第6話 女性遍歴
迫水という男は、特に女性問題に関しては、認識が甘く、普通であれば、
「女性を労う気持ちがなければ、女性にはモテない」
というはずなのに、この男に対しては、
「女性の方が尽くす」
という気持ちになってしまうような、不思議なところがあった。
それを、
「魅力」
と言えばいいのか、結果としては、
「騙される」
ということになるのだ。
男性というものが、
「いかに女性を好きにさせるか?」
というのが、恋愛のテクニックだと思っている迫水は、他の男性から見れば、
「なんで。こんな男に騙されるんだ?」
と普通であれば、迫水に騙される女を見ると、
「同情する気にはなれない」
ということになるのだろう。
だが、迫水を意識して、迫水と恋仲になる女性は、圧倒的に、
「浮気」
というのが多かった。
中には、
「不倫」
と呼ばれる人もいて、
「伴侶だけではなく、特に子供がいる女性」
というのが多かった。
そうなると、女性が騙されているというよりも、
「どっちもどっち」
という感覚の方が大きいだろう。
ただの浮気ということであれば、そんない大きな問題にはならない。
「彼と別れて、迫水さんと付き合う」
ということなのか、それとも、
「元鞘に収まる」
というだけのことであり、
「迫水とも、元カレとも別れる」
ということはまずないという。
それだけ、その女性は、
「男性依存の女性」
ということであり、そういう意味でも、どこか、
「精神疾患」
というものを持っている女性ということになるのだろう。
ただ、迫水としては、
「騙している」
というつもりも、
「かどわかす」
という意識もないという。
どちらかというと、
「好きになられたから、一緒にいる」
ということであり、本気で好きになることはない。
下手をすると、
「添え前食わぬは男の恥」
というくらいの軽い気持ちではないだろうか?
だから、彼女たちの男が、迫水に対して、直接的に文句を言いに来るということはないようだ。
冷静な男とすれば、
「女の方が悪い」
ということは分かるだろうから、
「そんな女は、こっちから願い下げだ」
ということになる。
ただ、男としては、悔しい思いがあり、その思いを迫水に直接ということはないが、気持ちとして感じることで、恨みのようなものを晴らしているつもりだったに違いない。
迫水は、
「女が寄ってくるのだから、こっちから歩み寄る必要などない」
と思っていた。
確かに、あゆみ寄らなくても、相手から寄ってくるのである。
だから、
「男冥利に尽きる」
と思っているのだし、寄ってくる女も、
「元々、今までの相手は、頼りないと思っているところに、迫水のような男が現れれば、それは、女から寄っていくというのも。無理もないことだ」
といえるだろう。
だから、女性の中に、
「今までの男を頼りない」
と思うのは、
「自分には、物足りない相手」
ということで、それは、性格的にもそうであるし、性癖的にもそうであろう。
女としては、
「優しい男」
というのが好きなのは当たり前だ。
昔のような、
「男尊女卑」
というような男は今は流行らないといってもいいのだろうが、逆に、
「それが、モテる男の秘訣だ」
などというのは、大きな間違いである。
「古今東西において、モテる男の定義が、そんなに変わることはない」
ということであり、
「地域性」
ということはあるだろうが、同じ地域で、いわゆる民族間で、過去から現在に至るまでに、性格的、性癖的に好みがそこまで大きく変わるということはないだろう。
容姿という面で行けば、
「顔の作り」
に関しては、大きく違っていることだろう。
時代とともに、その顔を見ていると、表情にこそ違いはないのかも知れないが、それぞれのパーツごとに違うのは、昔から残っている。
「肖像画」
であったり、
「浮世絵」
などで分かるというものだ。
ちなみに、日本固有の、
「浮世絵文化」
というのは、世界の名画と呼ばれるものに、いくつか並べられるくらいに、すごいもののようだ。
安藤広重や、写楽などは、ゴッホやピカソ、ミレーやダリと比較されるほどのすばらしさだといえるだろう。
迫水は、どちらかというと、あまり、
「容姿というものを、重要視するわけではない」
といえるだろう。
しかも、女性の好みに、それほどのこだわりがないように見えて、皆がいうには、
「ストライクゾーンが広い」
と言われるが、実際には、
「普通の人が見ても見分けがつかないようなところに、共通点を見出すのか、実はやつが好きだと思う女性には、ある種の共通点がある」
と言われるのであった。
そこがどこなのか、
「共通点がある」
と見抜いた人でも、そこまでは、気づかないのであった。
それだけに、
「奴の感性は、異常なところにあるといえばいいのか、何か天才的なものを感じさせられるところがある」
という人もいるのだった。
一種の、
「天才肌」
というところであろうか。
そんな女性のタイプにこだわっていないように見えることも、どこか、女性を安心させるところのようだ。
女性としては、
「自分とタイプが似ている女性に対しては気になるもので、自分の彼氏が浮気をしないか?」
ということに神経を研ぎ澄ますようだが、迫水のように、
「タイプが分かりにくい」
という人に対しては、不安に関させることもなく、
「猜疑心」
も、
「疑心暗鬼」
も、浮かんでくることはないという、
そもそも、自分が浮気や?不倫をしているのだから、相手の男に、貞操を求めるのは、お門違いというものだ。
だが、それを求めるのが女性。そんな女性の気持ちを迫水は、意識はしていないが、分かっているようだった。
どこか、
「水の流れ」
のような、従順なところがあるのが、女性を安心させ。
「自分だけを愛している」
と錯覚させるのだろう。
しかし、女性というのは、一度、猜疑心を持ったりすると、そこからなかなか抜けられないという。
一種の、
「アリジゴク」
といってもいいだろう。
それを考えると、もう一つ思い浮かぶのは、
「底なし沼」
であった。
そもそも、
「底なし沼というのは、どうなっているんだ?」
ということであった。
底がない沼ということなのであろうが、底がないなら、どうやって、水が湧いているというのか?
そういえば、
「沼と湖と池」
のこの三つの違いは何か?
ということがクイズになったことがあるようだが、普通であれば、
「池と湖の違いは、その大きさにあり、沼というと、どろどろした感じがあるものをいうのだ」
と思っている人が多いらしい。
しかし、実際には、その3つのれっきとした境目というのはないようで、沼がドロドロとしていなければならないという定義もないという。
「ああ、なるほど」
と、今度は、底なし沼というものを考えた時、ドロドロしているということをまず考えるので、
「沼」
と聞いた時、その同意語として思い浮かべた時に、
「沼は、ドロドロしている」
と思い込んでしまうのだ。
こんな簡単な、
「三段論法」
というものがすぐに分からないということは、それだけ、
「沼と底なし沼」
というものが、本当に同じものだと信じて疑わない感覚があるのではないだろうか?
迫水に近づく女性も、迫水ときっと、皆同じ目線で見ているのだろうが、迫水自身が、完全に上から見ていて、それを感じさせないという性格をしているのだということになるのだろう。
迫水は、結構、潔癖症なところもあるのだが、肝心なところでいい加減だったりする。それが、
「結果、いい加減」
と言われるところで。せっかく几帳面で、いい意味で潔癖症と言われてしまうほどの、性格を、
「もったいない」
とまわりに感じさせるところがあった。
その一つには、
「相手の言葉を信じ込んでしまう」
というところがあったのだ。
特に、女性とのセックスの時には、最初の頃は、
「ゴム着用」
というのが当たり前だと思っていたのに、途中から、
「私、ピル飲んでるから、大丈夫よ」
といって、生でしたことがあり、それが病みつきになってしまったのだ。
特に、
「生理不順」
という人は、避妊云々ということではなく、ピルを服用しているというのだ。
だから、そのことを、迫水は失念してしまい、
「ああ、そうなんだ、ピルさえ飲んでいれば、妊娠を心配しなくていいんだ」
とばかりに、他の女性にもそういって、本人は、その気はないが、結果として、
「強要している」
ということになったのだ。
迫水に惚れていて、半分、言いなりになっているような、依存症的な女性は、迫水のいうことに逆らえない。
「何となく嫌だ」
とは思っても、捨てられることを考えると、
「ピル服用くらいは何でもない」
と思うようになっていた。
だが、そんな女性でも、毎回。
「ピル飲んでるよな」
と聞かれ続けると、いい加減、
「面倒くさい」
と思うのか、飲まなかった時も、
「ええ」
とウソをついて、結局、妊娠してしまうという女性もいたようだ。
だが、男性には。非がない。
何といっても、
「ピル飲んでるよな?」
と聞かれて、
「ええ」
と答えてしまったのは、自分なのだ。
あとから後悔しても始まらない。
「私が、あの時、もっとしっかりしていれば」
と女性は感じ、男には何も言えずに、一人で、
「始末する」
ということしか道はないのであった。
そうなると、さすがに女も、このまま迫水についていくわけにはいかない。
迫水の知らないところで、女は人知れずに、迫水の前から消えていく。
迫水の方も、
「去る者は追わず」
という性格なので、結局、そのまま、別れてしまうのだった。
迫水は、
「来る者は拒む」
ということをしないので、次から次に女が現れる。
そういう意味では、
「役得な性格だ」
といえるのではないだろうか?
だが、そんな中でも、自分が、
「愚かだったんだ」
と思いながらも、どうしても依存症が消えない女が一人いて、それでも、
「迫水さんが、少しでも、悪かったと思ってくれたら、私は水に流す」
と考えていた女がいる。
「愚かだった」
と言いながらも、迫水に、その責任を押し付けようとしているのはありありなのに、それを自覚していないから、
「迫水さんを許すのは、私の天性の真心」
とばかりに、すべてを自分が相手のためにしていることだと思いたい一心で、
「詫びの一言がほしい」
という理屈になるのだった。
迫水は、最初こそ分からなかったが、そんな女の下心が見え隠れするのを許せなかった。だが、自分の愚かさということもあって、むげにはできないという気持ちもあり、迫水は、その女を突き放すことはできなかった。
かといって、
「その女の奴隷に成り下がることはできない」
と思っている。
迫水は、誰かの奴隷に成り下がるということが一番嫌だった。
「奴隷に成り下がるくらいなら、相手を陥れて、自殺に追い込むというくらいの方がまだマシだ」
というくらいにまで思うのだった。
だから、相手の女に、
「絶対に従わない」
という強い気持ちを持っていて、それを表に出さないようにするのは無理なことだった。
自分で思い込んでしまわないと、考えたことを実行できないのが、迫水だった。
だから、女が、どう思おうと、迫水は、自分の考えていることを隠そうとはしないのである。
人によっては、
「そこが、迫水のいいところだ」
という人もいれば、
「そんなことを考えるから、いつも、女のことでひどい目にあうんだ」
ということになると思っていた。
まわりの人が、どんな気分になるのかというと、
「迫水さんは、相手にいつも気を遣っているけど、どこか、結界のようなものがあって、自分では、絶対に認められないと感じることがあると、結界から先にはいけなくて、もし、自害するとしても、その死体を決して表に出さないようにするために、部下に埋めさせるということをするだろう」
と考えるのだ。
だから、彼は、その考えゆえに、
「もろ刃の剣だ」
といってもいいだろう。
まわりに、気を遣っているかのように思わせるところがあるし、結界を超えてしまうと、びくとも動かないというところがある。
というのであった。
もろ刃の剣」
というのは、
「どちらに転ぶかも知れないが、うまくいけば、強力な武器であるが、一歩間違えると、こっちが危険になる」
という意味でもある。
だから、
「迫水のように、途中に、結界というものを持っている人間は、そこから先、もろ刃の剣で勝負するということは、明らかに命取りになる」
ということで、
「もろ刃の剣」
と呼ばれるものを使用するというのは、まるで、
「見てはいけない」
と言われるものを見てしまった時のように、リスクを自らで招いたようなものだといえるのではないだろうか?
だから、彼が、
「誰かに狙われる」
というのも、そういう危険性が、背中合わせになっていて、まるで、
「長所と短所」
が同居しているかのようではないか?
迫水を狙うとすれば、そんな中の真理子という女ではないだろうか?
彼女は、迫水に妊娠させられたと思っているが、ただ、前述のように、ピルを飲んでいなかったということが原因だったのだ。
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