4.帰宅

 空が夕焼けに染まった帰り道の途中、凛はふと言った。


「いつも、コンビニ弁当なの?」


「うん。自炊できなくて、健康に悪いとは分かってるんだけどいつもだね」


「そうなんだ。毎日?」


「うん、一人暮らしになってから毎日かな」


 第一志望の大学に受かったと分かってからは、すぐ引っ越しの手順をしてくれた。

 ただ一人暮らしをしたいだけだったので、特に遠くには住まなかった。そのせいか引っ越しの手順はすぐに終わった。車で十分、実家にある貴重品などを持ってくるだけで今の住まいは完成したのだ。家賃四万のアパートで、敷金もそれと同じ四万の物件だ。


「あんまり良くないね。今日は料理、作ってみようよ」


 凛の提案に、僕は頷いた。流石に毎日それではバランスが偏るというのはよく聞く話だったし、一人暮らしになったら自炊してみたいと思っていたからだ。


「分かった。自炊してみるよ」


「あ、そうだ。私も料理したいな」


 その言葉に、少し僕は驚いた。凛が料理しているところは今まで一回も見たことがない。それに、料理ができる環境でもなかっただろう。


「えっ? 凛って料理できるの?」


「いや、できないよ」


 その問いかけに、凛は真顔で答えた。その様子に、思わず笑ってしまった。


「あそこのスーパー行こう。結構広そうだよ」


 凛が指さした先には、この地方によくあるスーパーだった。そこに向かって歩き、光が漏れ出す自動ドアを抜けた。


「そういえば、私の声は他の人に聞こえないからここで会話はできないね」


 どうしてだろうと思ったが、凛の声が聞こえないということは、会話してしまった場合、イマジナリーフレンドに話しかけているヤバい奴だと認識されるということに気づいた。


「これは私の独り言だから返事しなくて良いんだけど、今日はカレーが食べたい気分かな。」


 凛の言う通りに、返事をせずに買い物カゴを取り、材料を探しに行く。カレールーや鶏もも肉、玉ねぎ、じゃがいもを次々とカゴに入れていく。これで全部かと聞きたいが、人目が気になるので会話はできない。どうすればいいか悩んでいると彼女が


「これで全部だよ」


 といってくれたので、迷いなくレジに行くことができた。




 玄関を開け、電気をつける。後ろにいる凛は「ただいまー!」と嬉しそうな声で言ったが、どう反応すればいいか分からなかった。手を洗い、さっそく料理に取り掛かる。スマホでレシピを調べ、読み上げた。


「えーと……。玉ねぎを薄切りにして……、だから、こうかな?」


 包丁を取り出し、まな板に玉ねぎを置いた。薄切りという言葉通りに、薄く切っていく。しかし、玉ねぎを切ると涙が出るということを忘れていた。もろに食らってしまった僕は、涙が出て目が痛くなり、そのまま床に座り込んでしまった。


「大丈夫? 私がやるよ」


 ちょっと待って、と言おうとしたが、それを許さぬ速さで玉ねぎを切り始めた。

 涙がでるかと思ったが、見上げた先の彼女の目には涙はなかった。


「あれ、涙出ないんだ」


「たぶん、幽霊だからじゃないかな?」


 僕はそのことをすっかり忘れていた。凛は、まるで当たり前のように玉ねぎをサクサクと切っている。


「ほら、涙が出ないって便利でしょ? 玉ねぎなんて怖くないよ!」


「いいな、それ……僕も幽霊になりたいくらいだよ。」


 僕は笑いながら言った。


「いやいや、なっちゃだめでしょ! 私が困っちゃうよ。」


 凛はくすくすと笑いながら包丁を握り直した。僕は立ち上がるった。玉ねぎの厚さはバラバラだったが、いい仕事をしてくれた。これからは、玉ねぎを切る時は凛に任せよう。そんなことを考えながら、レシピを見る。


「次は、にんじん……はないから、じゃがいもを切ろう」


「うん、分かった。私に任せて!」


 凛にできるのか不安だったが、僕も料理の腕があるわけではないので何も言えなかった。彼女はじゃがいもを勢いよく切っていく。彼女の手から大きさの違うじゃがいもたちが生成される。


「大きさがバラバラだけど……大丈夫かな?」


「大丈夫だよ。大きさがバラバラな方が、食べごたえあるじゃない」


「そういうものなのかなあ……」


 少し心配だったが、大きさが違っても食べられるのでとりあえずは大丈夫だろう。そんな凛を横目に、鶏もも肉を取り出して切ることにした。しかし、鶏もも肉は固定しても包丁が滑ってしまい、なかなか上手に切れない。結局、僕も凛と同じで大きさがバラバラになってしまった。


「次は、これまでの具材を炒める、か」


フライパンを用意し、コンロを着火する。


「次は、油をいれて……あ」


「油、忘れちゃったね」


そうだ。思いつきで買ったので、レシピ通りとはいかない。


「仕方ないし、もうそのままいっちゃう?」


 凛の提案は、危険をはらんでいる気がしたが、今更スーパーに戻ってサラダ油を買いに行くのも気が引ける。ここは思い切ってしまうのが良いのではないかと思った。


「うん、そのままいこう!」


 具材をフライパンに放り込んだ。何か良くないことをしている気もするが、背に腹は代えられない。しかし、意外にもいい匂いがしてくる。


「結構いい感じじゃない?」


 凛の言葉に、頷く。思ったよりも危険な感じはしなかった。そして、具材を混ぜながら適度に炒めた。


「次は、鍋に放り込む」


 そう言いながら、もう既に僕の手はフライパンを持ち上げていた。もうお腹が空いて仕方ない。箸でフライパンから鍋へ急いで移動させ、カレールーを適度に入れて煮込む。


「いい匂いだね」


「うん、思ったよりも美味しそうだね」


本当は鍋にも油をいれるらしいのだが、それはもう無視することにした。




カレーが完成した。程よい茶色と、カレーらしい香りが部屋に漂った。二人分の取り皿にカレーを移す。これは期待できそうだ。テーブルに起き、向かい合って食べることにした。気になるお味は……


「なんか、ちょっと微妙だね」


 凛と同じ反応だった。味が薄くて、ぼんやりしている。


「スパイスが足りなかったのかな」


 たぶん、原因はそこ以外にもあるのだろうが、次からはスパイスを入れても良いような気がしてきた。ずっと食べていると飽きてくるので、意識を他に逸らそうと凛に話題を振ることにした。


「そういえばさ、料理に参加してたけど、物は触ることができるんだよね?」


 凛は軽く頷く。


「でも、さっきブランコに乗ってた時、清太が来たでしょ? あの時、凛はブランコを動かしてた。だけど、なんで清太は僕の隣のブランコに気が付かなかったの?」


「あ、それね。私も考えてたんだけど、シュレディンガーの猫ってあるでしょ? あれみたいなことなんだと思う」


「シュレディンガーの猫? なにそれ」


「箱の中に猫を入れて、半分の確率で毒が発生する装置を入れる。その後に箱の中で猫が生きているか死んでいるかは、観測者が観測するまで確定しないという理論。 だから、きっと優人にとっては私は存在しているけど、その清太って人にとっては存在しないんだと思う」


 なんだか難しい話だ。僕は理系ではないのでこういう話は少し苦手である。


「僕にはよくわからないや。でも、よくそんなことを知ってるね」


「病院にいた時に、本をよく読んでたからね」


「そうなんだ。きっと、僕より凛の方が勉強できるね」


「いや、そんなことないよ。優人が受けたのって、国立大でしょ? 私なんかより全然優秀だよ」


 ここで否定しても、お互い謙遜のし合いになることは僕の今までの経験で分かっているので、否定はしなかった。大学の話題が出たので思い出したが、明日は入学式である。ご飯は食べたので早めにお風呂に入って、寝ることにする。そう思い、立ち上がった。


「ちょっとお風呂はいるね」


凛は頷いて、まだ残っているカレーを頬張った。

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