第13話

「いやあ、一時はどうなるかと思いましたよ」

「どうもこうもないわ。知ってるだけの事実を述べたまでよ」

 おれと相原さんは緊急役員会を終え、例の二十四時間営業の餃子居酒屋で真っ昼間から飲んでいた。

 おれにとっては第一容疑者から外れた勝利の美酒、相原さんにとっては継続して仕事にありつけた勝利の美酒だ。

「でもあれだけの事、よくあの短時間の中で調べ上げられましたね」

 相原さんはフッと笑ってみせた。

「大体クラッカーのやる事なんて、みんな似たり寄ったりなのよ。場数を踏めば、どこをチェックすべきかなんて知れてるわ」

 そう言って相原さんは生ビールを呷った。

 おれは枝豆を食いながら相原さんに訊いた。

「でもどうして今日の役員会に出席できたんですか? ERテクノロジーさんの社長さんだって今回の事件に関与してるかもしれないって、言ってたじゃないですか」

「そこがミソ」

 相原はキリッとした笑顔を見せた。

「もしうちの社長が今回の横領に関わってて、もしよ、もし、竹富部長に金銭を要求してたら、どうなると思う?」

 そう言われてみればそうだ。

「御社の社長もタダでは済まない」

「そう。そこでうちの社長は逃げの一手に出たみたいなの」

 なるほど。

「そこで昨日、WRAPレコードさんから追い出されてから、すぐうちの社長に直談判したの。竹富部長の横領の証拠が次々見付かってますよ』って」

 それを暴露したのは全て相原さんじゃないか。

「そうしたら喧嘩になっちゃったの。結局『今回の事件を有耶無耶にしろ』って命令されたの」

「相原さんがそれをそのまま鵜呑みにして実行したとは思えません」

 相原さんの笑顔は続いた。

「あら、分かってきたじゃない」

 図星らしい。

「その有耶無耶が成功したら臨時ボーナス一千万円をくれるの。それで手を打ったの」

 世の中、金で動く人がいる。相原さんもその一人だったか。

「あ、そういえば、今日のギャラのことなんですが……」

「あ、それならいいわよ。社長の一千万に比べたら、吉岡さんの十万なんて紙屑同然だしね」

 その紙屑を拾い集めてこっちは生計を立てているのだが。

「それにね、さっきの会議では有耶無耶にできたけど、最終的には竹富部長はクロだと時期にバレるわ」

 え?

「それはまた、どうしてですか?」

「私がWRAPレコードにアサインされた時の、社長からのオーダー、知らないの?」

「いや、今回の横領事件の捜査のお手伝いかと……」

 相原さんは声に出して大笑いした。

「何言ってんのよ! 誰から聞いたの? 正直に言うとね、私は『竹富部長を無実にしてこい』って社長に言われてやってきのよ。それが先日時点で言った『ただの竹富部長の作業のお手伝い』の実態だったのよ」

 鼻からそういう事だったのか!

「でもね、竹富部長がクロだっていう証拠がわんさか出てきた訳よ。これじゃ真っ黒。そこでさっき話した有耶無耶にしてこいってところで落ち着いたの」

 世の中は怖い。竹富部長は正に羊の皮を被った狼だったのか。

「でもね、やっぱり事実は事実。竹富部長は来週の月曜日には自分がクロだって、自白するわ」

「どうしてそんなことになるんです? 役員会では私か竹富部長、あるいは二人の共犯ではって言ってましたよね」

「そうね」

 相原さんは軽く言った。

「もし今から月曜日の朝までに竹富部長が証拠隠滅を図ろうとしても、それは最後の悪あがきになっちゃうの」

「?」

「こういう事。まずAS/400はJBD社内で顧客ごとにクローニングされてるの。それにウィークリー差分バックアップとマンスリーのフルバックアップを半年分ストックしてるわ。だから今度の月曜日時点でアクセスログの差分をチェックすれば今日までにやってきた事は丸裸よ」

「JBD社さんて、そんな面倒で緻密なサービスを提供してたんですか。知りませんでした」

「それぐらいしておかないと、あの古すぎるシステムを採用するメリットなんて全くないわ。AS/400が今でも稼働できているのは、そういったサービスを提供できているからよ。それに昔、JBD社と取引があったの。それでJBD社の管理体制を知ってるのよ」

 なるほど。流石IBM系列会社。やる事が違う。

「それにLinuxのsshの方なんだけど、吉岡クンに作ってもらったLinuxマシンと正規のLinuxサーバとIPアドレスを交換するよう、夕べのうちにcron daemonに指示しておいたの。そうすればリモートログインでも、サーバルームから直接ログインしても、ノートPCの方に繋がるわ。そうすれば誰がいつどこからログインして何をしたのか、全部ノートPCの方にログが残るでしょ」

 納得した。それで現用のLinuxサーバのクローンを作っていたのか。

「それじゃ外注業者もメンテできないじゃないですか」

「昨日の今日で、しかも土日返上で緊急メンテを引き受ける業者なんてあり得ないわ。もしログインしてくるなら真犯人が証拠隠滅のためとしか思われないわよ」

 言われてみればその通りだ。あの竹富部長の事だ。おいそれと言い負かされて引き下がるとは思われない。

「そういえば、一時ルータの再設定で東京拠点のネットへの接続が悪くなりましたけど、あれも相原さんが一枚噛んでるんですか」

 相原さんは事も無げに「そうよ」と言った。

「本当にたまたまなんだけど、竹富部長かルータの設定を弄っている時に、私がルータの設定を変えようとして、コンフリクトしちゃったのよ。最初はLinuxサーバのIPアドレスへsshでログインしようとしたらノートPCの方へ繋がるようにルーティングテーブルを書き替えようとしたの。でもそれだとサーバルームから直接ログインされると騙せなくなっちゃうでしょ?」

 やっぱりそういう裏があったか。

「竹富部長に気付かれるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたわ。でも竹富部長は自分の設定ミスだと思ったみたい。ラッキーだったわ」

 ヒヤヒヤなのはこっちの方だ。もしネットへの接続断が長時間になれば他部署にそれなりの事の経緯を報告しなければならない。その寸前で事が納まったのだ。

「それにAS/400は正規にターミナルエミュレータ以外にも操作方法があるの。知ってる?」

 おれは正直に応えた。

「知りませんでした。どうやるんですか?」

「簡単よ。ftpでコマンドで入力できるのよ」

 ftpでコマンド入力? ftpはファイルの遣り取り専用のプロトコルじゃないか?

「例えばftpでAS/400にログインして『ftp foo/barって入力すると、fooディレクトリのbarキューリーを実行できるの」

 え? そんな事できるの?

「だからターミナルエミュレータで足跡がつくのを恐れてもftpクライアントがあればAS/400は操作できるの。でも、そもそものLinuxサーバが偽サーバだから、足跡ははっきり残っちゃうんだけどね」

 それならこの土曜日の役員会明けから月曜日の朝までに何らかのアクションがあれば、それが限りなく真犯人からのアクセスであると言い切れる。

「もし竹富部長がシロを主張しても、人的捜査で結局竹富部長がクロだと調べられるわ。最も、その方がコストは掛かりそうだけど」

 相原さんはさっきから竹富部長がクロだと決めてかかっていた。それもそうか。ERテクノロジー社の社長が「竹富部長をシロにしろ」と言われた時点で、竹富部長のクロは決まったようなものだ。

「どうして相原さんは僕がシロだと判断したんです? 役員会では僕も容疑者だと言ってましたよね」

 相原さんはじっとおれを見た。

「君みたいなコンピュータの素人の、社会人経験の浅すぎる正義漢の強い人間には、今回の犯行は無理なのよ。分かった? ボク」

 相原さんは完全に最初からをおれを舐めきっていたのか。

 おれは悔しいというより、自分の不甲斐なさを恥じた。

「これはコンピュータ関連全般に言えるんだけど、どんな悪さしても大抵は後からトレース可能なの。今時はテレグラムとかあるけど、通報が早ければそんな秘匿性は警察には通用しないわよ。コンピュータで悪い事はしないに限るわ。ね、分かった?」

 おれは唐揚げを頬張りながら頷いた。

 その一口を飲み込むと相原さんに訊いてみた。

「で、これかどうなると思います? この事件」

 相原さんはちょっと返答に困っているようだった。

「事件発覚から一週間で犯人を挙げろ、って言われてるのよね」

「はい」

「じゃ、竹富部長が下手にPCを操作してクロだと分かるのが月曜日。もし操作しなかったら明後日まで捜査は終わらないわね」

「その時はどうなるんでしょう」

「どちらにしろ所謂『大人のやり方』で決着をつけるんじゃないかしら。WRAPレコードって、日邦テレビの子会社なんですよね」

「ええ」

「そっちの業界はよく知らないけど、日邦テレビの看板があるから、表沙汰にはならないんじゃないかしら。もし表沙汰になるとしたら週刊誌にすっぱ抜けれるぐらいしか思い浮かばないわ。その辺は吉岡クンの周りの人の方が詳しいんじゃないかしら」

 確かにそうかもしれない。

「とにかく! 竹富部長のクロは決まったようなものだから、そんな事が社長にバレる前にさっさと一千万円、もらわなきゃ! 生、お代わり!」

 相原さんは上機嫌だった。多分、事件が解決に向かっているのを喜んでいるのではなく、時給一万五千円の仕事が続いて、しかも一千万円の臨時ボーナスももらえるのを喜んでいるのだろう。

「ところで相原さんて、キャリア何年目なんです? いやに社会人経験豊富そうなんですが」

 相原さんのお代わりの生ビールが来た。それに一口つけて「七年目」とあっさり応えた。相原さんの七年間とおれの三年間ではその濃度が全く違う。相原さんの七年間はそうとう濃密だったのだろう。

「でもね、この業界、稼げるけど心身共に削られるのよ。そうそう長居は無用だわ」

「そういうもんですか」

「そうよ。私、三十五歳になったら、さっさと身を引くわ」

 やっぱりIT業界では三十五歳というのは何らかの線引きになっているのか。

「身を引いて、何をして食っていくんです?」

「お嫁さんになるの」

 エンジニアって、結局こうなっちゃうもんなのかねー。

 おれは自分の将来にやりがいや希望を持つよりも、文字通り現金になる自分を思い描いた。

 果たしておれは相原さんのような高スペックのエンジニアになれるだろうか?

 いや、ならないとこの業界では食っていけないのだ。

 おれも精進せねば。

 ビールの軽い酔いの中でおれは腹を括った。

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