第2話 人手不足問題

 ここ20年くらいの間に、

「伝染病の流行」

 というのは、確かに世界的には、3,4くらいはあっただろう、

 日本においても、一時期、

「警戒しないといけない」

 と言われていたこともあり、しばらくの間、

「マスク着用」

 であったり、会社には、毎日、体温チェックをしたりして、それを報告したりしていた。

 しかし、そんな状態も、3か月くらいのもので。気が付けば、それも解除になり、

「最初から、何もなかった」

 かのような、毎日が戻ってきたのだ。

 だから、そんなことが数回続くと、

「ああ、またか」

 ということで、まるで、

「オオカミが来た」

 といっていたウソが、マンネリ化してしまったという、

「オオカミ少年」

 の話になってしまうという懸念がないわけではなかった。

 このオオカミ少年の話は、最後には、ウソが本当になってしまい、それを誰も信じなかったことで、

「皆。オオカミの食べられた」

 という、そんな話だった。

 だから、今回も、

「どうせ、またすぐに解除になるさ」

 ということで、簡単に考えていたが、実際に世界で猛威を振るってきて、日本でも、患者が出てくると、

「他人事ではない」

 ということになる。

 しかも、そのウイルスの、

「発症の地」

 と言われた、

「某国の某市」

 では、

「どれだけ悲惨なことになったのか?」

 ということが、報道されているのを見ていたので、

 さすがに、

「オオカミ少年」

 というわけにいかず、

「ただ、政府の対応が後手後手に回ったことで、日本でも、深刻な状況になってきたのだった」

 何が一番まずかったのかというと、

「水際対策」

 というものの、不手際だった。

 伝染病が流行ったら、いち早く、

「鎖国状態」

 ということにしなければいけないのに、海外からの観光客などを受け入れ続けた。

 それだけ、政府も安易に考えていたということで、結局は、悲惨な状況になっていったのだった。

 そこで、政府は慌てて、まずは、学校を休校にしたのだが、本来であれば、下準備としてからにしないと、パニックになることを分かっていながら、誰にも相談せずに、時のソーリが独断で行った。

 相当、各所から、不満が上がったが、そのあたりから、政府のやることはちぐはぐだった。

 どんなに学校を休校にしようが、

「緊急事態宣言」

 なる、

「今日本の国で出せる最大の宣言」

 というものを発令しても、

「水際対策」

 というものが、ザルであれば、結果は同じことになるのであった。

 結局どうなるかといえば、

「伝染病の下になったウイルスが入り込んでしまったので。あとは変異を繰り返すウイルスに対して、何をやっても後手後手にしなからない」

 ということを、この時に露呈してしまったといってもいいだろう。

 結局、政府は何ら対策を打つことができないまま。

「流れに沿うだけで精一杯で、3、4年が経ってやっと、少し下火になってきた」

 というだけのことだった。

 一時政府が、伝染病に打ち勝った」

 などという、何を勘違いしたのか、そういうことを言っていた時があった。

 それはあくまでも、

「利権が絡むオリンピック」

 というものを、どうしてもやりたいということでの、

「強行」

 ということで、その大義名分が欲しかったのだ。

 しかし、実際には、そんな、

「伝染病に打ち勝つ」

 どころか。何をやっても、大失敗ということで、そもそも、オリンピックの開催も、国民の、

「八割以上」

 の人が、

「反対」

 といっていたのに、

「強行突破」

 したのだった。

「目の前の利権」

 と、

「自分が、オリンピックの時の首相」

 だという名前を残したいという一心で行ったオリンピックが、結果、政権の命取りになるというのだから、これ以上のブーメランはなく、

「実に皮肉なことだ」

 といって、苦笑いをするだけでは済まされなくなったのだ。

 しかも、その後のソーリが、

「最悪の最悪」

 だったことで、

「世間では、そんな政府に振り回される」

 ということになったのだった。

「当時の日本が、一体どのような状態だったのか?」

 ということは、

「パンデミックが収まってきた」

 ということで、世間でのうわさからも、

「マスゴミ報道もされなくなった」

 ということで、たった一年くらいしか経っていないのに、

「ああ、そんなこともあったな」

 という程度で、誰もうわさもしなくなった。

 それは、マスゴミが面倒くさいことは発表を控えていて、昔はマスゴミ発表のために、

「相当な手間と労力と時間を要した、統計を取るということがなくなったので、誰も名にお言わなくなった」

 ということで、皆が忘れてしまうということになっていた。

 しかも、

「こんなことではいけない」

 と思っている人ほど、無意識に、

「すでに他人事」

 というような感覚になっているということを考えると、

「もう、世の中は、どうしようもないくらいに、平和ボケがしみついている」

 ということだろう。

 しかも、政府は、もっとひどい、

 国民は、ある程度、

「忘れてしまう」

 というのは、しょうがないことだろうが、政府は、この時に、しっかりと、今回のことを検証し、反省すべきところは、しっかりと反省しなければいけない。

 少なくとも、ここ20年の間で、日本では、今回だけだったかも知れないが、世界的に見れば、

「4,5年に一度くらいは、新種のウイルスのせいで、大きな問題となっているのだ」

 諸外国は慣れているのか、いち早くマスクを取っ払ったり、制限を緩和することで、

「経済を回す」

 ということが行われるようになって、結局は、

「国民は、普段と変わらない生活に戻りつつある」

 ということであったが、それは、あくまでも、

「今までの経験があってこそ」

 ということであった、

 さすがに、これまでの伝染病で、実際に、宣言を発令したり、学校を休校にしたりなどということを行ったのが初めてだったということで、不手際もあっただろう。

「百歩譲って、初めてだったら仕方がない」

 というのは無理もないことであろうが、

「だったら、収まってから、政府は全神経を集中させて、検証を行い、

「また次のパンデミックが起こった時」

 ということに備えなければならないということをしなければいけないのに、結果としては、検証をすることもなく、いつ訪れるとも知れない、次の、

「世界的なパンデミック」

 に対して。また、同じことを繰り返そうとしているのであろう。

「どうせ、今の政府は、次の選挙で終わりだ」

 ということを、ソーリが自覚してか、

「後1年くらいしか、ソーリでいられないなら、面倒くさいことをするくらいなら、今のうちに、利権をむさぼっておくほうがいい」

 とでも思っているのだろう。

 今の時代において、

「政府が何もできない」

 ということが露呈し、政権が維持できるわけはない。

 そうなると、

「ソーリの間にすることは?」

 と考えると、本来なら、

「国民のため」

 ということになるのだろうが、選挙前の、本当は、

「国民に寄り添っているふりをして、得票を増やそう」

 という、露骨ではあるが、しなければいけないことになるのだろうが、

「どうせ、終わりだ」

 と思っている男が、いまさら、

「国民のため」

 なんて思うわけはない。

 そもそも、そんな了見だから、

「最初から支持率はどんどん下がり、ちょっとした政策で、一時期だけ回復した支持率も、化けの皮が剥げてくると、またしても、下降線カーブを描くことになる」

 というわけであった。

 そんな日本の国家において、

「検証もしないまま、次のウイルスが発生したらどうなるというのか?」

 まさか、前と同じやり方をするのではないか?

 何といっても、種類の違うウイルスなのだから、それぞれに対策方法が違う。

 しかし、同じ伝染病ということで、その骨子に変わりはないはずだ。

 だから、骨子の部分だけを検証し、それをマニュアル化し、

「政権が変わっても、この資料に基づいて、対策を打つ」

 ということにしておけば、政権が変わっても、

「あの内閣の時に作ってくれていた資料が役に立った」

 ということで、次回選挙に出れば、

「勝てるかも知れない」

 ということにもなるだろう。

 しかし、結局、

「辞めるべくして辞めた」

 という人間に誰が票を入れるというのか、

 国民が、

「首相失格」

 という烙印を押せば、二度と政界に戻ってきて、

「首相の座に収まる」

 などということができるはずもないのであった。

 それを考えると、

「今回のことで、政府を当ていできない」

 ということだけは、国民にも分かったことだろう。

「民主主義の根本は多数決だ」

 ということでの、

「民主制における国家元首」

 と呼ばれる首相が、

「八割反対している」

 というオリンピックの強制結構という暴挙を働くのだから、

 政府が率先して、

「我が国は、民主国家ではない」

 といっているようなもので、そんな安定しない国を周りが信じるというのか、

「結局下に見られるのがオチで、いくら、今のソーリが、猫なで声を発して、外国に歩み寄ろうとも、金だけ出させて、あとはあざ笑っているだけだ」

 ということになるのだった。

「日本という国は、それだけの国家元首しかいない情けない国に成り下がった」

 というのだった。

 そんなパンデミックが日本を襲うという状況は、これからも何度も襲ってくるはずで、一応、政府とすれば、ほとんどの規制を取っ払って、今は、少しずつ、以前の生活に戻ろうとしているということであるが、その裏で、まだパンデミックは続いていた。

 深刻な状況となでは至っていないということで、今の国民も、そこまでの恐怖を感じていないことから、政府が、

「マスクを外してもいい」

 などと、

「どこからそんな根拠を引っ張ってきたのか?」

 と思えるようなことを言えば、街中では、マスクをしている人としていない人が、半々くらいという異様な光景になっているのだ。

 そもそも、根拠を示さないことが怪しいと誰も思わないのか、

 あれほど、政府を信じられないといっていた連中が、

「政府がいいと言ったから」

 ということで、マスクを外すということは、

「俺たちは死んでも構わない」

 といっているように見えて、

「あれのどこに、一貫性があるのか?」

 と国民性も疑いたくなるということになるのであった。

 確かに国民生活は、ある程度まで、国家がいうように、戻ってきたことであろう。

 しかし、経済がまだまだ疲弊しているということと、さらには、昔から懸念されていたことが、この3,4年の間に何もできなかったことが、致命的にならなければいいのだが、

 というのも、

「昨今言われていることとして、人材不足という問題が多くなっている」

それは、

「〇〇年問題」

 などと言われる、いわゆる、

「物流問題」

 あるいは、

「介護などの問題」

 などの人材不足である、

 特に深刻に言われているのが、

「物流問題」

 で、特に、

「宅配関係の会社」

 などでは、すでに、深刻になりかかっているというのだ。

 宅配というと、一番の問題は、

「留守宅問題」

 であり、

 配達に行っても、夫婦共稼ぎのところは、夜にならないと住民は帰ってこない。

 そうなると、留守宅への配達に来たというはがきを入れておいて、そして、連絡を待って。帰宅後に配達するということでの、

「二度手間、三度手間」

 などであった。

 せっかく配達したのに、持って帰って再度時間外に配達する。

「再度の配達を時間外に」

 ということで、いかに、面倒なことになるのか?

 ということであった。

 それを思えば、

「三度手間」

 というのも、当たり前のことであった。

 そんな状態において、いかに国民が、

「サービスはあって当たり前だ」

 と思っているかということである。

 配達してくれるのが当たり前、

「再配達も当たり前」

 ということは、

「パンデミックにおいて、検証をしない」

 という政府の、

「平和ボケ」

 という考え方に酷似しているといってもいいだろう。

 ただ、この人手不足の問題は、これだけでなく、ほとんどの会社が抱えていることであった。

「少子高齢化」

 というのは、企業にも影響していて、社員の平均年齢が、

「50歳以上」

 というところも多い。

 つまり、数年すれば、皆、定年を迎えるということになる、

 会社も政府も目先のことしか考えず、

「安い賃金で、外人どもを雇えばいい」

 と思ってきたことで、根本的な、

「若手の雇用」

 であったり、さらには、

「若手の育成」

 ができていないから、人手不足と言われるのだ、

 パンデミックで、外人が入ってこなかったということが政府としても、会社としても誤算だったということになるのだろう。

 時代が進み、そのパンデミックも収まりかけた頃、完全に、

「ハッピーフライデーは、忘れられた存在となっているようだった、

 実際に、時代が進み、国民が、知らされていないとはいえ、ほぼほぼ、パンデミックを忘れてしまっている。

 考えてみれば、パンデミックの最初の頃というと、まだ、感染者も少なく。

「実際に、自分の近くに感染者がいない」

 ということで、危機意識は皆無だったではないか・

 しかし、学校が休校になったりしたのも、確かに、

「ソーリの一存」

 で、本来なら、混乱させられた国民は、相当に怒ってもよく、皆がが先導する勢いで、政府を糾弾してもいいくらいなのに、その割に、おとなしかった。

 しかも、

「緊急事態宣言を出すべき」

 という意見にも、賛成の人が多かった。

 それだから、政府も。

「緊急事態宣言」

 というものを発令したのだが、前述のように、

「順番が違っていた」

 ということである。

「外部からの侵入を防いでおかないと、いくら内部を引き締めても同じこと」

 といってもいいだろう。

 鎖国だって、

「海外からの人を受け入れないどころか、海外に行っている日本人が帰ってくるTことも許さない」

 ということで、どれほど、徳川家光が、

「キリスト教」

 というものを恐れていたのか?

 ということである。

「これは、都市伝説のようなものだが、恐れていたのは、キリスト教ではなく、ユダヤ人だった」

 ということである。

 これは、

「歴史的には、ハッキリとはしない」

 という前提で、想像が許されるのであれば、

「かつての、それぞれの国も創世時代に、かかわりがあるのではないか?」

 ということであるが、あくまでも、都市伝説である、

 とにかく、キリスト教を排除することを目的に鎖国をしたのも、結局、西洋を締め出す」

 ということであり、オランダ以外の国を排除したということになり、オランダからは、

「害はない」

 と考えたのであろう。

 そういえば、明治天皇の前の、

「孝明天皇」

 というのは、相当な、

「攘夷論者」

 だという、

 徹底的な

「外人嫌い」

 で、幕府を弱腰ということで、

「外国人打ち払い」

 の際先鋒だった。

 特に欧州に対しては、必要以上の感情があった。

 もっとも、当時のアジアは、欧州の国に植民地化されていて、日本も、

「武力による開国」

 ということで、いわゆる、

「砲艦外交」

 と呼ばれたではないか。

 それだけ、当時、

「日本は狙われている」

 といってもいいだろう、

 なにしろ、日本という国は、それだけ、外国からの勢いに押されて、開国を余儀なくされ、諸外国から、

「狙われていた」

 のである。

「狙われる」

 ということは、その利用価値というものがあるからであり、特に日本は、アメリカからは、

「アジア侵略のための、前線基地として、どうしても、水や食料、その他の武器弾薬が必要なため、港の開港と、貿易が必要だったのだ」

 といえる。

 またイギリス、フランスは、それぞれの国の力を日本で確立するために、

「フランスは、幕府方」

 そして、

「イギリスは、薩長という新政府側」

 それぞれについて、一種の。

「代理戦争」

 を戦うことになった。

 結局新政府は、幕府を倒し、最初は、

「攘夷によっての、諸外国打ち払い」

 ということであったが、

「薩摩は、薩英戦争」

「長州は、四国艦隊砲撃事件」

 をきっかけに、

「諸外国を打ち払うのは不可能だ」

 と分かり、今度は、

「不平等条約改正」

 ということを目的に、

「諸外国においつけ、追い越せ」

 ということで、日本国家を、

「「殖産興業」

「富国強兵」

 というスローガンを持って、

「日本の近代化」

 というものに、舵を切った形の新政府であった。

 もちろん、最初は新政府も、それまでの包茎制度を一度ぶち壊して、そこから新しい時代の日本を作らなければいけないのだから、それは大変だ。

「紀尾井坂で暗殺された、大久保利通」

 という人物が、

「ぶっ壊すことよりも、そこから新しいものを作り上げる方が、よほど大変だ」

 というのを言っていたが、まさにそうであった。

 ただ、ぶっ壊している最終でも、かなりの強引なところがあったので、特に、士族となった武士たちが、政府に対して、反乱を起こし、

「萩の乱」

「秋月の乱」

「佐賀の乱」

 と言われるような戦を起こし、結局、

「新政府に鎮圧される」

 ということになった。

 さらに、新政府から下野し、青年士族たちに後押しされることで、反乱を起こした、西郷隆盛の、

「西南戦争」

 は、相当なものであった、

 何しろ、西郷からみれば、政府軍は、

「自分が作り出したもの」

 そして、政府軍からすれば、

「生みの親」

 といってもいいもの同士の戦いなのだから、

「それは心境は複雑なものだった」

 といってもいいだろう、

結局、西郷は自害して果てることになるのだが、その時に、政府側にいたのが、

「大久保利通だった」

 二人は、元々同じ薩摩藩で、親友だった。

 それが、敵味方に分かれて争わなければならなかったのは、実に気の毒であったが、大久保の考えとしても、

「古いものを、ぶっ潰す」

 ということで、その矢面だったのが、西郷だったという皮肉なことであった。

 ということになるのだった。

 大久保利通は、それからすぐに、暗殺者の手によって殺されるのだが、

「大久保にしても、西郷にしてもそれぞれの意志は、その後の、他の明治の元勲によって引き継がれていく」

 のであった。

 それから、百年以上が経って、時代は新しくなり、それまでの成長していた大日本帝国であったが、最後は、結局、

「追いつけ追い越せ」

 ということで目指した。

「欧米列強に、完膚なきまでにやられたのだ」

 この時に組んだ相手というのが、

「ドイツだった」

 というのは、実に皮肉なことであろう。

 日本という国は。結局、平和憲法に守られながら、80年近くも、

「戦争をしない」

 という時代に入り、

「江戸時代」

 の鎖国政策のようになったのであろうか?

 正直、まったくそんなことではなく、今や、

「外人どもを、安い賃金で働かせ、前述のように、若手を育ててこなかったつけが今回ってきて、大きな人手不足というものを生んできたのだった。


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