狼男
「それでどう? その、私の血を吸いたい、とか思ったりする?」
「特にしませんね」
「ほんとに? この首筋にかじりつきたいとか思わない?」
髪をかきあげて、首筋を見せびらかす。が、特に部長が言っていたような心臓がドクンと跳ねる感覚はないし、別段飲みたい、とも思わなかった。
動画ではミルクにたいそう執心している様子だったので、血への渇望みたいなのはあると思うのだが、粉ミルクによって抑えられているらしい。本当に粉ミルク最強だな。粉ミルクしか勝たん。
「アカメも特に血を吸おうとする様子もないし、部長だけ堪え性がない……ってことですかね。もしくは人より欲が強いとか」
そう言うと、部長はなぜか顔を赤くした。もしかしてこの人、欲=性欲だと思ってるんじゃないだろうなと、ぼくは冷めた目で部長を見る。
「そ、そういえば前に弘明くんに催眠を試したことがあったけど、効かなかったのは狼男になってたせいかもね」
つまり、潜在的に狼人間への変化は始まっていたのかもしれないと、部長は言いたいらしい。
「気になって調べてみたんだけど、今日って満月なんだって。今になって変身し出したのは、それが原因なんじゃないのかな?狼男が変身するといえば、満月でしょ?」
「つまり、満月が近くなった時だけ変身するってことですか?」
ぼくほほっとしたような、残念なような、複雑な気分だった。せめて夜だけならまだしも、満月近くだけは限定的すぎやしないか。
「かもしれないって話。もしかしたら、強制的に狼になるのが今だけなのかもしれないし、逆に満月なんて関係なくこれから毎晩って可能性もあるよ」
「できれば自由に変身できる方がいいですけどね……」
二日目は一日目と変わりなく狼になった。しかし三日目、ぼくが目覚めた時口の中におしゃぶりはなかった。変身しなかったのか……
「それで、これが昨日の月」
部長が見せてくれたスマホには、すこし欠けた月が写っていた。
「これくらい欠けると、もう満月じゃないって判定なのかな? 丸いものを見ると変身しちゃうって話もあるくらいだから、丸さが大事なのかも。試してみる?」
「日常生活でふと丸いなにかが目に入って変身しちゃった。なんてことになったらヤバいですからね。確かめないと」
「それじゃあ、わたしは色々探してくるから、弘明くんは家のなかのもので色々試してみて」
ぼくは部長の言う通り、家にある丸いものを片っ端から見たが、変身する兆しはない。
「で、どうだった?」
買い物を終えた部長がビニール袋片手に帰ってきた。
「ネットで満月の写真を検索しても無理でした」
「へー、やっぱり本物じゃなきゃダメなのかな?まあせっかくだし色々試してみようよ。えーっと、ゴムボールにドーナッツにシャボン玉をつくる輪っか」
次々と、部長は丸いものをぼくの目の前に出して試していく。しかし、どれを観てもぼくが狼に変身することはなかった。
「まあ、ここまでは予想通りかな」
部長は特に残念がることもない。
「で、満月に近い丸って言ったら、やっぱりこれだよね」
最後にもったいぶって部長がかばんから取り出したのは懐中電灯だった。
「黄色っぽい光のやつ探すの大変だったんだよー」
「まぶしっ」
光を目に当てられてぼくは目を閉じた。
我慢して光を直視してみるも、変身する様子はない。
「もしかしたらわたしの怪力や催眠みたいに、なりたいって思わなきゃなれないんじゃないかな?」
そう言われて、狼男になりたい、そう念じるも、特になにも起きないのでぼくは肩をすくめた。
「ほら、次は懐中電灯の光を見ながら」
「だから急に向けないでくださいよ。眩しいんですから」
仕方なく目を細めて、光を放つ懐中電灯を見つめながら念じる。
――狼男になりたい。
その瞬間心臓が跳ねた。
体が燃えるように熱くなって、俺はその場にうずくまる。
「え?きた?きた?」
ぼくの様子など気にかける様子もなく、ただただ目を輝かせる部長。
「ちょっと、黙っててください……」
なんとか絞り出した声は、自分のものと思えないくらいガラガラとささくれた声だった。
肌からだんだん黒い毛がはえて、爪がニョキッと伸びる。体が作り変えられる感覚は、気持ちの良いものではなかった。どちらかというと、苦しい。
変化が終わり、熱さと痛みが収まる。
「意識があると、こんな感覚なのか……」
まるで一生続くんじゃないかってほどの苦痛を体験して、ぼくの息は乱れていた。自分の口から発せられるのは動画で聴いたのと同じ、獣の呼吸音だった。
「え?だれ?」
「ぼくですよ」
自分の喉から、自分ではないドスの効いた低い声が出る。
「声まで変わるんだね。というか喋れるんだ」
「意識もはっきりしてますね」
ビデオの中だとずっと犬みたいな鳴き声しか出せないみたいだったのに。
犬の言葉がわかるようになっている主人公
「なんか、ちょっと小さくない?」
と言われても、自分じゃよくわからない。姿鏡を見にいくと、部長の言う通りビデオで見たものより身体が一回り小さい気がした。
「満月だと、狼としての力や、本能が強まるのかもね。だから意識を失うくらい本能が強くなる代わりに、体も大きかったのかも」
と、いつものごとく考察する部長。
「で、これってどうやって戻るんですか?」
ぼくが気になるのはそこである
変身したときみたいに懐中電灯を試すが、戻る気配はなく。
「まあ時間で適当に戻るんじゃない?それより色々と試してみようよ!」
まるで人間に戻らなくてもいいような言い草にイラッときた。そっちは吸血鬼だから人間にも紛れられるかもしれないけど、この姿じゃ無理なんだぞ。
改めて自分の体を見る。尻尾や耳は、なぜだか手足みたいに動かし方がわかった。
「わー、触ってみてもいい?」
「嫌です」
「うー?」
アカメがダメ?とでも言うようにぼくを見上げた。
「アカメはいいぞー」
よしよしと頭を撫でる。
「はいはい差別差別」
部長は唇を尖らせて、わざとらしいため息をつく。
「というか、狼って猫と違って爪しまえないんじゃなかったっけ?」
アカメを撫でるとき、無意識に爪をひっこめたぼくを見て部長は首をかしげた。
「そうなんですか?」
「まあ狼男だし、なにがあってもおかしくないよね」
部長は独りでにうんうんと納得しているようだった。だいたいの不思議が化け物だから、で説明ついてしまうんだよな。
「結構毛並みいいねえ。狼ってもっとぼさぼさで汚いイメージだったけど」
「そりゃあ、生えたてなんですし」
「そっか。今生えたんだもんね。そりゃあふさふさだよねえ……」
人差し指を咥えて、部長はじーっとぼくの体を見た。
「……触っていいですよ」
「えーいいの―?じゃあお言葉に甘えて」
あれだけ物欲しげ眼で見ておいて白々しいことこの上ない。まあ、血を吸われるよりはマシだとそう思うことにした。
「えーすごーい。まるでブラッシングしてるみたいにさらさらふわふわだ。これはアカメちゃんが枕にしてたのも納得だなあ」
なんだかアカメや部長に体を撫で回されるたび、むず痒い感覚がぼくを襲った。
「あ、弘明くんの尻尾がブンブン左右に揺れてる」
部長の言うとおり、ぼくの尻尾が無意識に動いていた。慌てて止めようとするも、うまく制御が効かない。
「撫でられて気持ちよかったんでちゅかー?お犬さんみたいでちゅねー?」
赤ちゃん言葉を使って全力で煽ってくる部長を後で必ず後悔させると決めて、ぼくはなんとか尻尾の動きを止めた。
ぼくが人間に戻れたのは変身からきっかり一時間後だった。
ぼくが狼から人間に戻って裸になった際、部長が、きゃーと叫んで目を両手で覆うも、チラチラと隙間からぼくの裸を覗くという脳内ピンクっぷりを発揮していた。
「それにしても変身時間、随分と短いねー。本物の満月じゃないデメリットなのかな?」
「すぐ戻れるし、意識もはっきりしてることを考えると一概にデメリットとは言えないですけどね」
「まあ、確かに。もうちょっと弘明くんの毛を堪能したかったから、もう一回変身してよ」
部長は懐中電灯の光をぼくの目に当てる。仕方なく、ぼくは狼男になりたいと念じるが……。
「あれ?変身できませんね」
「なるほど。連続での変身は無理なのかな?」
そう都合良くはいかないらしい。
「とりあえず一時間ごとに変身を試して、インターバルがどれくらいなのか調べてみようか」
結果的に、一度変身したらその日はもう変身できないことがわかった。
「とりあえず日常生活で変身してしまうってことは無さそうですね」
変身しても一時間で戻るなら、そう不便もないだろう。
「満月の日の前後は注意しなきゃだけどね」
他にも服が破れるのは寝る前や変身前に服を脱いでおけば済むわけだし、少なくとも吸血鬼の部長よりはマシな制限だと思う。
あと、狼に変身しているとき、どうにかアカメとテレパシー的なもので意思疎通できないかと試したが、うまくいかなかった。あれは、意識がない時じゃないとできないらしい。ぼくは肩をおとした。
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