第10話
昨晩の霧雨は夜半に小降りとなり、今朝は本格的な雨となった。
朝の雨はその雲のお陰で春陽の倦怠を隠し、引き締まった空気に染まっていた。
春先なのに暖かいというより、ちょっと寒かった。
おれは社に着くといつも通り「おはようございます」と言って自席に着席し、自分の社用ノートPCを起動した。
おれが朝のルーティンワークをこなし始めると、竹富部長が出社してきた。
「おはよう」
「おはようございます」
竹富部長は自分のノートPCの電源を入れてメールをチェックし、無用のものはゴミ箱へ、返信が必要なもののみ返信していった。
それが十五分ほどで済み、竹富部長はサーバールームへまた今日も籠もってしまった。
夕べの相原さんとの事はもちろん内緒だ。
おれはさっさとサーバルームへ入った竹富部長を引き留めもせず見送った。
夕べの相原さんの言葉が、おれの中で妙に引っかかった。
「世の中にはね、お金だけもらえれば何だってする人が沢山いるのよ」
それが竹富部長にも当てはまるとは、にわかに信じられなかった。いや、信じたくなかった。しかし、今現在、竹富部長がクロか、限りなくクロに近いグレーの証拠はなかった。
外注業者との酒の席で言われた言葉を鵜呑みにするおれの方が早計かな。そう思うようにした。
午前中はまたログチェックから始めてキーロガーの結果を眺めていった。特に不審な操作は見当たらなかった。
しかし、全社のPCにキーロガーをインストールするのは、今さらながらやり過ぎだと思った。
恐らく真犯人は東京拠点にいる、と勘が働いた。
WRAPレコードは全国五カ所の拠点を持っている。札幌・東京・名古屋・大阪・福岡だ。 東京以外の各拠点にはAS/400のアクセス権が付与されていない。それどころかターミナルエミュレータがインストールされていない。そんなところから今回の横領をするのは無理だ。
いや。東京からの転勤組が、ターミナルエミュレータを勝手にインストールしてAS/400にアクセスしているとも限らない。
それほどWRAPレコードのセキュリティはガバガバなのだ。
そのガバガバな状態でもAS/400が上手く機能しているのは、社員の誰をも信頼しているからでもあったが、その実は社員全員がコンピュータ音痴ばかりのせいというのが実情だった。
今時のPCはGUIでマウスを操作し、色とりどりのウィンドウ上で作業するのが普通だ。
ターミナルエミュレータのように黒地に緑色の文字が浮かび、CUIで魔法の呪文を入力するインターフェースは、ただそれだけで難しい操作に思われたのだ。
もし、今回のような事件が東京以外の拠点での犯行なら、犯人はとっくにずらかっているだろう。
犯人は二月と三月の二回に分けて犯行におよんでいる。
その意味するところは何か?
ここからは推測になるが、犯人はWRAPレコードの金の流れを知悉していたと思われる。つまり、WRAPレコードに最も金が集まる時期、半期締めの九月前と年度末の三月をターゲットにしたのだろう。
いや、その程度の予想なら、社員であればだれでも容易に予想がつく。
毎年五月の国税の監査の直前というのも気にかかる。
それに三月末には経理部で一斉に今年度の締めの作業が始まる。そうすればすぐにでも横領の事実が露見される。
そのギリギリのタイミングを見計らっての犯行と推量できる。
しかし、そういた推論ができる社員は、あまりにも多すぎた。
犯人はシステム部が調査にあたっているのを知っているのだろうか?
前の二回の犯行以来、犯人のものと思われる動きは全くない。ひょっとしたら犯人はアリバイ作りのために、何事もなかったかのように日常生活を過ごし、第三の犯行の時を待っているのだろうか。
それは誰か。
真っ先に思い浮かんだのは、やはり竹富部長だった。
コンピュータにも長け、AS/400内のDB2にも精通し、RPGも書けてWRAPレコードのセキュリティにも難なく通じる人物――。それはおれを除けば竹富部長以外にいなかった。
もしJBD社の誰かの犯行であればうちのLinuxシステムにもアクセス記録を残すのは不自然だ。それにAS/400の専門家がLinuxのセキュリティにも長けているとは思われない。
よくコンピュータ関連で誤解されがちなのだが、エンジニアなりプログラマなりはコンピュータ関連であれば何でも操作できると思われているが、そんな事はない。
コンピュータ関連も医者と同様、それぞれの得意分野にそのスキルが特化されているのだが、どうもそれは一般的に知られていないらしい。
脳外科医に喘息の治療はできないし、内科医に虫歯の治療は不可能だ。
コンピュータ関連でも同様で、AS/400のDB2を扱うキューリーなら書けるがPostgreSQLのクエリは全く駄目だったり、ウェブデザイナーはLinuxの基本とも言えるbashスクリプトはちんぷんかんぷんなのだ。
まあ、医者であれば何科であろうと骨折の応急処置や解熱剤の処方ぐらいはできるだろうが、IT業界ではそれすらもできないのが一般的なのだ。
それを踏まえるとJBD社の何者かの犯行である可能性は限りなく低い。
しかし、いくら「そもそも犯行が可能なのは誰か」という考え方では会社の役員を納得させられない。警察にもそんな訴求はできない。
しかし、竹富部長が犯人である証拠はない。おれが犯人であると推量できる証拠はある。
おれは犯人にいいようにされているお人好しなのだ。性善説ではない。お人好しだ。
おれのスマホにLINEの着信があった。
相原さんからだ。
「JBD社のWRAPレコードの担当者の名前と電話番号、メアドを教えてください。それと、WRAPレコードドメインの私のメアドも作っておいてください」
唐突だった。その情報を得て相原さんは何をするのか?
「いいですけど、何するんですか?」
おれに隠れて行動を起こされると、不安が過る。もし相原さんが自分の行動を隠すようなら、それは竹富部長と同様だ。
「私がWRAPレコードの新人システム部員と名乗って引き出せる情報は全て引き出します」
経歴詐称。そして情報漏洩。この二つを同時にやろうという訳だ。
おれは竹富部長に対して、WRAPレコードに対して裏切り行為をせよと言われた気がした。
が、今は自分の保身が優先だ。相原さんを信じるしかない。
おれは相原さんの要求通りにした。
「具体的にどんな方法を取るんですか?」
「まずは電話するわ。今回の案件、時間がないんでしょ?」
「分かりました」
「それじゃ、後ほど」
おれは急遽メアドを作成し、相原さんとの
LINEへ要求通りの内容を書き込んだ。
しかし、相原さんはどうやってJBD社に取り繕うんだ?
ソーシャルハック。その言葉が思い当たった。
確かに相原さんならやりかねない。しかも成功するだろう。
多分、ここまでしてくれるのだから、相原さんは竹富部長側でなく、おれの側の味方になってくれたと思っていいだろう。
JBD社にしても、今時システム部員が一人増えたところで疑念は抱かないだろうし、相原さんが言えば「クライアントから指示が来た」と解釈する筈だ。
ついにおれも悪事に手を染めるか。
いや。これは自分の潔白を示すための処世術だ。おれは自分にそう言い聞かせた。
だが、雑務をこなしながら自分が相原さんの言われるがままにしたのが後悔されてきた。
いや、今はそんな時じゃない。
相原さんを信用するしかない。
相原さんも言っていたが、ERテクノロジー社の社長も、今回の件には絡んでいる可能性がある。
もしその通りだったら、相原さんも今回の事件の「掛け子・受け子」として最悪、警察の世話になるかもしれない。もしそう判断してくれれば相原さんも計算しておれの側に立ってくれるだろう。
今は雑務なんかこなしている場合ではない。
今自分の潔白を示す証拠を何とか捻出しなければ。そう思った。
AS/400にもLinuxにもおれのアクセスログが残っていた。という事は、おれの社用PCを踏み台にした可能性もある。Windowsがどこまでオペレーションのログを記録しているか疑問だったが、(なんせクライアントPCなのだから)おれは自分のノートPC内に不審なものがインストールされていないかを調べ始めた。
Windows10以降は標準で「リモートデスクトップ」機能が搭載されている。まずはその確認。
うん、無効になっている。
次はインストールされているアプリの確認。「アプリの追加と削除」を開いて逐一チェック。
これも問題なかった。
次が本命。クラッカーが使うリモートデスクトップのアプリがインストールされていないかどうかのチェックだ。
次にCドライブ直下の「Program files」「Program files(x86)」にはそれらしいファイルはなかった。最後が「Windows」フォルダだ。コイツが一番の難所だ。なんせファイルとフォルダの数が多すぎる。
ここはPowerShellの出番だ。
おれはWindowsフォルダ内の全ファイルを更新日順に列記するスクリプトを書いた。
その結果を見ていくと……あった。
最後の五ファイルだけが今年の更新日付になっている。そのファイル名をコピペしてググると……案の定、バックドア用のプログラムだった。
おれは念のため[Ctrl]+[Alt]+[Del]で現在起動しているプロセス一覧を眺めた。
……あった。そのバックドアのプロセスが静かに元気に動いていた。
おれはいきり立ってそのプロセスを停止しかと一瞬思ったが、すぐ止めた。
というのも、犯人にこちらが捜査しているのを見破られないために、敢えて気付かぬ振りをしたのだ。
犯人にはおれの動向は全て曝されていたのか。
今思うと、社用PCでおれが何らかの捜査をしてこなかったのが幸いだ。
で、どうすれば犯人に気付かれずに捜査できるか?
それは目の前のPCのWindowsのシステムに関する操作、レジストリの改変やアプリの追加・削除だろう。
キーログは取られているが、そのログの管理人はおれだ。そのログを改竄しようと思えばし放題だ。
おれは昨日の全社員のキーログをチェックしてみた。
特に異常なし。が、竹富部長のログだけは丹念に調べてみた。
ログの量は小さかった。
午前十時二十五分にログインし(昨晩も遅かったのか)、恐らくメールのチェックと思われるオペレーションをし、幾つかの返信をしていた。返信内容は丸見えだった。そう、丸見えになっても問題ない範囲の内容のものだった。
JBD社へのいつもの動作チェックのお礼、札幌営業所所長からの新規情報サービスの要請への返事、イノダシステムの吉川部長へのシステム改修案の打ち合わせ日程の調整等々。
流石に竹富部長だけあって、尻尾を出すような真似はしていない。
ここでふと思ったのだが、犯人は本当に竹富部長なのだろうか?
あの性善説を標榜する竹富部長が巨額横領などするか?
「世の中にはね、お金だけもらえれば何だってする人が沢山いるのよ」
昨晩の相原さんの言葉が蘇った。
社会人になって三年。おれももう少し大人のやり方に慣れ親しんだ方が良いのかも、とも思えた。
おれは直接会った事はないが、詐欺師はきちんとしたスーツを着て真面目な髪型で笑顔を絶やさずビジネスルールを守ってターゲットに近付いてくると聞いた。
いかにも悪人面して本当の悪人だった、というのは少ないとも言う。
それもそうだ。社会人になると何百、何千人との人々と名刺交換して人の輪を広げていく。その名刺の束の中に埋没していく人間関係が殆どなのだが。詐欺師は違う。
初対面で鮮烈な好印象を与えて自分の好感度を上げ、またもう一度お会いしたい、この人なら信頼できる。そう思わせてターゲットをカモにするようだ。
いいのか悪いのか、おれはまだ本物の詐欺師に会った事がない。
もしおれが詐欺師だったら、カモから金をふんだくっても、ちゃんとアフターフォローを入れて「今回の件では何も申し開きできません」とか「また次に期待しましょう」とか、今回の損失はほんの偶然、カモが詐欺に遭ったと認識できない状態にもっていくだろう。
詐欺師はその業態さえ合法なら優秀な営業マンなのだ。
しかし、ことコンピュータに関しては、そのアフターフォローも何もあったものではない。
クラッカーはシステム全体を掌握できるまで管理者の目を逃れ、ここぞという時にその犯行におよび、その後の連絡もつかず、足跡すら消し去って逃亡するのだ。
この点において、コンピュータの詐欺事件は一般の詐欺事件とは大きく異なる。
しかし詐欺は詐欺だし犯罪は犯罪だ。その手口の巧拙にかかわらず被害者への弁済が必要だし、罪に対する罰も必要だ。
今回の横領の場合、もし真犯人が捕まったとしてもその弁済は本当に可能なのだろうか。
そもそも十億単位の金の被害である。
犯人は喜んで散財するだろうし、もし警察が犯人を捕まえて立件し、法廷で罰金刑が課されたとしても、被害額満額の弁済を申し付けられるとは予想できない。
そうなった場合、犯人は社会的信用も地に堕ち、その収入も極低いものになり、弁済どころではなくなってしまうのではなかろうか。
これはこれで逃げ得にならないか?
犯人は犯行の計画には、その犯行と、犯行後の退路も用意している筈だ。
その退路が見えない。
最も、犯行が丁寧に行われている事から察すると、犯人は逃亡手段もきちんと用意しているだろう。
ひょっとしたら、もう既に犯人はとっくに逃亡してしまい、我々の手の届かない場所へ行ってしまったのではないか?
その可能性はある。
相原さんの調査が順調にいっても当の犯人が逮捕できなければWRAPレコードに甚大な被害が残ってしまう。そうなってしまってからの起こりうる状況を予想してみた。
まあ、間違いなくおれの首は飛ぶわな。
それだけじゃない。草野社長も栗原専務も、播磨経理部長もお咎めなしでは済まされないだろう。
世間にも話が漏れるし、WRAPレコードの社会的地位もガタ落ちだ。「日邦テレビ子会社、巨額横領事件」のタイトルでニュースにもなるだろう。そうなると「会社の再生」としてまた新たな日邦テレビから役員の出向があるか、いや、最悪WRAPレコードそのもののお取り潰しも……。
犯人が首尾良く捕まっても、取り逃がしても、相当悪い事態に発展するのは間違いない。
システム部の内線電話が鳴った。
「はい、システム部の吉岡です」
「映像制作本部の大西です」
部長から直々の電話とは珍しい。こういう時は悪い予感しかしない。
「何かありましたか?」
「どうもこうも、うちの部署、今朝からネットが繋がりにくかったんだけど、ついに全く繋がらなくなっちゃったんだよ」
それを聞いてハッとした。横領事件の事ばかりに気が廻ってしまい、普段のシステム部の業務を忘れるところだった。
こういったトラブルシューティングなら安心して対応できる。
「今すぐそちらに向かいます」
「よろしく!」
おれは受話器を置くと、小走りで隣のフロア、映像制作のエリアに行った。
このフロアは音楽制作部も入っており、百二十平米はある。その半分の島が映像制作部
に割り当てられている。
おれはまず大西部長に申し訳ありません、と言いに行った。
「まあ、とにかくチャチャッと直しちゃってよ」
大西部長が豪放磊落で知られる人物だ。ちょっとやそっとのミスをとやかく言う人ではない。
だが、出社していた映像制作部員、即ちディレクターたちは心配そうだった。
その心配は機械の故障という危機が齎したものではなく、自分たちの仕事が中断されてしまい、納期が遅れるのを心配してのものだった。
おれは被害範囲の特定を急いだ。ディレクターにネットに繋がるか繋がらないか、聞いて廻ってみた。一様に「回線が遅くなったのがしばらく続いて、ついに全く繋がらなくなった」と言う。
念ためオーディオ制作部のほうもインタビューしてみたが、全く問題はないとの事。
とすると、また竹富部長が何かしらの操作をしての影響ではなさそうだ。
おれはLANケーブルを辿っていき、そのLANケーブルが集約されてフリアク(フリーアクセスの略称。ケーブルを通すために床を一団嵩上げする仕組み)へ通っている床を特定した。
そしてその周囲のフリアクを引っぺがした。
気にはなっていたのだが、周囲からの目線がおれに集まっている。
それもそうか。こういった作業は普通、工事業者の仕事だ。それにフリアクになっているとは思っていなかったらしい。
そのフリアクを五個ほど外して32ポートのハブが姿を現した。
まずはLANケーブルの接触不良がないか……おっと、ハブのLEDが全部消灯している。
おれは電源入力のACプラグを見てみた。
ちゃんと接続されている。
が、待てよ。おれは電源プラグをぐりぐりと弄ってみた。
そうすると、電源オンを示すLEDが点灯したり消灯したりを繰り返した。
なるほど。原因はハブのACプラグの接触不良。そういう訳か。
電子機器一般に言える事なのだが、接触不良は最も多いトラブルの一つだ。
今回の場合は恐らくハブ本体内の電源ジャックの半田がプリント基板が割れて浮いてしまったのだろう。
試しに手で電源プラグを押さえ、無理矢理電源オンにしたまま「ちょっとネットの再接続をお願いします」と誰に言うでもなく大声で言った。
「ネット、繋がりました!」
新人ディレクターの籠田君がそう言ってくれた。
で、おれは手を離してハブの電源を落とした。
「あ、またネット、落ちました」
分かってしまえば何て事はない。
原因はハブの電源プラグの接触不良だった。
おれは早速それを大西部長に報告した。
「なんだ、その程度か」
「この程度の原因で良かったです。今システム部でサーバの保守をやってますので、その何らかの影響が出たのかと思いました」
「で、いつ直りそう?」
「あと十分くらいです。予備のハブがサーバルームにありますから、それと交換します」
「じゃ、よろしく!」
おれは急いでサーバルームに行った。
サーバルームに入ると、竹富部長が一瞬ビクついた。
そういうところは、おれはちゃんと観察するのだ。
竹富部長はまたおれには言えない作業の途中だったのだろう。
だがおれはお構いなしで竹富部長に言った。
「竹富部長。連絡です」
竹富部長はいつもの笑顔だった。
「何かあった?」
「映像制作部のネットが切れました」
「何!」
「で、急遽原因を探ったところ、ハブが死んでました」
「ハブが? 珍しい事もあるもんだね」
「試したところ、ハブの電源プラグを弄ると電源が入ったり落ちたりしました」
「ああ。接触不良ね」
「で、替えのハブを取りに来ました」
「じゃ、後は全部任せちゃっていい?」
「承知しました。でも、この程度のトラブルだったのは不幸中の幸いです」
「それもそうだねー。予備のハブはあっちの段ボール箱にあるから、適当にもっていってね」
「そうします」
おれは四段積みになった段ボール箱を掻き分けて、予備のハブを見付けた。
故障したのと同じハブだ。
このハブとて、長期保存でどこかに不具合を抱えているかもしれない。おれは念のため他に予備がないかどうか確認した。
もう一個あった。
その二台を抱えて映像制作部のフロアへ戻った。
オフィスの通路の真ん中に剥ぎ取られたフリアクが剥き出しの床面を見せていた。
おれには普通の光景だが、ディレクターたちには異様な光景に見えたらしい。みな心配そうにその穴を見入っていた。
その視線の中におれは入っていった。
間違いのないように、全て埋まった32ポー分のLANケーブルを一本ずつ予備のハブの同じポートへ差していく。LANケーブルの余長があまりなく、ちょっと力を入れるとケーブルが突っ張った。
あまり力を入れすぎると、LANケーブルを断線しかねない。それでは本末転倒だ。
おれは慎重にケーブルを差し替え、最後に電源ケーブルを差した。
電源のLEDが赤く点灯した。その直後、回線が繋がったのを示す緑色のLED32個が一斉に細かく点滅し始めた。
「みなさん済みませーん。ネットに繋がるかどうか、動作チェックお願いしまーす」
デスクのあちこちから「こちらオーケー」「繋がった!」との声が聞こえた。
おれはハブを慎重に元の場所に戻し。フリアクを嵌め込んで一件落着。
おれは大西部長の元へ行き「作業終わりました。復旧完了です」と言った。
「おお、ご苦労さん!」
大西部長に「それでは失礼します」と一礼して自分のフロアに戻った。
おれは壊れたハブに大きめの付箋を貼り付け、「電源ジャックNG」と書き付けた。
おれはハブ二台を抱えてまたサーバルームへ戻った。
「どうだった?」
今度は竹富部長から声をかけてきた。
「予想通りです。無事良品と交換してきました」
「じゃあ、補充の発注もお願いしていい?」
「分かりました。でも以外とハブは脆いものですね。振動もないし熱も籠もらないのに電子機器が故障するなんて」
「ああ。機械なんてみんなそんなもんだよ」
「システム部長がそんな事言っちゃ駄目じゃないですか」
「そういうメンテの仕事が必要だからシステム部なんていう間接部門が会社には必要なんだよ。もし機械が絶対に壊れないなら、世の中の半分の仕事はなくなるよ」
竹富部長のいう「世の中」はサラリーマン社会だけを言っているように聞こえた。
「壊れたハブはどうします?」
「普通に廃棄しちゃってくれる? 故障品を在庫してると、何かの折にまたトラブルの原因になりかねないから」
「隠して廃棄しなくていいんですか? 会社によってはどんな機器を使ってるか外部に漏れるとセキュリティホールになりかねないから、専門の業者に頼んでるみたいですが」
これはおれの同級生で同業者から聞いた話だ。
「大丈夫、大丈夫。ハブぐらいなら気にしなくていいよ。それにね」
竹富部長の目が悪い輝きを放った。
「そういう専門業者が実は廃棄しなくて、アキバのジャンク屋に横流ししてるケースもあるんだよ。見た事ない?」
ある。
おれは笑って頷いた。
「そういう悪い業者さんもいるんだから、あんまり信用しない方がいいよ。まあ、そんな訳だから、うちの会社の産業廃棄物入れに入れといて」
「分かりました」
おれはその壊れたハブを、廊下に出しっぱなしにしてある産業廃棄物入れに突っ込んだ。
おれは午前中の仕事を終えた気分になった。
システム部なんて、やる事をやってしまえば暇な部署なのだ。
だが、不思議なもので、その「やる事」が常に山積されているというのが、おれの入社以来の経験則だった。
竹富部長もそうなのだろう。ここのところ、すっかりサーバルームに閉じ籠もっているが、竹富部長は竹富部長の仕事に追われているのだろう。
しかし、おれはちゃんと見た。
最初にサーバルームに入った時、竹富部長の端末はエディタが開かれており、言語は不明だが何かしらのソースを編集中だった。
部長職の人間がコーディング仕事をする筈がない。それがうちの会社で必要ならばイノダシステムに依頼するのが道理だ。
つまり、竹富部長は秘密の仕事をしていると見る方が自然だ。
この期におよんで一体何を?
おれの竹富部長への不信は一気に上り詰めた。
やはり真犯人は竹富部長で間違いだろう。
しかしその証拠がない。
もし今踏み込んでその点を追求したところで、「たまには昔を思い出して勉強中」とか
「Linuxのセキュリティの実装を確認中」など、言い訳はいくらでもできるだろう。
そういう詭弁を弄するのは部長職の人間にとって容易い。おれ一人を言いくるめるのは簡単だ。
おれは自席に戻ってLinuxにログインした。
fingerしてみると確かに竹富部長がrootでログイン中だった。プロセスリストにはEmacsがあった。
そもそも何かのコーディングをするのだったらrootで書く必要はない。むしろrootで書いた方が後々不便だ。
rootでしか見られないコードを書き、自ずとrootでしか実行できないプログラムを書いている。
その状況証拠だけで竹富部長をクロとしてもいいのだが、今すぐおれが動くはの早計だ。
ここはひとまず相原さんの登場を待つとしよう。
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