言葉に安堵した。


「なんだ、そうだったんですか。安心しました」


「ま、実際はそんな感じよ。あんまり気張らずにさ」


 中村さんは、苦笑いしながら言い添える。


「ところで、今日は部室でなにをするんですか?」


 僕の問いに中村先輩は答えた。


「いや、今日は特に活動の予定はないんだよ」


 僕は少しがっかりした。せっかくなら、なにか活動したいと思っていたのだが、今日は特に予定がないらしい。すると、中村先輩が言った。


「まあ、活動日は週二回だから。今日が活動日じゃないってだけ」


「あ、そうなんですね」


 僕は少し安堵した。活動日が決まっているのなら、予定も立てやすい。そんな僕の顔を見てか、中村先輩は言った。


「まあ、今日は帰る前に、少しこの部室を案内するよ」


 僕と鈴木さんは頷いた。その後、僕たちは部室を回りながら、様々なオカルトグッズを見せられた。怪しいお札や護符、よく分からない魔よけの置物など、様々なものがあった。そのどれもが僕には奇妙に映ったが、部室内に大量にあるそれらは、この部活の象徴なのかもしれないと思った。


「さて、部室の案内はこれで終わりかな?」


 中村さんが最後にそう言った。


「はい、今日は色々とありがとうございました」


「どういたしまして。これからの大学生活、楽しく過ごしていきましょうね」


 中村さんは優しく微笑み、鈴木さんも頷いた。


「それでは、次の活動日は来週の火曜日と金曜日です。もし何か質問があれば、気軽に聞いてくださいね」


「わかりました」


 僕は部室を後にし、キャンパスを歩きながら、これからの大学生活に思いを馳せた。新しい環境での一歩を踏み出したことに、少しの不安と大きな期待が入り混じっていたけれど、これからの経験がどんなものになるのか楽しみでもあった。


 キャンパスの景色を見ながら、僕はこれからの大学生活に向けて心の中で決意を新たにした。そして、自分の新しいスタートに胸を膨らませながら、帰路についた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る