桃園恋華は見た!

気づけば朝だった。やはり昨日と同じでぼくは裸で、その上にアカメが乗っている。部長は、持参した寝袋で寝ていた。


 ふたりともえらく熟睡しているようだった。なにが撮れているか、非常に気になるところではあるが、ビデオを確認するのは部長達が起きてからにしよう。


 それから二人が起きて、ビデオを確認し始めた。最初の映像には、寝ているぼくの姿が写っていた。


『えー、弘明くん、寝ています。いびきはかかないタイプのようです。寝相も良さそうです』

「おいなにしてんだあんた」


 ビデオでは部長によるぼくの睡眠実況が始まった。


「だって暇だったんだもん。あーここじゃなくてもっと先々」


 と、部長は素知らぬ顔でビデオを早送りにした。

 

「ああ、このあたりだね」


 何秒か、変わらぬぼくの寝顔が流れ続けて恥ずかしさで顔が熱くなった。


「あの……まだですか?」

「もうちょっと、もうちょっとだから」


 仕方なく、ぼくは画面に視線を戻した。


 の言う通り、異変はすぐに起きる。


 まずぼくがうなされ始めた。


『弘明くーん。大丈夫? 弘明くーん』


 部長がぼくの名前を呼ぶも、起きる様子はない。


 そして、ぼくの体が、どんどん黒くなっていく。どうやら肌が変色しているのではなく、黒い毛がたくさん生えているようだった。


 徐々に体が大きくなり、体の輪郭も変化していく。特に、鼻先が伸びる様子は見ていてとても違和感のあるものだった。


 サイズが合わなくなった服が、びりびりと破ける音が聞こえる。そりゃあ、素っ裸になるわけだ。


 変化が終わったとき、そこにいるのは明らかに人間ではなかった。そこにいたのは人間のフォルムをした、大きな狼だった。


「どうも弘明くんは、吸血鬼じゃなくて狼男になっちゃったみたい」


 狼になったぼくの背丈は、ちょうど部長の二倍ほどはありそうだった。


『え?なになになになに!?』


 異変に気づいた部長が声をあげて後ずさった。


 立ち上がった狼が、部長のすぐ目の前まで来る。空いた口から、吸血鬼の牙とは比べ物にならないほど鋭い牙が覗く。それはきっと獲物を噛みちぎるためのものだろうと瞬時に理解できてしまう、対象を殺めるための武器だった。


へたりと、カメラの視点が下がった。おそらく、部長が座り込んでしまったんだろう。


「恥ずかしながらこの時腰が抜けてしまって……」


 えへへへと部長が頭をかいた。


『あ、やだ……』


と、ビデオの中の部長が絶望したような声をもらした。


「恥ずかしながらこの時、小四以来のおもらしをしてしまいまして……」


 部長は赤面して、脚をもぞもぞと動かした。なんていらない情報なんだ\。その報告を聴かなければぼくは気づかずにいられたのに……。


「着替えを多めに持ってきておいてよかったよ」


 そう部長は笑った。ぼくは部長がへたり込んでしまった場所を後で念入りに磨いておこうと決めた。


 立ち上がった部長は、狼を追ってキッチンへと向かった。まだ恐怖が残っているようで、しきりにカメラの視点がぶれる。


 狼になったぼくは、荒い息を吐いて、鍋を火にかけていた。


『な、なにか作ってるみたい。お腹、空いたのかな……』


 時々うめき声を上げながら、狼は哺乳瓶に粉ミルクを投入し、そこにお湯を注ぐ。


 そして哺乳瓶をシャッフルし始めたところで、「改めて見るとシュールな絵だねー」と部長が指差してケタケタ笑った。


 なんだろう、あれぼくなんだよなーと思うと急に恥ずかしくなった。


 ミルクを作る二足歩行の狼。それは狼が二足歩行しているというよりも、人間が狼になった、という方が近い感じがした。まさに狼男という言葉がふさわしいだろう。


 そして出来上がったミルクを、狼はそのままちゅばちゅぱと吸い出した。ビデオ越しにも聴こえてくるほど、激しく吸っていた。あれが自分と思うと目をそらしたくなるもなんとか耐える。


『あー』


 画面のなかでアカメが、狼になったぼくを呼んでいた。狼が「ウォン!」と返事をすると、カメラの視点がはねた。


「いや、いきなり弘明くんが鳴くからびっくりして。画面越しだとわからないかもしれないけど、結構な迫力なんだから」


 別になにも聴いてないのに、部長は勝手に弁明を始めた。


「今度はもらしてませんよね?」


 ぼくが気になるのはそこだけである。


「してないから!」

 

 部長は立ち上がって怒鳴った。ならいいのだが。


 ビデオの中のぼくは、また湯を沸かし始めた。そしてさきほどと同じようにミルクを作り、それをアカメに渡す。


「あー」


 アカメに呼ばれて、狼は「ウォン!」と返事をしてあとについていった。このアパート、ペット禁止なんだけど、犬みたいな声出すと誤解されそうで怖い。


 アカメはソファーに座り、アニメを再生する。狼がその隣に座ると、アカメはコテンとその体を枕にして横になる。


「あー」


 とアカメが一言声を出すと、狼は彼女の頭を撫でた。アカメは満足そうにアニメを観る。


「これ、意思の疎通ができてるのか?」


 ビデオの中のぼくは、まるでアカメがなにを望んでいるのか、全部わかっているようだった。


「あ、弘明くんもそう思った? やっぱりそうだよね。眷属になったことでアカメちゃんとの間にパス、みたいなのができてるのかも。いわゆる「脳内に直接!?」みたいなノリでさ」


 アカメと喋れるかもしれない。そのことに舞い上がったぼくは色々と試してみたのだが、どうも変身していないとテレパシー的ななにかは使えないようだった。それにぼくは変身しているときの記憶は無い。だから依然として、彼女の望みを予測することしかぼくにはできないということだ。


「ごめんなーアカメ。話せると思ったんだけどなあ」


「うーうー」


 アカメは気にするな、というように首を横に振った。まあ、こういう不完全な意思疎通も悪くはないか。


「それにしても狼になって凶暴化するかと思ったら、アカメちゃんの言うことをちゃんと聴いてえらい忠犬ぷりだったね」


 確かに部長の言う通りだった。狼男といえば、もっと獰猛で、血に飢えているイメージだったのに。


「眷属だから、狼に変身してるときはアカメちゃんに逆らえないのかも?」


 なるほど。その可能性は否定できない。


「わたしも吸血鬼だけど、今日はわたしの言うことも聴くか試してみようか」


 部長はニコニコと笑みを浮かべた。なるほど、その可能性はなにがなんでも否定しなければ。


「アカメ、今日も部長の監視頼んだぞ。ぼくに変な命令をさせないようにな」

「あー!」


 アカメはピシっと額に手を当て敬礼した。……気に入ったのかな、このポーズ。


「もしかして、わたしって信用ない?」


 部長はそう言って、自分を指差した。


 どうやら自覚がないらしい。


「アカメ、部長が漏らしそうになったらちゃんとトイレに連れて行くんだぞ」

「あー」

「だからもう漏らさないってば!」


 部長は若干涙目になってそう叫ぶ。このネタはしばらく使えそうだった。

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